SAVROLA
A TALE OF THE REVOLUTION IN LAURANIA
BY
WINSTON SPENCER CHURCHILL
サヴローラ
ローラニアの革命の物語
ウィンストン・スペンサー・チャーチル著
訳者より:これはW・チャーチルが23歳の時に書いた小説です。
なお著作権はチャーチルの死後50年を経た2015年に切れています。
原文:http://www.gutenberg.org/files/50906/50906-h/50906-h.htm
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この本を
著者がともに幸せな四年の月日を過ごした
女王陛下の軽騎兵隊の将校諸君に捧げます
前書き
私はこの物語を1897年に書き、すでにマクミラン誌に連載しました。最初の評判が悪くなかったためそれを本として出版することにしました。そして今、一般の皆さんのご評価、あるいは寛容を賜るために恐れながらここにそれを提出いたします。
ウィンストン・S・チャーチル
目次
第I章 政治的重要イベント
激しい雨が降っていた。しかし雲の切れ間からは既に太陽が輝いていて、ローラニアの街の通り、家々、庭々に急速に形を変える影を投げかけていた/すべてが日光の下で濡れ輝いていた:ホコリは静まり/空気は涼しく/木々の緑は心地よかった。それは夏の暑さの後の最初の雨だった。そしてローラニアの首都を芸術家、傷病者、そして遊蕩者の故郷にしてきた、その楽しい秋の始まりを告げるものだった。
にわか雨は激しかったにもかかわらず、国会議事堂前の大きな広場に集まった群衆を追い散らすことはできなかった。それは歓迎されこそすれ、彼らの不安と怒りの表情を変えることはなかった/びしょ濡れになっても興奮は冷めなかった。明らかに重大な出来事が起こっていた。古の芸術を愛する人々がそのファサードに飾った戦勝記念碑や彫像は、人々の代表がそこで会合を持つことを常としていた堂々たる建物の厳粛な重みを払いのけなかった。共和国親衛隊の槍騎兵隊が大階段の下に整列していた。そして相当な数の歩兵隊がエントランスの前に空けられた広いスペースを守っていた。兵士たちの後ろは人々で溢れ返っていた。彼らは広場とそれにつながる街路に群がっていた/共和国の審美眼と自尊心がその古代の英雄の記億のために建立した数多くの記念碑に彼らはよじ登り、それを完全に覆って人間の塚のようにしてしまっていた/その場所を見下ろす家やオフィスの窓、多くの屋根は観衆で込み合っていたため、木に登っている人々までいた。大群衆が興奮に揺れていた。スコールが嵐の海で荒れ狂うように激しい情熱がわき立っていた。あちこちで仲間に担がれた男たちが、声の届く限りの人々に向かって熱弁をふるっていた。そして自分の気持ちを代弁してくれる言葉を探していたのに、それを聞いたことがなかった何千もの人々が、歓声や叫び声を上げていた。
ローラニアの歴史にとって大きな日だった。内戦から五年間、人々は独裁政権の侮辱に耐えてきた。政府が強力であるという事実、そして過去の無秩序の記憶がより冷静な市民の心には強力に作用していた。しかし不平のつぶやきは最初からあった。長い闘いはアントニオ・モララ大統領の勝利に終わったが、敗れた側にはまだ武器を持っている人々が大勢いた。怪我や没収に苦しむ人々がいて/投獄を経験した人々がいて/妥協なき戦いの遂行を要求して息を引き取った友人や身内をもつ大勢の人々がいたのである。和解できない敵を抱えたまま政府は船出し、その支配は過酷で抑圧的なものだった。市民が大変強い愛着を持っており、非常に誇りに思っていた古来の憲法(*constitution、政体、国制、イギリス人であるチャーチルがこの言葉を使うときは古来の政治的慣習という意味になる)は覆された。大統領は扇動の蔓延を主張し、何世紀ものあいだ人々の自由の最も確実な砦と見なされていたその議場に人々の代表を送らせることを拒否していた。こうして日ごとに、そして年ごとに不満がつのっていった:最初は打ち負かされた側の少数の生き残りだけで構成されていた国民党は国内で最も数の多い強力な党へと膨れ上がった/そしてついに彼らはリーダーを見つけた。興奮が四方八方へと広がった。首都の数多い手に負えない住民たちはずっと運動の高まりに熱中していた。デモに続くデモがあり:暴動に暴動が引き続き:軍隊でさえ動揺の兆候を見せるようになった。とうとう大統領は譲歩することを決意した。9月1日に選挙の令状が発行される、国民には希望や意見を表明する機会が与えられるべきである、という発表があった。
この誓約はより平和的な市民を満足させた。過激派は少数派であることに気づいてその論調を変えた。政府はこの好機を利用してより暴力的なリーダーの何人かを逮捕した。かつて戦い、反乱に参加するために亡命先から戻ってきた他の人々は命からがら国境の向こうに逃げた。厳密な捜索によって重要な武器が押収された。関心と不安の眼差しでその政治的変化の兆候を見守っていた欧州諸国は、政府の主張が優位であることを確信していた。しかしその間、人々は黙って約束の履行を期待しながら待っていた。
とうとうその日が来た。投票を記録する七万人の男性選挙人を招集するため、公吏が必要な準備をした。慣習に従って、必要とされる忠実な市民への招集状に大統領が直接署名する。選挙の令状は都市と地方のさまざまな選挙区に転送される。そして古来の法律によって選挙権を与えられた人々が評決を下すのである。激しい憎しみを抱いたポピュリストが独裁者と呼んだ彼の行動について。
群衆が待っていたのはこの瞬間だった。ときどき歓声が上がったが、大部分は黙って待っていた。上院に向かう大統領が通り過ぎたときでさえ、彼らはヤジることを差し控えた/その目に彼は退位したも同然と映っており。それゆえすべての人々が態度を変えていたのだった。古来の遵守事項、長年愛されてきた権利が回復され、再び民主的な政治がローラニアで勝利を収めようとしているのである。
突然、人々が見つめる階段の一番上に若い男が現れた。その服装は乱れ、顔は興奮で真っ赤だった。市民評議会の一員、モレだった。そうと知って民衆はたちまち大歓声を上げた。彼を見られなかった多くの人々は広場に反響した世論の満足の叫び声を聞いた。彼は熱烈にジェスチャーをした、もし話したとしても騒ぎのせいで言葉は聞きとれなかっただろう。別の男、案内係が彼の後から急いで出てきて肩に手を置いた。そして真剣に何かを話しているように見えたかと思うと、彼をエントランスの影に引き戻した。群衆はまだ歓声を上げていた。
ドアから出てきた三番目の人物は市庁のローブを着た老人だった。迎えの馬車までの階段を彼は歩いた、というより弱々しくよろめき下った。再び歓声が上がった。「ゴドイ!ゴドイ!ブラボー、ゴドイ!民衆の闘士!フレー、フレー!」
それは市長で、改革派で最も有力で最も評判の良いメンバーの一人だった。彼は馬車に乗り込み、兵士に守られた広場を通り抜け、群衆の中へ行った。群衆はまだ歓声を上げていたが敬意を表して道を譲った。
馬車のドアは開いていた。老人が痛々しいほど動揺していることは明らかだった。その顔は青白く、すぼめられた口は悲しみと怒りを表し、全身が抑圧された感情に震えていた。群衆は拍手で彼を迎えた。しかしすぐに気がついて、その変わってしまった外見と悲痛な面貌に驚いた。彼らは馬車の周りに群がって叫んだ:「どうしたのです?大丈夫なのですか?教えて下さい、ゴドイ、教えて下さい!」しかし彼はそれを受け付けなかった。そして興奮に震えながら早く馬車を出すよう御者に命じた。人々は重大な決意をして、ゆっくりと、むっつりと、考え込みながら道を譲った。厄介な、予期せぬ、歓迎されない何事かが起こった/それが何なのか、知ることを彼らは熱望していた。
そして根も葉もないうわさが飛び交い始めた。大統領は令状に署名することを拒否した/彼は自殺した/軍隊は発砲するよう命じられた/結局のところ、選挙は行われないだろう/サヴローラは逮捕された―つまり上院で捕まったとある者は言い、殺された、と他の者が付け加えた。群衆の喧騒は高まる怒りの鈍い不協和音のざわめきへと変わった。
ついに答えが出た。広場を見下ろす場所に建物があり、議場との間には狭い通りがあるだけだった。この通りは軍隊によって通行を禁じられていた。この建物のバルコニーに市民評議員の若者、モレが再び現れたのである。そして彼の出現をきっかけに、熱狂的で悩ましい叫び声の嵐が広大なコンコースから巻き起こった。彼は沈黙したまま手を挙げた。そしてしばらくしてから一番近くにいた人々に彼の言葉が聞こえた。「裏切りです―酷い詐欺―私たちの大切な希望は投げ捨てられたのです―すべてが無駄になったのです―だまされた!だまされた!だまされた!」彼の雄弁は途切れ途切れに興奮した群衆に届いた。そして彼は何千人もの人々が聞き、さらに何千人もの人々が繰り返した言葉を叫んだ「市民権の登録簿が削られました、選挙人の名前が半分以上削除されました。To your tents(*ソロモン王の子レハベアムが民の陳情を聞き入れなかったので民は失望してテントに戻った故事に因む)、ああローラニアの皆さん!」
一瞬の沈黙があった。そして怒りと失望と決意の大きなすすり泣きが群衆から洩れた。
このとき槍騎兵隊に護衛され、四頭の馬と共和国の制服姿の御者たちに引かれた大統領の馬車が階段の下に進み出た。国会議事堂から注目の人物が現れた。彼はローラニアの将軍の見事な青と白の軍服を着ていた/胸はメダルと勲章で輝いていた/鋭く力強い容貌だった。彼は馬車へと降りてくる前に少し立ち止まった。あたかも群衆がシーッと不満の声を上げ、ブーイングして満足する機会を与えようとしているかのようだった。そして仲間の内務省長官セニョール・ルーヴェと平然と話をしているように見えた。彼は沸き立つ大集団に向かって一、二回指をさし、それからゆっくりと階段を下りた。ルーヴェは彼と一緒に行くつもりだった。しかし群衆の怒号を聞いて彼は上院で後回しにできない仕事があることを思い出したため/その先は大統領が一人で行くことになった。兵士たちが捧げ銃をした。人々から怒りの咆哮が上がった。馬を動かさずに座っていた騎馬の将校、冷酷な機械は、部下に向き直って命令を出した。歩兵の数個中隊が議場の右側の脇道から一列縦隊で行進を始めた。そして今や群衆がいくらか侵入していた広場に整列した。
大統領は槍騎兵隊に先導された馬車に乗り込んで、すぐに速歩で出発した。馬車が広場の端に達するやいなや群衆が突進してきた。護衛が立ちはだかった/「向こうに戻れ!」と将校が叫んだが、無視された。「どけ、どかないならどかせるぞ」不機嫌そうな声が言った。それでも群衆は一インチたりとも動かなかった。危険が差し迫っていた。「詐欺師!裏切り者!嘘つき!暴君!」彼らはここに記すには粗野過ぎる数多くの言葉を叫んだ。「おれたちの権利を返せ―泥棒!」
そのとき、群衆の後ろで、誰かが空中にリボルバーを発射した。効果は電気的だった。槍騎兵は槍の穂先を下げ、前方に飛び出した。恐怖と怒りの叫びが四方八方から起こった。民衆は騎兵隊の前を逃げた/何人かは地面に倒れ、踏みにじられて死に/何人かは馬に倒されて負傷し/数人が兵士に槍で貫かれた。それはひどい光景だった。後方の人々は石を投げ、何人かが手当り次第にピストルを発射した。大統領は動かなかった。自分が賭けていない競馬を見つめる人々のように、彼は真っすぐに立ってひるむことなく騒動を見つめていた。彼の帽子は叩き落された。その頬に滴る血が石の当たった場所を示していた。しばらくの間、結末は不確かだった。群衆が馬車を襲撃して、そして―暴徒がそれをバラバラにしてしまうかもしれない!もっとましな死に方もあったはずだが。しかし訓練された軍隊はすべての困難を克服した。大統領の態度が敵を脅かしたようだった。そして群衆はいまだヤジったり叫んだりしながら後ろへ下がった。
一方国会議事堂の傍らにいた歩兵隊の指揮官は、大統領の馬車に向かって殺到する暴徒を見て危急を知った。彼は牽制することを決めた。「発砲しなければならないだろうな」と横にいた少佐に言った。
「素晴らしい」と将校は答えた/「私たちが続けてきた膨張弾の浸透実験がこれで完結できるでしょう。非常に価値ある実験です。サー。」そして兵士に目を向け、いくつかの命令を出した/「非常に価値ある実験だ。」と彼は繰り返した。
「少々高くつくがな」乾いた声で大佐は言った/「半個中隊で十分だろう、少佐よ。」
遊底がガラガラと鳴って、ライフルが装弾された。軍隊のすぐ前にいた人々は目の前に迫った一斉射撃から逃れるため、狂ったようにもがいた。一人の男、麦わら帽子をかぶった男が頭を抱えていた。彼は前方に駆け出した。「頼む!撃たないでくれ!」叫んだ。「憐れんでくれ!解散するから。」
一瞬の停止、鋭い命令、大爆発があって、続いて悲鳴が上がった。麦わら帽子をかぶった男は後ろに折れ曲がって地面に倒れた/他の人々も倒れ込んだ。そして不思議にねじれた姿勢で静かに横たわっていた。兵士以外の全員が逃げた/幸いなことに街区への出口はたくさんあり、数分でほとんど誰もいなくなった。大統領の馬車は逃げる群衆の中を通り抜け、より多くの兵士に守られている宮殿の門に向かった。そしてそれを無事に通り抜けた。
今やすべてが終わった。群衆の意気はくじかれ、広々とした憲法広場はまもなくほとんど無人になった。地面には四十人の遺体といくらかの使用済みの薬莢が残されていた。どちらも人間の発達の歴史の中でその役割を演じ、そして生者の考慮の外へと去ったのである。とは言え、兵士たちは空のケースを拾い上げ、やがて数人の警察官がカートを持ってきて他のものを運び去った。そしてローラニアではすべてが再び静かになった。
第II章 国家元首
馬車と護衛は古い門を通り過ぎた。そして広い中庭を通り抜けて宮殿のエントランスに停まった。大統領が降りた。彼は軍の好意と支援をつなぎ止めておくことの大切さを良く知っていた。そこですぐに槍騎兵隊を指揮していた将校の元へ歩いて行った。「貴官の部下に怪我などなかったと信じているが」と彼は言った。
「たいしたことはありません、将軍」中尉は答えた。
「貴官はすばらしい判断力と勇気をもって部隊を指揮してくれた。このことはよく覚えておこう。しかし勇敢な兵士たちを率いるのは決して難しいことではない/彼らのことも忘れてはならない。おお大佐、あなたが来てくれて本当によかった。我々がまだ国の法と秩序を守る決意を持っていることが知られるや否や、不満を持つ連中と揉めることは予想していたのだ。」言葉の後半は急いでサイドゲートから中庭に入って来た暗い青銅色の男に話しかけたものだった。この新来者、ソレント大佐は憲兵隊長だった。彼はこの重要な役職の他に共和国の戦争長官の任務を帯びていた。この組み合わせのおかげで強力な措置を講じる必要がある場合、あるいは望ましい場合はいつでも、大変好都合な迅速さで軍隊が社会的権力を補うことができるのである。この配置はこの時代にふさわしいものだった。普段ソレントは落ち着いていて穏やかだった。彼は数多くの戦闘と沢山の情け容赦ない戦争を経験し、何度か負傷したことがある、勇敢で非情な男と見なされていた。しかし暴徒の集中した怒りには凄まじいものがあった。そして大佐の態度には彼ですらそれに完全に耐えることはできなかった、という事実が現れていた。
「負傷されましたか?閣下」大統領の顔を見て彼は尋ねた。
「なんでもない―石だ/しかし彼らは非常に暴力的だった。誰かが彼らを激高させたようだ/ニュースが伝わる前に私は立ち去ろうと思っていたのだ。誰が話したのかね?」
「市民評議員のモレがホテルのバルコニーから言ったのです。非常に危険な男です!自分たちは裏切られた、と言いました。」
「裏切られただと?なんと大それたことを!間違いなくそうした発言は憲法第20条に触れることだろう:不実告知またはその他の方法による国家元首たる人物に対する暴力の扇動」大統領は行政長官の支配権を強化することを目的とした公法の条項に精通していた。「ソレント、やつは逮捕だ。政府の尊厳に対する侮辱を処罰せずに許してはならない。―いや待て、おそらく寛大な態度を取ったほうが賢明だろう。今や事態は落ち着いたのだから。差し当たり私は国家訴追を望まないことにする。」そして大きな声で付け加えた:「大佐よ、この若い将校は自らの義務を偉大な決意を持って遂行した―最も優れた兵士である。ぜひこのことをしっかり記録しておくように。軍務においても軍務以外でも、昇進は年齢ではなく常にその功績によるべきである。若者よ、君の行動は忘れない。」
大統領は段を上って宮殿のホールに入った。後に残った二十二歳の少年中尉は、将来の展望と成功への高い期待を胸に描いて、喜びと興奮に溢れていた。
ホールは広々としていて、よく調和がとれていた。それはローラニア共和国の最も純粋なスタイルで装飾されており、その紋章がいたるところに飾られていた。柱は古代の大理石でできていた。そしてそのサイズと色は往時の豊かさと壮麗さを証言していた。切り嵌め細工の舗装は心地よいパターンを示していた。壁の精巧なモザイクには国の歴史的な場面が描かれていた:都市の創建/1370年の和平/ムガール皇帝の使節の受け入れ:ブロタの勝利/憲法の厳密な法解釈に違反するよりも死を選んだ真面目な愛国者サルダーニョの死。そして後年部分の壁には国会議事堂の建物:チェロンタ岬における海軍の勝利、そして最後に1883年の内戦の終結が描かれていた。ホールの両側の深い凹部にはヤシやシダに囲まれたブロンズの噴水があって、目と耳にさわやかな涼しさを与えていた。エントランスに面して広い階段があり、真っ赤なカーテンでドアが隠されている大広間に続いていた。
階段の上に一人の女性が立っていた。その手は大理石の手摺の上に置かれていた/背後の鮮やかな色のカーテンが彼女の白いドレスを引き立てていた。彼女はとても美しかったが、その顔には警戒心と不安の表情があった。女性がよくするように彼女は一度に三つの質問をした。「何があったのですか、アントニオ?暴動があったのですか?なぜ発砲があったのです?」彼女は降りるのを恐がっているかのように、階段の上でおずおずと立ち止まっていた。
「すべて順調です。」大統領は公式の態度で答えた。「不満分子が暴動を起こしたのです。しかしこちらの大佐があらゆる予防措置をとっていたので再び秩序が回復されたのです。最愛の人よ。」それからソレントに目を向けて続けた:「また騒動がある可能性がある。軍隊を兵舎から出してはいけない。共和国に乾杯するために彼らに特別の日給を払うとよい。警備は二倍にしなさい。今夜は通りをパトロールしたほうがよい。何かあったら私はここにいる。おやすみ、大佐。」彼は二、三段を上った。戦争長官は厳かにお辞儀をし、向きを変えて立ち去った。
女性が階段を降りてきた。そして中程で二人は出会った。彼は彼女の両手を握りしめ、愛情を込めて微笑んだ/彼女は彼の一段上に立って、うつむいてキスをした。フォーマルでありながら心地よい挨拶だった。
「うむ」彼は言った「親愛なる人よ、今日のところは大丈夫でした。しかし、それがどれだけ続くかはわかりません。革命家どもは日に日に強力になっているようです。ついさっきの広場は非常に危険でした/しかし、とりあえず終わったのです。」
「不安な時間でした」と彼女は言った。そして彼の額が傷ついていることに初めて気が付いた。「怪我をされたのですね。」
「別に何でもありません。」と大統領は言った。「彼らは石を投げた/そこでこちらは弾丸を使った。良い解決策でしょう。」
「上院で何があったのです?」
「トラブルが起こるだろうとは思っていたのですが。私はスピーチで言ったのです。不安定な状況ではあるが、私たちは古来の共和国憲法を復活させることを決定した、しかし敵対的で反抗的な登録簿は一掃しなければならない、と。すると市長がそれを箱から取り出し、彼らは争って選挙区の選挙人の合計を見ようとしたのです。どれだけ削減されたのかを見て、彼らは大変怒りました。ゴドイは言葉を失っていました/彼は馬鹿です。あの男は。ルーヴェは彼らにそれは初回分として受け取るべきである、そして事態がより落ち着くにつれて選挙権はさらに拡大されるだろう、と言いました。/しかし彼らは怒って喚いたのです。実際、案内係と少しの護衛がいなかったなら、そのとき、まさに議会の真っただ中で彼らは私を襲っていたでしょう。モレは私に拳を振り上げました―ばかげた若い頑固者―そして暴徒に熱弁を振るうために飛び出して行ったのです。」
「そしてサヴローラは?」
「ああ、サヴローラ―彼はとても落ち着いていました。登録簿を見たとき笑って『まぁ、ほんの数ヶ月の問題でしょう。』と言ったのです/『こんなことに意味があると思っているのですか。』私は何を言っているのか理解できない、と言い返したのですが、彼が言ったことはすべて真実だったのです。」そして彼は妻の手を取って、ゆっくりと考え込みながら階段を上って行った。
しかし、国家の混乱時に公人が休むことはできない。モララが階段の一番上に到達して応接室に入るやいなや、反対側のドアから一人の男が近づいてきた。彼は小柄で黒ずんでいた。そしてとても醜く、年齢と屋内生活のせいで顔はしわくちゃだった。どちらも自然にはありえない、紫がかった黒い髪と短い口ひげがその青白さをいっそう際立たせていた。彼は手に、長く繊細な指で注意深く部門別に配列された、大きな紙の束を持っていた。秘書だった。
「どうしたのかね、ミゲル?」大統領は尋ねた/「何か渡すものがあるのかね?」
「はい、サー/数分で結構です。エキサイティングな一日でした/成功裏に終わったことをお喜び申し上げます。」
「わかってるよ」モララはうんざりして言った。「何を持ってきたのかね?」
「数通の国際ディスパッチ(*至急電報)です。英国からアフリカ南部の植民地の勢力圏についての文書が送付され、外務長官が返答を起草しました。」
「ああ!この英国人ときたら―いかに貪欲で、いかに横暴なことだろう!しかし、私たちは堅固でなければならない。私は内外のすべての敵から共和国の領土を守る。軍隊を送ることはできない。しかしありがたいことにディスパッチを書くことはできる。十分強気に出たのかね?」
「閣下のご心配には及びません。私たちは我が国の権利を最も力強く主張しました/それは大きな道義的(*moral、精神的)勝利になるでしょう。」
「道義的利益と同じだけ物質的利益も得られるといいのだが。かの国は豊かで/支払う金を持っている/文書からそれは明らかだ。もちろん私たちは厳しく返答しなければならない。他に何かあるかね?」
「陸軍、任官、昇進に関する書類がいくらかあります、サー」とミゲルは親指と人差し指の間の一束の書類に触れて言った。「それらの文書の確認、モルゴンの予算草案の通知と評価、そして一つ二つの小さな問題。」
「うーん、長い仕事だ!よし、行ってそれを片付けよう。最愛の人、私がどれだけ責め立てられているかは分かるね。今夜のディナーで会おう。閣僚は全員来ているのかね?」
「ルーヴェ以外です。アントニオ、彼は仕事で手が離せません。」
「仕事!プー!あいつは夜の街が怖いのだ。なんて臆病なことだ!こうやってあいつは上等なディナーを逃すわけだ。じゃあ八時に、ルシール。」そして迅速かつ断固としたステップで彼はプライベート・オフィスの小さなドアを通り抜けた。秘書が後に続いた。
残されたアントニオ・モララ夫人は素晴らしい応接室にしばらくそのまま立っていた。それから彼女は窓まで歩いてバルコニーに出た。目の前に広がっていたのは並外れて美しい景色だった。宮殿は街と港を広々と見渡す高台に立っていた。太陽は水平線まで沈んでいたが、家々の壁はまだ白く眩しく輝いていた。数多くの庭園と広場が赤と青の瓦屋根の風景に変化をつけていた。その緑と優雅なヤシの木が目を落ち着かせ、満足させてくれていた、北には上院と下院の大きな建築群が堂々とそびえていた。西側は船舶と防御砦を持つ港だった。停泊地に数隻の軍艦が浮かんでいた。すでに青から日没のゴージャスな色へと変わり始めた地中海に、小型漁船の白い帆が数多く点在していた。
彼女は秋の夕方の澄んだ光の中でそこに立っていたため、神々しいほど美しく見えた。乙女の美しさの魅力に女性の機知の魅力が加わって、彼女はその人生の時を迎えていた。その完璧な容貌はその心の鏡だった。そして女性の最大の魅力であるその生き生きとした豊かな表情であらゆる感情とあらゆる気分を表現していた。その長身には天性の優雅さがあった。着ていた古典的ともいうべきドレスはその美しさを高め、その周囲とよく調和していた。
彼女の表情には満たされない想いが浮かんでいた。ルシールがアントニオ・モララと結婚してから五年が過ぎようとしていた。彼の権力はそのとき絶頂にあって、活力にあふれていた。彼女の家族は彼の主張の最も強力な支持者だった。そして父と兄はソラトの戦場で命を落としていた。母親は大きな不幸と悲しみに打ちひしがれた。そして自分の娘を最も強力な友人、国家を救い、今やそれを支配することになるであろう将軍の手に託して世を去った。彼は最初、その仕事を自分と運命をともにしてくれた忠実な人々への義務感から引き受けた。しかし後に動機は別なものへと変化した。一ヶ月も経たないうちに彼は運命の女神が引き合わせた美しい少女に恋をしたのである。彼女は彼の勇気、エネルギー、そしてその才覚に憧れを抱いた/彼の職務の壮麗さはそうした力なしにはありえないものだった。彼は彼女に富と―ほとんど王位とも言える―地位を約束して求婚した/加えて、彼は容姿にも恵まれていた。二人が結婚したとき彼女は二十三歳だった。何ヶ月もの間、彼女の生活は忙しいものだった。冬のシーズンはレセプション、舞踏会、そしてパーティーの絶え間ないもてなしの仕事でいっぱいだった。外国の君主たちはヨーロッパで最も美しい女性としてだけでなく、偉大な政治家としても彼女に敬意を表していた。彼女のサロンはあらゆる国の最も有名な人々で賑わっていた。政治家、軍人、詩人、科学者たちがその殿堂に詣でたのである。彼女は国家の問題にも関わっていた。もの柔らかで優雅な大使たちが投げかける微妙な暗示に、彼女は非公式の答えを返したものだった。全権大使たちは彼女のために、条約と議定書の詳細を驚くほど念入りに解説した。慈善家たちは自分たちの見解や気まぐれを論じ、主張し、説明した。誰もが彼女と公事について話していた。彼女のメイドでさえ兄弟の郵便局員の昇進をもちかけてきた/そして女性が味わう最も美味しい飲み物である賞賛自体が無味乾燥になるまで、誰もが彼女を賞賛したのだった。
しかし最初の数年間でさえ、何か足りないものがあった。それが何だったのか、ルシールには全く見当もつかなかった。夫は優しく、公務から割くことのできる時間は彼女のために使ってくれていた。このごろ事態はあまり明るくなかった。共和国のただでさえ重い業務に加わった、国の動揺、台頭する民主主義の力は大統領の時間とエネルギーに対して完全に酷な要求になっていた。彼の顔には硬いシワ、責務と懸念のシワが刻まれるようになった。そして彼女は時にその驚くばかりの疲労困憊ぶりを目にすることがあった。まるで骨を折って働いているのにその労力が無駄になることを予見している人物のようだった。彼が彼女に会う頻度は少なくなった。そしてその短い時間の会話にも仕事や政治のことがどんどん増えていった。
首都には不穏な空気が充満していた。始まったばかりの季節の幕開けはひどいものだった。平地はすでに涼しい緑色をしていたが、名門諸家の多くは山の斜面にある夏の邸宅に残っていた/他の諸家は市内の自宅に留まり、宮殿の最も公式な催しだけに出席していた。見通しが荒れ模様になるに従って、彼女はあまり彼の力になることができなくなったように感じていた。激情が掻き立てられて美しさを目に見えないように、魅力を心に感じないようにしてしまっていた。彼女はまだ女王だった、しかし臣民は不機嫌で無関心だった。彼が非常に強い圧力を受けている今、彼を助けるために彼女に何ができただろう?退位の考えは、すべての女性同様、彼女にとっても憎むべきものだった。輝きが消えてしまったのに、まだ宮廷のセレモニーを指図し続けなければならないのだろうか?自分が愛着を抱いてきたものすべてを転覆するために敵が日夜活動しているというのに。
「私には何もできないの?何も?」彼女はつぶやいた「私は自分の役目を果たしてしまったのかしら?人生最高の時は終わってしまったの?」そしてそのとき、苛立たしい決意の熱い波が押し寄せてきた「私はやるわ―でも何を?」
問いの答えはなかった/太陽の上端が水平線の下に沈んだ。そして軍用突堤の末端の、防衛砲台の目印になっているいびつな土盛りから煙のパフが噴き出した。それは夕方の大砲だった。そしてかすかに漂ってきた砲音が彼女の頭をいっぱいにしていた不愉快な考え事を断ち切った/しかし記憶は残っていた。彼女はため息をついて振り返り、再び宮殿に入った:日の光が次第に消えて夜になった。
第III章 大衆の側の男
落胆と激しい怒りが街を満たしていた。一斉射撃のニュースは速く、遠くへ広がった。そしてそうした場合の常として結果は非常に誇張されていた。しかし警察の予防措置はよくできていて、首尾よく実行されていた。大勢で集まることは許されず、通りのバリケード建設は絶え間ないパトロールによって阻止されていた。さらに共和国親衛隊の存在は非常に恐ろしいものだったので、市民たちは何を感じようとも黙認し、ときには満足そうな様子を見せるのが用心深い態度であると考えていた。
しかし大衆党のリーダーたちは違っていた。彼らはすぐに市長公邸に集まった。そして激しい議論を続けていた。市長公邸のホールで緊急会議が開かれ、党派のすべての勢力がそこに代表を送っていた。市民評議員であり、出版禁止になった「トランペットコール(*集合ラッパ)」の元編集者であるモレが部屋に入ると大きな歓声が上がった。彼の演説は多くの人々にアピールしてきた。そしてローラニア人は常に大胆な行動に拍手喝采する用意ができていた。加えて最近の騒動には誰もが興奮し、何かをしたいと思っていた。労働派の代表は特に怒っていた。自らの不満を表明するために合法的に集まった労働者が、雇われた兵士によって撃ち殺されたのである―虐殺というのが最も多く使われた言葉だった。復讐する必要がある/しかし、どうやって?いくつもの最もワイルドな計画が出された。常に大胆な提案をするモレは、通りに出撃し、人々を鼓舞して武器を取らせることを提案した/宮殿を燃やし、暴君を処刑して国の自由を回復しようというのである。実際のところその提案は特別熱心な支持を得ていたわけではなかったが、年老いた用心深いゴドイはそれに強く反対を唱えた。彼が提唱したのは非難と弾劾の穏やかで威厳ある態度だった。それは列国にアピールし、自分たちの主張の正しさを立証することになるだろう。他の人々が議論に割って入った。法廷弁護士のレノスは自ら憲法に則った方法と呼ぶものを提唱した。自分たちは公安評議会をつくる必要がある/また適切な国の官吏(もちろん司法長官を含む)を任命すべきである。そして国民の権利宣言の前文に含まれている基本原則に違反した大統領に退位を命じるのである。自ら発言をすることを切望していた数人のメンバーによって遮られるまで、彼は関係する法律の要点について詳しい話を続けた。
いくつかの決議が行われた。大統領は市民の信頼を失った、ということが合意された。大統領はすぐに辞任して法廷に服従することを求められた。軍は共和国の害悪である、ということも合意された。人々に発砲した兵士を国内法で起訴することが決議された。そして死傷者、あるいは殉教者と呼ばれた人々の身内には同情が集まった。
この無力で無益の場面は、何もないところから党派を立ち上げ、次から次へと成功を収め、ついには勝利したかと思われるところまで彼らを導いてきた、その注目すべき人物の入場によって終了した。会衆に沈黙が降りかかった/一部は敬意を表して立ち上がった/彼は何と言うのだろうか、と誰もが思った。彼は降りかかった、打ちひしぐような敗北にどのように耐えるのだろうか?運動に絶望するのだろうか?怒っているのか、悲しんでいるのか、それとも冷笑しているのだろうか。なにより、彼はどういう方針をとるのだろう?
彼はメンバーが集まっている長いテーブルの端まで歩いて行った。そしてゆっくりと座った。それからいつものように落ち着いた穏やかな顔で部屋を見回した。その混乱と不決断の場面で彼は堂々としていた。彼の存在そのものがその追随者たちに自信を与えた。その高く広い額の中にはすべての問いの答えがあるのかもしれなかった/彼の決然とした落ち着きは運命の最大の打撃にも耐えることができそうだった。
一息ついた後、沈黙に促されて彼は立ち上がった。その言葉は慎重で穏健だった。登録簿が削られていることに気付いたときは失望した、と彼は言った。最終的な成功は延期された。しかし延期されただけである。自分が遅くなったのは市長公邸に来る前に少しばかり計算をしていたからである。拙速なものには違いないが、自分はそれをほぼ正確なものだと思っている。大統領は来たる議会で過半数、圧倒的多数を獲得するだろう、それは本当である/しかし選挙人が制限されていても、自分たちは一定数の議席を獲得することになるだろう/三百議席中約五十議席である。もっと数の少ない少数派がもっと強力な政府を倒したこともある。日々自分たちは強くなっている/日々独裁者への憎しみが増している。さらに憲法の手続き以外の選択肢もある―そしてこの言葉で会衆は歯を食いしばり、深い意味を込めてお互いを見つめ合った―しかし今のところ自分たちは待たなければならない/そして自分たちは待つことができる。勝ちとるべき価値のある賞を。それは世界で最も価値のある財産―自由(*liberty)である。彼はより輝いた顔とより穏やかな心で席に着いた。審議が再開された。身内が虐殺されたことで貧困に陥った人々を党の一般財源から救済することが決定された/それは労働者階級における彼らの人気を高め、外国の共感を勝ち取ることになるだろう。大統領が自分たちの古来の登録簿を削除したことに対する市民の悲しみを表明し、選挙権の回復を請うために代表団を送らなければならない。また国民に発砲した将校の処罰を要求し、大統領に都市の恐慌と憤慨を知らせるべきである。サヴローラ、ゴドイ、レノスが代表団に指名された。そして改革委員会は静かに解散した。
モレは最後まで居残ってサヴローラに近づいて来た。彼は自分が代表団のメンバーに推薦されなかったことに驚いていた。あまり友人がいない学者ぶった弁護士のレノスよりも、彼は自分のリーダーをはるかによく知っていた:彼は最初から盲目的な熱意と献身でサヴローラにつき従ってきたのである/そして今、このように無視されたことに傷ついていた。
「今日は僕らにとって悪い日だった」ためらいがちに彼は言った/そしてサヴローラが返事をしなかったので、彼は続けた「まさか彼らが騙すなんて誰が思ったことだろう?」
「今日は非常に悪い日だった―君にとって」考え込みながらサヴローラは答えた。
「僕にとって?なぜ、どういうこと?」
「四十人の命の責任は君にある、ということが分からないのか?君のスピーチは役に立たなかった―あれに何か良いことがあっただろうか?彼らの血が流れたのは君のせいだ。人々もまた怯えている。沢山の弊害があった/君の過ちだ。」
「僕のせいだ。僕は怒り狂った―彼は僕らを騙したのだ。僕には反乱しか考えられなかった。君がこのようにおとなしく座っているなんて夢にも思わなかった。あの悪魔を今すぐ殺すべきだ―もっと悪いことが起こらないうちに。」
「見てくれ、モレ:僕も君と同じく若い/僕も同じく痛切に感じていて/僕も熱意でいっぱいなのだ。僕もまた賢く哲学的であろうとする以上にモララを憎んでいる/しかしそうした感情に押し流されても何も得るものがないとき、僕は自分自身を抑えるのだ。今僕が言ったことをよく考えてみてくれ。君はそうするか、そうしないなら、君の好きなようにするしかない。なぜなら君と僕は相容れないからだ―政治的に―友人としては別だが。」
彼は腰を下ろして手紙を書き始めた、そして怒りと自責からくる屈辱に青ざめ、叱責に震えていたモレは急いで部屋を出て行った。
サヴローラは後に残った。その夜にやるべきことはたくさんあった/手紙を読み書きし、民主的新聞の社説の論調を明らかにし、他にもたくさんの問題を解決しなければならなかった。大きな党の組織、そしてさらに大きな謀議には念入りで絶え間ない心配りが必要だった。終わったのは九時過ぎだった。
「じゃ、おやすみなさい、ゴドイ」彼は市長に言った/「明日もまた忙しい一日になるでしょう。独裁者を怖がらせるための工夫をしなければなりません。いつ彼と会見できるかを知らせて下さい。」
市長公邸の入り口で彼は貸馬車を呼んだ。これは社交の季節の沈滞にも政治的な騒動にも通常の営業を妨げられない乗り物である。短いドライブの後、彼は街の最もファッショナブルな地区の、小さいけれどもエレガントでなくはない家に到着した。彼は財力のある人物だったのである。ノックすると年老いた女性がドアを開けた。彼女は彼を見て喜んだ。
「ラ」彼女は言った「あなたがいなくて恐かったわ。その上この騒ぎと銃声でしょう。でも、もう午後には肌寒いのでコートを着ていくべきでしたね。明日あなたが風邪をひくのではないかと心配です。」
「大丈夫ですよ、ベティン」彼は優しく答えた/「胸の調子はいいです。ご心配ありがとう/でもとても疲れています。部屋にスープを持ってきてくれませんか/夕食は軽くして下さい。」
彼女が間に合わせの最良の夕食を作るためにせわしく働いている間に彼は階段を上った。彼の住むアパートは二階にあった―寝室、浴室、そして書斎。それは小さなものだったが、趣味と贅沢が作り出し、愛着と勤勉によって維持されるすべてのものでいっぱいだった。一番いい場所を幅の広い執筆テーブルが占めていた。それは手や頭に光が当たるように都合よく配置されていた。真ん中には大きなブロンズ製のインクスタンドが置かれていて、その前には大きめの簡易製造のブロッティング・ブック(*インク吸い取り紙を綴じたもの)が広がっていた。テーブルの残りの場所は書類ファイルが占めていた。十分な紙屑籠があるにもかかわらず、床には切り抜きが散らばっていた。それは公人の執筆テーブルだった。
部屋は携帯用傘つきランプの電灯で照らされていた。壁は棚で覆われ、読み込まれた本でいっぱいだった。この文献のパンテオン(*万神殿)にはそれらを読んでその価値を知らない者の立ち入りは許されないのである。それは多彩な蔵書だった:ショーペンハウアーの哲学はカントとヘーゲルの間にあり、ヘーゲルは「サン・シモン回想録」と最新のフランス小説を押しのけていた/「ラッセラス」と「ラキュレ」は隣り合っていた/おそらくギボンの有名な歴史書の重厚な八巻は「デカメロン」の豪華本で不当に延長されてはいなかった/「種の起源」はブラック・レター(*12~15世紀まで使われていた書体)の聖書の横にあった/「国家(*プラトン)」は「ヴァニティフェア」と「ヨーロッパの道徳の歴史」の間で均衡を保っていた。マコーリーのエッセイは執筆テーブルの上にあって/開かれていた。そしてそれによって一人の天才がもう一人の天才に不朽の名声を与えた、あの荘厳な一節に鉛筆で印がつけられていた。そして歴史は、激しく、高く、大胆な性格を戒めるために彼の多くの誤りを記しながらも、彼のそばにその骨が眠っている著名な人々の中に、より汚れなく、より輝かしい名前を残した人物はほとんどいない、と慎重に宣言することだろう。(*大ピットについての記事より)
低い革張りのアームチェアの傍の、小さなテーブルの上に半分空のタバコの箱が立っていた。その横には重い軍用リボルバーが置かれており、その銃身の背後からは多くのタバコの灰が取り除かれていた。部屋の隅には小さいながらも精巧なカピトリーノのヴィーナスが立っていた。その色の冷たい純潔はその姿態の魅惑を咎めていた。それは哲学者の部屋だったが、冷淡で観念的な隠者の部屋ではなかった/それはすべての地上の喜びを味わい、その妥当な価値を値踏みし、楽しみ、軽蔑した人間、人間らしい人間の部屋だった。
テーブルの上には未開封の書類や電報がまだ残っていた。しかしサヴローラは疲れていた/それらは朝まで待つことが可能、あるいはいずれにせよ待つべきだった。彼は椅子に倒れ込んだ。そう、それは長い一日、憂鬱な一日だった。彼は三十二歳の青年だったが、すでに責務と気苦労の影響を感じていた。最近経験した躍動的な光景がその神経質な気質を興奮させることは間違いなかった。そして感情の抑圧は内向きの火を熱くするだけだった。それにはそれだけの価値があったのだろうか?闘争、苦心、絶え間なく押し寄せる事件、人生を楽にしたり、快適にしたりする多くのものの犠牲―何のために?人々のために!彼が自分自身から隠すことができなかったのは自らの奮闘の理由よりも、むしろその方向だった。原動力は野心だった。そして彼にはそれに抗う力がなかった。彼は芸術家の喜び、その美の探求に捧げられた人生、またスポーツの喜び、その棘すらも残さない最も強烈な喜びについて知っていた。人々の喧噪から遠く離れ、芸術と知性が誘うあらゆる気晴らしとともに、夢のような静けさと哲学的な穏やかさの中で美しい庭園に住むのは、より心地よいことだろうと感じていた。しかし自分がそれに耐えられないことも知っていた。「激しく、高く、大胆に」がその心の形だった。彼が生きてきた人生は彼が生きることができた唯一のものだった/最後まで続けなければならない。行動の中にだけ休息が、危険の中にだけ満足があることを知り、混乱の中にだけ自分の唯一の平和を見出すような精神を持つ人々がいる。そのような人々はしばしば早逝するものである。
彼の考え事はトレイを持った老婦人が入ってきたため中断された。疲れていても礼儀は守らなければならなかった/彼は立ち上がった。そして服を着替えて身仕舞をするために奥の部屋に入った。戻ると食事の用意ができていた/彼が頼んだスープは家政婦の気配りによって手の込んだ食事へと拡充されていた。彼女は給仕をし、しばらくの間質問を浴びせかけ、世話を焼くことを喜びながら彼の食欲を眺めていた。彼女は彼の誕生の時から休むことのない献身と気配りで世話をしてくれていた。こうした女性の愛、それは不思議なものである。おそらくそれはこの世で唯一の利害関係のない愛情である。母親は子供を愛する/それは肉体的なものである。若者は恋人を愛する/それも説明できるだろう。犬は主人を愛する/養ってくれるからである。人は友人を愛する/おそらく不確実な時に味方をしてくれたのだろう。すべてには理由がある/しかし子供の世話をする保母の愛は絶対的に不合理なもののように見える。それは観念の連合の学説(*Association of ideas)でさえ説き明かすことができない、人間の本質は単なる功利主義よりも優れており、その運命は高いものであることの数少ない証拠の一つである。
軽く質素な夕食が終わり、老婦人は皿を持って立ち去った。そして彼は再び考え事にふけった。差し迫った未来のいくつかの困難な問題、その取扱いについて彼は確信を持っていなかった。彼はそれらを心中から去らせることにした/なぜ彼はいつも現実の問題に圧迫されていなければならないのだろうか?夜はどうなっている?彼は立ち上がって窓際へ行き、カーテンを引いて外を見た。通りはとても静かだったが、パトロールの重い足音が遠くで聞こえたような気がした。すべての家は暗く陰鬱だった/頭上には星が明るく輝いていた/それを見るには最適な夜だった。
彼は窓を閉めた。そして、ろうそくを持って部屋の片隅のカーテンのかかったドアまで歩いて行った/開くと平らな屋根に通じる狭いらせん階段があった。ローラニアのほとんどの家は背が低かった。トタン屋根に上ったサヴローラは眠っている街を見下ろした。ガス灯の列が通りと街区を、輝く点が港の船の位置を示していた。しかし彼はそれらを長く見ていなかった/さしあたり人々とその責務にうんざりしていたのである。この空中のプラットフォームの一角に小さなガラスの天文台が立っていた。その開口部からは望遠鏡の先端が出ていた。彼はドアの鍵を開けて中へ入った。これは誰も見たことのない彼の人生の一面だった/彼は発見や名声を求める数学者ではなかった。しかし、その謎ゆえに星を見ることを愛していた。二つ三つの操作を経て望遠鏡はこの時北天高くにあった美しい惑星、木星に向けられた。レンズは強力なものだった。そして周りに衛星を従えたその巨大な惑星は壮麗に輝いていた。地球が時間とともに回転しようとも、時計仕掛けのギアによって彼はそれを継続的に観察することができるのである。そして星を見つめることが好奇心と探究心の旺盛な人々に及ぼす魔力に次第に憑りつかれて、彼は長い間それを見つめていた。
ようやく彼は立ち上がった、心はまだ地球から遠く離れていた。モララ、モレ、党、その日のエキサイティングなシーンはすべて霞がかかったように非現実的なものに思えた/別の世界、より美しい世界、無限の可能性の世界がその想像力を魅了していた。彼は木星の未来、その表面に生命の存在が可能になるまでの冷却プロセスが必要とする途方もない時間、無情で動かすことのできない進化のゆっくりした間断のない歩みについて考えた。それは原初の世界のまだ生まれていない住人たちをどこへ運んでいくのだろうか?あるいは生命の本質のかすかな歪みに過ぎないものへ/あるいは彼の想像さえも及ばないようなものへ。すべての問題が解決され、すべての障害が克服されて/生命は完全な発展を遂げることだろう。そして空間と時間を超えて空想はさらに遠い時代の物語に移った。冷却プロセスは続き/生命の完全な発展は死によって終わりを告げ/全太陽系、全宇宙は、いつの日にか燃え尽きた花火のように冷たくなって、生命は消え去ることだろう。
それは悲しみをそそる結論だった。夜の夢が自分の考えと相反するものであることを期待して、彼は天文台を閉め、階段を降りた。
第IV章 代表団
大統領は早起きするのが習慣だった。しかしその前に必ず新聞で、政府の政策を扱ったり、政府の行動を批判したりするような意見を読んでいた。今朝、彼が読むべき記事は豊富にあった。すべての新聞は選挙権の制限とその発表後の大暴動をトップ記事にしていた。彼は最初に正統派の凡庸な報道機関であるジ・アワーを開いた。同紙は通常、発生したニュースの中からその時その時に好ましいものを斟酌して慎重に政府を支援していた。一列半の記事の中でジ・アワーは大統領が選挙権を無傷で復活させることができなかったことに穏やかに遺憾の意を表明した/このことは読者の大部分を満足させた。二列目ではあのような嘆かわしい結果を引き起こした恥ずべき暴動に対する深刻な不承認―(実際に使われたのは無条件の非難という言葉だった)―を表明した/これは恩返しだった、前夜に到着し、ロンドンの特派員から送られて来たものとして、彼らが一字一句をそのまま威風堂々印刷した英文原稿は大統領が差しまわしてくれたものだったのである。
上流階級の上品な朝刊紙、ザ・コーティアー(*宮廷人)はシーズンの初めにとても不穏当な暴動が起こってしまったことを遺憾とした、そしてそれが7日に催されるステート・ボール(*国の舞踏会)の輝きを決して損なうことはないと信じていることを表明した。メニューが正式に追加された大統領主催の最初の閣僚ディナーの優れた記事があった。そして内務省長官のセニョール・ルーヴェが病気でその行事に出席できないかもしれないことを懸念していた。膨大な数の発行部数を持つザ・ダイアーナル・ガッシャー(*昼間の感情家)は事実上コメントを差し控えた。しかし虐殺の優れた記事を発表し、その悲惨な詳細に多くの豊かな感情と不健全な想像力を費やしていた。
これらは事実上、政府が支援を頼りにしていた報道機関だった。大統領はいつも最初にそれらを読んでいた。彼と政府、およびそのすべての仕事に、急進的、通俗的、民主的報道機関のコラムが罵詈雑言で朝の挨拶をしてくることに対する防御を固めるためだった。強い言葉を常習的に使うことが招く最悪の結果は、特別な事態が実際に発生したときにそれを目立たせる方法がないということである。ザ・フェビアン(*民主社会主義者)、ザ・サンスポット(*太陽黒点)、およびザ・ライジング・タイド(*上げ潮)は他のそれほど重要ではない事件において自らの広範な語彙のすべての形容詞をすでに使い果たしてしまっていた。市民に容赦ない一斉射撃が行われ、古来の特権が攻撃された今、彼らはその感情の唯一の噴出において比較的穏健になってしまった。彼らは国家元首をネロやイスカリオテと非常に頻繁かつ生々しく比較した。これらの名士のとても好都合なところは彼らが今彼にどう対処しようとしているかが分からない、ということである。それでも彼らはいくつかの未使用の表現を見つけ、彼の「人類の最も共通の本能の残忍な無視」の例として閣僚ディナーを強調した。ザ・サンスポットは「大食いの汚れた乱行にふけり、血に染まった指を選りすぐりの料理に伸ばしている。その間、犠牲者の体は埋葬されておらず、復讐されていない。」と特別楽しそうに閣僚に言及している、と読者たちは思った。
熟読を終えた大統領は、最後の新聞をベッドから押し出し、眉をひそめた。彼は批判を全く気にしていなかった。しかしマスコミの力を知っていて、それが世論を反映しているだけではなく世論に影響を与えていることを知っていた。バランスが反対側に傾いていることは間違いなかった。
朝食時、彼は不機嫌に沈黙していた、賢いルシールは不自然で平凡な朝の会話で彼を苛立たせたりはしなかった。彼はいつも九時までに仕事を始めていた、しかし今朝はいつもより早く始めた。モララが入ったとき、秘書はすでに自分のテーブルで忙しく書き物をしていた。彼は立ち上がってお辞儀をした。それはフォーマルなお辞儀であり、敬意を表すというよりは対等を主張しているように見えた。大統領はうなずき、そして彼自身の注意を必要とする書状の該当部分がきちんと整理されている自分のテーブルへと向かった。彼は座って読み始めた。そして時折、同意または不承認の叫び声を発し、しばしば決定と意見を書き込むために鉛筆を使った。ミゲルは時折、彼がこのように処理した書類を集め、隣の部屋の下位の秘書の元へ運んだ。その任務は「即刻拒否」「もちろん否」「戦争省へ」「何度も答弁した」「同意しない」「昨年の報告を見よ」などのフレーズを堂々たる華麗な公式の用語へと推敲することだった。
ルシールにも読み書きする手紙があった。それを終えた後、公園までドライブすることにした。過去数週間、実際、夏の別荘から戻って以来、ここ数年間続けてきた習慣を彼女はやめていた/しかし前日の事件や暴動の後、自分が持っていなかった勇気を見せることが義務であると感じたのだった。彼女の美しさは美を愛する人々が一様に敬意を表するほどのものだったので、それが夫を助けることになるかもしれなかった。それは少なくとも害にはならず、また彼女は宮殿とその庭園にうんざりしていたのだった。こうした意図で馬車が仕立てられ、彼女がそれに乗り込もうとしたとき、ドアのところに若い男が到着した。彼は重々しく挨拶をした。
政治を私生活に持ち込んだり、私生活を政治に持ち込んだりしないのはローラニア共和国の市民の誇りだった。彼らがそれについてどこまでを正当なものとしていたのかは後で分かることだろう。現在の状況は間違いなくその原則を極限にまで緊張させていたが、政治的敵対者の間でも依然として礼儀は交わされていた。ルシールは内戦前に父の家を頻繁に訪れていた偉大な民主主義者を知っていた。そしてずっと公式の知人だったため、微笑んでお辞儀を返し、大統領に会いに来られたのですか、と尋ねた。
「はい」と彼は答えた。「約束があります。」
「公式のご用事かしら?」彼女は仄かに微笑んで尋ねた。
「はい」彼はややぶっきらぼうに繰り返した。
「あなた方がみんな、どんなにやっかいなことかしら」彼女はずけずけと言った。「あなた方の公式の用件とまじめくさった顔ったら。朝から晩まで私が耳にするのは国の事ばかりです。そして今一時間リラックスするために宮殿を出ようとすると、まさにそのドアで私はあなた方に出会うのです。」
サヴローラは微笑んだ。彼女の魅力に抵抗することは不可能だった。大統領との会見のために精神を注意深く、そして断固とした状態にしていたにもかかわらず、彼がいつも彼女の美しさとその機知に感じていた憧れが自己主張をした。彼は若い男であって、憧れる惑星は木星だけではなかった。「閣下」彼は言った。「私の全ての意図に無罪を宣告していただかなければなりません。(*決して故意にしたことではありません)」
「そうします。」彼女は笑いながら答えた「そしてあなたをこれ以上罰しません。」
彼女は御者に合図して会釈し、馬車で走り去った。
彼は宮殿に入った。そして青ともみ革色の共和国の制服を纏ってまばゆく輝く従僕に控えの間へと案内された。前日に護衛を指揮していた親衛隊の若い将校である中尉が彼を出迎えた。大統領は数分で手が空くでしょう。代表団の他のメンバーはまだお見えになっていません/お掛けになって待たれますか?見るだけなら害はないが、激昂したときの力には驚くべき逸話がある不思議な動物を見るように、中尉は怪訝そうに彼を見た。彼は最も正確な連隊の理念によって育てられていた:人々(彼は暴徒をこう表現した)は「豚」だった/彼らのリーダーも同じで、その前にある形容詞を付けていた/民主的制度や議会などはすべて「腐敗」していた:したがって彼とサヴローラには共通の話題がほとんどなさそうに思われた。しかしその美貌とマナーに加えて、若い兵士は他の技能を持っていた/部下は彼が「申し分なく」「抜け目がない」ことを知っていた。彼は親衛隊ポロ・チームの槍騎兵たちに最も有望な選手と見なされていたのである。
すべてを知ることを本分としているサヴローラは、最近ローラニア騎兵隊が議論した、ポロ・チームをイギリスに派遣するプロジェクトについて尋ねた。ハーリンガムで毎年行われる大規模トーナメントに出場しようというのである。ティロ中尉(それが彼の名前だった)は喜んでそのテーマに飛びついた。彼らは誰を「バック」にするべきかについて論争をした。市長とレノスが入って来たとき、ようやく議論は中断された。中尉は大統領に代表団が待っていることを知らせるために出て行った。
「すぐに会うことにしよう。」とモララは言った。「ここに来させなさい。」
そこで代表団は階段の上の大統領の個室に案内された。大統領は立ち上がって礼儀正しく彼らを迎え入れた。ゴドイは市民の不満を述べた。彼は過去五年間の違憲政府に対する彼らの抗議と、ともに身分制議会を召集するという大統領の約束に対する彼らの喜びを繰り返した。彼は選挙権の制限に対する自分たちの甚だしい失望を述べ、それを完全に回復するよう強く要求した。彼は非武装の人々を撃ち殺した兵士の残酷さに憤慨した。そしてついに市長として、彼らの大統領への忠誠心や彼の人格への敬意を保証することはできない、と宣言した。レノスは同じ口調で話した。特に最近の大統領の行動の法的側面、後世への先例としてのその影響の重みについてくどくどと話をした。
モララはかなり長い返答をした。彼は国の、特に首都の混乱した状態を指摘した/彼は先の内戦の混乱とそれが大衆に与えた苦しみに言及した。国が求めていたのは強力で安定した政府だった。事態が落ち着くに従って、選挙権は最終的に完全に元通りになるまで拡大されるだろう。それまでの間に、何の不満があるのか?法と秩序が守られている/公共サービスは良く運営されている/人々は平和と安全を享受している。それ以上に力強い外交政策は国の高い名声を守ったのである。あなた方は実例を見るべきである。
彼は振り返り、ミゲルにアフリカ紛争に関する英国の文書への返信を読むよう命じた。秘書は立ち上がって、その柔らかく満足げな声がそこに含まれる侮辱を強調するのに非常に適していることを証明しながら、件の紙を読み上げた。
「そしてそれは、紳士諸君」それが読み終えられると大統領は言った「世界で最も偉大な陸軍力と海軍力を持つ国の一つに宛てられたものなのです。」
ゴドイとレノスは黙り込んだ。その愛国心は奮い立たされた/プライドは満足させられた/しかしサヴローラは挑発的に微笑んだ。「ディスパッチ以上のものが必要でしょう。」彼は言った「イギリス人をアフリカの勢力圏から遠ざけておくため、すなわちローラニアの人々をあなたの支配に黙って従わせておくためには。」
「そして、より強力な手段が必要になれば」と大統領は言った「それを取るので安心して下さい。」
「昨日の出来事があった後でそのような保証が欲しいとは思いません。」
大統領は嘲りを無視した「私は英国政府を知っている」と彼は続けた/「彼らが武力に訴えることはない。」
「そして私は」サヴローラは言った「ローラニアの人々を知っています。(*武器に訴えるかどうか)私は確信が持てません。」
長い間があった。二人の男は向かい合った。目と目が合った。それは闘う二人の剣士の姿だった。そして憎しみ合う二人の敵同士の姿だった/彼らは距離を測り、チャンスを伺っているようだった。そして微笑みを唇に残したままサヴローラは顔を背けた/しかし彼は大統領の心の中を読んで、まるで地獄を見たような気がしたのだった。
「それは意見の分かれるところです、サー」ついにモララは言った。
「まもなく歴史の分かれ目になるでしょう。」
「他の話を先にするべきでした。」と大統領は言って、非常に形式的に続けた「市長殿と紳士諸君、あなた方がある階級の中の危険な不穏分子について知らせて下さったことを感謝します。あなた方は暴動を防ぐためのあらゆる予防措置を頼りにされて良いのです。またこれからも情報を提供して下さい。では良い朝を。」
とるべき唯一のコースはドアのようだった。サヴローラは大統領の謁見に感謝し、市民の敵対的な姿勢を思い知らせる機会があれば、またいつでも必ず来ることを約束した。そして代表団は退出した。階段を降りる途中、ドライブから思いがけず早く帰ってきたルシールと出会った。彼女は彼らの表情から白熱した議論が行われたことを知った。彼女はゴドイとレノスを気に留めずに通り過ぎた。しかしサヴローラには楽し気に微笑みかけた。まるで自分は政治に興味がないので、どうして人々がそんなに興奮できたのか分からない、と伝えようとしているかのようだった。笑顔は彼を裏切らなかった/彼は彼女のセンスや天分をあまりにもよく知っていたが、なおいっそう彼を憧れさせたのはそのしぐさだった。
彼は家まで歩いた。会見は全く満足のできないものでもなかった。彼は決して大統領を説得できるなどと思ってはいなかった/それは確かに、ほとんどありえないことだった/しかし彼らは国民の意見を表明したのである。そして党派がこうした危機に際してリーダーが怠慢だったと不平を言わないように、ゴドイとレノスはすでに自分たちの発言の写しを新聞社に送っていた。彼はモララを怖がらせたと思った。実際、もしああいう男を怖がらせることができるものならば/とにかく彼を怒らせた。このことを考えると、彼は嬉しくなった。なぜ?彼はこれまでそのような非哲学的で無益な感情をできるだけ抑え込んできた。しかし、どういうわけか今日、彼は大統領に対するその嫌悪感がより暗い色合いを帯びているように感じた。そして彼の心はルシールに戻った。彼女はなんと美しい女性だったことだろう!すべての真のウィットの源である人間の感情の天性の知識にどれだけ満ちていることだろうか!モララはそのような妻を持つ幸運な男だった。断固としてサヴローラはモララを個人的に嫌っていた、しかしそれは、もちろん彼の違憲行為のせいである。
彼が自分の部屋に着くと、モレが待っていた。大いに興奮して、明らかに怒っていた。彼は自分のリーダーに何通もの長い手紙を書いていた。彼とその党派との一切の関係を断つ、という不変の決意を告げるものだった/しかし彼はそれらをすべて引き裂いた。そして今や率直に話をしようと心に決めて来たのだった。
サヴローラは彼の表情を見た。「あぁ、ルイ」彼は叫んだ「会えてうれしいよ。本当によく来てくれた。ちょうど大統領と話してきたところだ/彼は強情だよ/一インチも動かないだろう。君のアドバイスが欲しい。僕らはどうしたら良いのだろう?」
「どうだったの?」若者は不機嫌に、しかし興味津々に尋ねた。
サヴローラは会見について生き生きと簡潔に話した。モレは注意深く耳を傾けていた。そしてそれでもまだ大変不機嫌そうに言った「彼が理解できる議論は物理的な力だけなのだ。蜂起するしかない。」
「おそらく君が正しいのだろう」思わずサヴローラは言った「僕も半ば君に同意しかけている。」
モレは自分の計画を力強く、かつ真剣に論じた。しかしリーダーは彼が提案した暴力的手段にそれほど賛成しているようには見えなかった。約半時間、彼らはその問題について話し合った。サヴローラはまだ納得していないようだった/彼は腕時計を見た。「二時過ぎだ」と言った。「ここで昼食をとって徹底的に話し合おう。」
そうすることになった。昼食会は素晴らしかった。そして亭主の議論がどんどん説得力を増していった。ついにモレはコーヒーを飲みながら、おそらく待ったほうが良いだろうことを認めた。そして二人は心からの友情とともに別れた。
第V章 密談
「まずは」大統領は代表団が退出して扉が閉まるやいなや腹心の秘書に言った「終わった。だが、これからもっとたくさんの機会があることだろう。サヴローラは間違いなく中央選挙区で選出される。そうなったら上院でやつの話を聞くことを楽しむ羽目になる。」
「何かが」とミゲルは付け加えた「起こらない限り。」
部下についてよく知っていた大統領はその言外の意味を理解した。「いや、それは良くない/それはやってはいけない/五十年前なら良かったかもしれない。今日人々はそのようなことに耐えられない/軍隊でさえ良心の呵責を感じるだろう。やつが法を犯さない限り、憲法を守りながらどうやって彼に手を下すことができるか、私にはわからない。」
「彼は大きな力です。大きな力/思うに、時にローラニアで最も大きな力です。日ごとに彼は力を増しています。やがて終わりが来るでしょう。」秘書はゆっくりと考え込みながら言った。モララの危険の、同時に行動のパートナーとして、彼は主張しなければならなかった。「終わりが近づいていると思います。」と彼は続けた「おそらくすぐに―しない限り―?」一度言葉を切った。
「それはできない、と言ったはずだ。いかなる出来事も私のせいにされるだろう。それはこの国の革命を意味する。そしてすべての国外亡命の道は閉ざされるだろう。」
「力、物理的な力以外の方法もあります。」
「どんな方法か、私には分からない。そしてやつは強い男だ。」
「サムソンもそうでした。それでもペリシテ人は彼を役立たずにしました。」
「女性を通じてだったな。やつは恋をしたことがないと思う。」
「今後しない理由はありません。」
「デリラがいればな」と大統領は冷淡に言った。「やつのデリラを探してくれるのかね。」
秘書の目は何気なく部屋の中をさまよった。そしてルシールの写真の上に少し留まった。
「よくもそんなことを、サー!おまえは悪党だ!おまえには美徳のかけらもない!」
「私たちは古い付き合いです、将軍。」こういう時、彼はいつも将軍と呼ぶのだった。それは彼らが戦争中に一緒に働いたときに起こった様々な小事件を大統領に思い起こさせた。「多分、そのせいです。」
「お前は無礼だ。」
「私の利害にも関係しているのです。私にも敵がいます。秘密警察に守られていなければ私の人生などなんの価値もないことはよくご存じでしょう。私は誰と一緒に、誰のためにああいうことをしたかを覚えているだけです。」
「たぶん私は短気なのだろう、ミゲル、しかし限度がある、たとえ―」友達と言おうとしたが、ミゲルは共犯者、と口を挟んだ。「では」モララは言った「何と呼んでも構わない。あなたの提案は何かね?」
「ペリシテ人は」とミゲルは答えた「サムソンを役立たずにしましたが、デリラはまず彼の髪を切らなければなりませんでした。」
「やつの腕につかまらせてもらうよう、彼女は懇願しなければならないということかね?」
「いいえ、それは無駄と思います。しかし彼が歩み寄ったなら―」
「しかし彼女は、彼女は同意しないだろう。巻き込まれることになる。」
「必ずしも奥様がご存じである必要はありません。彼に近づくための別の目的をお伝えするのが良いでしょう。驚かせてはいけませんから。」
「おまえは悪党―地獄の悪党だ」大統領は静かに言った。
ミゲルは褒め言葉をもらって微笑んだ。「この問題は」彼は言った「通常の礼儀と名誉の規定では対応するには深刻すぎます。特殊な症例には特殊な治療が必要なのです。」
「彼女は決して私を許さないだろう。」
「あなたは許す方です。あなたの寛容さはまだ犯されていない罪を許すことができるでしょう。あなたは嫉妬深い夫を演じ、後で自分の過ちを認めるだけです。」
「そしてやつはどうなる?」
「大人気のリーダーを想像してみて下さい。愛国者、民主主義者、なんやかや、暴君の妻といちゃついているところを見つかった。なぜ?みだらであるというだけで多くの人が愛想をつかすでしょう。そしてさらに―御覧なさい。彼が慈悲を乞い、大統領の足元にひれ伏している―いい眺めだ!彼は破滅するでしょう/嘲笑だけでも彼を殺すことができるでしょう。」
「そうかもしれない」とモララは言った。その眺めが気に入ったのだった。
「そうでなければなりません。私の見るところそれがたった一つのチャンスです。あなたには何の負担もありません。すべての女性は、たとえそれが彼女の夫だったとしても、彼女が愛する男性の嫉妬を秘かに喜んでいるのです。」
「どうしてそんなことを知っているのかね?」モララは相手の醜い縮み上がった姿とテカテカの髪を見て尋ねた。
「私は知っています」ミゲルは憎むべき自尊心でニヤリとした。欲望についての彼の示唆はぞっとするようなものだった。大統領は嫌悪感を催した。「秘書ミゲル氏」彼は決然とした態度で言った「二度とこの件について話さないように頼む。それはあなたの上司よりもあなたの心のためにならないだろうと思う。」
「閣下の態度から、これ以上の言及が無用なことはわかります。」
「昨年の農業委員会の報告はあるかね?いいね―要約を作ってくれ/なんらかの事実が欲しい。私たちは首都を失っても国を失うことはないだろう/それは軍の力にかかっている。」
こうしてこの問題は却下された。お互いが相手を理解した。しかしその背後では危険に拍車がかかっていた。
朝の仕事を終えた後、大統領は部屋を出るために立ち上がった。しかしその前にミゲルの方を向いて突然言った:「上院が開会してから、野党がどのような方針をとろうとしているかが分かるなら、私たちにはとても好都合だろう。違うかね?」
「その通りです。」
「どうすればそれをサヴローラに言わせることができるだろう?買収はできない。」
「別の方法があります。」
「物理的な力を考えるべきではない。」
「別の方法があります。」
「それについては」大統領は言った。「二度と話さないよう指示したはずだ。」
「まさにその通りです」と秘書は言って書きものを再開した。
モララが歩み入った庭園は国内で最も美しく有名なものの一つだった。そこではすべての植物が豊かに生い繁っていた。土壌は肥沃で、太陽は熱く、雨は豊富だった。それは魅力的な無秩序を呈していた。均整の取れた同じ数の小さな木を数学的なデザインで正確に配置したり、箱型の生垣と狭い通路で幾何学的な図形を作ったりすることに美しさを見いだす、あの独特の趣味にローラニア人は憧れていなかった。彼らは頑迷な人々だった。そしてその庭は幾何学や精密さに対する異例の軽蔑を示していた。心地よいコントラストで配置された、燃え立つような色彩が光だった。そして涼しい緑の木陰は彼らの田園風景の中の影だった。彼らのガーデニングの理想はすべての植物を、できるだけ自然に自由に成長させること、そしてできるだけ人の手で栽培されたもののように仕上げることだった。結果は芸術的ではなくても/少なくとも美しいものだった。
しかし大統領は花やその配置をほとんど気に留めていなかった/その言によると、彼は色彩、調和、線の美しさに関わり合うには忙しすぎる男だった。バラの色もジャスミンの香りも彼の中に自然で無意識な基本的身体的愉快以上のものを喚起することはなかった。彼は良い花畑を持つことを好んでいた。それは正しいことだった、なぜなら彼はそこに人を連れて行って政治の問題について個人的に話すことができたし、また午後のレセプションにも便利だったからである。しかし彼自身はそれに興味がなかった。家庭菜園の方がより魅力的だった/その実用的な魂は蘭よりも玉ねぎを喜んでいた。
ミゲルとの会話の後、彼の頭は考え事でいっぱいになっていた。そして大きくせかせかしたストライドで噴水へと続く日陰の小道を下って行った。事態は絶望的だった。それはミゲルが言ったように時間の問題だった。しない限り―サヴローラが始末されたり信用を失ったりしない限り。彼は自分の心を捉えたその考えをきちんとまとめることを差し控えた。自ら権力闘争をしていた手荒い戦争の時代に彼は多くのことをしたが、その記憶は快いものではなかった。彼は恐るべきライバルだった兄弟将校、新進の連隊の大佐のことを思い出した/決定的な瞬間に彼は支援を差し控え、敵軍に自分の進路の障害を一つ取り除かせたのだった。それから別のことが心に浮かんだが、それも快いものではなく、条約破り、休戦破りの話だった/合意に基づいて降伏した兵士たちを彼らが長い間守っていた砦の壁の前で撃ったのである。彼はまた、捕らえたスパイから情報を得るために使った方法を苛立ちながら思い出した/成功と幸運に恵まれた五年間の忙しい生活も、男の苦悶の表情の記憶を曇らせることはなかった。しかしこの新しいアイデアはすべての中で最も憎むべきものだった。彼は悪辣だったが、歴史上の、あるいは現代の多くの人々と同様に不名誉な過去を片付けてしまいたいと思っていた。これからは、と権力を獲得したときに彼は言った。そういった手段を使わない:それはもはや必要ないだろう/しかしここで早くもそれが必要になってしまったのである。加えてルシールはとても美しく/それだけが彼が苦労しながらも彼女を愛していた唯一の理由だった/そして彼女は彼が憧憬し、純粋に公式の立場からも評価するほどに機転が利き、光り輝く配偶者だった。もしそれを知ったなら、彼女は決して彼を許さないだろう。彼女が知ることは決してないだろうが、それでも彼はそのアイデアを憎んでいた。
しかし他にどのような道が残されていただろうか?彼は前日の群衆の顔つきについて/サヴローラについて/軍隊から届いた話について/より暗く、より奇怪な類の別の話―革命はもちろん、殺人までも示唆した奇妙な連盟と秘密結社の話について考えた。潮が満ちていた/手間取ることは危険だった。
そして代案が浮かんだ/脱出、退位、軽蔑され、侮辱され、疑われながらの外国でのわびしい暮らし/そして聞くところによると亡命者はみなたいそう長生きだったそうである。彼はそれについて考えないことにした/むしろ死ぬことにした/彼を宮殿から引きずり出すことができるのは死だけである。そして彼は最後まで戦うだろう。彼の心は思案の出発点に戻った。ここにはチャンスがある。見込みがありそうな解決策である/それは望ましいものではない。しかし、それしかない。彼は小道の終点に着いた。そして角を曲がるとルシールが噴水のそばに座っていた。絵のように美しい姿だった。
彼女は上の空の彼の表情を見た、そして立ち上がって彼を迎えた。「どうしたのです、アントニオ?心配そうですね。」
「事態は私たちにとって悪い方向に向かっています、私の愛する人。サヴローラ、代表団、新聞、そして何より、私が受け取った人々についての報告は不吉で憂慮すべきものです。」
「今朝ドライブしたとき、不穏さに気がつきました。危険があると思いますか?」
「はい」彼は正確な公式の態度で答えた「重大な危険があります。」
「私がお手伝いできればいいのですが」と彼女は言った「私はただの女性です。私に何ができるでしょう?」彼は答えなかった。彼女は続けた:「セニョール・サヴローラは親切な人です。私は戦前彼のことをよく知っていました。」
「彼は私たちを滅ぼすでしょう。」
「そんなはずはありません。」
「私たちは国を去らなければならないでしょう。もし実際にそれが許されるものなら。」
彼女は青ざめた。「でも私は彼を知っています/心が通じ合う人です/彼は狂信者ではありません。」
「彼の背後と足元には彼がほとんど知らず、制御することもできない、しかし彼が呼び起こした力があるのです。」
「あなたにはどうすることもできないのですか?」
「私には彼を逮捕することができません。彼は人気がありすぎます。その上法を犯していないのです。彼はさらに前進してくるでしょう。二週間後に選挙があります/私がとった予防措置をものともせず戻ってくるでしょう/そしてトラブルが始まるのです。」彼は言葉を切った。そして独り言のように続けた:「彼が何をしようとしているか分かるなら、きっと打ち負かせるのだが。」
「私がお役に立てませんか?」素早く彼女は尋ねた。「私は彼を知っています/彼は私のことを好きだと思います。他の人に言わないことを私にささやくかもしれません。」過去の数多くの勝利を思い出していた。
「私の最愛の人」モララは言った「なぜあなたは政治の暗い面に首を突っ込んで自分の人生を台無しにしようとするのですか?あなたに頼むつもりはありません。」
「でもやりたいのです。お役に立てるのならやってみるつもりです。」
「とても役に立つでしょう。」
「わかりました、私はあなたのために探ります/二週間以内にお知らせできるでしょう。彼はステート・ボールに来るはずです/そこで彼に会おうと思います。」
「あなたにああいう男と話をさせるのは気が進みませんが、私はあなたの機知を知っています。そしてその必要は大きいです。しかし彼は来るでしょうか?」
「招待状と一緒にメモを送ります」と彼女は言った「政治を笑い飛ばし、少なくとも私生活をそれから解放するよう忠告します。彼は来ると思います。来なかったら別の方法で会います。」
モララは感心して彼女を見た。彼女が自分にとってどれほど有用なのかを知ったこのときほど、彼女を愛しく思ったことはなかった。「それではあなたに任せます。失敗しないか心配ですが、もしそれができるなら、あなたは国を救うことになるかもしれません。できなくても、なんの害もありません。」
「私はきっと成功します」彼女は自信を持って答え、立ち上がって宮殿に向かって歩き出した。夫の態度で彼が一人になりたがっていることに気づいていたのである。
彼は長い間そこに座ったまま、太く怠惰な金魚が穏やかに泳いでいる水を見つめていた。その顔はなにか嫌なものを飲み込んだ人物のような表情をしていた。
第VI章 憲法に基づいて
ローラニア共和国の賢明な創設者たちは、国の公人たちが党派に関係なく、社交の習慣を維持し促進することの大切さを知っていた。そこで大統領が秋のシーズン中にいくつかの公式の催しを行うことが長い間の慣例になっていた。それには両方の側のすべての著名な人物が招待され、出席することがエチケットになっていた。今年は感情が非常に高ぶっており、関係が非常に緊張していたのでサヴローラは辞退を決め、すでに正式に招待を断っていた/そこで二回目のカードを受け取ったとき、彼は少なからず驚いた。さらにそれに付いてきたルシールのメモを読んでなおさら驚いた。
すげなく断られるのを承知の上で、彼女がなぜそういうことをしたのかと彼は不思議に思った。もちろん彼女は自分の魅力を頼んでいた。不可能ではないにしても、美しい女性に冷たくするのは難しいことである/彼女らは美しいままであり、小言は跳ね返される。実際、こうした危機的な時に届いた招待状を握りつぶすことで彼は政治的資本を築くことになるだろう/しかし彼は彼女の好意を感じ、そして少なくとも彼女はそうしたことを気にしないのだと思った。嬉しくなった。行けないのが残念だった/しかし心を決めて辞退の手紙を書くために座った。手紙の途中で手が止まった/もしかして彼女は自分の助けを必要としているのかもしれない、という考えが頭に浮かんだ。手紙をもう一度読み返した。そして根拠になる言葉などなかったのだが、哀願のトーンを見つけたと自惚れた。そして考えを変える理由を探し始めた:古い確立された習慣/差し当たり自分は憲法運動だけに賛成しているということを追随者に示す必要性/計画の成功に対する自信を示す機会/実際、彼の決意を覆すためのすべての論点が並べられた。本当の一つの論点以外は。
よし、行こう:党派は反対するかもしれないが、気にしない/それは彼らには関係がない、そして彼はその不満に十分立ち向かえるほど強いのである。この考え事はモレが入ってきたために中断された。その顔は熱狂に輝いていた。
「中央選挙区委員会が満場一致で、君を選挙の候補者に指名してくれたよ。独裁者の人形、トランタはヤジで参っていた。君が演説する集会を木曜の夜に手配したよ。僕らはいま波に乗ってるぞ!」
「首都!」サヴローラは言った。「指名を期待していたんだよ/首都での僕らの力は絶大だからね。話す機会があることはうれしい/しばらく集会に出ていなかったから、今は話すことがたくさんあるんだ。君が手配してくれたのはいつだっけ?」
「木曜夜八時、市民ホール」モレは言った。彼は楽観的な人物だったがテキパキとしていないわけではなかった。
「木曜日?」
「うん、予定はないだろう。」
「うーん」サヴローラはゆっくりと話した。言葉を選んでいるようだった「木曜はステート・ボールの夜だね。」
「わかってるよ。」モレは言った「だからこそ僕はそのように手配したのさ。彼らは火山の上で踊っているように感じることだろう/宮殿からわずか1マイルのところに人々が集まって、合意して、決意するのだからね。モララは思いのままに夜を楽しむことができず/ルーヴェは行かず/必要とあらばソレントは虐殺の手配をするだろう。祝祭は台なし/彼らは皆、壁に書かれた文字を見ることになるのさ。(*凶事の前兆:バビロン王ネブカドネザルが宴会の最中に不思議な手が壁に文字を書くのを見たことに因む)」
「木曜はだめだ、モレ。」
「だめ!どうして?」
「舞踏会に行く」サヴローラはゆっくりと言った。
モレははっと息を飲んだ。「なに」叫んだ「きさま!」
「絶対に行くよ。昔からの国の慣習を無視してはいけない。行くことは僕の義務だ/僕らは憲法のために戦っている、そして僕らはその理念を重んじなければならない。」
「君はモララのもてなしを受ける―奴の宮殿に入って―奴が出すものを食べるということか?」
「違う」サヴローラは言った/「僕は国から出されたものを食べるのだ。君も知っている通り、公式行事の費用は公費で賄われるのだから。」
「君は奴と話をするのか?」
「するよ、向こうは楽しまないだろうがね。」
「じゃあ奴を侮辱するのか?」
「親愛なるモレ、なぜ君はそんなことを考えるのかな?僕はとても礼儀正しくする。それが奴を一番怖れさせることだろう/何が差し迫っているのかが分からないのだから。」
「行ってはいけない」モレは断固として言った。
「必ず行く。」
「労働組合が何と言うか考えてみてくれよ。」
「僕はすべてを考えた上で決心したのだ」サヴローラは言った。「彼らには好きなことを言わせておけばいい。しかしそれによって彼らは、僕がまだずっと憲法に則った方法を捨てるつもりがないことを知るだろう。時にはこうした人々の熱を冷やすことが必要だ/彼らは人生を真剣に受け止めて過ぎているからね。」
「彼らは君が運動を裏切ったと非難するだろう。」
「愚かな人たちがお決まりのことを言うのは間違いない。しかし僕の友だちは誰一人それを繰り返して僕をうんざりさせたりはしない、と信じている。」
「ストレリッツは何と言うだろう?そんなことをしたら仲間と一緒にすぐにも国境を越えて来そうだがね。彼は僕らが手ぬるいと思っていて、毎週ますます焦れているのに。」
「僕らの支援の準備ができる前に来てしまったら、軍隊は彼と烏合の衆をさっさと片付けてしまうだろう。しかし彼は僕からはっきりした命令を受けているし、それに従うだろう。そう期待している。」
「君は間違ったことをしている、わかっているだろう」モレは厳しく、そして荒々しく言った/「敵にへつらうなど、情けなくて恥ずかしいことなのは言うまでもない。」
サヴローラは自分の追随者の怒りに微笑んだ。「いや」彼は言った「僕はへつらったりはしない。どうかな、僕のそんな姿を見たことないだろう」そして仲間の腕に手を置いた。「不思議なことに、ルイ」彼は続けた「僕らには多くの点で違いがある。でも僕が困って、迷っているとき、真っ先に相談するのは君なんだ。僕らは些細なことで争っている。しかし、それが大きな問題だったとしたら僕は君の判断に従うはずだ。分かるだろう。」
モレは降参した。サヴローラがそのように話すと彼はいつも降参するのだった。「じゃあ」彼は言った「いつがいいのかな?」
「いつでもいいよ」
「じゃあ金曜日。早ければ早いほど良い」
「よーし/手配してくれ/話すことを用意しておく。」
「行かなきゃいいのに」とモレは元の異議に戻った。「僕なら絶対行かない。」
「モレ」見慣れない真剣さでサヴローラは言った「もうその話は終わっただろう/ほかにも話すことがある。心配なことがあるんだ。運動には底流がある。僕には測り知れない力が。僕は党のリーダーをしているが、僕に制御できない力の作用に気づくことがある。彼らがリーグと呼んでいる秘密結社が未知の要素になっているのだ。僕はその仲間、ドイツ人の仲間、ナンバーワンを自称しているクロイツェを嫌悪している。僕が党内で受けるすべての反対の出どころは彼であり/労働党代議員たちはすべて彼の影響下にあるようだ。確かに君や僕やゴドイ、そして古来の憲法のために戦っているすべての人たちが、どこへ行くとも知らず流れている社会的潮流の政治的な波のように思える瞬間がある。おそらく僕は間違っているのだろうが、僕はずっと目を開けて見続けていて、それらの証拠に考え込んでしまうのだ。未来がぞっとするようなものであるということ以外は分からない/君は僕の味方になってくれなければいけない。抑制と制御ができなくなったなら、僕はもう先頭に立つことはできない。」
「リーグは大したことないんじゃないかな」とモレは言った「今のところ、僕らと運命を共にしている小さなアナキスト・グループに過ぎない。君は党のなくてはならないリーダーです:君が運動を創り出したのです。それを鼓舞したり鎮めたりできるのは君だけです。未知の力などありません/君が原動力なのです。」
サヴローラは窓へと歩いた。「街を見渡してみてくれ。」彼は言った。「大変な数の建物だ/三十万人が住んでいるのだ。その大きさを考えてみよう/その中にある潜在的な可能性を考えてから、この小さな部屋を見てくれ。僕がその人たちの心をすべて変えたから、または僕が彼らの思いを最もよく言い表したから、今の僕があるのだと思うか?僕は彼らの主人または彼らの奴隷だろうか?僕を信じてくれ、僕は幻想を持たないし、君にも持って欲しくないのだ。」
彼の態度はその追随者を感動させた。彼は街を見てサヴローラの真剣な言葉を聞いたとき、遠くの、抑制された、しかし海風が吹いているときに岩がちの海岸に打ち寄せる波の轟きのような、大衆の激しい咆哮を聞いたような気がした。彼は返事をしなかった。その高度に興奮させられた気質はすべての気分と情熱を誇張した/彼はいつも「最上級」で生きていた。健全な皮肉で釣り合いをとったりはしなかった。今や彼は非常にいかめしくなった。そしてサヴローラに良い朝を、と告げて極度に刺激された強力な想像力の振動に揺られながらゆっくりと階段を降りて行った。
サヴローラは椅子に横になった。まず笑い声を上げそうになった、しかし自分がモレをやっつけたことだけを歓喜しているのではないことに気が付いた。彼は自分をも欺こうとした。しかし、精妙な脳のその部分同士はあまりにも緊密に結びついていたので、互いに隠し事ができなかった。それでも彼はそれらが心変わりの本当の理由を公認することを許さなかった。そうじゃない、彼は何度も自分に言い聞かせた。そしてそれがそうだったとしても、それは重要なことではなく、何も意味しない。彼はケースからタバコを取り出して火をつけ、煙の渦巻く輪を眺めた。
自分が言ったことのどこまでを彼は本当に信じていたのだろうか?彼はモレの真剣な顔について考えた/彼の影響だけがその原因ではなかった。若い革命家も何かに気づいていた。しかし、その印象を言葉にすることを恐れたか、しそびれたか、控えていたのである。今や底流があった/行く手には多くの危険があった。まあ、いいだろう、彼は気にしなかった/自分の力に自信を持っていた。困難が生じたときには立ち向かう。危険に脅かされたなら打ち勝つ。騎兵、歩兵、大砲、なんでも来い、彼は男であり、完全な存在だった。どんな環境、どんな状況でも、自分が侮れない存在であることを知っていた/ゲームが何であろうと、自分の利益のためではなかろうと、彼は自分の楽しみのためにプレイすることだろう。
タバコの煙は頭の周りに渦を巻いて漂っていた。人生―いかに真実ではなく、いかに不毛でありながら、いかに魅力的なものだろうか!自分を哲学者と呼ぶ愚か者たちは苦い事実を人々に切々と訴えようとした。彼の哲学は方便(*pious fraud)になりがちだった―それは彼に痛みの意義を最小化し、喜びのそれを最大化することを教えた/生を喜ばしいもの、死を偶発的なものとした。ゼノンは逆境に立ち向かう方法を、エピクロスは喜びを楽しむ方法を彼に教えた。彼は幸運の微笑みに浴し、不運の渋面に肩をすくめた。彼の生活、これまでの生活は心地よいものだった。覚えているかぎりのすべては生きる価値があった。もし未来があるなら、ゲームが他の場所で始まるなら、また参加したいと思っていた。彼は不死を望んでいた、しかし心静かに世を去ることをも望んでいた。一方、生きるというのも興味深い問題だった。そのスピーチによって―彼は多くのことを成し遂げたが、努力なしには良い結果を得られないことを知っていた。雄弁における即興の芸当があるなどと思っているのは聴衆側だけだった/修辞の花は温室で育てられる植物なのである。
何か言うべきことがあっただろうか?タバコは続けざまに機械的に消費されていた。煙の中に彼は聴衆の心に深く食い入るような演説の結びを探していた/最も無学な人にも理解でき、最も単純な人にもアピールする、当を得た言い回しで表現された高い思想、見事な比喩。生活の物質的な関心から彼らの心を引き上げて感情を呼び起こす何か。彼のアイデアは言葉の形を取り始め、自ずと群れて文章になり始めた/彼は独り言をつぶやいた/言葉のリズムが彼を揺り動かした/思わず頭韻を踏んでいた。素早く流れ去る小川のように、その水面で変化する光のように次々とアイデアが浮かんだ。彼は一枚の紙を取って急いで鉛筆でメモを始めた。それがポイントだった/同語反復は強調効果を上げているだろうか?彼は大まかな文章を書き留め、それを削り取り、磨いてから、もう一度書いた。音は聴衆の耳を楽しませ、意味は彼らの精神を向上させ刺激する。なんというゲームだったことだろう。彼のプレイするカードはその脳内にあり、彼がプレイする賭けは世の中にあるのである。
働いているうちに時間が過ぎて行った。昼食を持って入ったベティンは彼が静かに忙しくしていることに気づいた/彼女は以前にも彼のこうした姿を見たことがあったので、邪魔をしようとはしなかった。時計の針がゆっくり回って整然と時の歩みを刻むにつれ、手をつけられていない食事はテーブルの上で冷たくなっていった。やがて彼は立ち上がった。そして完全に自分の考えと言葉に酔って、低い声で、そして非常に強い語調で自分自身に語りかけながら、短く速いストライドで部屋を歩き始めた。突然彼は立ち止まった。その手が見慣れない激しさでテーブルに振り下ろされた。スピーチは終わった。
騒音が彼を日常生活に引き戻した。空腹で疲れていた、彼は自分の熱中ぶりを笑いながらテーブルに座り、放ったらかしになっていた昼食を摂り始めた。
フレーズ、事実、数字が書き込まれた十数枚のメモ用紙が朝の仕事の成果だった。まとめてテーブルの上にピンで留められた/何でもない、取るに足りない紙片/しかしローラニア共和国の大統領アントニオ・モララはそれを砲弾よりも恐れたことだろう。もし彼が愚か者でも臆病者でもなかったならば。
第VII章 ステート・ボール
ローラニアの宮殿は国の社交セレモニーにうってつけだった。古来の慣習に奨励された公共の娯楽への贅沢な支出が、共和国のホスピタリティを最も壮大な規模にまで拡大することを可能にしていた。季節の最初のステート・ボールは多くの点でこうした催しの中で最も大切なものだった。両党派の名士たちが夏の暑さの後、秋の会合の前に初めて会うのがこの行事だった。そして田舎や山の別荘に出かけて留守にしていた、首都の輝かしい社交界が再会するのである。興趣、優雅さ、そして豪華さが等しく発揮されていた。最高の音楽、最高のシャンパン、最も多様でありながら厳選された人々の集まりがこの夜の魅力の一つだった。広々とした宮殿の中庭は巨大な日よけで完全に覆われていた。親衛隊の歩兵の列がアプローチに並び、輝く鉄の銃剣でその行事の壮観さと安全性を高めていた。日の差している表通りは物見高い民衆でにぎわっていた。宮殿の大ホールは常に印象的で壮大だが、派手に着飾った賓客でいっぱいになるとさらに大きな華やかさを見せた。
階段の最上部に大統領とその妻が立っていた。彼は勲章とメダルで、彼女はその比類のない美しさでまばゆく輝いていた。ゲストが登って行くと深紅色と金色を纏ったゴージャスな副官が彼らの名前と肩書を尋ね、発表するのだった。数多くのさまざまな来客があった/ヨーロッパのすべての首都、世界のすべての国の代表が来ていた。
今夜の注目のゲストはエチオピア王で、沢山の絹と宝石が黒くも快活な顔の額縁になっていた。彼は早く来た―それは賢明なことではなかった、もっと遅く来ていたなら、もっと多くの観衆がその到着を見たことだろう/しかし純朴な彼の心にとってそれは恐らく重要な問題ではなかった。
外交団が長々と続いた。エントランスには次から次へと馬車が止まり、金色と考えうる限りの色の組み合わせを装った、礼儀正しく敏腕な積荷を吐き出した。階段の一番上に到着したロシア大使は白髪交じりだったが、婦人に慇懃だった。彼は立ち止まって品位ある丁重なお辞儀をし、ルシールが伸ばした手にキスをした。
「このシーンは比類のないダイヤモンドにふさわしい舞台です」と彼はつぶやいた。
「冬宮殿でも同じように明るく輝けるでしょうか?」軽やかにルシールは尋ねた。
「間違いなく、ロシアの凍るような夜はその輝きを強めるでしょう。」
「他のたくさんの輝きの中に埋もれてしまうのでしょうね。」
「他に並ぶ人などなく、あなたお一人でしょう。」
「あら」彼女は言った「私は注目されるのが嫌いですし、孤独も同じくらい嫌いです、冷ややかな孤独だなんて、考えただけで震えてしまいますわ。」
彼女は笑った。外交官は彼女に賞賛の眼差しを投げ、すでに階段の最上部をふさいでいた群衆の中に足を踏み入れた、そして数多くの友人たちから祝福を受け、それを返した。
「トランタ夫人」と副官が告げた。
「お会いできてとてもうれしいです」とルシールは言った。「娘さんが来られなかったなんて残念です/みんながっかりしていましたよ。」
醜い老婦人は顔を輝かせて挨拶を返した。そして階段を上ると人をかき分けてバルコニーの大理石の手摺へと向かった。彼女は後に到着する客たちを見ては、その服装と振る舞いについて知人に勝手気ままにコメントした/またそれぞれについてちょっとした情報をつけ加えるのだが、それは嘘ではないにしても意地悪なものだった/彼女は友人にたくさんのおしゃべりをした。しかし、自分を舞踏会に招待しないなら大統領の党派を離れる、とトランタに脅迫の手紙を書かせなければならなかったこと、そしてそれでも娘の招待状を貰えなかったことについては言わなかった。家族に似ている上に顔色の悪い不幸な少女だった。
次にルーヴェが、踊り場から見つめる群衆の顔を心配そうに眺め、一段一段、爆弾と短剣を想像しながら上って来た。彼はおずおずとルシールを見た。しかし彼女の笑顔が彼に勇気を与えたようだった。そして群衆と混ざり合った。
そして、その評判とは対照的に、にこやかで元気な顔に天真爛漫さが現れている英国大使のリチャード・シャルグローブ卿が挨拶にやって来た。その大らかな会釈でローラニアとイギリスの間の緊張した関係は消え去ったかのように見えた。ルシールは彼としばらく会話を交わした。彼女はほとんどなにも、あるいはまったくなにも知らない顔をしていた。「そしていつ」彼女は明るく尋ねた「私たちは宣戦布告するのですか?」
「私が三度ワルツを踊る前でないことを願っています」と大使は言った。
「困りましたわ!ぜひご一緒に踊らせていただきたいと思っておりましたのに。」
「ではどうでしょう?」彼は大いに関心を示して尋ねた。
「ワルツのために私が二つの国に戦争をさせてもいいのでしょうか?」
「こちらから誘ったのであれば躊躇されることはないでしょう」と彼は婦人に対する慇懃さで答えた。
「敵意を持たれるような何を!私たちが何をしたというのです?どうしてそんなにも戦いたいのですか?」
「戦いではなく―踊る方です」とリチャード卿は少したじろいで言った。
「実際、あなたは外交官にしては率直な方です。とてもご機嫌のようですが、何があったのか教えて下さいませんか/危険があるのでしょうか?」
「危険?いえ―なんのことでしょう?」彼は決まり文句を選んだ:「伝統的な友好国の間では、すべての紛争は調停で解決されます。」
「まったく」彼女は真剣に、そして完全に態度を変えて言った「私たちはこういう場所でさえ政治的な立場を考えなければなりませんね?強力なディスパッチが我が国の立場を強くすることでしょう。」
「ずっとそうですが」大使は断固として言い張った「危険などありませんでした。」しかしHM戦艦アグレッサー(排水量12,000トン14,000馬力、四門の11インチ砲で武装)が十八ノットでローラニア共和国領のアフリカの港に向かって航行していること、そして彼自身が午後の間ずっと船、軍用品、軍事行動に関係する暗号電報で忙しくしていたことは言わなかった。その純粋に専門的な細目は彼女を退屈させるだけだろうと思ったのである。
この会話の間にも人々の流れはとめどなく階段を上っていった。そしてホールの全周に巡らされた広いバルコニーは人でいっぱいになった。ガヤガヤした話し声が素晴らしいバンドをほとんどかき消していた/ボール・ルームの完璧なフロアにいたのは恋に心を奪われて他のすべてのことに興味をなくした数組の若いカップルだけだった。期待が会場に広がっていた/サヴローラが来るという噂がローラニア全体に広まっていたのである。
突如全員が静まり返った。そしてバンドの演奏越しに遠くで叫び声が聞こえた。それはどんどん大きく膨らんで、まさにその門へと迅速に近づいて来た/そして叫び声は消えた。ホール全体が沈黙する中を音楽だけが流れていた。彼はヤジられた、あるいは歓呼されたのだろうか?その音は奇妙に曖昧に聞こえた/男たちは賭けをする用意ができていた/答えは彼の顔を見れば分かることだろう。
スイングドアが開いた。そしてサヴローラが入ってきた。すべての目が彼に向けられた。しかし、その表情からはなにも読み取ることができなかった。賭けの結果は分からなかった。彼が悠々と階段を上っていく間に、その目は混雑したギャラリーとそこに並んだ華麗な群衆を興味深そうにぐるりと眺めた。彼は無地の夜会服を着ていたが、それを際立たせる綬も勲章も星もなかった。色とりどりの、揃ってゴージャスなその群衆の中で彼はくすんで見えた/しかし、パリのアイアン・デューク(*ワーテルローの戦いに勝って講和会議に参加したウェリントン卿)のように穏やかで自信に満ちた、落ち着いた、全員のリーダーのように見えた。
大統領はその著名なゲストを迎えるために数歩歩いた。互いに重々しく威厳のあるお辞儀をした。
「来て下さったことをうれしく思います、サー」とモララは言った/「これは国の伝統にかなうことです。」
「するべきこととしたいことが一致したのです」サヴローラは皮肉な笑顔で答えた。
「外の人たちは問題ないのですか?」刺々しく大統領は指摘した。
「ああ、問題はありません、ただ彼らはちょっと政治を真剣に受け止めすぎているのです/私が宮殿に来ることを許せなかったのです。」
「あなたが来られたのは正しいことです」とモララは言った。「今、国家の問題に取り組んでいる私たちはこれがいかに価値あることなのかを知っています/世界中の人々は公事に逆上したりしませんし、紳士は棍棒で殴り合ったりはしないのです。」
「剣がいいですね」間髪入れずサヴローラは言った。彼は階段の最上部に着いた。そして目の前にはルシールが立っていた。なんと彼女が女王然としていたことだろう、すべての女性たちの中で、なんと飛びぬけていて、なんと比類がなかったことだろう!彼女が着けていた素晴らしいティアラは主権を連想させた。そして彼は民主主義者だったため、ただそれだけのために頭を下げた。彼女は手を差し出し/彼はうやうやしく、礼儀正しくその手を取った、しかしこの接触は彼をゾクゾクさせた。
大統領はローラニアの貴族の中から太ってはいたが有名な女性を選び、先頭に立ってボール・ルームに行った。サヴローラは踊らなかった/彼の哲学はいくつかの娯楽を軽蔑していた。ルシールはロシア大使に捕まっていた。彼はただ眺めているだけだった。
彼がこうして一人でいるのを見てティロ中尉が近づいてきた。彼は先週中断したポロ・チームの「バック」についての議論に結着をつけたかったのである。サヴローラは笑顔で彼を迎えた/実際、誰でもそうだが、彼も若い兵士が好きだった。ティロにはたくさんの言い分があった/彼はゲーム中に後方にいて敵にチャンスを与えない強力な重量級のプレーヤーを支持していた。国際コンテストに出るローラニア軍チームを正しく選抜することの大切さを言っていたサヴローラは、フォワードのすぐそばまで上がって来て、いつでも自らボールを奪うことができる軽量級のプレーヤーを支持していた。活発な議論になった。
「どこでプレーされていたのですか?」彼の知識に驚いた中尉は尋ねた。
「ゲームをしたことはないのです」とサヴローラは答えた/「しかし、それは軍の将校にとって良い訓練だとずっと思っていました。」
テーマが変わった。
「教えてくれませんか」と偉大な民主主義者は言った「あのいろいろな勲章は一体何ですか。英国大使のリチャード卿が着けている青いのは何ですか?」
「あれはガーターです」と中尉は答えた/「イギリスで最も名誉ある勲章です。」
「そう、君がつけているのは何ですか?」
「私!ああ、それはアフリカのメダルです。私は86年と87年にそこにいました、お分かりでしょう。」サヴローラが予想した通り、彼は尋ねられたことをとても喜んだ。
「こんなにも若い君にとって、それは未知の経験だったことでしょう。」
「とんでもなく面白かったです。」決然と中尉は言った。「ランギ・タルにいたのです。私の戦隊は五マイルの追撃戦をしました。槍は美しい武器です。インドのイギリス人はイノシシ狩りというスポーツをするそうです/試したことはありませんが、私のほうがよく知っていると思います。」
「では、またすぐにチャンスがあるかもしれません。我が国は英国政府と揉めているようです。」
「戦争の可能性があると思いますか?」少年は意気込んで尋ねた。
「ええ、もちろん」とサヴローラは言った「戦争は国内の動揺と改革運動から人々の注意をそらすでしょう。大統領は賢い方です。戦争があるかもしれません。私は予言したいわけではありません/しかし君はそれを望んでいるのですか?」
「確かに望んでいます/それが私の仕事です。この宮殿の愛玩犬でいることにうんざりしているのです。野営と鞍が懐かしいです。さらにイギリスなら相手に不足はありません/彼らなら間違いなく全力を出させてくれるでしょう。ランギ・タルで私はイギリス人将校と、中尉でしたが、一緒になりました、彼は冒険を求める観戦者として来ていました。」
「彼に何が起こったのです?」
「はい、ええと、私たちは敵が丘に逃げるまで追いかけて、さんざんにやっつけました。私たちが疾走していたとき、彼は大勢が森に向かって逃げていくのを見つけ、切り捨てようとしたのです。私は時間がないと言い/彼はあると言って六:四で賭けたので私は部隊を送りました―ええと、その日は私が戦隊の指揮を執っていたのです―彼は彼らと一緒に行って十分に一直線に先導したのですが―退屈ですか?」
「とんでもない、とても面白いです/それでどうしたのです?」
「彼は間違っていたのです。敵は先に森に着いていて、開けた場所にいる彼を狙い撃ったのです。彼は大腿動脈を撃ち抜かれ、仲間に連れ戻されました/そうなったらもう長くないですよね。言い残したことはたったこれだけでした:『ああ、君の勝ちだ、しかしどうやって負け分を払ったらいいのか、わからない。兄弟に言ってくれ―王立槍騎兵隊にいる。』」
「それから?」サヴローラは尋ねた。
「ええ、圧迫するべき動脈を私は見つけられませんでした。医者は全くいませんでした。そして死んだのです―勇敢な仲間が!」
中尉は言葉を切った。自分の軍事的冒険について多くを話したことをむしろ恥じているようだった。サヴローラはあたかも新しい世界、燃えるような、無謀な、好戦的な若者の世界を覗き込んだかのように感じた。彼自身も確かな嫉妬を感じるほどに若かったのである。この少年は彼が見たことのないものを見ていた/サヴローラが学んだことのない教訓を与えてくれる経験を持っていたのである。彼らの人生は異なっていた/しかし、おそらく彼はいつかこの不思議な戦争の本を開き、身の危険の鮮やかな光の中でそこに書かれた教訓を読むことだろう。
その間にもダンスは続き、夜は更けていった。エチオピア王はベールをかぶっていない女性たちの胸を大きく露出したドレスに驚き、不愉快な白人たちと一緒に食事をすることを恐れて出発した。大統領がサヴローラに近づいてきて、妻をサパーの席にエスコートするよう頼んだ/行列ができた。彼はルシールに腕を差し出した。そして彼らは階段を降りた。サパーは素晴らしいものだった:シャンパンはドライだった。ウズラは丸々と太っていた。たくさんの珍しく美しい蘭がテーブルを覆っていた/サヴローラの周りは居心地がよかった。そして彼はローラニアで最も美しい女性、彼はそうと知らなかったものの、彼を魅了しようと努力している女性、の隣に座っていたのだった。最初、彼らは楽しく浅薄な話をしていた。洗練されたマナーを身につけている大統領は気持ち良い仲間であり、堪能な話し手であることが分かった。きらめく会話を喜んだサヴローラは、自ら決意した通りに純粋な公式の訪問客の本分を守ることは難しいと感じた。機知、ワイン、そして美しさの魅力が結びついて彼の慎みを打ち破った/彼はそれと気づかずに、疑わしいがゆえに尋ねられ、尋ねられることによってさらにその疑わしさを増すという、この時代に特徴的な、半ば皮肉で半ば真面目な議論に参加していた。
ロシア大使は美を崇拝していると言った。そして自分のパートナーである若いフェロル伯爵夫人に、彼女をディナーにエスコートすることを宗教的儀式と思っている、と言った。
「それはご自分が退屈されているということではありませんか」と彼女は答えた。
「断じて違います/私の宗教の儀式は決して退屈なものではありません/これは私がこの主張をするときの大事な強み(*advantage)の一つです。」
「他に強みなどあるのでしょうか」モララは言った/「あなたはご自分が作り出した偶像を熱愛されているのです。あなたが美を崇拝されるならば、あなたの女神は人間の気まぐれという不確かな台座の上に立っているに過ぎないのではないでしょうか。いかがですか、プリンセス?」
大統領の右側に座っていたタレンタムの王女は、そうした土台でさえ他の多くの信念の土台よりも確かなものでしょう、と答えた。
「あなたご自身の場合、人間の気まぐれでさえ十分に不変のものであるということですか?それでしたらよく分かります。」
「いいえ」と彼女は言った/「私が申し上げたいのは美への愛はすべての人間に共通のもの、ということだけです。」
「すべての生物に」とサヴローラは訂正した。「花を生み出すのは植物の愛です。」
「ええと」と大統領は言った「しかし、美への愛が不変だったとしても、美自体は変わるかもしれません。すべてはいかに変わっていくことでしょう:ある時代の美は次の時代の美ではありません/アフリカでは賞賛されることがヨーロッパでは忌まわしいものであることもあります。それはすべて見解の問題、地域的な見解の問題です。ムッシュ、あなたの女神はおそらくプロテウスと同じくらい多くの形をとることでしょう。」
「私は変化を好みます」大使は言った。「私は外見が変わりやすいことを女神の決定的な強みと考えています。すべてが美しい限り、どれだけ沢山の形があっても構いません。」
「しかし」ルシールが口を挟んだ「あなたは美しいものと、私たちが美しいと感じるものを区別されていません。」
「区別は要らないでしょう」と大統領は言った。
「大統領夫人閣下の場合、区別は要りません」と大使は丁寧に口を挟んだ。
「美しさとは何でしょう」モララは言った「いったい私たちは何を賞賛の対象に選ぶのでしょうか?」
「私たちが選ぶ?私たちにそんな力があるのでしょうか?」サヴローラは尋ねた。
「確かに」大統領は答えた/「毎年私たちは判断を変えます/毎年ファッションは変わります。女性たちに聞いてみて下さい。三十年前のファッションを考えてみて下さい/そのときはそれがふさわしいと思われていたのです。次々に移り変わってきた絵画のさまざまなスタイルについて考えてみて下さい。詩、音楽についてもそうです。さらにムッシュ・ド・ストラノフの女神は彼にとって美しくとも他人にとってはそうではないかもしれません。」
「それもまた本当の強みだと思います/皆さんは(*女性たち)は一瞬ごとに私をこの宗教にさらに夢中にさせて下さいます。私は売名のために自分の理想を崇拝しているわけではありません」大使は笑顔で言った。
「あなたは問題をmaterial(*物質的、肉体的)な観点からご覧になっているように思います。」
「moral(*道徳的、精神的)というよりはmaterialですね」とフェロル夫人は言った。
「しかし私の女神崇拝においてimmorality(*不道徳)はimmaterial(*重要ではない)なのです。さらにあなたが私たちの好みは常に変化していると仰るのであれば、私の宗教の本質は不変性であるように思えます。」
「そのパラドックスを説明して欲しいものです。」とモララは言った。
「ええ、あなたは私が変わり、私の女神も変わると仰います。今日私はある基準の美を、明日は別の基準の美を賞賛します。しかし明日になったら私はもはや同じ人間ではないのです。私の脳の分子構造が変化し/考えが変化し/古い理想を愛する古い自分は消え去って/新たな理想とともに新たな自我が始まるのです。それが死ぬまでずっと続くのです。」
「あなたは変化の連続を不変性と仰ろうとしているのではありませんか?それなら動きは停止の連続である、と言うこともできるでしょう。」
「私はその時間の空想に賛成です。」
「あなたは私の意見を別の言葉で言って下さいました。美は人間の気まぐれに依存し、時代とともに変化するのです。」
「その像を見て下さい」とサヴローラが突然言って、部屋の真ん中にシダに囲まれて立っているディアーナの見事な大理石の像を指さした。「人がそれを美しいものと呼んでから二千年以上の年月が経っています。今それを私たちは否定するでしょうか?」答えはなく、彼は続けた:「それは線と形の真の美しさであり、永遠のものです。あなたがたが仰っていた他のこと、ファッション、スタイル、空想はそれに辿りつくために私たちが行って失敗した試みにすぎません。その試みを人は芸術と呼ぶのです。芸術は美の、名誉は正直の人工的な同素体です。芸術と名誉は紳士のものであり/人には美と正直だけで十分です。」
ちょっとした間があった。それはまぎれもない民主主義者の口調だった/その真剣さは一同に印象を与えた。モララは気まずい様子をしていた。大使が助け船を出した。
「ええ、それでも私は美の女神を崇拝し続けますよ。彼女が変わろうと変わらなかろうと」―彼は伯爵夫人の方を向いた/「そして帰依の証に、私はその神聖な神殿であるボール・ルームでワルツを捧げます。」
彼は椅子を後ろに下げ、身をかがめて、床に落ちたパートナーの手袋を拾った。一同が立ち上がり、会は散開した。サヴローラはルシールと一緒にホールに戻る途中、庭に出られる開いたドアに通りかかった。たくさんの小さな灯りが花壇を照らし出したり、木に懸かった花綱飾りにぶら下がったりしていた。道には赤い布が敷かれていた/涼しいそよ風が頬を撫でた。ルシールは立ち止まった。
「素敵な夜です。」
明らかな誘いだった。なんといっても彼女はそのとき彼と話をしたかったのである。彼がここへ来たのはなんと正しいことだったのだろう―憲法に基づいて。
「外に出ますか?」と彼は言った。
彼女は同意した。そして二人はテラスに足を踏み入れた。
第VIII章 「星明かりの下で」
とても静かな夜だった。風はやわらかく、あちこちに立っている細い棕櫚の木を揺らすことさえなかった。見上げれば棕櫚の葉の輪郭が星空の額縁になっていた。宮殿は高台にあり、庭の西側は海に向かって傾斜していた。テラスの末端に石の腰掛があった。
「ここに座りましょう」とルシールは言った。
二人は座った。遠くからワルツの夢のような音楽がまるで彼らの思惑の伴奏のように漂って来た。宮殿の窓には光が赤々と輝き、きらめき、まぶしさ、そして熱さを思わせた/庭ではすべてが静かで涼しかった。
「なぜあなたは名誉を軽く見られるのです?」中断された会話を思い出してルシールは尋ねた。
「それには本当の基礎がなく、人知を超えた制裁もないからです。その規範は時と場所によって絶えず変化しています。不当に扱ってしまった人に償いをするよりもある時は殺す方が/肉屋に支払いをするよりもある時は賭け屋にする方が名誉である、とされます。芸術のようにそれは人間の気まぐれによって変化し、芸術のようにそれは富裕と贅沢から来るものなのです。」
「しかし、あなたはなぜ美と正直の起源をより高いものと仰るのです?」
「なぜなら私が見る限り、全てのものは永遠の適合性(*fitness)の基準に当てはまっており、正は邪に、真実は虚偽に、美は醜に勝利しているからです。適合性というのは大雑把な表現です!この基準で判断したとき芸術と名誉にはほとんど価値がありません。」
「しかし本当にそうなのでしょうか?」彼女は驚いて尋ねた。「きっと例外があるのでしょうね?」
「自然は決して個々について考えることはありません/種の平均的な適合性を見るだけです。死亡率の統計を考えてみて下さい。それがどれほど正確なことでしょう:それは人々の余命の期待値を与えます/しかし一個人については何も語りません。善人が常に悪人に勝つとは言えません/しかし進化論者は躊躇なく、最も高い理想を持った国が成功することを断言するでしょう。」
「もしも」ルシールは言った「理想が低く武力が強い国に邪魔されなければ、ですね。」
「しかし、それも適合性の一つの形かもしれません/低い形とは思いますが、それでも物理的な力は人間の進歩の要素を含んでいます。これはほんの一例です/私たちは広い視野を持たなければなりません。自然は個々の種を考えません。私たちがいま主張したいのは、精神的(*moral、道徳的)適合性を備えた生命体は最終的に物理的(*physical、肉体的)長所をもつ生命体の上に立つだろう、ということです。精神的な力が物理的な力の圧制から逃れ始める社会の状態を私は文明と呼んでいますが、それは何度進歩のはしごを登っては引きずり下ろされてきたことでしょう?おそらくそれはこの世界だけでも何百回も繰り返されてきたことと思います。しかし原動力、上昇志向は常にありました。進化論は『常に』とは言わず『究極的に』と言います。そして究極的に文明は野蛮の手の届かないところまで登ってきました。高い理想は優れた浮力によって水面に到達したのです。」
「なぜこの勝利が永続的なものだと思うのですか?他のすべてがそうだったように、それが逆転されないとどうして言えるのですか?」
「私たちは精神的優位と同じだけの力を持ったからです。」
「おそらく権力の頂点にいたローマ人もそう思っていたことでしょうね?」
「大いにありうることですが、道理はありません。結局、彼らが最後に頼れるのは剣だけでした/そして彼らが軟弱になったとき、もはやそれを振るうことはできなくなってしまったのです。」
「では現代文明は?」
「ええ、私たちは別の武器を持っています。私たちもやがては衰退する運命にあります。私たちが衰退したとき、私たちが本来の優位性を失ったとき、そして自然の法則に従って他の種族が私たちにとって代わるために前進してきたとき、私たちはその武器に頼ります。私たちのmoral(*士気、教訓、道徳)は失われても、私たちのMaxims(*マキシム機関銃、格言)は残ります。衰退し震え慄くヨーロッパ人は科学的な機械を使って襲ってくる勇敢な野蛮人を地上から一掃するのです。」
「それはmoralの優位性の勝利なのでしょうか?」
「まずはそういうことになるでしょう、文明の美徳は野蛮の美徳より高い種類のものだからです。優しさは勇気よりも優れており、慈愛は力よりも優れています。しかし究極的に支配者たる民族は衰退し、代わりになる者がいないため衰退が続くでしょう。それは活力と衰退、気力と怠惰の間の昔ながらの戦いであり/常に沈黙に終わる戦いです。結局のところ恒常的な人類の発展は期待できません。(*こうしたことを繰り返しているうちに)惑星の表面が生命の生存に適さなくなるのは時間の問題です。」
「しかしあなたは適合性が究極的に勝利するはず、と仰いました。」
「相対的な不適合性を超えて、そうなります。しかしすべての勝者と敗者は必然的に衰退します。生命の火は消え、活力ある精神は消滅します。」
「おそらくこの世界で。」
「すべての世界で。すべての宇宙は冷えつつ―死につつあります―そしてそれが冷えるにつれて、しばらくの間その天体の表面で生命の存在が可能になり、奇妙な道化を演じます。そして終わりが来ます/宇宙は死に、そして究極の無の冷たい暗闇の中に埋葬されるのです。」
「それでは私たちの全ての努力は何のためなのでしょう?」
「神はご存じでしょう」サヴローラは皮肉っぽく言った/「しかし、このドラマは見ていて面白くないものではないと想像します。」
「それでもあなたは人知を超えた基礎、美しさや美徳などの永遠の理想を信じておられます。」
「相対的不適合性に対する適合性の優位は、物事の大きな法則であると私は信じています。私はあらゆる種類の適合性について言っているのです―道徳的、物理的、数学的。」
「数学的!」
「間違いなく/言葉は正しい数学の原理に則ってこそ存在できるのです。これは数学が発見されたものであり、発明されたものではないことの大きな証拠の一つです。(*元から存在したものであって人間が作り出したものではない)惑星は太陽からの距離を守って規則正しく運行します。進化論はそうした原理を守らなかったものが衝突によって破壊され、他のものと融合したことを示唆しています。それは最も普遍的な適者の生存です。」彼女は黙っていた:彼は続けた「最初に二つの因子が存在したとしましょう。生きる意志によって動かされるものと、永遠の理想によって動かされるものです/偉大な作家と偉大な評論家です。すべての発展、生命のすべての形はこの二つの相互作用と反作用の結果なのです。生きる意志の表れが永遠の適合性の標準に近づけば近づくほど、それは成功します。」
「三番目をつけ加えていいですか」と彼女は言った/「理想に到達したいという願いをあらゆる生命に植え付け/どうすれば成功するかを彼らに教える偉大な存在。」
「それは楽しいことです。」彼は答えた「私たちの勝利を承認し、私たちの闘いを応援し、私たちの道を照らしてくれるそうした存在について考えることは/しかし、私がお話しした二つの因子と一緒に働くもう一つの因子を想定することは科学的、論理的に必然的とは言えません。」
「間違いなく、そのような人知を超えた理想が存在するという知識は外から与えられたものに違いありません。」
「いいえ/私たちが良心と呼ぶその本能は、他のすべての知識と同じように経験から導き出されたものです。」
「どのようにです?」
「私はこのように考えています。人類がその原初の闇から現れ、半獣半人の生物が地上を闊歩していたとき、正義、正直、または美徳といった観念はなく、『生きる意志』と呼ぶべき原動力しかなかったのです。私たちの初期の祖先にはお互いを守るために二人や三人で行動を共にするという、ささやかな特性があったのかもしれません。最初の同盟が結ばれ/孤立した個人が没落する一方、同盟は繁栄しました。同盟する能力は適合性の要素だったようです。自然淘汰によって同盟だけが生き残りました。こうして人間は社会的な動物になりました。小さな社会は徐々に大きなものになりました。家族から部族へ、そして部族から国へと人類は進歩し、良い同盟をすればするほど成功することに気がつきました。さて、この同盟システムは何に頼っていたのでしょうか?それは正直、正義、そしてその他の美徳の習慣によるメンバー同士の信頼です。こうした能力を持つ存在だけが同盟することができたのです。こうして比較的正直な人々だけが生き残ることができました。計り知れない時の流れの中でこのプロセスが数限りなく繰り返されて来ました。これまでの人類の進歩の全ての段階において繰り返されてきたのです。そして、その原因はそのすべての段階において強く認識されるようになりました。正直と正義は私たちの成り立ちに結びついており、私たちの性質の不可分な一部になっています。そんな厄介な性癖を抑えるのは難しいことです。」
「それではあなたは神を信じないのですか?」
「決してそうではありません」サヴローラは言った。「私は私たちの存在の問題を、理性という一つの立場から論じているに過ぎません。理性と信仰、科学と宗教は永遠に分離されるべきで、一方を受け入れるなら他方を否定しなければならない、と多くの人は考えています。私たちがその線は平行で決して交わることがないと思うのは、おそらくあまりにも短いスパンで見ているからではないでしょうか。私は未来の透視図のどこかに、人間の憧れのすべての線が究極的に交わる消尽点(*平行線が収束する点)があるのではないか、という希望をいつも大切にしています。」
「それでは、あなたはいま仰ったことすべてを信じておられるということですね?」
「いいえ」彼は答えた「詩人が何と言おうと、不信仰を信じることはできません。存在の問題を解き明かそうとするなら、そもそも私たちが存在するという事実を基礎にしなければなりません。それは不思議な謎ではないでしょうか?」
「その答えは死んだときに分かるでしょう。」
「もしそう思ったなら」サヴローラは言った「好奇心を抑えきれなくなって、私は今夜自殺してしまうでしょう。」
彼は一息ついて、頭上に明るく輝く星たちを見上げた。彼女は彼の視線を追った。「星がお好きなのですか?」彼女は尋ねた。
「大好きです」と彼は答えた/「非常に美しいです。」
「きっとあなたの運命がそこに書かれています。」
「私はずっと呆れてきたのです、至高の存在が自分のちっぽけな未来の些事を空に掲示したり、自分の結婚、不幸、罪が無限の宇宙に星の文字で書かれていたりすると考えるなんて、人間はどれだけずうずうしいのでしょうか。私たちは結局、原子にすぎないのです。」
「私たちは取るに足りないもの、と思うのですか?」
「生命はとても安価なものです。自然はその価値について大げさな考えを持っていません。私は取るに足りないものであることを自覚しています。しかし私は哲学的な微生物であり、そうである方が楽しいのです。取るに足りないものであろうとなかろうと、私は生きることが好きですし、未来について考えるのは良いことです。」
「ああ!」ルシールは性急に言った「どのような未来へとあなたは急いでいるのですか―革命?」
「おそらく」サヴローラは穏やかに答えた。
「国を内戦に突入させる覚悟があるのですか?」
「まぁ、そういう極端なことにならないよう願っています。おそらく、市街戦があり、死者も出るでしょう、しかし―」
「しかし、なぜあなたはあの人たちをそのように駆り立てるのです?」
「私は軍事独裁政治を打破することで人類への義務を果たすのです。銃剣だけに支えられている政府を見たくないのです/時代錯誤です。」
「政府は公正で堅固です/法と秩序を守っています。ご自分と意見が一致しないというだけの理由でなぜ攻撃するのですか?」
「私の意見!」サヴローラは言った。「あなたはそう呼ぶのですか?実弾入りのライフルでこの宮殿を守っている兵隊、あるいは一週間前に広場で人々を突き刺した槍騎兵隊を。」
彼の声は驚くほど激しくなった。その態度は彼女を震え上がらせた。「私たちを破滅させるつもりなのですね」弱々しく彼女は言った。
「いいえ」彼は威厳ある態度で答えた「あなた方は決して破滅することはありません。あなたの輝きと美しさは常にあなたを最も幸運な女性にし、あなたの夫を最も幸運な男性にするからです。」
彼の偉大な魂は僭越さをはるかに凌駕していた。彼女は彼を見上げ、素早く微笑んで性急に手を差し出した。「私たちは敵同士ですが、戦時国際法の下で戦いましょう。私たちは友達であり続けましょう。たとえ―」
「公式には敵であっても」とサヴローラは言葉を引き取った。そして手を握ってお辞儀をし、キスした。その後二人はとても言葉少なになり、テラスを歩いて再び宮殿に入った。ゲストのほとんどはもう帰っていた。サヴローラは階段を上らず、スイングドアを通って出て行った。ルシールがボール・ルームに上がって行くと、数組の疲れを知らない若いカップルがまだクルクルと踊っていた。モララと出会った。「私の愛する人」と彼は言った「ずっとどこにいたのです?」
「庭に」と彼女は答えた。
「サヴローラと?」
「ええ。」
大統領は喜びを噛み殺して「何か言っていましたか?」と尋ねた。
「いいえ、何も」と彼女は答えてから初めて面談の目的を思い出した/「また彼に会わなくてはなりません。」
「これからも彼の政治目的を探ってくれるのですか?」心配そうにモララが尋ねた。
「また彼に会います」と彼女は答えた。
「あなたの機知を頼りにしています」と大統領は言った/「それをできる人がいるとすれば、それはあなたしかいません、私の最愛の人。」
最後のダンスが終わって最後のゲストが帰った。非常に疲れて、物思いに耽っていたルシールは自分の部屋に戻った。頭はサヴローラとの会話でいっぱいになっていた/彼の真剣さ、熱意、希望、信念、というよりむしろ疑念、すべての回想が彼女の前を通り過ぎた。彼はなんと偉大な人物だったのだろう!人々が彼についていったのは素晴らしいことだったのだろうか?彼女は明日彼が話すのを聞きたくなった。
メイドがやって来て彼女が服を脱ぐのを手伝った。彼女は上の階のバルコニーからサヴローラを見ていた。「あの方が」と興味津々で女主人に尋ねた「大変な扇動家なのですか?」彼女の兄は明日彼の話を聞きに行こうとしていたのだった。
「彼は明日スピーチをするのですか?」ルシールは尋ねた。
「兄がそう申しておりました」とメイドは言った/「聴いた人が決して忘れないよう、厳しく叱りつけるつもりだそうです。」メイドは兄の言葉に細心の注意を払っていた。二人はとても深く心を通わせていた/実はその方が聞こえが良いので兄と呼んでいただけだった。
ルシールはベッドの上の夕刊紙を取り上げた。一面は明日夜八時に市民ホールで開催される大会の告知だった。彼女はメイドを退出させて窓辺へと歩いて行った。目の前には静寂に包まれた街が広がっていた/自分と話をしていた男が明日、街を興奮で激しく揺さぶろうとしている。彼女は話を聞きに行くことにした/女性もこうした会合に行くのである/彼女もしっかりベールをかぶって行けばいいのではないだろうか?とにかくそうすることで彼の性格について何らかを知ることができるだろうし、それによって夫をより良く手伝うことができる。こうした考えに大いに慰められて彼女はベッドに入った。
大統領が二階に上がるとミゲルがいた。「まだ仕事があるのかね?」彼はうんざりして尋ねた。
「いいえ」と秘書は言った/「順調そのものです。」
モララは苛立って彼をきっと睨んだ/しかしミゲルが無表情だったので、「じゃよかった」とだけ答えて立ち去った。
第IX章 提督
サヴローラのステート・ボールに行くという決意に対してモレが表明した不支持は、その結果を見る限り十分に妥当なものだった。党組織が実際に管理しているものを除いて、すべての新聞は彼の行動について厳しく、あるいは軽蔑的にコメントしていた。ジ・アワーは彼を出迎えた群衆の罵声に言及し、大衆に対する彼の影響力の衰退と革命党派の分裂を仄めかしていた。また読者に社会的な名声は常に扇動家の最高の野望であると注意し、大統領の招待を受け入れたことでサヴローラの「卑しい個人的な目的」が明らかになった、と言い放った。政府寄りの新聞はさらに攻撃的な態度で同様の意見を表明していた。「こうした扇動者たちは」とザ・コーティアーは書いた「世界の歴史の中で常に肩書や名誉を欲しがって来た。そして上流や流行の人たちと交わりたいという思いには質素で不屈な民衆の息子でさえ抵抗できないことが再び証明された。」この傲慢な俗悪さは不快なものだったが、民主派の雑誌に掲載されていた重大で深刻な警告や抗議ほど危険ではなかった。このようなことが続くならば大衆党は「権力に媚びず、流行に迎合しようとしない」別のリーダーを探さなければならないだろう、とザ・ライジング・タイドは明快に述べていた。
サヴローラはこうした批判を軽蔑しながら読んだ。このように書かれることを彼は知っていた。そしてわざと自分をそれに晒したのである。行くのが賢明ではないことは知っていた:最初から分かっていたことである/しかしどういうわけか彼は自分の過ちを後悔していなかった。結局のところ、なぜ自分の私生活をどのように律すべきかを党に指示されなければならないのだろうか?彼は自分が行きたいところに行く権利を決して放棄しないだろう。この場合、彼は自分の気持ちに従った。そして投げかけられた非難は支払うことを覚悟していた代償だった。庭での会話を思い出すなら悪い取引をしたとは感じなかった。ただしダメージは回復しなければならない。彼は再びスピーチのメモを見て、文章を磨き、ポイントを熟考し、議論をまとめ、人心の変化に対して適当と思われるいくらかの追加をした。
こうした仕事で朝が過ぎた。モレが昼食にやってきた。「だから言っただろう」と実際に口に出すことは差し控えていた。しかし、その様子から今後に対する自分の考えに揺るぎない根拠があると感じていることが伺われた。彼は簡単に舞い上がったり落ち込んだりする性格だった。今や運動がもう失敗してしまったと考え、悲観して落胆していた。残ったのは儚い希望だけだった/サヴローラが会議で後悔を表明し、自分の以前の功績を思い出すよう人々に訴えるしかないだろう。彼が提案するとリーダーはその考えを明るく笑い飛ばした。「愛するルイ」彼は言った「僕はそのようなことはしない。自分の主体性を決して放棄しない。僕はいつだって好きな場所に行って好きなことをする。それが嫌なら公的な仕事は他の人にしてもらえばいい。」モレは身震いした。サヴローラは続けた:「僕は本当にその通りに言うわけじゃない。しかし僕がモララの敵意と同様、彼らの非難をも恐れないことを態度で示すのだ。」
「おそらく彼らは耳を貸さないと思う/敵対行為があるだろうという報告を受けている。」
「あぁ、僕は彼らに耳を傾けさせてみせる。最初はヤジられるかもしれないけど、彼らのトーンはすぐに変わるだろう。」
彼の自信には伝染性があった。それと素晴らしいクラレット(*ボルドーの赤ワイン)のボトルの力がモレの元気を回復させた。ナポレオン三世のように、まだすべてを取り戻せるかもしれない、と彼は感じたのだった。
そのころ大統領は計画の最初の結果に非常に満足していた。彼はサヴローラがボールへの招待を受け入れたことがこれほどまでに不評を買うとは予想していなかった。彼自身にとっては名誉なことではなかったが予想外の利益だった。それにミゲルが言った通り、すべてが別の方向に向かって非常にうまくいっていたのである。彼は心を固くし、良心の呵責を捨てた/彼を不愉快なコースに追いやったのは厳しい、苦い窮境だった。しかし彼は今や一度始めた以上は続ける決心をした。その間、仕事は四方八方から押し寄せていた。英国政府はアフリカ問題に関して屈しない態度を見せた。彼の乱暴なディスパッチは彼が望み、そして期待さえしていた通り、問題を解決しなかった/言葉を行動で補うことが必要になった。アフリカの港を無防備で放置しておいてはならず/艦隊は直ちにそこに行かなければならない。多くの不満分子を威圧している港の五隻の軍艦なしでも十分に余裕がある時期ではなかった/しかし力強い外交政策は人気を呼ぶだろう、あるいは少なくとも国内の扇動から国民の関心を遠ざけるには十分だろうと彼は考えたのである。彼はまた海外での失敗が国内で革命を引き起こすことを知っていた。細心の注意が必要だった。彼はイギリスの力と資源を知っていた/比較するならローラニアが弱いことについて幻想を持っていなかった。実際、そこに彼らの唯一の強みがある。英国政府は非常に小さな国家との戦い(いじめ、と洗練されたヨーロッパは呼ぶ)を避けるために全力を尽くす。それはブラフのゲームだった/先へ行けば行くほど国内の状況は良くなるが、一歩行き過ぎればそれは破滅を意味する。それは繊細さを要するゲームであり、そして強く有能な人物のエネルギーと才能に極度の負担を強いるものだった。
「提督がお見えになりました、閣下」と言ってミゲルが部屋に入り、すぐ後に背の低い赤ら顔の海軍の軍服姿の男が入ってきた。
「おはよう、親愛なるデ・メロ」と大統領は叫んで立ち上がり、新来者と大変真心のこもった握手をした。「ついにあなたに船出の命令を出すことになりました。」
「ええ」デ・メロは無遠慮に言った「あなたの反対派が蜂起するのを待っているのはうんざりです。」
「あなたに困難で刺激的な仕事があるのです。暗号電報の翻訳はどこにあるのかね、ミゲル?ああ、ありがとう―ここを見て下さい、提督。」
船乗りはその紙を読み、意味ありげに口笛を吹いた。「今回は、モララ、あなたの望み通りに行かないかもしれません」とざっくばらんに言った。
「この問題をあなたに任せます/あなたはこの状況を救うことができるでしょう、これまで何度も救ってくれたのですから。」
「これはどこから来たものですか?」デ・メロは尋ねた。
「フランスの情報源から。」
「これは強力な船、アグレッサーです―最新のデザイン、最新の大砲、実際、すべての近代的改良が施されています/これが十分以内に沈められない船は我が軍にはありません/おまけに数隻の砲艦まで従えています。」
「難しい状況であることは知っています」大統領は言った/「だからあなたにそれを任せるのです!聞いて下さい/何があろうと私は戦いを望みません/惨事に終わるだけです/そしてここでいう惨事の意味は分かるでしょう。あなたはあらゆる点で主張し、交渉し、そして抗議しなければならず、できるだけ引き延ばさなければなりません。毎回電信で私に相談し、イギリスの提督と仲良くなろうと努めて下さい/それが戦いの半分です。砲撃の可能性が生じたときには私たちは屈服し、再び抗議します。今宵、あなたへの指示を書面で送ります。今夜蒸気機関で出航するのが良いでしょう。ゲームを理解しましたか?」
「はい」とデ・メロは言った「私はプレイしたことがあります。」彼は握手をしてドアへと歩いた。
大統領は後を追った。「ありうることとして」と彼は真剣に言った「あまり遠くに行く前にここに戻ってもらうことになるかもしれません/街には多くの問題の兆候があり、結局のところストレリッツは国境でまだチャンスを伺っています。命令したときには戻ってくれますか?」その口調はほとんど哀願の色を帯びていた。
「戻る?」提督は言った。「もちろん、私は戻ります―蒸気の全速力で。先月、大砲を国会議事堂に向ける訓練をしました。いつか撃ち倒してやろうと思っています。どうぞ、艦隊を頼りにして下さい。」
「ありがたい。疑ったことなどありません」と大統領は感情を込めて言った。そしてデ・メロと熱い握手を交わし、執筆テーブルに戻った。提督は政府に完全に忠実である、と彼は感じていた。
巨大な機械の中で生活しているこうした人々は自ら機械の一部になる。デ・メロはずっと軍艦の中で生きてきて他のことは何も知らず、気にもかけていなかった。彼は最高の専門家として陸の人々と文官を見下していた。世界の海に接する部分をさまざまなタイプの標的候補と見なしていたが/それ以外のものには全く注意を払っていなかった。自由のために闘う愛国者と外国の敵、敵対的な砦と故郷の町に砲弾を炸裂させることは、彼にとってなんの違いもなかった。砲撃の権限が適切なルートから届く限り彼は満足しており/その後、純粋に専門的な観点から問題を検討するのだった。
大統領がオフィスの様々な仕事を終えたのは午後遅くのことだった。「今夜は大会があるのだったかな?」彼はミゲルに尋ねた。
「はい。」秘書は言った「市民ホールで/サヴローラが話をします。」
「妨害の手配はしたのかね?」
「確か、秘密警察がちょっとしたことをしようとしています/ソレント大佐が手配しました。しかし現状、セニョール・サヴローラの党は彼にむしろ不満を持っているようです。」
「ああ」モララは言った「私はやつの力を知っている/やつは言葉で彼らの心を引き裂くのだ。その力は恐るべきものだ/私たちはあらゆる予防策を講じなければならない。軍には武装命令が出ているのだろうね?やつは群衆をどのようにでもできるのだ―畜生!」
「大佐は今朝ここに来られました/手配している最中だと仰っていました。」
「良いことだ」と大統領は言った/「自分の安全にも関わることだと彼は知っている。今夜、私はどこで食事をするのかね?」
「セニョール・ルーヴェと内務省で、公式のディナーです。」
「なんと忌まわしい!しかし彼は並のコックを雇っているし、今夜会う価値があるだろう。サヴローラが彼のことをばかげていると言い立てると、彼は恐れおののくのだ。臆病者は嫌いだが、彼らのおかげで世界はより楽しいものになる。」
彼は秘書におやすみを言って部屋を出た。外で彼はルシールに会った。「最愛の人」と彼は言った「私は今夜、外で食事をします。ルーヴェとの公式ディナーです。迷惑なことですが行かねばなりません。おそらく遅くまで戻って来られないでしょう。放ったらかしにしてすみません。でもこのごろは忙しくて、ほとんど自分の魂が自分のものとも言えないくらいです。」
「気になさらないで、アントニオ」と彼女は答えた/「あなたがどんなに仕事に追われているかは知っています。英国との件はどうなったのですか?」
「まったく好ましい状況とはいえません」モララは言った。「向こうでは主戦論の政府が権力を握っており、こちらの文書への回答として軍艦を送ってきました。最も不幸なことです。今や私は艦隊を送らなければなりません―このようなときに。」不機嫌そうに彼はうめいた。
「私はリチャード卿に話をしたのです、私たちは国内の状況を考えなければならないのです、ディスパッチは国内向けのものです、と」ルシールは言った。
「思うに」大統領は言った。「英国政府も有権者を楽しませ続ける必要があるのでしょう。保守党内閣です/国民の関心を先進的な法案から逸らすために海外での活動を続けなければならないのでしょう。なに、まだ何か、ミゲル?」
「はい、サー/このバッグは到着したばかりですが、直ちに対処していただかねばならない、いくつかの重要ディスパッチがあります。」
大統領はディスパッチといっしょに地獄へ行ってしまえ、とでも言いたげにミゲルを一瞬見た/しかし彼はその気持ちを抑えた。「よし、行こう。明日の朝食で会いましょう。親愛なる人。それまでお別れです」と彼女に疲れた笑顔を向けて立ち去った。
このように偉大な男たちは自分の命を危険に晒して獲得した権力を享受し、しばしばそれを維持するために死ぬのである。
ルシールは一人残された、彼女が構ってもらったり共感してもらったりしたかったのはこれが初めてではなかった。存在全般に関する満たされない想いを自覚していた。それは人生の賞と罰が等しく陳腐で空しいものに思える瞬間だった。彼女は興奮の中に逃げ場を探した。前夜に思いついた計画が心の中で現実の形をとり始めた/そう、彼女は彼の話を聞きに行こうとしていたのだった。自室に戻ってベルを鳴らした。メイドはすぐに来た。「今夜の会合は何時ですか?」
「八時です、閣下」と少女は言った。
「チケットはありますか?」
「はい、兄が―」
「では、私にそれをくれませんか/この人が話すのを聞きたいのです。彼は政府を攻撃するでしょう/大統領に報告するため、私はそこにいなければなりません。」
メイドはびっくりしたようだったが、おとなしくチケットをあきらめた。彼女は六年間ルシールのメイドをしており、若く美しい女主人に献身してきたのだった。「閣下は何をお召しになりますか?」とだけ言った。
「暗い色の厚手のベールがあるかしら」ルシールは言った。「このことは誰にも言ってはいけませんよ。」
「決して、閣―」
「お兄様にも。」
「決して、閣下。」
「私は頭痛で寝たことにして下さい。あなたは自分の部屋にいるのです。」
メイドは急いでドレスとボンネットを取りに行った。ルシールは自分の決意が引き起こした神経の興奮に満たされていた。それは冒険であり、それは経験になることだろう、しかしそれ以上に、彼女は彼に会いたかったのだった。群衆―彼らのことを考えると少し怖くなった。しかし女性もよくこうしたデモに参加すること、そこには秩序を守るためのたくさんの警官がいることを思い出した。彼女はメイドが持ってきた服を急いで着て、階段を降り、庭に入った。すでに夕暮れだったがルシールは苦もなく壁の小さなプライベート・ゲートを見つけた。そして鍵を開けた。
彼女は通りに足を踏み入れた。すべてがとても静かだった。長く二列に点ったガス灯は遠景ではほとんど一列になっていた。数人が市民ホールの方向へと急いでいた。彼女はその後についていった。
第X章 魔術師の杖
市民ホールは巨大な集会所であり、長年にわたってローラニア人のすべての公開討論が行われてきた場所だった。その石造りのファサードは見栄えがする仰々しいものだったが、建物には大ホールといくつかの小部屋とオフィスがあるだけだった。ホールは七千人近くを収容することができて/その漆喰の天井を鉄の大梁で支えられ、ガス灯で十分に照明されて、飾り気もなくその目的を十分に果たしていた。
ルシールは入場する人の流れに巻き込まれて中へ入って行った。席に座りたいと思っていたが、大勢の人が集まったため、ホールの大部分で全ての椅子が片付けられていた。残っていたのは立ち見席だけだった。この人間の固体の中で、彼女は自分が原子であることに気が付いた。移動は困難だった/戻ることはほとんど不可能だった。
印象的な光景だった。旗が掲げられたホールは人々であふれ返り/三方を囲んでいる長いギャラリーには天井までぎっしり人が詰め込まれていた/ガス灯の炎が何千もの顔に黄色い光を投げかけていた。聴衆のほとんどは男性だったが、女性も何人かいることに気づいてルシールは安心した。ホールの奥にある舞台にはありきたりのテーブルとお決まりの水のグラスが見えた。舞台の前ではメモ用紙と鉛筆を構えた記者たちが長い二列をなしていた―一種のオーケストラである。その後ろと上にも椅子が何列も何列も並んでいて、様々な政治クラブや組織の多数の代表、役員、書記が座っていて、それぞれの団体のバッジと襷で区別されていた。モレは党派の最大の力を喚起することに尽力し、ローラニアでは見られたことがなかったような最大のデモンストレーションを組織することに成功したのである。ともに政府に敵対しているすべての政治勢力が代表されていた。
その場所は大きな話し声でざわめいており、それを歓声と愛国歌の合唱が時折中断していた。突然、建物の塔の時計が時を告げた。同時に舞台の右側の出入り口からサヴローラが入場し、続いてゴドイ、モレ、レノス、その他数人の著名な運動のリーダーたちが入って来た。座って静かに彼を見つめている椅子の列の前を、彼はテーブルの右側の椅子へと進んで行った。不協和音の嵐が吹き荒れていた。同じ意見を持つ者は二人といないようだった。ある瞬間には全員が喝采しているように聞こえ/次の瞬間にはブーイングとうなり声が優勢になっていた。実際、会合はほとんど真っ二つに割れていた。改革派の過激な層はサヴローラの舞踏会への出席を最も重大な背信行為として怒りの声を上げ/より穏健な層は騒擾の時にすがりつくには最も安全な人物として彼に喝采を送っていた。舞台上の椅子に座った代議員と常任役員はむっつりと沈黙していた。説明が満足のいくものであることを信じられないまま、それを待っている人たちのようだった。
ようやく叫び声は収まった。議長を務めていたゴドイは立ち上がって短いスピーチをした。彼は論議のあるサヴローラについて言及することを慎重に回避し、話を運動の前進に限定した。彼は良い声ではっきりと話したのだが、誰も彼の話など聞きたがっていなかった。そして彼が「私たちのリーダー」サヴローラに挨拶するよう呼びかけると全員が安堵した。サヴローラは自分の右に座った代議員の一人と何食わぬ顔で話していたが、素早く聴衆の方に向き直り、立ち上がった。すると皆同じような青いスーツを着た小さなグループの中の一人が「裏切り者!ゴマすり!」と叫んだ/この叫び声の後に何百もの声が続き/ブーイングとうなり声が爆発した/喝采は及び腰だった。望ましい反応ではなかった。モレは完全に絶望して周りを見まわした。
暑さと圧迫感にもかかわらず、ルシールはサヴローラから目を離すことができなかった。彼が抑制された興奮で小刻みに震えているのが彼女には分かった。彼はただ単に落ち着いているだけだろうと思われていたが/群衆が彼の血をかき立て、そして彼が立ち上がったとき、もはや仮面をつけていることはできなかった。不満の噴出に直面しながら待っている間、その青白く真剣な顔の全てのシワに刻み込まれた反発心と、毅然とした姿は、彼をほとんど恐ろしいばかりに見せていた。そして彼は話し始めた、しかし最初、青い服の男とその仲間のしつこい叫び声のために彼の言葉は聞き取れなかった。五分間の激しい混乱の後、とうとう聴衆の好奇心が他のすべての感情に打ち勝った。そしてリーダーの言うことに耳を傾けるため、彼らは概ね静かになった。
サヴローラは再び話し始めた。彼はとても静かにゆっくりと話をしたが、その言葉はホールの一番遠い端まで届いていた。最初彼は、おそらくわざとだろうが、いくらかの緊張を見せた。そして文のあちこちで言葉を探すかのように小休止をした。この歓迎には驚いた、と彼は言った。目標の達成が目前に迫った今になって、ローラニアの人々が考えを変えるとは思っていなかった。青い服の男が憎々しい叫び声でヤジを飛ばし始めた。ブーイングの声も上がった/しかし今や聴衆の大多数は話を聞こうとしていた。すぐに沈黙が戻った。サヴローラは続けた。彼は昨年の出来事を簡単に振り返った:党派を結成するまでの苦心/凄まじい妨害に遭遇して耐えたこと/武器を取るという脅しによる成功/大統領の自由な議会の約束/仕掛けられた策略/群衆に対する兵士の発砲。その真剣で思慮に富んだ言葉に同意のざわめきが巻き起こった。こうした観衆が参加するイベントでは彼らの思い出を甦らせることが喜ばれるのである。
それから彼は代表団について、そして大統領が信任された市民の代表者として適当とした人々への軽蔑について話を進めた。「裏切り者!ゴマすり!」青服の男が大声で叫んだ/しかし反応はなかった。「そして」とサヴローラは言った「さらにこの問題に注目していただきたいと思います。報道機関を窒息させ、人々を撃ち殺し、憲法を覆してもまだ飽き足りることなく、私たちが国の問題を議論し、公共の政策を決定するという紛れもない私たちの権利に従ってここに集まっているときでさえ、その討議は政府に雇われた機関によって遮られてしまうのです。」―彼が青服の男に目を向けると怒りのざわめきが巻き起こった―「あの口汚い叫びは自由なローラニア人である私自身だけではなく、意見を表明させるために私を招いて下さった、ここにお集まりの市民の皆さんをも侮辱しているのです。」ここで突如聴衆から憤慨の拍手と同意の声が沸き上がった/「恥を知れ!」という声が上がり、妨害者の方向に激しい視線が向けられた。そして彼らはこっそり群衆の中に散って行った。「そのような戦術にもかかわらず」サヴローラは続けた「そして賄賂であれ、弾丸であれ、雇われた刺客であれ、容赦ない傭兵であれ、すべての妨害に直面してなお、私たちが今ここで支持している偉大な運動は続いて来たし、続いているし、続いて行こうとしているのです。私たちが古来の自由を取り戻し、私たちからそれを奪った人たちが罰されるまでは。」会場のあちこちから大声援が上がった。彼の声の調子は変わらず、大きくはなかったが、その言葉は不屈の決意を印象づけていた。
そして聴衆を掴んだ彼は大統領とその仲間に嘲笑の力を向けた。彼の指摘はすべて歓声と笑い声に迎えられた。彼はルーヴェ、その勇気、その人々に対する信頼について話した。おそらく内務省にいるのは「食いしん坊」で、ホーム・オフィス(*内務省の別の呼び方)にいるのは夜中に同国人の中へ外出することさえ怖がる「ステイ・アット・ホーム」であると言っても過言ではないだろう。ルーヴェは確かに毒舌の良い標的だった/人々は彼を嫌っていた。その臆病さを軽蔑し、いつも嘲っていた。サヴローラは続けた。大統領は自分や他人にどんな犠牲を強いることになろうとも公職にしがみつこうとしている。国内での自らの横暴な振舞いと専制政治から国民の注意を逸らすために、彼は国外の複雑な事態に国民を巻き込もうとしたのである。そして彼は期待以上の完全な成功を収めた。自分たちは今、紛争に巻き込まれたのである、何も得るものがなく、すべてを失うことになりかねない大国との紛争に。艦隊と軍隊が国費で派遣されることになる/自分たちの持ち物が危険にさらされるのである/おそらく兵士と水兵の命も犠牲になるだろう。いったい何のために?アントニオ・モララが宣言したとおりに行動するために、そして国家元首のままで死ぬために。それは悪い冗談だった。しかし彼は警告を受けるべきだった/冗談の中に多くの真実が語られていた。再び凄まじいざわめきが起こった。
ルシールは魔法にかかったように聞いていた。彼が大群衆のうなり声とシューッという声の中で立ち上がったとき、彼女は同情し、その命さえも危ぶんだのだったが、彼がそのような聴衆を説得するという、一見不可能と思われる課題に挑戦した不思議な勇気に驚いていた。彼が話を進めて力と承認を獲得し始めたとき、彼女は喜びを感じていた/すべての歓声が喜びだった。群衆がソレントの部下の警察官に対して露わにした憤りに彼女は静かに加わっていた。彼は今、彼女の夫を攻撃していたのである/しかし彼女は決して反感を抱いたようには見えなかった。
彼は聴衆の熱心な賛同と民意の満ち潮の中で、軽蔑的な笑い種で閣僚たちの話題を終わりにした。今やもっと高度な問題を扱わなければならない、と彼は告げた。自分たちが目指す理想について考えるよう促したのである。彼らの気持ちを掻き立てておいて、その怒りと熱狂の爆発をお預けにしたのだった。最も不幸な人物でさえも持っている、幸せの希望の権利について彼が語ったとき、沈黙が支配するホールに響いていたのは誰の心にも訴えかけるその重厚で音楽的な声だけだった。彼は四分の三時間以上、社会と財政の改革について論じた。健全で実践的な常識が、多くの喜ばしい実例、多くの機知に富んだアナロジー(*類推)、多くの高遠かつ明快な思想で表現されていた。
「私たちのものであり、かつて私たちの父のものだったこの美しい国、青い海と雪を頂いた山々、心地よい村と豊かな都市、銀色の小川と金色の小麦畑を見るとき、この美しい景色に軍事独裁政治の暗い影が差しているという運命の皮肉に私は驚きます。」
満員のホールから再び重大な決意の声が上がった。時計を見れば、彼は彼らの熱意を一時間にもわたって抑えていたのだった。ずっと湯気が上がっていた。全員が心中で自分の気持ちを解放し、一人一人の決意を表明するための何ものかを求めていた。ホール全体が一つになっていた。彼の情熱、彼の感情、彼の魂そのものがその言葉を聞いている七千人にはっきりと伝わっていた/彼らは互いに互いを鼓舞し合っていたのである。
そして彼はそれをついに解き放った。彼は初めて声を張り上げ、鳴り響く、力強い、突き刺さるような、聴衆の心を揺さぶるようなトーンでスピーチの結論部分を開始した。その態度の変化には電気的な効果があった。短い一文ごとに大歓声が沸き起こった。聴衆の興奮は言葉で言い表せないほどのものになった。誰もが我を忘れていた。その強烈な熱狂の奔流に抵抗することなく、ルシールは一緒に流されて行った/自分の利益、目的、野心、夫、すべてを忘れていた。一つの文が長くなり、うねり、響き渡るようになった。オサの上にペリオンを積む(*オサとペリオンはギリシャの二つの山。面倒に面倒を積み重ねること)ように積み重ねられた議論はついに結びに入った。すべては不可避の結論を指し示していた。人々が接近を予測した、その最後の言葉がついに到来したとき、それは万雷の賛同に迎えられた。
そして彼は座って水を飲み、手を頭に押し付けた。緊張は凄まじいものだった。彼は自分の感情に身悶えしていた/全身の血管を脈打たせ、すべての神経を打ち震わせ/汗を滝のように流し、喘ぎながら彼は呼吸をしていた。五分もの間、誰もが激しく歓呼していた/舞台の代議員たちは椅子の上に立って腕を振っていた。もし彼が唆したなら大群衆は通りに繰り出して宮殿へと行進していたことだろう/そしてソレントが非常に注意深く配置した兵士たちは彼らに生命の憐れな物質性を再認識させるため、数多くの弾丸を要したことだろう。
モレとゴドイが提出した決議案は歓呼とともに可決された。サヴローラはモレに顔を向けた。「ほらルイ、言った通りだろう。どうだった?最後の言葉を気に入ってるんだ。今までで最高のスピーチだったと思ってる。」
モレは神を見るように彼を見た。「すごかった!」彼は言った。「君はすべてを救ってくれた。」
そして今や会合は解散し始めた。サヴローラは側面のドアから退出し、小さな控え室ですべての主な支持者と友人たちから祝福を受けた。ルシールは混雑の中を急いでいた。やがて渋滞が起こった。彼女の前に立っていた二人の外国人風の男が低い声で話していた。
「勇敢な言葉でしたね、カール」一人が言った。
「ああ」もう一人が言った「私たちは行動を起こさなければならない。今のところ彼は良い道具だが/もっと鋭いものを必要とする時が来るだろう。」
「彼の力は大変なものです。」
「その通り、しかし彼は私たちの味方ではない。彼は私たちの大義に共感していない。財産の共有に興味を示していないだろう?」
「私の方では」先の男が醜く笑って言った「妻の共有の理念の方にもっと惹かれてきました。」
「まぁ、それも偉大な社会計画の一部ではある。」
「分配の時には、カール、私を大統領の妻の共同所有者にして下さい。」
彼は下品な含み笑いをした。ルシールは身震いした。夫が話していた、偉大な民主主義者の背後と足元の勢力がここにあったのである。
人の流れがまた動き始めた。ルシールが乗った横向きの流れはサヴローラがホールから出て行く玄関口に向かっていた。明るいガス灯ですべてがはっきりと見えた。ようやく彼は階段の一番上に現れ、その足元にはすでに彼が乗る馬車が停まっていた。狭い通りは群衆でいっぱいだった/大変な圧力だった。
「ルイ、一緒に行こう」サヴローラはモレに言った/「僕が降りた後、そのまま馬車に乗って行くといい。」多くの非常に高度に興奮させられた精神と同様に、彼はそのような瞬間に共感と賞賛を切望していた/そしてモレがそれをたくさんくれることを知っていた。
彼の姿を見て群衆が波のように押し寄せた。ルシールは足を取られ、目の前の黒っぽい頑丈な男に押しつけられた。沸き立つ民主主義の特性の中に、婦人に対する騎士道的慇懃さは存在しない。男は周りを見回しもせずに肘で後ろを突き、それが彼女の胸に当たった。痛みは強烈で/思わず彼女は悲鳴を上げた。
「紳士諸君」サヴローラが叫んだ「女性が怪我をしたようです/声が聞こえたのです。場所を空けて下さい!」彼は階段を駆け下りた。群衆は道を開けた。恐怖で動けなくなったルシールを助けるために気負った、お節介な十数本の手が伸びてきた。彼女の正体はバレてしまうことだろう/その結果は想像もつかないほど恐ろしいものだった。
「ここに入ってもらいましょう」サヴローラは言った。「モレ、手伝ってくれ。」彼は半ばを担ぎ、彼女が小さな控え室への階段を上るのを半ば支えた。ゴドイ、レノス、そしてスピーチについて話し合っていた半ダースの民主派のリーダーたちが物珍しそうに彼女の周りに集まってきた。彼は彼女を背もたれのある椅子に座らせた。「コップに水を入れて」素早く彼は言った。誰かがそれを彼に手渡し、彼はそれを彼女に手渡すため振り返った。しゃべることも、動くこともできないルシールに逃げ道はなかった。彼が彼女に気づかないはずはなかった。嘲笑、罵倒、危険、彼女にはすべてが明白だった。彼女が手で弱々しく水を断ろうとしたとき、サヴローラは厚いベール越しに彼女をまじまじと見つめた。突然、彼は差し出していた水をこぼし始めた。気づかれた!そのときが来た―恐るべき発覚のときが!
「どうしたの、ミレ」と彼は叫んだ「僕の小さな姪っ子!どうやって夜中にこんな人の多いところに一人で来られたの?僕のスピーチを聞くため?ゴドイ、レノス、本当にうれしいことです!僕にとってはどんな歓声よりも大きな意味があります。姉の娘が人込みの中を危険を顧みず話を聞きに来てくれたのです。しかし、お母さんが」とルシールを振り向いた「こんなことを許すはずがありません/女の子が一人で来るところではないのです。僕が連れて帰らなければなりません。怪我をしてない?言ってくれたら、席をとっておいたのに。馬車は来ている?よし、すぐに帰ろう/お母さんがとても心配しているよ。おやすみなさい、紳士諸君。おいで、かわいい娘。」彼は彼女に腕を差し出し、彼女を連れて階段を降りた。通りを埋め尽くした人々が激しい歓声を上げた。彼らの上を向いた顔はガス灯で青白く見えた。彼は彼女を馬車に乗せた。「行って下さい、御者さん」彼は言った。
「どこへ、サー?」御者は尋ねた。
モレが馬車にやって来た。「御者台に乗って行くよ」と言った。「君が降りた後、客車に乗って行く」そしてサヴローラがなにも言わないうちに御者の横の席に乗り込んだ。
「どこへ、サー?」御者は繰り返した。
「家」サヴローラはやけになって言った。
馬車は出発し、歓声を上げる群衆の間を通り抜けて、街のあまり人通りの多くない場所に出て行った。
第XI章 夜更けに
ルシールは強烈な安堵感とともにブローガム(*二人乗りの客席密閉タイプの馬車)のクッションに落ち着いた。彼が彼女を救ってくれたのだった。感謝の気持ちで胸がいっぱいになって、彼女は衝動的に彼の手を取って握りしめた。二人が再び交際を始めてから手と手が触れたのは三回目だったが、そのたびに意味が違っていた。
サヴローラは微笑んだ。「あのような群衆の中に入って行くという危険を冒すなど、閣下にとって軽率極まりないことでした。私の対策が間に合ったのは幸運でした。人込みの中でお怪我はありませんでしたか?」
「ありません」とルシールは言った/「男の人に肘打ちされて叫んでしまったのです。私は決して来るべきではなかったのです。」
「危険でした。」
「私がしたかったのは―」彼女は口ごもった。
「私の話を聞くこと、ですね」と付け加えて彼は文を完成させた。
「はい/あなたがご自分の力を使われるところを見たかったのです。」
「あなたが私に興味を持って下さるなんてうれしいことです。」
「いえ、純粋に政治的な理由からです。」
彼女の顔にはかすかな笑みが浮かんでいた。素早く彼は彼女を見た。どういう意味だろう?なぜそう言う必要があったのだろう?その時、彼女の心は別の理由をじっと見つめていた。
「退屈されませんでしたか」彼は言った。
「あのような力をお持ちだなんて恐るべきことです」彼女は本心で答えた/そして少し黙ってから尋ねた「どこに行くのですか?」
「宮殿にお送りするべきでした」サヴローラは言った「しかし御者台にいる私たちの純真な若い友人のせいでこの茶番をもう少し続けなければならないのです。彼を片付けなければなりません。とりあえず私の姪のままでいるのがいいでしょう。」
彼女は楽しそうな笑顔で彼を見上げ、そして真剣に言った:「こんなことを思いつくなんてお見事でしたし、それを実行して下さったのもご立派なことでした。私は決して忘れません:あなたが素晴らしい手助けをして下さったことを。」
「さあ着きました」ようやくブローガムが彼の家の玄関に着いたとき、サヴローラは言った。彼は馬車のドアを開け/モレは御者台から飛び降りてベルを鳴らした。少し間があって、年老いた家政婦がドアを開けた。サヴローラは彼女に呼びかけた。「ああ、ベティン、起きてくれてありがとう。こちらは僕の姪で、僕の話を聞きに会合に来てくれたのですが、人混みで押されて怪我をしてしまったのです。今夜は一人で家に帰らせられません。寝室を用意できますか?」
「一階に予備の部屋がありますけど」と老婦人は答えた/「残念ながら使えないと思います。」
「どうして?」素早くサヴローラは尋ねた。
「大きなベッドのシーツが準備できていないし、煙突を掃除してからは火を使っていないのです。」
「あぁ、じゃあ、できるだけのことをやって下さい。おやすみ、モレ。家に帰ったらすぐに馬車をここに戻してくれないか?明日の朝の記事のことでザ・ライジング・タイドのオフィスにメモを送らなきゃいけないんだ。忘れないで―できるだけ早くして欲しい。へとへとに疲れてるんだ。」
「おやすみ」モレは言った。「君は人生最高のスピーチをしてくれました。君が先頭に立ってくれるのなら、何ものも僕らを止めることはできません。」
彼は馬車に乗り込んで立ち去った。サヴローラとルシールは階段を上って居間に行き、家政婦はシーツと枕カバーを用意するためにせわしく立ち去った。興味と好奇心を抱いてルシールは部屋を見回した。「今私は敵陣の真ん中(*heart)にいるのですね」と彼女は言った。
「あなたは生涯多くの人の心(*heart)の中にいることでしょう」とサヴローラは言った「あなたが女王であり続けるかどうかに関らず。」
「あなたはまだ私たちを追い出す決意をしているのですか?」
「今夜私が言ったことを聞いたでしょう。」
「私はあなたを憎むべきなのでしょう」ルシールは言った/「しかし敵同士だとは感じていません。」
「私たちは反対側の陣営にいるのです」と彼は答えた。
「私たちの間に入ってくるのは政治だけです。」
「政治と人々」彼は使い古されたフレーズを意味ありげにつけ加えた。
彼女はびっくりして彼をちらりと見た。どういう意味だろう?彼女自身が勇気を持って覗き込んだよりも深く、彼は彼女の心を読んでいたのだろうか?「そのドアはどこに通じているのです?」関係のないことを尋ねた。
「それですか?屋根に―私の天文台に通じています。」
「本当!見せて下さいませんか」大きな声が出た。「星を見られるのですか?」
「よく見ています。好きなのです/それはヒントとアイディアに満ちています。」
彼はドアの鍵を開け、狭い曲がりくねった階段を上ってプラットフォームに向かった。いつものような心地よいローラニアの夜だった。ルシールは手摺へと歩いた。そして見渡した/足下には町のすべての灯りが、頭上には星が瞬いていた。
突然、はるか遠くの港から幅の広い白い光線が放たれた/軍艦のサーチライトだった。それはしばらく軍の突堤の上を進み、水路の入り口の砲台の上で停まった。艦隊は港を出て、困難な航路をゆっくりと進もうとしていたのだった。
サヴローラは提督の出発が近づいていることを知り、その意味をたちまち理解した。「これは」彼は言った「事態を早めることになるかもしれない。」
「船がいなくなったら、もう立ち上がることを恐れないというのですか?」
「恐れません/しかしふさわしい時を待った方が良いでしょう。」
「そして、その時は?」
「おそらく差し迫っています。あなたには首都を離れていただきたいのです。数日後には女性の居場所はなくなります。あなたのご主人はそれをご存じです/なぜ彼はあなたを地方に送り出さなかったのですか?」
「なぜなら」彼女は答えた「私たちはこの反乱を鎮圧し、それを引き起こした人々を処罰するからです。」
「幻想を抱いてはいけません」サヴローラは言った。「私の計算は間違っていません。軍隊は信頼できません/艦隊は行ってしまいました/人々は決意を固めています。あなたがここにいることは安全ではありません。」
「追い出されるつもりはありません」彼女は憤然と答えた/「私は決して逃げたりしません。夫と一緒に死にます。」
「いえ、私たちが考えているのはずっとありきたりのことです」彼は言った。「私たちは大統領にとても気前良く年金を支払います。そして彼は美しい妻と一緒にどこか陽気で平和な都市へと引退し、そこで他人の自由を奪うことなく人生を楽しむことができるのです。」
「ご自分が何でもできると思っているのですか?」彼女は叫んだ。「あなたの力は大衆を蜂起させることができます/しかし引き止めることはできるのですか?」そしてその夜群衆の中で聞いた言葉を言った。「あなたは強大な力を弄んでいるのではありませんか?」
「いいえ、そうではありません」彼は言った/「だからこそ、事態がどちらかに落ち着くまでの数日間、地方に行くようお願いするのです。私かあなたのご主人のどちらかが倒れるかもしれません。もちろん私たちが勝った場合、私は彼を助けるつもりです/しかし、あなたが仰ったように制御できないかもしれない別の力もあります/そして彼が勝った場合―」
「ええ?」
「私は射殺されるでしょう。」
「恐ろしいことを!」彼女は言った。「なぜそれでも続けるのです?」
「ええ、掛け金が上がってきた今このとき、私にもゲームの面白さが分かりかけてきたからです。それに死はそれほど恐ろしいものではありません。」
「これからそうなるかもしれません。」
「そうは思いません。人生は、続けるためには、幸福のバランスが取れていなければなりません。私が確信していること/未来について言えることはこれだけです―『あるなら、それに越したことはない。』」
「ご自分のこの世界についての知識を他のすべてのものに当てはめるのですね。」
「いけないことでしょうか?」彼は言った。「なぜ同じ法則が宇宙全体で、そして可能ならばそれを超えて有効であってはいけないのでしょう?他の太陽(*恒星)が私たちの太陽と同じ元素を含んでいることは光のスペクトルから分かっています。」
「あなたは星を信じておられるのですね」彼女は疑わしそうに言った「そして、認められないでしょうけれど、星がすべてを教えてくれると思っておられるのです。」
「星が私たちに興味を持っていると思ったことはありません/しかし、もし持っていたなら不思議な話をしてくれるかもしれません。たとえば私たちの心を読むことができるとしたら?」
彼女がちらっと見上げると彼と目が合った。お互いを見つめ合った。彼女ははっと息を飲んだ/星が何を知っていようとも、彼らはお互いの秘密を読み合っていたのだった。
誰かが階段を駆け上がる音がした。家政婦だった。
「馬車が戻って来たようです」サヴローラは静かな声で言った。「宮殿に戻れます。」
老婦人が登りに息を切らしながら屋根に足を踏み入れた。「シーツの準備ができました。」その声ははしゃいでいた。「火は赤々と燃えています。お嬢様にはスープの用意ができています、召し上がるなら冷めないうちにいらっしゃって下さい。」
割り込んできたのがとても平和なことだったのでルシールとサヴローラは笑った。気まずい瞬間からの幸せな脱出だった。「あなたはいつもどうにかして、ベティン」彼は言った「みんなを快適にしようとしてくれますね/でも寝室は要らなくなってしまいました。僕の姪は自分がいないことで母親が不安にならないかと心配しているのです、馬車が戻ってきたらすぐに彼女を送り返すことにします。」
かわいそうな老人はひどくがっかりしたようだった/暖かいシーツ、心地よい暖炉、温かいスープは、彼女が他人のために用意するのが大好きな快適さだった。いわば代理人を立ててそれらを楽しんでいたのである。彼女は背を向けて狭い階段を悲しげに降り、そして彼らは再び後に残された。
そこで二人は座って話をしたが、それまでと違って、お互いの共感がよく分かるようになっていた。その間、月は空高く昇り、そよ風が足下の庭のヤシの木の葉をかき回していた。二人はあまり先のことを考えることもなく、戻ってくる御者の遅れを責めることもなかった。
とうとう通りの石畳の車輪の音が夜の静けさと二人の会話を破った。
「それでは」サヴローラは気負いもなく言った。ルシールは立ち上がり、手摺から見下ろした。馬車がほとんど全速力で近づいていた。それはドアの前で急に止まり、男が急いで飛び出した。ドアベルが大きな音で鳴った。
サヴローラは彼女の両手を取った。「お別れしなければなりません」彼は言った/「またいつか会えますか―ルシール?」
彼女は答えず、月明かりはその表情を明らかにしなかった。サヴローラが先に階段を下りた。居間に入ると男が反対のドアを慌ただしく開け、サヴローラを見るとぴたりと足を止め、丁重に帽子を取った。モレの使用人だった。
サヴローラは大変な冷静さで背後のドアを閉め、ルシールを階段の暗闇の中に残した。彼女は驚いて待っていた/薄いドアだった「私の主人が、サー」客の声は言った「これを全速力で持って行って、あなたに直接手渡すように、と申しました。」そして紙を裂く音、小休止、感嘆が続き、サヴローラは落ち着いた、抑えられた激情を隠せない、落ち着いた声で答えた:「どうもありがとう/僕はここで待っていると言って下さい。馬車に乗って行かないで/歩いて帰って下さい―ちょっと待って、僕が外まで送ります。」
彼女はもう一方のドアが開いて、彼らの足音が階段を降りて行くのを聞いた/そして彼女は取っ手を回して部屋に入った。何かが起こった、何か突然の、予期しない、重大なことが。彼の声―不思議なことに彼女はそれをよく分かるようになり始めていた!―がそう告げていた。封筒が床に落ちていた。テーブル―タバコの箱とリボルバーが並んでいるテーブル―の上には手紙があった。まるで必死で秘密を守ろうとしているかのように半ば巻き上がっていた。
微妙で、多様で、複雑なのが人間の行動の源泉である。彼女は紙の方から自分に触れてきたように感じた/それが彼の利害に関係していることは分かっていた。二人の利益は相反していた/それでも彼女が野生の好奇心に駆り立てられたのは彼のためなのか彼女自身のためなのか分からなかった。手紙の折り目を伸ばした。それは急いで手短に書かれたものだったが要を得ていた:受け取ったばかりの暗号電文によれば、ストレリッツが今朝二千人の兵士と国境を越え、トゥルガとロレンツォ経由でこちらへ行軍中、とのこと。時が来ました。ゴドイとレノスにも伝えました。すぐに連れて行きます。どこまでも君と一緒のモレより。
ルシールは心臓が脈打つのを感じた/もう小銃の射撃音を想像していた。その時が来たというのは本当だった。運命的な手紙に魂を奪われ/彼女はそれから目を離すことができなかった。突然ドアが開いてサヴローラが入ってきた。物音、動揺、そして何より見つかった、という意識が彼女から低い、短い、びくっとした悲鳴を絞り出した。彼はすぐに状況を把握して「青ひげ(*フランスの民話:夫の留守中に妻は入ってはいけない部屋に入り、見てはいけないものを見てしまう)」と皮肉っぽく言った。
「反逆罪」猛烈な怒りの中に逃げ込んで彼女は反論した。「そう、あなたたちは夜中に蜂起して私たちを殺そうというのね―共謀者!」
サヴローラは物柔らかに微笑んだ/その落ち着きはまたしても完璧だった。「伝令は歩いて帰らせました、馬車をお使いになれます。ずいぶん長くお話しました/もう三時です/閣下はこれ以上宮殿へのお帰りを遅らせるべきではありません。それは大変軽率なことです/それに、ご存知のとおり来客を待っているのです。」
その落ち着きは彼女を激怒させた。「はい」と返答した/「大統領はあなたにええと―警察を送ります。」
「彼はまだ侵入のことを知らないでしょう。」
「私が話します。」と彼女は答えた。
サヴローラはそっと笑った。「おやおや」と言った「それはフェアではないでしょう。」
「すべてはフェアです、愛と戦争においては。」
「ではこれは―」
「両方」と彼女は言った。そして泣き崩れた。
そして二人は階段を下りた。サヴローラは彼女が馬車に乗るのを手伝った。「おやすみなさい」と彼は言ったが、もう朝だった「そしてさようなら。」
しかしルシールは何を言い、何を考え、何をするべきかが分からず、慰めようもないほどに泣きじゃくっていた。そして馬車は走り去った。サヴローラはドアを閉めて自分の部屋に戻った。自分の秘密が危険にさらされているとは全く思っていなかった。
第XII章 戦争評議会
サヴローラがほとんどタバコを吸う暇もなく革命派のリーダーたちが到着し始めた。モレが最初だった/彼は乱暴にベルを鳴らし、返事があるまで玄関先を踏み鳴らし、階段を二段飛ばしで二階へと駆け上がり、興奮に震えながら部屋に勢いよく飛び込んできた。「うおお」彼は叫んだ「時は来た―言葉ではなく、今や行動の時だ。正義のために僕らは剣を抜く/僕は鞘を投げ捨てる/幸運は僕らの味方だ。」
「よし」サヴローラは言った/「ウイスキーとソーダ水を飲もう―そこのサイドボードにある。剣を抜くには良い飲み物だ―実に最高だよ。」
モレは少し照れて向きを変え、テーブルに向かって歩いてソーダ水の瓶を開けた。ウイスキーを注ぐとき、グラスと瓶がカチンと音を立てたことで彼の動揺が露呈した。サヴローラは柔らかに笑った。衝動的な彼の追随者は素早く振り返って、新たな感情の噴出で動揺を隠そうとした。「ずっと言ってただろう」彼はグラスを高く掲げて言った「唯一の解決策は力だって。それがやって来たんだ、予想通りだ。僕はそれに乾杯する―戦争、内戦、戦い、殺人、そして突然の死―これが自由を取り戻す手段なのさ!」
「このタバコにはすばらしい鎮静効果がある。アヘンは入っていない―ソフトで新鮮なエジプト製だ。毎週カイロから取り寄せているのだ。三年前にそこで会った小柄な老人が作っている―アブドラ・ラチュアンという人だ。」
彼は箱を差し出した。モレは一本取って/それに火をつける仕事が彼を落ち着かせ/彼は座って猛烈に吸い始めた。サヴローラは夢を見るような穏やかさで彼を見て、彼の周りを取り巻いて立ち昇る煙を時々見ていた。やがて彼は話した。「それで君は戦争があって人が殺されることをうれしく思うのかね?」
「この専制政治が終わることを嬉しく思うね。」
「僕らはこの世界で僕らが持っている、すべての喜びとすべての勝利を賭けなければならないことを忘れないでくれ。」
「僕はチャンスを逃したりはしない。」
「僕は信じる、確信を持って言えたら嬉しいのだが、僕は祈る、君に災いがないことを。しかしそれでも僕らが賭け金を払わなければならないことは事実であり、そして人生のすべての良いことのために人は前払いするのだ。そこには確かな財務の法則がある。」
「何が言いたいの?」モレは尋ねた。
「君は一体出世したいのか?では他人が遊んでいる間、働かなければならない。君は勇敢だという評判が欲しいのか?では自分の命を危険にさらさなければならない。君は精神的または肉体的に強くありたいのか?では誘惑に抵抗しなければならない。これらはすべて前払いなのだ/そして未来の財務なのだ。逆の事態を考えてみよう/後で悪いことが返ってくる。」
「いつもじゃない。」
「いや、いつもだ。土曜の夜に羽目を外したら日曜の朝に頭痛がするように。若い時に怠けていたら年を取ってから貧乏になるように。食いしん坊の食欲が見苦しい太鼓腹を作るように。」
「では、君は僕がこの興奮と熱意に対して支払いをしなければならないと言うのか?僕がこれまでに何も支払っていないと思ってるのか?」
「君は危険を冒さなければならないだろう、それが掛け金だ。運命はしばしば二倍を払い戻すか、全く払い戻しをしない。しかし人はこうした危険に軽率に乗り出すべきではない/紳士は常に清算の日を考えておくものだ。」
モレは黙った。勇敢で衝動的な人物だったが、会話が彼を冷静にした。彼の勇気はストイックなものではなかった/崩壊のショックをしっかりと見つめるように自分自身を鍛えていなかった。彼はこの世の戦いと希望について、絶壁の先端に輝いている草花に心を駆り立てられ、それを見つめる人物のような考えしか持っていなかったのである。
ゴドイとレノスが同時に到着するまで二人はしばらく黙っていた。
四人の人物は彼らにとって非常に重大なニュースをそれぞれ、その性質に応じて受け止めていた。サヴローラは自分の哲学の鎧を身に纏って遠い距離から世界を見つめていた。モレは興奮に身悶えしていた。あとの二人は危険が間近にあり、接近していることに対して沈着でもなく、意気が上がってもいなかった。彼らが動乱の時の人物ではないことは明らかだった。
サヴローラは彼らに親しく挨拶し、全員が座った。レノスは打ちひしがれていた。行動の重いハンマーが落ちてきて、彼が常に信頼してきた判例と専門用語のデリケートな構造体をペチャンコにしてしまったのだった。危機が到来した今、彼の大盾と円盾である法律は最初に投げ捨てられた。「なぜ彼はこんなことをしたのですか?」彼は尋ねた。「どういう権限があって彼は来たのですか?彼は私たち全員を巻き込んだのです。私たちに何ができるでしょうか?」
ゴドイもショックを受けて怯えていた。彼は危険を恐れ、危険に縮み上がりながらも、敢えてそれに向かって行く進路に乗り出す人々の中の一人だった。彼は長い間反乱の時を予見していたが、進み続けてきた。それは今、彼の身に降りかかろうとしていた。彼は身震いしていたが/それでもどうにか威厳を保とうとしていた。
「どうすべきだろうか、サヴローラ?」彼は本能的により大きな魂とより強い心を振り向いて尋ねた。
「ええ」とリーダーは言った「彼らは私が命令するまで来るべきではありませんでした/レノスが言った通りです。私たちの計画がいくつかの点でまだ不完全であるにもかかわらず、彼らは私たちを巻き込んだのです。ストレリッツは真っ向から私に背きました/彼とは後で話をつけます。差し当たり、非難の応酬は無益です/私たちは事態に対処しなければなりません。朝には大統領が侵攻を知ることになるでしょう/この街にいる部隊の一部に、戦場に行って政府軍を増援せよ、という命令が出ると私は考えています。多分親衛隊が派遣されることになるでしょう。他の部隊は行軍を拒否すると思います/彼らは完全にこちらの主張に共感しています。もしそうであれば、私たちはかねてから準備していた通りに事を始めなければなりません。モレ、君は人々に武装を呼びかけるのです。宣言書を印刷し、ライフルを配り、革命を宣言しなければなりません。代議員全員に知らせなければなりません。兵士たちが友好的ならすべてはうまくいくでしょうが/そうでなければ、君たちは戦わなければなりません―強い抵抗があるとは私は思いません―宮殿を襲撃し、モララを捕虜にするのです。」
「そうこなくっちゃ」とモレは言った。
「その間に」とサヴローラは続けた「私たちは市長公邸で臨時政府を宣言します。それから私は君に命令を送ります/君は私に報告を送らなければなりません。これらはすべて明後日のことです。」
ゴドイはぶるぶる震えたが、同意した。「はい」と彼は言った/「それが唯一の道筋でしょう、逃亡と破滅以外の。」
「結構です/では詳細に入ります。まずは宣言です。今夜私がそれを書きます。モレ、君はそれを印刷するのです/明朝六時に君に渡します。それから僕らが工夫した、人々を集めて武装させる手筈の準備をして下さい/僕が君に書面で命令するまで、彼らに行動させるのは待って下さい。レノス、あなたは臨時政府のメンバーに会わなければなりません。公安評議会の規約のビラを印刷して下さい、そして明日夜にそれを回覧する準備をして下さい/しかし、もう一度私が言うまでは待っていて下さい。多くが軍隊の態度にかかっているのです/しかしすべては本当によく準備できています。私たちは結果を恐れる必要はないと思います。」
陰謀の複雑な詳細を、陰謀というのはそういうものだが、反乱のリーダーたちはよく知っていた。数ヶ月の間、彼らは自分たちが嫌悪する政府を終わらせることができる唯一の手段は武力であると見ていた。サヴローラはあらゆる予防策を講じることなく、そのような企てに取り組む人物ではなかった。手抜かりはなかった/あとは革命のマシンを発動するだけだった。陰謀は精巧なもので規模が大きかったにもかかわらず、大統領と警察は確かなことを何も知らなかった。彼らは蜂起が差し迫っていることを恐れていた/危険には数ヶ月前から気が付いていた。しかし、どの段階で政治的宣伝が終わり、公然たる扇動が始まったかを知ることは不可能だった。高い社会的地位とヨーロッパ中のほとんどの主要リーダーの世評ゆえに、確かな証拠なしに彼らを逮捕するのは極度に困難なことだった。大統領は行政側が何らかの力を行使することで拍車をかけない限り人々は蜂起しないと信じており、彼らを刺激することを恐れていた。そうでなければ既に国立刑務所の独房はサヴローラ、モレ、その他の人々でいっぱいだったことだろう/実際、彼らの命は救われたのだから、もっと感謝してもよかったはずである。
しかしサヴローラは自分の立場を理解し、完璧な戦術と技量で自分のゲームをプレイしていた。彼の政治的宣伝で行なわれた大規模なパレードは大統領がその下の計画的暴力の陰謀を見抜くことを妨げていた。ようやく準備は完了に近づいていた。あとは日にちだけの問題だった/ストレリッツの衝動的な行動は情勢を促進しただけだった。大きな花火の一角が尚早に点火されてしまった/効果が台無しにならないよう、残りにも点火する必要があった。
彼は間違いがないことを確認するため、一時間近く計画の詳細の点検を続けた。ついにすべてが終わり、公安評議会の初期メンバーは出て行った。サヴローラは年老いた保母を起こさないよう、彼らを自分で送って行った。かわいそうに、どうして彼女が野心的な男たちの闘争に振り回されなければならないのだろうか?
モレは熱意に満ちて立ち去った/他の二人は憂鬱で上の空だった。彼らの偉大なリーダーはドアを閉め、その夜もう一度自分の部屋への階段を上った。
部屋に入ると、朝の最初の光が窓のカーテンの分け目から入ってきた。灰色の光の中に半分空のグラスと満タンの灰皿のある部屋は、もはや若くはない女性のように見え、けばけばしい色どりの無情な夜明けと、前夜の虚飾に彼は驚いた。寝るには遅すぎた/それでも彼は疲れていた。眠気を通り越したときの、あの乾いた倦怠感を感じていた。苛立ちと憂鬱に襲われていた。人生が物足りなく感じられた/何かが欠けていた。野心、義務、興奮、あるいは名声という拠り所を差し引いたとき、後に残るのは吸収しきれない純粋な空虚だけだった。すべては何のためなのだろう?彼は静かな通りについて考えた/あと数時間で銃声がそこにこだますることだろう。哀れな怪我人が血を流して家に運び込まれ、怯えた女性が恐怖に駆られて容赦なくそのドアを閉めるだろう。他の人々は揺るぎない地上の具象から公式化されていない未知の抽象へと、人間の理解の外へとはじき飛ばされ、敷石の上にぐったりと恨みがましく横たわるだろう。一体、何のために?彼はその問いの答えを見つけることができなかった。彼自身の行動に対する彼の弁明は、人類の存在に対する自然のはるかに大きな弁明の中に溶け込んでいた。そう、彼は殺されるかもしれない/そしてそれに思い至ったとき、不思議な好奇心とその恐らく大いなる啓示ゆえに、その突然の変化が楽しみになった。内省は人間の野心の浅薄さに対する彼の不満を和らげた。生命の音色がずれているとき、人は死の音叉でそれを修正しなければならない。そのはっきりした脅威の音色が聞こえたとき、人間の心の中で生命への愛が最も明敏になるのである。
現実の難しい問題はすべての人物をそうした気分と内省から地上へと呼び戻す。彼は自分が書かなければならない宣言文を思い出し、立ち上がって生者の仕事のおびただしい詳細へと突入し、そうして人生の不毛さを忘れた。彼は座って書いた。その間に、夜明けの淡いきらめきは日の出の透き通った光へ、そして日中の暖かな色合いへと輝きを増して行った。
第XIII章 大統領の行動
大統領官邸のプライベートな朝食ルームは小さいながらも天井の高い部屋だった。壁にはタペストリーが掛かっていた/ドアの上には精巧な図柄で古代の武器と歴史が描かれていた。大きなフランス窓が壁に深く設置され、重い深紅のカーテンが朝の明るい光を和らげていた。宮殿の他の部分と同様、それは公式の側面を帯びていた。窓は石造りのテラスに面していて、そこを通り抜ける人々は宮殿の重々しい壮麗さが庭の美しい混乱に変わることに安堵を覚えたものだった。そこでは木々の枝と細い棕櫚の葉の間に、港のきらめく水が目に入るのである。
二人掛けのテーブルは適度に小さく、よく整えられていた。ローラニア共和国は長い間、最高行政官に気前よく給料を支払うことを信条としており、そのため大統領は優雅で贅沢なスタイルで生活し、良質の銀器、切り花、優れたコックの魅力を楽しむことができるのだった。しかし先述したばかりの出来事の翌朝の朝食でモララが妻に会ったとき、その眉は曇っていた。
「悪い知らせ―またうんざりするような知らせです」と彼は言って、座ってテーブルに一握りの書類を置き、使用人に部屋を出るよう合図した。
ルシールは強い安堵感を味わった。結局のところ自分の秘密を彼に話す必要はないのだろう。「始まった(*startした)のですか?」軽率にも彼女は尋ねた。(*ストレリッツの侵入の事だと勘違いしている)
「はい、昨夜ですが/彼を止めることは可能です。」
「それは良かったです!」
モララは驚いて彼女を見た。
「どういう意味ですか?提督と艦隊が私の命令を実行できなくなったことがなぜうれしいのです?」
「艦隊!」
「いやはや!どういう意味だと思ったのですか?」彼は急き込んで尋ねた。
逃げ道が思い浮かんだ。彼女は彼の質問を無視した。「艦隊が行ってしまわないのはうれしいことです。それが必要だと思います。だって今は都市が非常に不安定ですから。」
「ああ」と大統領は短く言った―疑わしそうに、と彼女は思った。自分の退却を援護するために彼女は質問した。「なぜ彼らを止めるのです?」
モララは紙束の中から報道頼信紙を引き出した。
「サイード港(*スエズ運河の北端)、9月9日午前6時」と彼は読み上げた/「英国の石炭蒸気船モード、1,400トンが今朝運河に座礁し、その結果交通が遮断された。航路を開くためのあらゆる努力が払われている。事故の原因は昨夜通過したHBMSアグレッサーの極端な喫水によって引き起こされた水路の沈泥と考えられている。」そして付け加えた:「これがやつらのやり方だ、英国の豚の。」
「わざとやったことなのでしょうか?」
「もちろん。」
「しかし、艦隊はまだそこにはいません。」
「明日の夜にはいるでしょう。」
「しかし、なぜ彼らは今運河をブロックする必要があるのです―なぜ待ってはいけないのでしょう?」
「独特のcoups de theatre(*劇的な変化)への嫌悪感のためだと私は思います。フランス人なら私たちが運河の入り口に着くまで待ってから、私たちの目の前できちんとドアを閉めたことでしょう。しかし英国の外交は見た目の効果を目指していません/さらに、この方がより自然に見えます。」
「なんていまいましい!」
「そして聞いて下さい」大統領は強烈な苛立ちに身を委ね、紙束から別の紙を引っ掴んで読み始めた。「大使より」彼は言った/「女王陛下の政府は紅海の南にある諸々の英国の石炭基地の指揮官に、ローラニア艦隊にあらゆる支援を提供し、地元の市場価格で石炭を供給するように指示いたしました。」
「侮辱ですわ」と彼女は言った。
「ネズミで遊ぶ猫です」彼は苦々しく答えた。
「どうするおつもりですか?」
「どうする?不機嫌になって、抗議しますが―諦めるしかありません。他に何ができるでしょう?彼らの船は現場にあり/私たちの船は遮断されているのです。」
会話は途切れた。モララは紙束を読み、朝食を続けた。ルシールの決意が戻ってきた。彼女は彼に言う/しかし条件がある。どんな犠牲を払ってでもサヴローラを守らなければならない。「アントニオ」彼女はびくびくしながら言った。
ひどく機嫌が悪かった大統領はしばらく読み続けた。そして突然顔を上げた。「はい?」
「あなたに言わなければならないことがあります。」
「はい、なんでしょう?」
「大きな危険が私たちを脅かしています。」
「知っています」彼は素っ気なく言った/
「サヴローラ―――」彼女はあやふやで決心がつかず口ごもった。
「彼がなにか?」モララは突然興味を持って言った。
「もし彼が陰謀や革命の計画を立てていることが分かったら、あなたはどうなさいますか?」
「私は世界中で一番喜んで彼を銃殺するでしょう。」
「なんてことを、裁判もなしに?」
「とんでもない、戒厳令下で裁判があって彼は出廷を求められます。彼がどうかしましたか?」
悪しき瞬間だった。彼女は別の逃げ道を探した。
「彼は―彼は昨夜スピーチをしました」と彼女は言った。
「しましたね」大統領はいら立ちながら答えた。
「ええと、それは非常に扇動的なものだったに違いないと思います。だって、通りで一晩中群衆の歓声が聞こえていましたから。」
モララは深い嫌悪感とともに彼女を見た。「私の愛する人、あなたは今朝どうかしていますよ」と彼は言って紙束に戻った。
その後の長い沈黙は、ミゲルが開封された電報を持って急いで入ってきたことによって破られた。彼はまっすぐに大統領のところへ歩いて行って、無言でそれを手渡した/しかし彼が焦燥、興奮、あるいは恐怖に震えていることがルシールには分かった。
モララは折りたたまれた紙を悠然と開き、テーブルの上で折り目を伸ばし、そして読むなり椅子から飛び上がった。「なんてことだ!これはいつ来たのかね?」
「たった今です。」
「艦隊」と彼は叫んだ「艦隊、ミゲル―、一瞬も遅れてはならない!提督を呼び戻せ!彼らをすぐに帰って来させなければならない。私が自分で電報を書く。」彼は手にクシャクシャのメッセージを握って部屋から飛び出し、ミゲルがすぐ後に続いた。ドアには使用人が控えていた。「ソレント大佐に使いを出せ―すぐにここに来るようにと。行け!去れ!走れ!」男が厳かな緩慢さで出発したとき、彼は叫んだ。
ルシールは彼らが廊下をバタバタと走って行って遠くのドアを叩きつけるのを聞いた/そして、すべてが再び静かになった。電報の中身を彼女は知っていた。突然の悲劇が彼ら全員を襲い/その悲劇のクライマックスはほぼ間違いなく彼女を襲うはずだった/しかし彼女は自分が夫に話すつもりだったことを嬉しく思い―そして結局話さなかったことをさらに嬉しく思った。その秘密の安全に関するサヴローラの自信には十分な根拠があったことに皮肉屋は気づいたかもしれない。
彼女は居間に戻った。近い将来の不確かさが彼女を怯えさせた。反乱が成功した場合、彼女と夫は命からがら逃亡しなければならないだろう/それが阻止された場合、結果はより恐ろしいものだった。一つのことがはっきりしていた。大統領はすぐに彼女を首都から安全な場所へと送るだろう。どこへ?これらすべての疑念と相反する感情の中で、優位にあったのは一つの願いだった―サヴローラにもう一度会って、彼に別れを告げ、彼女は彼を裏切らなかった、と言うこと。それは不可能だった。数多くの不安に苛まれ、恐れていた展開を待ち構えながら、彼女はあてもなく部屋をあちらこちらと歩き回っていた。
その間に大統領と秘書はプライベート・オフィスに到着していた。ミゲルはドアを閉めた。二人はお互いを見つめ合った。
「ついに来た」モララは大きく息を吐いて言った。
「不運なことに」と秘書は答えた。
「勝つぞ、ミゲル。私の星、私の運を信じて―私はこれをやり遂げる。やつらを粉砕するのだ/しかしやるべきことが沢山ある。今この電報をサイード港の我々のエージェントに打たなければならない/暗号で送ること、回線をクリア(*電信のオペレーターへの指示)/高速の通報艦を一隻チャーターして8日深夜にサイード港に向かったメロ提督に直接会うべし。ストップ。急いでここに戻ってくるよう私の名前で命令せよ。ストップ。費用を惜しむな。では打ってくれ。運が良ければ船は明日の夜ここに戻ってくるだろう。」
ミゲルは腰を下ろしてメッセージを暗号化し始めた。大統領は興奮して部屋を歩き回った。そして彼はベルを鳴らし/使用人が入って来た。
「ソレント大佐はもう来たのかね?」
「まだです、閣下。」
「使いを出して彼にすぐに来るように言うのだ。」
「もう出しています、閣下。」
「もう一度出せ。」
男は立ち去った。
モララはもう一度ベルを鳴らした。ドアに使用人が現れた。
「馬に乗った伝令はいるかね?」
「はい、閣下。」
「終わったかね、ミゲル?」
「このとおり」秘書は立ち上がって、驚いている従者にメッセージを渡した―「急いで。」
「行け」と大統領は平手でテーブルを叩いて叫び、男は部屋から退散した。疾走する馬の音がモララの焦りを幾分和らげた。
「やつは昨夜九時に国境を越えたのだ、ミゲル/夜明けにはトゥルガに着いたはずだ。そこには小さな駐屯地があるが、前進を遅らせるには十分だ。なぜ連絡がないのだろうか?この電報はパリから来たものだ。外務長官から。私たちは聞いていなければならなかったはずだ―誰が駐屯地を指揮しているのかね?」
「存じません、閣下。大佐がすぐにここへ来るでしょう/しかし、音信不通は危険です。」
大統領は歯を食いしばった。「軍隊は信頼できない/彼らは皆不満を持っている。ひどいゲームだ/しかし私は勝つ、私は勝つ!」彼は自分自身に対して、確信というよりは、エネルギーを込めて何度かその文言を繰り返した、まるで自分の心を強化しようとしているようだった。
ドアが開いた。「ソレント大佐がお着きです。」案内係が告げた。
「見て下さい、親父さん」モララは親しげに語りかけた―部下よりも友人が欲しいと感じていたのである―「ストレリッツが侵入してきたのです。やつは昨夜二千人と数丁のマキシム機関銃とともに国境を越えました。トゥルガとロレンツォを行軍してここへ来ようとしているのです。トゥルガの司令官が何も言ってこないのですが/誰ですか?」
ソレントは自分で責任を取ること以外は何物をも恐れない、珍しくはないタイプの軍人の一人だった。戦場と政府で彼は長年大統領に仕えてきた。ニュースが届いたときに一人だったら、彼は雷に撃たれたようになっていただろう/しかし今は軍人の正確さを守って付き従うべきリーダーがいた。驚いた様子も見せずに、少し考えてから彼は返答した/「デ・ロック少佐です。四個中隊を率いています―良い将校です―信頼されて結構です、サー。」
「しかし軍隊は?」
「それはまったく別の問題です。私が何度かお知らせしたように、サー、軍全体が揺れ動いています。信頼できるのは親衛隊、そしてもちろん将校だけです。」
「まあ、見てみよう」大統領は力強く言った。「ミゲル、地図を取ってくれ。この地方のことはご存じですね、ソレント。トゥルガとロレンツォの間のブラック・ゴルジュを守らなければなりません。ここです」彼は秘書が広げた地図を指さした「ここでやつらを止めるか、何としても時間を稼がねばなりません。艦隊が戻ってくるまでは。ロレンツォの戦力は?」
「一個大隊と機関銃二丁です」戦争長官は答えた。
大統領は部屋の中をぐるぐると歩き回った。すぐに決断することには慣れていた。「一個旅団なら間違いないだろう」と彼は言った。そして反対側を向いた。「親衛隊の二個大隊を直ちに汽車でロレンツォに行かせるように。」ソレントは手帳を取り出して書き始めた。「二個野戦砲兵隊」と大統領は言った「どの二隊が良いでしょう、大佐?」
「第一と第二がいいでしょう」とソレントは答えた。
「そして親衛隊の槍騎兵隊。」
「すべて?」
「はい、すべてです、伝令部隊を除いて。」
「では閣下には信頼できる一個大隊しか残りません。」
「わかっています」と大統領は言った。「大胆なコースですが、唯一のコースです。では市内の連隊はどうですか?一番まずいのはどれでしょう?」
「第三、第五、第十一が最も不安です。」
「よろしい/彼らを去らせよう。彼らを今日ロレンツォまで行軍させ、支援旅団として街から十マイル離れたところに留まらせるのです。では、誰に指揮させましょうか?」
「ロロが上級です、サー」
「愚か者、化石、そして時代遅れだ」大統領は叫んだ。
「愚かですが堅実です」とソレントは言った。「彼は華々しいことを何もしようとしない、という計算ができます/彼は言われたことをするだけで、それ以上は何もしません。」
モララはこの途方もない軍事的美徳を再考した。「よろしい/彼に支援旅団を与えましょう/彼らが戦うことはないでしょう。しかし他の仕事においては/また違います。ブリエンツには戦ってもらわなければならないでしょう。」
「ドロガンではいけないのでしょうか?」戦争長官は提案した。
「彼の妻に我慢がならないのだ」と大統領は言った。
「彼は優れた音楽家です、サー」とミゲルが口を挟んだ。
「ギター―とてもメロディアス。」彼は惚れ惚れと首を振った。
「それにすばらしい料理人も持っています」ソレントは付け加えた。
「いいえ」モララは言った/「これは生きるか死ぬかの問題です。私やあなた方の偏見に溺れるわけにはいきません/彼は良い人物ではありません。」
「良いスタッフがきちんと彼を動かしてくれることでしょう、サー。彼はとても穏やかでよく言うことを聞きます。そして私の親友です/大勢のおいしいディナー―」
「いえ、大佐、それは良くありません/私にはできません。非常に多くのものが賭けられているのです。私の名声、私の人生の形勢、実際に生命そのものが危険にさらされているときに、私や他の誰かがそのような理由で重要な命令を出すことができるでしょうか。もしその資格が互角だったなら、私はあなたの願いを聞き入れたことでしょう/ブリエンツはより良い人物なので、それを与えられるべきです。さらに」とつけ加えた「彼の妻は不愉快ではない。」ソレントはひどくがっかりしたように見えたが、もう何も言わなかった。「では、すべて決まりました。細部はすべてあなたに任せます。スタッフ、その他すべてをあなたが任命してよいことにします/しかし軍隊は正午までに出発しなければなりません。私が駅で彼らに話をします。」
戦争長官は大統領が与えた下位の任命権に慰められ、お辞儀をして退出した。
モララは訝しそうに秘書を見た。「何か他にやるべきことがあるだろうか?市内の革命家はまだ誰も動いていない、違うかね?」
「何の兆候も見せていません、サー/彼らを罪に問えるようなものは何もありません。」
「これは彼らを驚かせたのかもしれない/彼らの計画は準備ができていない。最初の表立った暴力または扇動で、私は彼らを逮捕する。しかし私は自分の満足のためではなく、国のために証拠を掴まなければならない。」
「これは決定的瞬間です」と秘書は言った。「扇動のリーダーたちの信用を失墜させることができれば、彼らをばかげているか、言行不一致のように見せることができれば、それは世論に大きな影響を与えるでしょう。」
「私は思っていた」モララは言った「我々は彼らの計画について知りたいと思うようになるかもしれないと。」
「夫人閣下がセニョール・サヴローラにこれに関する情報を求めることに同意された、と仰ったことがありましたね?」
「私は彼らの間のいかなる親密さをも嫌悪する/それは危険かもしれない。」
「それは彼にとって最も危険なものになるかもしれません。」
「どのように?」
「私がすでに申し上げたようにです、将軍。」
「あなたに提案することを禁じたあの方法のことを言っているのかね、サー?」
「もちろん。」
「そしてこれがその瞬間なのか?」
「今しかありません。」
沈黙があった。その後、彼らは朝の仕事を再開した。一時間半の間、二人は忙しく働いた。それからモララは言った。「やっぱりそれはやりたくない/汚い仕事だ。」
「必要なことは必要なのです」秘書は説教口調で言った。大統領が返事をしようとしたとき、解読された電報を持って事務官が部屋に入って来た。ミゲルはそれを受け取って読んだ。そしてそれを上司に渡して悲し気に言った:「おそらくこれで決心されるでしょう。」
大統領はメッセージを読んだ。そして読み進むにつれて硬く、冷酷な表情になった。それはトゥルガの警察物資配給所からのもので、簡潔でありながら恐るべきものだった/兵士たちは最初に将校を撃ってから侵略者に寝返ったのである。
「よくわかった」ついにモララは言った「重要な任務のため、あなたに今夜私に同行することを命じる。副官も連れて行く。」
「はい」秘書は言った/「目撃者が必要です。」
「武装していくぞ。」
「それは望ましいことです。しかし、ただ脅すだけ、ただ脅すだけです。」秘書は真剣に言った。「暴力で彼を制することはできません/たちまち民衆が蜂起するでしょう。」
「分かっているとも」大統領は素っ気なく答えた。そして、野蛮な辛辣さで付け加えた:「しかしそれを使うことに困難はないだろう」。
「何もありません」とミゲルは言って書き物を続けた。
モララは立ち上がってルシールを探しに行った。抵抗感と嫌悪感をぐっとこらえた。今や決心がついた/それはおそらく権力闘争において彼に優位をもたらすだろう。さらに、それには復讐の要素もあった。彼は誇り高きサヴローラがひれ伏して足元で慈悲を請うのが見たかった。(*軍人ではない)単なる政治家たちは、と彼は自分に言い聞かせた、全員が肉体的には臆病者だった/死の恐怖がライバルを無力化するだろう。
夫が入ってきたときルシールはまだ自分の居間にいた。彼女は彼に心配そうな顔を見せた。「何があったのですか、アントニオ?」
「大勢の革命家が侵入してきたのです、最愛の人。トゥルガの守備隊は自分たちの将校を殺して、敵に寝返りました。いよいよ終わりが見えてきました。」
「ひどい」と彼女は言った。
「ルシール」と彼はいつにない優しさで言った「チャンスが一つ残っています。この街の扇動のリーダーたちが何をしようとしているのかを、あなたが探ることができれば、サヴローラに手の内を晒させることができれば、私たちは今の地位を守り、敵に打ち勝てるかもしれません。できますか―これをやってくれる気がありますか?」
ルシールの心臓は跳ね上がった。彼が言った通り、それはチャンスだった。彼女は陰謀を打ち負かし、同時にサヴローラのために条件を設けて/これからもローラニアを支配することができるかもしれない。そして彼女はこの考えを押し殺していたのだったが、自分の愛する人を救うことになるかもしれない。彼女のとるべき道は明らかだった/情報を手に入れ、サヴローラの命と自由と引き換えに、夫に売ること。「やってみます」彼女は言った。
「あなたが私を見捨てることはないと信じていました、最愛の人」モララは言った。「しかし時間がありません/今夜彼の部屋に行って彼に会って下さい。彼は必ずあなたに話すでしょう。あなたには男を支配する力があります。きっと成功します。」
ルシールは思案した。彼女は自分の心に言った「私は国を救い、夫に仕えなければなりません/」すると彼女の心は答えた「あなたは再び彼に会うのです。」そして彼女は声に出して言った。「今夜行きます。」
「私の愛する人、私はいつもあなたを信じていました」と大統領は言った/「あなたの献身を決して忘れません。」
そして彼は足早に立ち去った。後悔と―恥ずかしさに身悶えしていた。確かに彼は勝つために屈辱を忍ぼうとしていたのだった(*stooped to conquer)。
第XIV章 軍の忠誠心
ローラニア共和国の軍事力はその領土を侵略から守り、その領土内の法と秩序を守るという義務に見合ったものだった、しかし古の賢者たちはそれを外国征服の遠大な計画や、近隣の公国に対する積極的な干渉を助長しない範囲に限定していた。常備軍は四個騎兵連隊、二十個歩兵大隊、および八個野戦砲兵隊で構成されていた。これらに加えて槍騎兵連隊とベテラン歩兵の強力な三個大隊で構成された共和国親衛隊があり、その規律で国の権威を、その壮麗さで国の威厳を支えていた。
富、人口、不穏さにおいて地方の町の総量を凌駕している偉大な首都には、守備隊として親衛隊と全軍の半数が配備されていた。残りの軍隊は小さな田舎の駐屯地と辺境に散らばっていた。
軍の好意をつなぎとめようとした大統領のすべての苦労は無駄だったことが明らかになった。革命運動は軍の兵士たちの中に急速に広がっており、彼らは今ではすっかり心変わりしていた。そして彼らは自身が同意できる範囲の命令にしか従うつもりがない、と将校たちは感じていた。しかし親衛隊は違った。そのすべて、あるいはほとんどすべてが前回の内戦において自らの役割を担い、大統領の統率の下、勝利に向かって突き進んだのであった。彼らは前司令官を尊敬し、信頼しており、同時に彼に尊敬され、信頼されていた/実際、彼が彼らに示した好意はそれ以外を疎外することになった原因の一つだったのかもしれない。
窮地に追い込まれたモララは、侵略者に対してこの親衛隊の大部分を送ろうとしていたのである。都市自身が蜂起した場合、信頼できる唯一の軍隊が自分の元にいない危険性はよく分かっていた/しかし前進してくる敵軍は万難を排して止めなければならない。そしてその仕事をする能力と意思を持っているのは親衛隊だけだった。自分を忌み嫌う大衆の中で、自分が非常に厳格に支配していた都市で、彼はほとんど一人ぼっちになり、防御者は反抗的な兵士たちだけになる。それは望ましい見通しではなかった。しかし、それでも成功の可能性はあった。たとえハッタリだったとしても、それは動揺する者を決心させ、敵に嫌気を起こさせるための自信を示すことになる/そしてそれは最も差し迫った緊急事態への対処であり、結局のところ大統領の第一の義務だった。彼は自分が送った軍隊が国境を越えてきた有象無象を全滅まではさせなくとも、追い散らせることを疑ってはいなかった。この行動によって少なくともその危険は取り除かれる。二日間で艦隊は戻って来る。そしてその艦砲の下で彼の政府はまだ継続し、恐れられ、そして尊敬されるだろう。それまでの間が危機、彼が部分的にその性格の力によって、そして部分的に恐るべきライバルを嘲笑と軽蔑の的に突き落とすことによって無事に乗り切ろうとしている危機だった。
陸軍の将軍の正装をするため、彼は十一時にプライベート・オフィスを離れた。自分も軍人であって、多くの戦争を経験した人物であることをパレードで軍隊に思い起こさせるためだった。
ドアのところにティロ中尉がいた。とても動揺していた。「サー」と彼は言った「戦隊とともに前線に行くことをお許しいただけますか?ここにいても私がすることは何もないと思います。」
「とんでもない」と大統領は答えた「君にはここでしてもらうことがとても沢山ある。君には居てもらわなければならない。」
ティロは青ざめた。「お願いします、サー、行かせて下さい」彼は真剣に言った。
「駄目だ―ここに居てもらうことにする。」
「でも、サー―」
「ああ、わかっている」モララは苛立って言った/「君は銃火をかいくぐりたいのだろう。ここに居なさい、君がこれまでに聞いてきたよりも沢山の銃声が聞けることを保証する。」彼は背を向けたが、若い将校の顔に浮かんだ苦い失望の色が彼を立ち止まらせた。「それに加えて」と彼は偉大な人物なら必ず身につけている魅力的な態度で付け加えた「私は困難で極度に危険な任務のために君を必要としている。君は特別に選ばれたのだ。」
中尉はそれ以上何も言わなかったが、半分しか慰められなかった。彼は緑豊かな土地、きらめく槍、ライフルの発射音、そして戦争のすべての面白さと喜びについて考えると悲しくなった。彼はすべてを逃してしまうだろう/友人たちがそこに行くのに、自分は彼らと危険を共にしないのである。彼らは数日後にその冒険について語り合うだろうが、自分がその輪に加わることはない/自分は宮殿を飾るためだけの副官、「飼い猫」と彼らに笑われるだろう。トランペットが遠くから聞こえてきて、嘆き悲しむ彼の心を鞭打つように刺した。それはブーツと鞍―親衛隊槍騎兵隊の出動命令だった。大統領は正装するために急いで立ち去った。そしてティロは馬を用意するために階段を降りた。
モララはすぐに準備を終え、宮殿の階段で副官と合流した。小さな護衛隊に付き添われて、彼らは騎馬で鉄道駅に向かった。途中、いくつもの不機嫌そうな市民グループの間を通り抜けた。彼らは無礼な態度で凝視し、憎しみと怒りゆえに地面に唾を吐きさえした。
砲兵隊はすでに派遣されていた。しかし大統領が到着したとき、残りの部隊はまだ列車に乗り始めていなかった。ターミナル前の広場に彼ら(騎兵の一団とクオーター・コラム隊形[*前後の間隔を詰めた隊形、各中隊が横二列に並び、中隊同士の間隔を六歩幅とする]の歩兵隊)が整列していた。部隊を指揮するブリエンツ大佐が騎馬で先頭に立っていた。彼は前に進み出て敬礼をした/楽隊が共和国賛歌の演奏を始めた。そして歩兵隊はガシャン、ガシャンと音の揃った捧げ銃をした。大統領はこれらの挨拶に折り目正しく感謝した/そしてライフルが肩にかけられると、彼は騎馬で横列の元へと向かった。
「貴官は素晴らしい力を持っています、ブリエンツ大佐」と彼は大佐に向かって言った。しかし軍隊にも聞こえるよう十分に大きな声で話したのである。「貴官の手腕と彼らの勇気に共和国はその安全を委ねます。確信を持ってそれを委ねるのです。」それから彼は軍隊に向き直った:「兵士諸君、この中には私が諸君に諸君の国と名誉のための奮闘を求めた日を覚えている諸君もいるでしょう/私の訴えに応えてくれた諸君の勝利はソラトの名を歴史に刻みました。それ以来、我々は諸君の銃剣が戴く月桂冠によって保護され、平和と安全の中に憩ってきました。今や月日が流れ、この戦利品が挑戦を受けています、諸君がいつも散々追い散らしてきた烏合の衆に挑戦されているのです。古い月桂冠を脱いで下さい、親衛隊の兵士諸君、そして剣を抜いて新しいそれを勝ち取って下さい。もう一度、偉業を成し遂げて下さい。そしていまこの横列を見るとき、私は諸君がそれをやり遂げてくれることを決して疑いません。お別れです、我が心は諸君とともにあります/私が諸君のリーダーだったらよかった!」
彼は軍隊の上げる大きな歓声の中でブリエンツと上級将校と握手を交わした。中には横列を飛び出して彼の周りに押し寄せた者たちもいれば、勇武の熱狂にヘルメットを銃剣で突き上げた者たちもいた。しかし叫び声が止まると、見守る群衆から、それまで騒音に埋もれていた、長く耳障りな嘲りのうなり声が聞こえてきた―悪しき世評だった!
一方、町の反対側では予備旅団が動員されていた。そして親衛隊の忠誠心と規律と、通常連隊の離反との間の極端なコントラストがあらわになった。
不気味な沈黙が兵舎全体を支配していた。兵士たちは不機嫌に、そしてむっつりと歩き回っていた/行軍が差し迫っているのに装備を詰め込もうともしていなかった。グループになって閲兵場や、宿舎の周りの列柱の下をうろついている者たちもいた/他の者たちは自分の簡易ベッドにふくれっ面で座っていた。いつも守ってきた規律を破るのは難しいことである。しかし、ここにそれを破ることを決意した人々がいた。
大いに気を揉みながら閲兵の時間を待っていた将校たちがこうした兆候に気づかないはずはなかった。
「彼らを刺激しないように」とソレントは大佐たちに言った「とても穏やかに扱うように/」そして大佐たちは自らの命に懸けて部下たちは忠実である、とそれぞれ返答した。それでもやはり、まず一個大隊に命令の効果を試してみるのが賢明であると思われた。そして最初に第十一連隊に出動命令が出された。
軍隊ラッパが小気味よく元気に吹き鳴らされた。そして将校たちは剣を吊り下げて手袋をはめ、それぞれの中隊へと急いだ。兵士たちは召集に従うだろうか?一触即発だった。彼らは案じながら待っていた。それから兵士たちが二人三人と足を引き摺りながら出てきて横列をつくり始めた。ようやく数個中隊が完成した、言わば十分に完成した。つまり、多くの欠席者がいたのである。将校たちは自らの部隊を検査した。嘆かわしい閲兵だった/身に着ける装備品は汚れていて、軍服の着こなしは無造作で、兵士たちの全体的な外観は非常にだらしないものだった。しかしこうしたことについて何の注意も与えられることはなかった。そして下士官たちは横列沿いに歩いて部下の大勢の兵士たちに友好的なからかい口調で何かを言った。しかし彼らを出迎えたのは近寄りがたい沈黙、規律や敬意によるものではない沈黙だった。今やラッパが吹き鳴らされ、各中隊は全体の閲兵場に移動した。そしてまもなく全大隊が兵舎広場の真ん中に整列した。
大佐は馬上にあって申し分なく正装しており、副官に付き従われていた。彼は目の前の横列全体を穏やかに見渡した、そしてその態度にはその心を満たし、その神経を捉えている恐るべき懸念を窺わせるものは何もなかった。副官は縦列沿いに短縮駆歩で報告を集めた。「全員おります、サー」と中隊長たちは言った。しかし何人かの声は震えていた。そして副官は大佐の元に戻り、自分の位置についた。大佐は自分の連隊を、連隊は大佐を見た。
「大隊―気をつけ!」彼は叫んだ、そして兵士たちはガチャガチャ、カチッという音とともに跳ね上がった。「隊形―四」
大きく、はっきりした命令の言葉だった。一ダース程の兵士が思わず―少し動いて―周りを見た。そして再び元の場所に戻った。残りは一インチも動かなかった。長く、恐ろしい沈黙が立ちこめた。大佐の顔は灰色になった。
「兵士諸君」と彼は言った。「私は諸君に命令した/連隊の誇りを思い出せ。隊形―四。」今度は一人の兵士も動かなかった。「ではそのまま」彼は必死に叫んだが、それは無用の命令だった。「クオーター・コラムで前進。速足!」
大隊は動かなかった。
「ルコント大尉」と大佐は言った。「中隊で君の右腕になる部下は誰かね?」
「バルフ軍曹です、サー」と将校は答えた。
「バルフ軍曹、前進を命じる。速―足!」
軍曹は興奮に震えた/しかし彼は自らの意思を貫いた。
大佐はポーチを開け、熟慮の上でリボルバーを取り出した。そしてよく掃除されているかどうか見るように注意深くそれを見た/そして撃鉄を上げ、反逆者の傍へと騎行した。十ヤードの距離で彼は立ち止まって狙いを定めた。「速―足!」低い威嚇的な声で言った。
クライマックスが到来したことは明らかだった。しかしこの瞬間、兵舎の門のアーチに隠れて成り行きを見ていたソレントが広場に馬を乗り入れた。そして速歩で兵士たちの所へやって来た。大佐はピストルを下ろした。
「おはようございます」と戦争長官は言った。
将校は武器を戻して敬礼した。
「連隊はもう帰営の準備ができていますか?」そして返事を聞く前に/「とてもスマートなパレードですが、今日の行軍は必要がなくなりました。大統領は出発の前に兵士たちが良い夜を過ごすことを、そして」と声を張り上げた「彼らが共和国に乾杯し、敵を蹴散らすことを願っています。大佐、彼らを解散させて構いません。」
「解散」と大佐は言った。正しい手続きをとって解散する危険さえ冒そうとしなかった。
閲兵は終わった。整列は崩れ、兵士たちは兵舎へと流れて行った。将校たちだけが残った。
「撃つべきでした、サー、あの瞬間に」と大佐は言った。
「なりません」とソレントは言った「一人の兵士を撃つのは/彼らを激怒させるだけです。明日の朝ここに機関銃を二丁持って来ます、そしてなにが起こるかを見ましょう。」
突然の無秩序な歓声の嵐に話を遮られ、彼は不意に向きを変えた。兵士たちはほとんど兵舎に着いていた/一人の兵士が他の兵士に肩車されていた。その周りでは連隊の仲間がヘルメットを振ったり、ライフルを振り回したり、激しく歓声を上げたりしていた。
「あれが軍曹です」と大佐は言った。
「わかっています」ソレントは苦々しく答えた。「人気のある男なのでしょう。あなたの隊にはああいう下士官がたくさんいるのですか?」大佐は返事をしなかった。「紳士諸君」戦争長官は広場をぶらぶらしていた将校たちに言った「諸君は自分の宿舎に帰った方が良い。諸君はここではとても魅力的な標的であり、諸君の連隊は特に腕の良い射撃連隊です。そうでしょう、大佐?」
嘲りに彼は向きを変え、騎馬のまま立ち去った。怒りと不安に胸が痛んでいた、一方、第十一歩兵連隊の将校たちは恥を隠し、危険に対処するため宿舎に撤退した。
第XV章 サプライズ
サヴローラにとって忙しくエキサイティングな一日だった。彼は追随者に会い、命令を出し、衝動的な者を抑え、弱者を励まし、臆病者を勇気づけた。軍の行動についてのメッセージと報告が一日中届いていた。親衛隊の出発と支援旅団の行軍拒否はどちらも喜ばしい出来事だった。今や陰謀は非常に多くの人々に知らされていたので、もはやそれを政府機関に秘密にしておけるとは思えなかった。あらゆることを考慮した上で、彼は時が来たと感じていた。彼が考え出した緻密な計画はすべて実行に移された。緊張は大変なものだった。しかし、ついにすべての準備が整い、革命派の全戦力は最後の闘いに集中された。ゴドイ、レノス、その他の人々が市長公邸に集められた。そこで夜明けに臨時政府を宣言するのである。人々に武装を呼びかける実際の任務についていたモレは自分の家で配下の人々に指示を出し、宣言書を掲示する準備をした。すべての準備が整った/全員に頼りにされ、大きな陰謀をその脳で発想し、心で鼓舞してきたリーダーは椅子に横になった。彼は自分の計画を見直し、不備を探し、気を引き締めるために、少しの休息と静かな内省を必要とし、望んでいた。
火格子の中で小さな明るい火が燃えていた。そして周りには燃えた紙の灰があった。彼は一時間も炎に紙をくべていたのだった。彼の人生の一つの時期は終わった/次の時期もあるかもしれない。しかし、まずはこの時期を終えることが望ましかったのである。今や死んだか、疎遠になってしまった友人たちからの手紙/彼の若い野心を刺激した祝福や賞賛の手紙/輝かしい人たちからの手紙と美しい女性たちからの何通かの手紙―すべては同じ運命を辿った。なぜこうした記録が保存されて思いやりのない後世の好奇の目に晒されなければならないのだろう?もし彼が死んだなら、世界は喜んで彼を忘れ去るだろう/もし彼が生きていたなら、その人生は今後歴史家に取り扱われることになるだろう。全般的な焼却を免れた一枚のメモが傍らのテーブルの上に置かれていた。それはルシールがステート・ボールへの招待状に添付したもの、今までに彼が彼女から受け取った唯一のものだった。
彼が指の上でそれをバランスさせたとき、その想いは人生の慌ただしく困難な現実から、あの通じ合う魂と愛らしい顔へと漂った。そのエピソードも終わりを告げた。彼らの間には障壁が立ち塞がっていた。反乱の結果がどうであろうと、彼は彼女を失ったのである。…しない限り―ただしそのぞっとするような「しない限り」は彼の心を、思わず不潔なものに触ってしまった人の手のように跳び退かせる、恐るべき邪悪な示唆を孕んでいた。それは罪、人間社会に対する罪、生命現象そのものに対する罪であって、その汚名は死んでも雪がれず、全てが消滅する日まで許されないものだった。それでも彼はモララを激しく憎んだ/そしてもはやその理由を自分自身に隠そうとはしなかった。そしてその理由を想い出して彼の心はより柔らかな気分に戻った。再び彼女に会うことはあるのだろうか?彼女の名前の響きでさえも彼を喜ばせた/「ルシール」と彼は悲しげにささやいた。
素早い足音が外で聞こえた/ドアが開いた。そして目の前に彼女が立っていた。彼は驚いて声も上げずに跳び上がった。
ルシールはとてもきまり悪そうに見えた。彼女の使命はデリケートなものだった。確かに彼女は自分の心に気づいていなかったか、気づきたくなかったのだった。それは夫のため、と彼女は自分自身に言い聞かせていた/しかし彼女の言葉は矛盾していた。「私はあなたの秘密をばらさなかった、ということをお伝えするために来たのです。」
「分かっています―私は全然心配していませんでした」とサヴローラは答えた。
「どうして分かったのです?」
「私はまだ逮捕されていません。」
「ええ、でも彼は疑っています。」
「何をです?」
「あなたが共和国に対して陰謀を企てていること。」
「ああ!」サヴローラは大いに安心して言った/「証拠を掴んでいないでしょう。」
「明日には掴むかもしれません。」
「明日では手遅れです。」
「手遅れ?」
「はい」サヴローラは言った/「ゲームは今夜始まります。」彼は時計を取り出した/あと十五分で十一時だった。
「十二時に警報ベルが聞こえることでしょう。座って話しましょう。」
ルシールは機械的に座った。
「あなたは私を愛しています」と彼は彼女を虚心に見つめ、落ち着いた声で、まるで二人の関係全体が単なる心理的な問題に過ぎないかのように、言った。「そして私はあなたを愛しています。」答えはなかった/彼は続けた。「しかし、私たちは別れなければなりません。この世界では私たちは隔てられていて、障害を取り除く方法もわかりません。私は生涯あなたのことを想い続けるでしょう/他の女性はその空白を埋めることができません。私はまだ野心を持っています:私はずっとそれを持っていました/しかし私が知らず、またはそれを知ることが苦悩と絶望でしかないもの、それが愛です。私はそれを遠ざけます。そして今後、私の愛情はこの灰のように命のないものになるでしょう。そしてあなたは―忘れてくれますか?あと数時間で私は殺されるかもしれません/もしそうなっても、決して悼まないで下さい。私が何者だったかは覚えていて下さらなくて構いません。私が世界をより幸せに、より楽しく、より快適にするだろう何かをしたなら、その行動を思い出して下さい。もし私たちの存在の浮き沈みを越えて、生をより明るいものにするか、死をより暗くないものにするような思想を私が話したなら『彼はこれを言った、彼はそれをした』と言って下さい。人を忘れて下さい/その仕事を、できれば思い出して下さい。宇宙のパズルの中のどこかで、あなたの魂にぴったりと合う一つの魂を知っていたことも思い出して下さい/そして忘れて下さい。宗教に救いを求めて下さい/忘れる心構えをして下さい/生きて、過去は捨てて下さい。できますか?」
「できません!」彼女はいきり立って答えた。「わたしはあなたを絶対に忘れません!」
「私たちは哀れな哲学者に過ぎません」と彼は言った。「痛みと愛は私たちとそのすべての理論を嘲笑うのです。私たちは自分自身を征服したり、私たちの境遇を超えたりすることはできないのです。」
「やってみませんか?」野生の目で彼を見て、彼女はささやいた。
彼は見て、慄いた。そして込み上げる衝動に「畜生、愛しているんだ!」と叫んだ。そして彼女が決意を固めたり、心を選んだりする暇もなく二人はキスしていた。
ドアの取っ手が素早く回った。二人は跳び退いた。ドアが開いた。そして大統領が現れた。彼は私服姿で、右手を背後に隠していた。続いて暗い廊下からミゲルが現れた。
しばし沈黙があった。そしてモララが猛烈な怒声を上げた:「そうか、サー、お前もこのように私を攻撃するのだな―この臆病者、ならず者!」彼は手を上げ、握ったリボルバーを真っすぐに敵に向けた。
ルシールは世界が崩れ落ちたように感じ、ソファに倒れ込んで、恐怖に愕然としていた。サヴローラは立ち上がって大統領と向かい合った。彼がわざと彼女と武器の間に立ったことで、彼女は彼がいかに勇敢な男であるかを知った。「ピストルを下ろして下さい」彼はしっかりした声で言った/「それからご説明しましょう。」
「ああ下ろそう」とモララは言った。「お前を殺してからな。」
サヴローラは二人の間の距離を目測した。発砲の中に飛び込めるだろうか?再び彼は自分のリボルバーが置いてあるテーブルを見た。彼は彼女の盾になっていた。動かないことに決めた。
「跪いて憐れみを請え、このクズ野郎/跪け、さもないとその面を吹っ飛ばすぞ!」
「私はいつも死を軽んじようとしてきたし、いつもあなたを軽んじ遂せてきました。どちらにも頭を下げたりはしません。」
「さあ、どうだろう」モララは歯ぎしりしながら言った。「五つ数えるぞ―、一!」
時が止まったようだった。サヴローラはピストルの銃口、輝く鋼のリングに囲まれた黒い点を見た/残りの視界はすべて空白になった。
「二!」大統領は数えた。
彼は死ぬ―その黒い点がぱっと燃え上がったとき、この地球を閃き去るのである。彼は顔全体を吹き飛ばされることを予期した/そしてその先に見えるのは―消滅―暗い暗い夜だけだった。
「三!」
銃口のライフリング(*内側のらせん状の溝)が見えた/ランド(*溝が彫られていない部分)がうっすら見えた。それは―通過する弾丸を回転させるという―素晴らしい発明だった。それが恐るべきエネルギーで自分の脳を攪拌することを彼は想像した。彼は突進の前に考え、自分の哲学や信念にすがりつこうとした/しかし彼の身体的感覚はあまりにも激していた。血管の中で血液が沸き立って、指の先までズキズキしていた/手のひらを熱く感じた。
「四!」
ルシールが跳ね起き、大統領の前に身体を投げ出した「待って、待って下さい!」と叫んだ。「どうかお慈悲を!」
モララは彼女の表情を見て、その目に恐怖以上のものを読みとった。そして彼はついに理解して/まるで真っ赤な鉄をつかんだかのように飛び上がった。「なんてことだ!本当だった!」彼は喘いだ。「この売女!」彼女を押しのけ、その口元を左の逆手で殴って叫んだ。彼女は縮み上がって部屋の隅に引き下がった。今や彼はすべてを理解した。自分が仕掛けた爆弾に爆破されて(*Hoist with his own petard)彼はすべてを失ったのである。激しい怒りが彼を捉え、喉がざらついて痛くなるほどの震えが来た。彼女は彼を見捨てていた/権力はその手から滑り落ちつつあった/彼のライバル、彼の敵、彼が心底から憎んだ男は至る所で勝利を収めていた。彼は餌につられて罠に入り込んでしまったのだった/しかし逃げるべきではなかった。思慮分別と人生への愛には限界があった。彼の計画、彼の希望、復讐する群衆の咆哮、すべてがその心から消えた。死が彼らの間の積年の恨みを洗い流すのである、すべてを解決する死は―今や目前にあった。しかし彼は軍人であって、人生の細部においてこれまで実務的な男だった。彼はピストルを下げ、ゆっくりと撃鉄を起こし/動作は一つの方がより確実である(*射撃するためには引き金を引きながら撃鉄を起こし、その後再び引き金を引く必要がある)/そして良く狙いを定めようとした。
彼がその動作をした瞬間、サヴローラは頭を低くして前に跳び出した。
大統領は発砲した。
しかしミゲルの素早い知性は変化した状況を理解しており、それが生む結果を知っていた。彼はそのカードが致命的に重要であることを知っていて、暴徒を忘れていなかった。彼はピストルを撥ね上げた。そこで弾丸はほんの少しだけ上に逸れた。
煙と閃光の中でサヴローラは敵に組み付き、地面に倒した。モララは転んで脳震とうを起こし、リボルバーを取り落とした。サヴローラはそれを掴んでもぎ取り、倒れた相手から遠くへ弾き飛ばした。ひとたび彼は立ち上がって見つめた。飢えた殺害の欲望が心に湧き上がり、人差し指(*trigger-finger)がむずむずした。そして非常にゆっくりと大統領が立ち上がった。転倒でもうろうとしていた/彼は本棚にもたれかかって呻いた。
下で表のドアを叩く音がした。モララはまだ部屋の隅で身をすくめていたルシールの方を向いて、彼女を罵り始めた。虚飾と洗練を通り抜けて、その性格の中の下品で醜い部分がさまざまな性交渉や数多くの情事と二重写しになって現れた。その言葉は聞くに堪えず、記憶する価値もないものだった/しかし彼女はカチンときて反抗的態度で答えた:「私がここに来ることをあなたは知っていました/私に来るように言ったのはあなたです!罠を仕掛けたのはあなたです/あなたの責任です!」モララは汚い罵倒で答えた。「私は無実です」と彼女は叫んだ/「私は彼を愛していますが、私は無実です!なぜ私にここに来るように言ったのですか?」
サヴローラはぼんやりと理解し始めた。「私にはわからない」彼は言った「あなたがどんな悪事を企てたのかわからない。私はあまりにあなたを理解していないので命を奪うことはできない/しかし出て行って、すぐに出て行ってくれ/あなたの汚さには耐えられない。出て行け!」
大統領は今や落ち着きを取り戻していた。「お前を自分で撃つべきだった」と彼は言った「しかし小隊―五人の兵士と伍長にそれをやらせることにする。」
「いずれにせよ殺人は報復を受けるだろう。」
「どうして私を止めたのだ、ミゲル?」
「彼が言う通り、閣下」秘書は答えた。「それは戦術を誤ることになったでしょう。」
公式の態度、話し方のスタイル、男らしい落ち着きが大統領に正気を取り戻させた。彼はドアに向かって歩いた。そして虚勢を張ってブランデーを一杯飲むためにサイドボードに足を止めた。「没収」と彼は言って、それを光に掲げた「政府命令。」そして飲み干した。「明日はお前が撃たれるのを見よう」と彼は付け加えた、その人物がピストルを持っていることには無頓着だった。
「私は市長公邸にいる」サヴローラは言った/「勇気があるなら、来て連行するがいい」
「暴動!」大統領は言った。「プー!踏みつぶしてやる。お前もだ。日が沈む前に。」
「多分違った結末になる。」
「どちらか一方だ」と大統領は言った。「お前は私の名誉を奪った/お前は私の権力を奪おうと企んでいる。我々がこの世界でともに生きていくことはできない。お前は恋人を地獄に連れて行くことになるだろう。」
階段に慌ただしい足音がした/ドアを開けたのはティロ中尉だったが、部屋の中の人々に驚いて立ち止まった。「銃声が聞こえました」と彼は言った。
「ああ」大統領は答えた/「事故はあったが、幸いにも実害はなかった。宮殿まで護衛してくれるかな?ミゲル、来い!」
「早くされたほうがいいです、サー」中尉は言った。「今夜は変な連中が大勢いて、突き当りにバリケードをつくっています。」
「本当か?」大統領は言った。「今こそ彼らを阻止する時だ。おやすみ、サー」彼はサヴローラを振り向いて付け加えた/「明日会おう、そしてけりを付ける。」
しかしリボルバーを手にしたサヴローラは彼をじっと見ているだけで、黙ったまま彼を行かせた。しばらくの間その沈黙を破るのはルシールのすすり泣きだけだった。ついに引き上げて行く足音が消え、通りに面するドアが閉まったとき彼女は口を開いた。「ここには居られません。」
「宮殿に戻ることはできません。」
「では、どうすればいいのでしょう?」
サヴローラは思案した。「とりあえずここに居られた方がいいでしょう。家は自由に使って下さって構いません、あなたはお一人になります。私はすぐに市長公邸に行かなければなりません/私はすでに遅れているのです―もうすぐ十二時です―その瞬間が近づいています。加えて、モララは警官を派遣するでしょう。そして私には避けられない、果たすべき義務があります。今夜は通りが危険すぎます。多分私は朝には戻ります。」
悲劇は二人を呆然とさせていた。サヴローラの心は痛烈な自責の念でいっぱいだった。彼女の人生は台無しになってしまった―彼が原因だったのだろうか?自分にどこまでの罪があるのか、あるいはないのかが分からなかった/しかし誰に責任があったとしても、そのすべての悲しみに変わりはない。「さようなら」と彼は立ち上がった。「私は心を置いて行きます、しかし行かなければなりません。多くのものが私に係っているのです―友人たちの命、国の自由が。」
そして彼は世界中の人々の目の前で偉大なゲームをプレイするため、男性の人生における関心の大部分をなしている野心のための闘いへと出発した/そして惨めで今や一人ぼっちの女性になってしまった彼女は待つことしかできなかった。
そしてそのとき突然、速く性急な鐘が街中に鳴り始めた。遠くからラッパの響きが聞こえて、鈍い砲声、すなわち警砲が轟いた。騒ぎが起こった/突き当りで集合を叩くドラムロールが聞こえた/混乱した叫び声と怒鳴り声が多くの場所から上がった。ついに一つの音が聞こえて全ての疑問に終止符が打たれた―タップ、タップ、タップ、たくさんの木箱をパタンパタンと静かに閉めるような―遠くの小銃射撃音。
革命が始まった。
第XVI章 革命の進展
その間、大統領と二人の追随者たちは街を通り抜けようとしていた。多くの人々が通りを動き回っていた。そしてあちこちに暗い人影が集まっていた。巨大な事件が差し迫っているという印象が高まっていた/まさにその空気は熱気を帯びて、ささやき声に満ちていた。サヴローラの家の外に建てられていたバリケードは、モララに蜂起が差し迫っていることを確信させた/宮殿から半マイルのところで他のバリケードが道を遮っていた。通りの真ん中に三台のカートが停め置かれ、五十人ほどの男たちが障害物を強化するために静かに働いていた/ある者は平らな敷石を引っぱり上げ/他の者は隣接する家から土を満載したマットレスと箱を運んでいた/しかし彼らは大統領一行にはほとんど注意を払わなかった。大統領は襟を立て、フェルト帽をしっかりと目深にかぶってバリケードをよじ登った―自分が見ているものの重大さに頭をいっぱいにしながら/実際、略式軍装の中尉はいくらか訝しい目で見られたが、その前進を止める試みはなかった。この男たちは合図を待っていたのだった。
この間ずっと、モララは一言もしゃべらなかった。危険が迫る中、彼は落ち着きを取り戻すために多大な努力をしていた。それに対処するには頭脳が明晰でなければならなかった/しかしその全ての意志の力にもかかわらず、サヴローラに対する憎しみはその心を満たし、他のすべてのものを追い出してしまっていた。彼が宮殿に着くやいなや都市全体で反乱が起こった。悪いニュースを持った伝令が次から次へと飛び込んで来た。数個の連隊は人々に発砲することを拒否し/他の連隊は彼らと友情を交わしており/バリケードが至る所で伸長していた。そして宮殿へのアプローチは全方面で閉鎖されていた。革命派のリーダーたちは市長公邸に集まっていた。通りには臨時政府の宣言が貼り出されていた。町のさまざまな場所から将校たちが急いで宮殿にやって来た/その一部は負傷し、多くは動揺していた。その中にソレントがいて、ある無傷の砲兵隊が反乱側に大砲を差し出したという恐るべきニュースを伝えた。電報と伝令からの報告によって、ほとんど実際の戦闘がないまま、三時半までに都市の大部分が革命家たちの手に渡ったことが明らかになった。
大統領はその厳しく断固たる性格の強さを完全に発揮して、落ち着いてすべてに耐えた。実際、彼には恐るべき刺激物があった。バリケードとその後ろに並んだ反乱者たちの向こうには市長公邸があり、サヴローラがいたのである。敵の姿形が目の前に浮かんだ/他のすべてはまったく重要でないように思われた。今や彼は目がくらむような緊急事態の中で、その怒りのはけ口、その悲痛の反対刺激薬を見つけたのである/反乱を鎮圧すること。しかし彼の何よりの念願はサヴローラを殺すことだった。
「日の出を待つことにしよう」と彼は言った。
「そしてそのとき、サー?」戦争長官は尋ねた。
「そのとき市長公邸へと進撃し、この騒動のリーダーを逮捕する。」
夜の残りを費やして夜明けに行動するための部隊が編制された。利用できるのは数百人の忠実な兵士(前の戦争でモララに従った人々)、疑いの余地がない忠誠心を持つ常備軍の七十人の将校、そして武装警察の分遣隊と合流した親衛隊の残留大隊だけだった。この千四百人にも満たない献身的な兵士の一団は宮殿の門の前の広場に集められ、日の出を待つ間アプローチを守っていた。
攻撃はなかった。「都市を確保する」というのがサヴローラの命令であり、反乱者たちは四方八方に規則正しく築いたバリケードで忙しく働いていた。さまざまな趣旨のメッセージが大統領に届き続けた。ルーヴェは急ぎのメモで反乱への恐怖を伝え、宮殿で大統領に合流できないことをいかに残念に思っているかを釈明した。彼は急いで街を出なければならなかった。彼が言うところによれば/親戚が病気で危険な状態だったのである。彼はモララに神を信じるよう懇願した/自分は革命家たちが鎮圧されることを確信している。
自室でこれを読んだ大統領は乾いた激しい笑い声を上げた。危機に役に立たない臆病者であることはずっと知っていたので、彼はルーヴェの勇気を全く期待していなかった。非難はしなかった/彼には彼なりの良い点があった。内務省の役人としては立派なものだった/しかし戦争は彼の領分ではなかった。
彼はその手紙をミゲルに渡した。秘書はそれを読んで思案した。彼も兵士ではなかった。ゲームが終わったことは明らかだった。そして彼が心中で呟いた通り、単なる感傷のために自分の人生を捨てる必要はなかった。彼はその夜のドラマで自分が演じた役割について考えた。それは確かに彼に何らかの請求権を与え/少なくとも両賭けを可能にするだろう。彼は新しい紙を取って書き始めた。モララは部屋を歩き回っていた。「何を書いているのかね?」と彼は尋ねた。
「港の砦の司令官への命令書です」とミゲルは即座に答えた「彼に今の状況を知らせ、いかなる危険を冒してでも砦を守るよう閣下の名前で彼に命令します。」
「それは必要ない」とモララは言った/「彼の部下が裏切り者であろうと、なかろうと。」
「私は彼に命じていたのです」素早くミゲルは言った「もし部下が信頼できるなら、夜明けに宮殿に向かって示威行進をするように、と。それは牽制になることでしょう。」
「ああわかった」モララはうんざりして言った/「しかしそれが彼に届いていたかどうかは疑わしい。そして砦の守りを十分に固めた上で他に割ける人数などあるわけがない。」
一人の伝令が電報を持って入ってきた。並外れた幸運と勇気に恵まれた事務官、政府支持者、名もなき紳士がバリケードの列を通り抜けて、自らそれを持ってきたのだった。大統領が封筒を開いている間にミゲルは立ち上がって部屋を出た。外の明るく照らされた廊下には、怯えてはいたが無能ではない使用人がいた。彼はその男に素早く、そして低い声で話した/市長公邸、十二ポンド、いかなる犠牲を払ってでも、というのがその指示の要点だった。そして彼は再びオフィスに戻った。
「これを見ろ」モララは言った/「まだ終わっていない。」電報はロレンツォ近郊のブリエンツからのものだった:回線をクリア。ストレリッツと二千人規模の反逆者たちが今日の午後ブラック・ゴルジュへ前進してきました。私は彼らに大きな損害を与えて撃退しました。ストレリッツは捕虜にしました。敗残兵を追撃中です。トゥルガで指示を待っています。「これをすぐに公開しなければならない」と彼は言った。「千部を印刷して、それを政府支持者の間で、そして可能な限り街の中で回覧させるのだ。」
宮殿広場に集まっていた軍隊は勝利の知らせに歓声を上げた。そして彼らは朝を待ち焦がれた。やがて日の光が空に広がり始めた。そして他の光、遠くの大火災の輝きは薄れた。大統領、続いてソレント、数人の高官、そして副官ティロが階段を下り、中庭を横断して、宮殿の大きな門を通り抜け、彼の最後の予備兵力が集合している広場に入った。彼は左右を歩き回ってこれらの忠実な味方や支持者たちと握手した。今や大胆な手が闇に紛れて壁の上に置いた反乱側の宣言書が彼の目に留まった。彼は歩み寄ってランタンの灯りでそれを読んだ。紛れもなくサヴローラの文体だった。人々に武器を取るよう訴える、短く歯切れの良い文章が集合ラッパのように鳴り響いていた。プラカードの中に、劇場の広告で公演時間の告知に使われるような、小さな赤い紙片が後から貼られていた。それは電報の複写と称するもので、内容はこうだった:今朝ブラック・ゴルジュを突破。独裁者の軍隊は完全に撤退。ロレンツォを進軍中。ストレリッツ。
モララは怒りに震えた。サヴローラは細部を疎かにせず、わずかなチャンスも逃さなかった。「悪名高い嘘つき!」と大統領はコメントした/しかし彼は自分が粉砕しようとした人物の力に気がついて、絶望が一瞬心臓へと込み上げ、血管を冷たくしたように感じた。その感覚を振り払うには多大な努力が必要だった
。
将校たちはすでに計画の詳細を共有していた。その主な長所は大胆さだった。反逆者は計画の立ち上げに成功し/政府はクーデターで応じるのである。いずれにせよ一撃は反乱の中心を狙ったものであって、それが核心を突いた場合、結果は決定的なものになるだろう。「紳士諸君、反乱のタコは」と大統領は革命宣言を指して周囲に言った「長い腕を持っている。従って頭を切り落とさなければならない。」そして誰もが冒険は決死のものだと感じていたが、彼らは勇敢な兵士であって、覚悟は決まっていた。
宮殿と市長公邸の間には、幅は広いが曲がりくねった大通りがあって、約一マイル半の距離があった/部隊は三つに分かれてこの大通りと両側のより狭い通りを静かに前進した。大統領は中央の縦隊と一緒に徒歩で前進した/脅かされていた左翼の指揮はソレントが執った。ゆっくりと、そしてお互いのコミュニケーションを維持するために頻繁に停止しながら部隊は静かな通りを前進した。人っ子一人いなかった/家々のすべての鎧戸は閉じられ、すべてのドアはしっかり施錠されていた/そして東の空は徐々に明るくなったが、街はまだ闇に沈んでいた。先頭の縦列は大通りを押し進み、木から木へと走っては、毎回慎重に一旦停止して暗闇の中をのぞき込んだ。彼らが曲がり角を曲がったとき、突然前方で銃声が聞こえた。「前進!」大統領が叫んだ。突撃ラッパが吹き鳴らされ、太鼓が打ち鳴らされた。薄明かりの中、二百ヤード先にバリケードの輪郭が見えた。車道を横切る暗い障害物だった。兵士たちは雄たけびを上げて走り出した。バリケードの守備側は驚いて効果の薄い銃撃を行った。そして攻撃が本格的であることを知ると戦力に疑いを持ち、手遅れになる前に逃げ出した。バリケードは一瞬にして捕獲された。襲撃者たちは成功に意気揚がって前進を続けた。バリケードの後ろは十字路だった。いたるところから発砲が始まった。ライフルの大きな音が家々の壁にこだました。両翼の縦隊は敵のバリケードで厳しく阻止されていた。しかし中央の陣地が捕獲されたため二つの陣地は回り込まれることになった。そこで守備側は孤立を恐れてばらばらに逃げ出した。
もう日中になっていたが、街中の光景は奇妙なものだった。散兵たちが木々の間を突進し、小さな青白い煙のパフが景色の全体に斑点をつけていた。反乱側は負傷者を地面に残して退却した。そして兵士たちは残酷にもそれを銃剣で突き刺した。家々の窓から―そして街灯柱、郵便ポスト、負傷した人物、転倒した辻馬車など、ありとあらゆる遮蔽物から銃弾が発射された。ライフルの銃火は徹底的で、通りはあまりにもむき出しだった。遮蔽物を手に入れ、何かの後ろに隠れるために兵士たちは両側の家に押し入って、椅子、テーブル、寝具の山を引きずり出した/そしてこれらによって弾丸から守られることはなくとも、元より背後がむき出しではなくなった、と感じた。
この間ずっと、絶え間ない損失を被りながらも軍隊は着実に前進していた/しかし次第に反乱側の銃火が激烈になって来た。より多くの人々が続々と現場に急行してきて/側面への圧力は厳しいものになった/周りを包囲して脇道から突入して来る敵を防ぐため、大統領が自由に使えるわずかな戦力はさらに削られた。やがて反乱側は退却を止めた/大砲にたどり着いたのだった。その四門が大通りに横一列に並べられていた。
市長公邸は今やわずか四分の一マイルの距離にあった。そして、モララは兵士たちに最高の奮闘を呼びかけた。銃剣攻撃で大砲を奪取するという大胆な試みは、三十人の死傷者を出して失敗した。そして政府軍は大通りと直交する脇道に避難した。今度はこれに敵が縦射を加えて縦隊を一舐めし、退却路の遮断を始めた。
今や大きな半円の全ての方向から発砲があった。即席の砲兵たちを持ち場から追い出すことを意図して、軍隊は大通りの両側の家に押し入った。そして屋根に上って敵を撃ち始めた。しかし反乱側が全く同じ戦術で応戦したため、その試みは煙突と天窓の間における、必死でありながら、無意味な戦闘へと萎んでしまった。
大統領は男らしく身体を晒していた。彼は部隊の中をあちこちと動き回り、模範として追随者たちを激励していた。ティロは彼の近くにいた。そして彼は十分に戦争を知っていて、もし自分たちがここで前進を阻まれたなら、もうほとんどチャンスがないことを理解していた。一瞬一瞬が貴重だった/時間は過ぎ去った。そして小さな部隊はほとんど完全に包囲された。ライフルを使って家のドアを破るのを手伝っていたとき、驚いたことに、彼はミゲルに出会った。秘書は武装していた。彼はこれまで注意深く後方に留まり、大通りの木々の後ろに隠れることで空中の危険(*銃弾)を避けていたのである/しかし今や彼は大胆にも戸口に進み、それを叩き壊すのを手伝い始めた。それが終わるや否や「今日はみんなが兵士だ!」と叫びながら急いで階段を駆け上がった。何人かの歩兵が一階の窓から発砲するため彼に続いたが、ティロは大統領の傍にいなければならなかった/しかし彼はミゲルの勇敢さに驚き、喜んだ。
間もなく試みは失敗したことが誰の目にも明らかになった。敵の数が多すぎた。宮殿への退却命令が出たとき、部隊の三分の一は死傷していた。勝ち誇った敵はあらゆる方向から猛烈に押し寄せて来た。退却する縦隊から切り離されて孤立した兵士のパーティーは家の中と屋根の上で必死に身を守った。全員が激昂していたため、最終的に彼らはほぼ全員殺された。慈悲を求めるのは時間の無駄だった。他の兵士たちは家に火を放ち、煙に紛れて逃げようとした/しかし成功した者はほとんどいなかった。またその他の兵士たちは、その中にはミゲルもいたのだが、人々の気性が人間らしさを取り戻し、降伏が知られざる言葉でなくなるまでクローゼットや地下室に隠れていた。親衛隊大隊の五個中隊からなる右翼縦隊は完全に包囲され、反乱側の将軍が彼らの命を救うと約束したため降伏した。約束は守られた。そして革命派の中の上級将校たちはその追随者の怒りを抑えるために多大な努力を払っていたようだった。
政府軍の本体は一個縦隊に集結し、あらゆる段階で兵士を失いながらも、宮殿に向かって奮闘した。損失を被ってはいたが、彼らを食い止めようとするのは危険なことだった。その退却線を遮ろうとした反乱側の一パーティーは猛烈な突撃で一掃された。そして改めていくらかの攻撃が仕掛けられた/しかし、ライフルの銃火は情け容赦がなく、絶え間がなかった。最終的に撤退は潰走になった。血なまぐさい追撃が続き、捕獲や死を免れて大統領とソレントと一緒に宮殿にたどり着いた兵士はたったの八十人だった。大きな門は閉じられ、貧弱な守備隊は最後まで自分自身を守る準備をした。
第XVII章 宮殿の防衛
「今日の戦いは」ティロ中尉は門の中に入ると砲兵隊の大尉に言った「これまでで最高だったよ。」
「ひどいことになるとは思っていた」と相手は答えた/「そしてやつらが大砲を持ってきたとき、それが確かになった。」
「大砲のせいじゃない」砲兵の価値を過大評価しない槍騎兵中尉は言った/「騎兵隊がいればよかったのだ。」
「もっと多くの兵士がいればよかった」と砲手は答えた。異なる武器の相対的な価値についての議論など望んでいなかった。「後衛の戦闘はきつかった。」
「戦闘は嫌っていうほど沢山あったよ、最後の後衛のちょっとしたやつなんかよりも」ティロは言った。「怪我人はズタズタにされたのかな?」
「全員やられたと考えざるを得ない/やつらは最後、オオカミみたいだった。」
「これからどうなるんだろう?」
「やつらはここに来て俺たちにとどめを刺すつもりだろう。」
「お手並み拝見」とティロは言った。その快活な勇気は長い試練にも耐えられるのだった。「もうすぐ艦隊が戻ってくる/それまでこの場所を守ろう。」
確かに宮殿は防衛に不向きではなかった。それはしっかりと石で造られていた。窓は地面からある程度の距離にあって、低いものはしっかりと閉鎖されていた。ただし庭側は違っていて、テラスと階段から背の高いフランス窓への接近が可能だった。しかし、そのむき出しで狭いアプローチは明らかに数丁の優れたライフルで遮断できた。確かに、まるで今や到来したこの機会のことを想定して、建築家が宮殿を装った要塞を建設したかのようだった。街区に面した側が最も良い攻撃目標になると思われた/ただし大きな門は衛兵室のある二つの小さな塔に守られており、中庭の壁は高くて分厚かった。しかし、敵がその大人数を利用して最も効果を上げられるのはこの前線であると考えられたため、小さな守備隊の大部分がそこに集められた。
反乱側の陣営は賢明かつ注意深く率いられていた。彼らは直ちに宮殿を攻撃しようとはしなかった/獲物を確信しているため、待つ余裕があったのである。その間、生き残った政府の支持者たちは自らの最後の拠点を安全にしようと努力していた。中庭の歩道に敷かれた荒削りの石畳が梃で外された。そして守備側が体を晒さずに発砲するために、これを使って窓が銃眼に改造された。門は閉じられて閂がかけられた。そして突っ支い棒のための角材が用意された。弾薬が配られた。さまざまな将校にそれぞれの防衛区域の義務と責任が割り振られた。防御者たちははっきりと決着をつけなければならない争いに参加したことを自覚した。
しかしモララの心境は変化していた。夜の憤怒は冷却されて、朝の激しく野蛮な勇気に変わった。彼は市長公邸を占領するための必死の企てを主導し、その後の戦いの混乱の中で惜し気なく、そして無謀なまでに自分の身体を晒した/しかし傷を負うことなく宮殿に帰り着き、サヴローラを殺す最後のチャンスを逃したことに気がついた今、死が非常に厭わしくなったのだった。彼が十分に持っていて/彼の支えになっていたすべての興奮が消え去っていた。その心は逃げ道を探したが、無駄だった。その瞬間の責め苦は激烈だった。数時間後に助けが来るかもしれず:艦隊はきっと来るが/手遅れだろう。巨大な大砲は彼の死に復讐するかもしれないが/その命を救うことはできないだろう。苛立ちの感覚が彼を震えさせた。そして背後から迫りくる闇の実感が高まった。恐怖がその心に触れ始め/勇気が揺らいだ/彼には他の人々よりも恐れるべきものがたくさんあった。大衆の憎しみは彼に集中していた/結局のところ、彼らが望んでいるのは彼の血だった―ほかの誰のものよりも。それは恐るべき相違だった。深く意気消沈して、彼は自室に引きこもり、防衛戦には参加しなかった。
十一時ごろ敵の狙撃手が宮殿の正面を囲んでいる家々に侵入し始めた。まもなく上の階の窓から発砲があり/別の発砲が続いて、すぐに系統立った連続射撃が始まった。防御側は壁に隠れて注意深く応射した。ティロ中尉と内戦中にモララの同志だった親衛隊の軍曹が大門の左側の衛兵室の窓を守っていた。二人とも良い射撃手だった。中尉のポケットは弾薬筒でいっぱいだった/軍曹は自分のそれを窓の下枠にきれいに五列に並べた。彼らは街区から門に至る通りを撃つには絶好の位置にいた。衛兵室の外ではまだ十数人の将校と兵士がエントランスをより安全にする仕事に従事していた。彼らは地面と二番目の横木の間に巨大な厚板を差し込もうとしていた/こうすることで反逆者たちが門に突入しようとしても、十分抵抗できると思われた。
周囲の家々からの銃火は危険というよりは苛立たしいものだったが、即席の銃眼の石に数発の弾丸が当たった。防衛側は弾薬を使い切ったり、無駄に自分の身体を晒したりしないように気をつけて、注意深くゆっくりと発砲していた。突然、約三百ヤード離れたところから大勢の男たちが門に向かう通りに入ってきた、そして前方に向けて何かをどんどん押したり引いたりし始めた。
「気をつけろ」とティロは作業班に叫んだ/「やつら大砲を持ってきたぞ/」そして狙いを定めて近づいてくる敵に発砲した。軍曹とこの方面の宮殿のすべての防御者も驚くべき勢いで発砲した。前進してくる群れは速度を緩めた。その中に倒れる者が出始めた。前の数人が手を振り上げて倒れ/他の数人が彼らを運び始めた。射撃は徐々に減少した。そのとき駆け戻ってきたのは二、三人だけだった。残りの全員は尻尾を巻いて、慌てて遮蔽された脇道に逃げ込んでおり、大砲(捕獲された十二ポンド砲のうちの一門)は車道の真ん中に置き去りにされ、周りには十余りの形の崩れた黒い物体が横たわっていた。
守備側は歓声を上げ、それに応えて周囲の家々からの射撃音が増大した。
約十五分が経過した、そしてそのとき反乱側は脇道からメインのアプローチに流れ出し、小麦粉の袋を積んだ四台のカートを押し始めた。防御側は再び速やかに発砲した。弾丸は袋に当たって、奇妙なクリーミーな白い雲を上げた/しかしこの可動性のカバーに守られた攻撃側は着実に前進を続けた。彼らは大砲にたどり着くとカートの後ろから袋を下ろし、完全な胸壁をつくるとその後ろに跪いた。数人が発砲を始めた/他の数人は現在守備側の攻撃が向けられている大砲を発射するために奮闘した。二人の犠牲者を出しながらも、彼らはそれに装弾し、門に向けることに成功した。三人目の犠牲者は前進して着火のためのフリクション・プライマー(*これに取りつけた引き綱を引くと摩擦で大砲の火薬が点火される)を取りつけた人物だった。
ティロはしっかりと狙いを定めて撃った。そして遠くの人影が崩れ落ちた。
「お見事」感心して軍曹は言った、そして決死の勇気を持って大砲を発射しようと前進してきた別の標的を撃つために前方に身を乗り出した。彼は正確性を上げるために標的に狙いをつけて長く静止し/小銃射撃の教本通り、息を止めて静かに引き金を引き始めた。突然、鈍い衝撃音と粉砕音が相半ばするとても奇妙な音がした。ティロはとっさに左に跳び退いて、辛うじて血や肉片の飛散を避けた。銃眼を覗き込んだ軍曹が砲弾の出迎えを受けて殺されたのだった。遠くの男は砲身を据え、引き綱を掴んで、後ろ脇に立って砲撃しようとしていた。
「門から離れろ」ティロは作業班に叫んだ/「援護できない!」彼はライフルを挙げ、機を見て発砲した。同時に大砲から大きな煙の雲が噴出し、別の雲が宮殿の門に立ち昇った。木造部は粉々に砕けて破裂弾の破片とともに飛び散り、慌てて遮蔽物へと逃げて行く作業班に追い付いて死傷させた。
周囲の家や通りの全ての方向から長く大きな歓声が上がった。そして後方で待っていて大砲の爆発音を聞いた何千もの人々がそれに加わった。しばらく反乱側の発砲が増加したが、たちまちラッパが根気良く鳴り始めた。そして約二十分後に小銃射撃は完全に止まった。そしてバリケードの上から白い旗を持った人物が前に出てきた。後に他の二名が従っていた。宮殿側はハンカチを振って休戦に応じた。代表団は粉砕された門までまっすぐに歩いて行った。そしてリーダーは門を通り抜けて中庭に入った。彼を見て、どのような条件が出されるかを聞くため、防御者の多くが持ち場を離れた。来たのはモレだった。
「あなた方全員に降伏を呼びかけます」と彼は言った。「フェアに裁かれるまで、あなた方の命は守られます。」
「私に言って下さい、サー」ソレントが前に出て来て言った/「ここの指揮を執っているのは私です。」
「共和国の名の下にあなた方全員に降伏を呼びかけます」とモレは大声で繰り返した。
「兵士に話しかけることを禁じる」とソレントは言った。「もう一度話しかけたなら、その旗があなたを守ることはないだろう。」
モレは彼の方を向いた。「抵抗は無駄です」と彼は言った。「どうしてこれ以上の命を失おうとするのですか?降伏すればあなた方の命は救われるのです。」
ソレントは思案した。おそらく反乱側は艦隊が近づいていることを知っているのだろう/そうでなければ彼らは条件を出したりはしないはずだ、と彼は思った。時間を稼ぐ必要があった。「条件を検討するのに二時間かかるだろう」と彼は言った。
「駄目です」モレは断固として答えた。「すぐに降伏しなければなりません。今ここで。」
「我々はそのようなことはしない」と戦争長官は答えた。「宮殿は防御可能である。艦隊と勝利した野戦軍が帰ってくるまで、我々は宮殿を守る。」
「すべての条件を拒否するのですか?」
「我々はあなたが申し出たすべての条件を拒否する。」
「兵士の皆さん」モレは再び兵士たちに向かって言った「皆さんが命を捨てることがないよう、心からお願いします。私はフェアな条件を出します/拒否しないで下さい。」
「若造」ソレントは怒りを募らせながら言った「私はすでに十分に理由を言ってお前と話をつけた。お前は一般人であって戦争の習慣を知らない。私には警告する義務がある、お前がまだ政府軍の忠誠心をたぶらかそうとするなら撃つ。」彼はリボルバーを抜いた。
モレは注意を払うべきだった/しかし彼は元々、機転が利かず、勇敢で、衝動的な人物だったので、気にかけなかった。その温かい心はさらに失われようとしている人命を惜し気なく救いたいと思っていた。加えて、ソレントが冷酷に彼を撃つなどとは信じられなかった/それは無情すぎるだろう。「皆さん全員に生きて欲しいのです、」と彼は叫んだ/「死を選ばないで下さい。」
ソレントはピストルを挙げて撃った。モレは地面に倒れた。白い旗の上に血がちょろちょろと流れ始めた。しばらくの間、彼は身をよじって震えていた。そして静かに横たわった。脅しが実行されるのを見るとは思っていなかった傍観者たちから戦慄のざわめきが上がった。しかしこの戦争長官のような人物の慈悲を当てにするのは良いことではない/彼らはその人生を習慣や規則によって生きすぎているのである。
門の外にいた二人の人物は銃声を聞いて、覗き込んで、見た。そして飛ぶように仲間の元に帰った。一方守備側は今やすべての希望を捨てなければならないと感じて、ゆっくりとむっつりと持ち場に戻った。休戦の噂を聞いて、彼の想像の中で生存への、そしておそらく復讐への新たな展望が開けたため、大統領は部屋から出て来た。階段を下りて中庭に入ったとき、至近距離の発砲に彼は驚いた。条件の持参人のありさまを見たとき、彼はよろめいた。「なんてことだ!」ソレントに言った「なんてことをしてくれたんだ?」
「私は反逆者を撃ったのです、サー」その心中は不安でいっぱいだった。しかし彼はしらを切り通そうとした。「軍の反乱と脱走を扇動したからです、その旗がもはや彼を保護しないという、然るべき警告をした後のことです。」
モララは頭の上から足の先まで震え上がった/最後の退路が断たれたと感じた。「貴官は私たち全員に死刑を宣告したのだ」と言った。そして身体をかがめて、死んだ男のコートから突き出していた紙を手に取った。中には次のように書かれていた:私はあなたに共和国の前大統領アントニオ・モララと大統領官邸を守っている将校、兵士、そして支持者の降伏を受け入れることを許可します。彼らの命は救われ、政府の判決が出るまで保護されなければなりません。公安評議会代表―サヴローラ。そしてソレントは彼を―群衆の怒りから彼らを救うことができた唯一の男を殺してしまったのだった。モララは心が病んで話すことができずに顔を背け/それと同時に街区の家々からの発砲が猛烈な勢いで再開された。今や包囲者たちは彼らの使者に何が起こったかを知ったのだった。
そしてその間ずっと、モレは中庭にとても静かに横たわっていた。そのすべての野心、その熱意、その希望は完全に停止してしまった/彼のこの世における役割は終了し/彼は過去の海に沈んで、泡すらも残さなかった。ローラニア政府に対する陰謀のすべての策略において、サヴローラの存在が彼のそれを矮小化してしまっていた。それでも彼は愛情と頭脳と度胸を持った人物であって、もっと多くのことを成し遂げられたはずだった/そして彼には母親と二人の妹がいて、彼が踏んだ土を愛し、彼を世界で最もすばらしい男だと思っていたのである。
ソレントは長い間自分の所業を見ながら立ちつくしていた。不味いことをしたという思いが徐々に膨らんでいた。彼の気難しく強固な性質が本物の自責の念を抱くことはあり得なかった。しかし彼は長年モララを知っていて、彼の悲嘆を見てショックを受け、そして自分がその原因をつくってしまったことに苦悩した。彼は大統領が降伏を望んでいることに気づいていなかった/気づいていたなら、と自問自答した、自分はもっと寛大だったことだろう。失地を回復する方法はないものだろうか?モレに降伏を受け入れることを許可した人物は大衆に力を持っている/彼は市長公邸にいるはずだ―使者を送らねばならない―しかしどうやって?
ティロ中尉がコートを手にして近づいて来た。上官の残忍さに嫌気がして、言葉にしなくともはっきりと自分の気持ちを表そうと決心したのだった。彼は遺体の上に身をかがめ、手足を揃えた/そして白い表情を失った顔にコートをかけ、立ち上がって不躾な態度で大佐に言った:「彼らは数時間以内に大佐殿をこのようにしようとするでしょう、サー。」
ソレントは彼を見て刺々しく笑った。「プー!私が何を気にするのかね?私くらいたくさんの戦いを経験していれば、君もこんなに多感ではなかったことだろう。」
「私がこれ以上を経験することはないでしょう、大佐殿が私たちの降伏を受け入れることができる唯一の人物を殺したのですから。」
「もう一人いる」と戦争長官は言った。「サヴローラだ。生きたいのなら、行って、彼にあの犬どもを止めさせなさい。」
ソレントは吐き捨てた。しかしその言葉は中尉の心を動かした。サヴローラ―ティロは彼を知っていて、彼に好感を持っていて、自分たちには通じ合うものがあると感じていた。もし自分が迎え入れられたなら、そのような人物に会えるのである/しかし宮殿を離れることは不可能と思われた。反乱側の攻撃が向けられていたのは正面玄関側だけだったが、厳重な包囲と弾の雨は全周にわたって継続されていた。包囲側の前線を道路から突破することは問題外だった。ティロは残りの選択肢について考えた/トンネルはなく/気球は一つもなかった。絶望的な課題に頭を振り、彼は澄んだ空気をじっと見つめて思った:「鳥でもなければ無理だ。」
宮殿と上院と主要な官公庁は電話で接続されていて、偶然にも大都市の東端からその屋根まで電線の本線が横切っていた。ティロが見上げると、頭上に細い線が見えた/二十本くらいありそうだった。戦争長官は彼の視線を追った。「電線を伝って行けないかね?」真剣に彼は尋ねた。
「やってみます」中尉はそのアイデアに興奮して答えた。
ソレントは握手をしようとした。しかし少年は後ろに下がって敬礼し、背中を向けた。彼は宮殿に入って、平らな屋根に通じる階段を上った。その試みは大胆で危険なものだった。反乱側が空中の彼を見つけてしまったらどうなるのだろうか?彼はしばしばカラスを豆ライフルで撃ったものだった。空を背景にした、木の枝の間の黒い点である。その考えは奇妙に不愉快なものだった/しかし、命の危険を冒して銃眼を覗いている人々は狙いを定めるのに余念がなく、ぼんやりと視線を漂わせることは滅多にない、と思い直して自分を慰めた。彼は屋根に足を踏み入れ、電信柱まで歩いた。その強度に疑いの余地はなかった/それでもやはり彼は立ち止まってしまった。ほとんど勝ち目がなく、死を身近に、恐ろしく感じたのだった。彼の信仰は多くの兵士のそれと同様、ほとんど役に立たなかった/それは滅多に思い出されず、ほとんど理解されず、決して掘り下げられることのない、単なる決まり文句の寄せ集めだった。そして、紳士がするように自分の義務を果たすならば物事はうまくいくだろう、という楽観的でありながらも権威のない信念だった。彼には哲学がなかった/ただ自分が持っているすべてのものが危険に晒されていると感じていただけで、それが何のためなのかは分からなかった。その理由付けにはまだ埋められない空白があったにせよ、彼はそれを成し遂げられるだろうと考えた。そしてまっしぐらに突き進むことにした。自分に言い聞かせた「豚どもをへこませてやるんだ」そしてこの思いに奮い立って彼は恐怖を振り払った。
彼は一番下のワイヤーまでポールをよじ登った/そして身体を高く引き上げて碍子に足を乗せた。ワイヤーは二本ずつ組になってポールの両側を走っていた。彼は一番下の二本の上に立ち、一番上の二本を腋にはさみ、手を下に伸ばしてそれぞれの手でもう一本ずつを掴んだ。そしてぎこちなくあちこちを動かしながら出発した。全長は約七十ヤードだった。欄干を通り過ぎるとき、彼は下の通りを見下ろした―はるか下に見えた。家々と宮殿の窓からの撃ち合いが絶えることはなかった。六十フィート下には死んだ男が横たわっていて、輝く太陽をまぶしがることもなく、ワイヤーの下から見上げていた。彼は銃火をくぐったことがあったが、これは新奇な体験だった。全体の真ん中に近づくにつれてワイヤーが揺れ始めた。しっかりと握らなければならなくなった。傾斜は始め彼に有利だったが、中央を通過した後は登りになって不利になった/足がしばしば後ろに滑って、ワイヤーが腋の下に食い込み始めた。
距離の三分の二までを安全に渡ったところで、左足の下のワイヤーがパチンと切れて、向かいの家の壁に鞭を打つように落ちた。体重が肩にかかった/鋭い痛みが走った/彼は身をよじり―滑り―でたらめに握りしめ、途方もない努力を払って体勢を立て直した。
下の階の窓にいた男が、その後ろに隠れて発砲するためのマットレスを引っ込めて、頭と肩を突き出した。ティロは見下ろした。そして彼らの目が合った。男は狂ったように興奮して叫び、至近距離から中尉にライフルを発射した。銃声の轟きで弾丸がどれだけ近くを通過したかは分からなかった/しかし彼は、当たらなかった、と感じて電線を渡るための奮闘を続けた。
終点に着いた/すでに行くも戻るも致命的だった。「やり抜くぞ」彼は自分に言ってワイヤーから家の屋根に飛び降りた。トタン屋根のドアは開いていた。屋根裏の階段を駆け下り、踊り場に出て、手すりの上から覗き込んだ/誰もいなかった。敵はどこにいるのだろう、と思いながら狭い階段を慎重に降りた。やがて三階の通りに面した部屋に行き当たった。壁から離れないようにして部屋の中を覗き込んだ。部屋の中は薄暗かった。窓は箱、旅行鞄、マットレス、そして土を詰め込んだ枕カバーで塞がれていた/割れたガラスが壁からの漆喰の欠片と混ざり合って床に散らばっていた。狭い隙間や銃眼から差し込む光の中で彼は奇妙な光景を見た。部屋には四人の男たちがいた/一人は仰向けになっていて、その他は彼の上にかがみこんでいた。ライフルは壁に立てかけられていた。彼らの目は、どんどん広がる血溜まりの中で床に横たわって、ゴボゴボとむせながら、そして明らかに話をするために途方もない努力をしている仲間だけに向けられていた。
中尉は既に十分に見た。通りに面した部屋の奥側にはカーテンのかかった出入り口があった。彼はその後ろに滑り込んだ。何も見えなくなったが、ひたすら耳を傾けた。
「かわいそうに」という声がした「これは本当にまずいぞ。」
「どうしてこんなことになっちまったんだ?」別の声が尋ねた。
「ああ、こいつは撃つために窓から身を乗り出してたんだ―弾丸が当たって―肺を突き抜けたんだと思う―空中を撃って、叫んだんだ。」そしてより低く、それでも聞き取れる声でつけ加えた「やられた!ってな」
負傷した男は異常な音を立て始めた。
「逝く前にかみさんに何か言い残したいんじゃねえか」と職人言葉の革命家の一人が言った。「なんだい、相棒?」
「鉛筆と紙を渡してやれ/こいつはもう喋れねえ。」
ティロは身も凍る思いがした。リボルバーにそっと手を伸ばした。
一分近くの間、何も聞こえなかった/それから叫び声が上がった。
「神にかけてやつをとっ捕まえてやる!」と職人は言った。そして彼ら三人全員がカーテンのついたドアの前をバタバタと通り過ぎ、上の階に駆け上がって行った。一人の男がカーテンの真ん前で立ち止まった/彼はライフルに装弾していて/弾薬筒が動かなくなったので/それを床に叩きつけて、成功したことは明らかだった。中尉には遊底のクリック音が聞こえたのである。そして素早い足音が仲間に続いて屋根に向かって行った。
彼は隠れ場所から出て、こっそりと下の階に向かった。しかし開いている部屋を通り過ぎるとき、覗き込まずにはいられなかった。負傷した男はたちまち彼を見つけた。そして床から半分立ち上がって、叫ぼうとして、恐るべき奮闘をした/しかし、はっきりした声は出せなかった。ティロは偶然自分のかけがえのない敵になったこの見知らぬ人物を一寸見た。そして流血と危険が目覚めさせた、人の心に潜む、あの残酷な悪魔に唆されて、彼の手に乱暴にキスをした。痛烈な嘲笑だった。痛みと怒りの激発で相手は後ろに倒れ込み、喘ぎながら床に横たわった。中尉は急いで立ち去った。一階に着くと台所に向かった。その窓から地面までは六フィートしかなかった。彼は窓の下枠に飛び乗って、裏庭に飛び降りた。そしてそのとき、突然激しいパニックに襲われて全速力で走り始めた―来た道を戻れる望みはない、という恐怖だった。
第XVIII章 窓から
ローラニアの首都で次々と起こった大事件は男たちの心を目下の緊急事態でいっぱいにしていた。しかし女たちについては違った。通りには目の覚めるような光景、血気、そして興奮があった。戦争の危険と至近距離の乱戦は数多くの献身的行為、そして残虐行為の機会をもたらした。勇敢な者はその勇気を示し/残酷な者はその野蛮さに耽り/中間的なタイプはその瞬間の仕事に興奮していた。そして不本意な恐怖の時間はほとんどなかった。家の中ではそれは違っていた。
ルシールは最初の銃声にびくっとした。聞こえる音は多くはなかった。遠くの慌てたようなポンポンという音と、時折の不調和な衝突音が聞こえるだけだった/しかし彼女はこれらすべてが意味することを知って身震いした。物音からすると、下の通りは人でいっぱいのようだった。彼女は立ち上がって窓辺に行き、下を見た。薄暗いガス灯の光の下、男たちがバリケードで忙しく働いていた、それはドアの約二十ヤード宮殿側で道路を遮断していた。彼女は不思議に興味を抱いてせわしく働いている人々を見た。それは彼女の気を紛らわせた。もし何も見るものがなかったら恐ろしいサスペンスに発狂してしまうだろう、と彼女は思った。どんな細部も彼女の気を逸らすことはなかった。
彼らがなんと一生懸命働いたことだろう!バールとつるはしを持った男たちが敷石をこじ剥がし/他の者たちは重さによろめきながらそれを運び/他の者たちは再びそれを積み上げて道路を遮断する強い壁をつくった。二、三人の少年たちが誰にも負けないくらい一生懸命働いていた。小さい子が持っていた石を足の上に落とし、たちまち座り込んでおいおい泣き出した。仲間がやって来て、蹴飛ばして奮起を促したが、余計に泣いただけだった。やがて水のカートが到着した。喉が渇いた建設者たちは三、四人で連れ立って飲みに行き、二つの錫のマグカップと一つのガリポット(*陶器の小壺)で水を掬った。
周りの家の人々はドアを開けさせられ、そして反乱者たちはバリケードに置くため、あらゆる種類のものをぞんざいに引きずり出した。ある一団は彼らが価値ある獲物と考える何本かの樽を発見した。彼らは樽の片側を叩き壊し、舗装を剥がした歩道の土をシャベルで一杯ずつ入れ始めた。それは長い仕事だった。しかし、彼らはついにそれを成し遂げ、樽を壁の上に持ち上げようとした/しかし重すぎたためそれは地面にドシンと落下して、すべてバラバラになってしまった。これに彼らは激怒し、赤い襷を掛けた将校が現れて黙らせるまでプリプリと口論していた。彼らはもう樽に土を入れようとはしなかったが、再び家に入ると快適なソファを運び出し、むっつりと座ってパイプに火をつけた。しかし彼らは一人、また一人と仕事に戻って、不機嫌の発作から少しずつ抜け出し、品位を気にかけるようになった。そしてこの間中ずっと、バリケードは着実に成長していた。
ルシールはなぜ誰もサヴローラの家に入って来なかったのかと思った。やがて彼女はその理由に気がついた/玄関先にライフルを持った四人編成の監視隊がいたのである。あの網羅的な知性は何事も忘れてはいなかった。そして時間が過ぎた。時折その思考は自分の人生を襲った悲劇に立ち返り、彼女は絶望してソファに沈み込んだ。一度、彼女はとてつもない倦怠感から一時間のうたた寝をした。遠くの銃声は聞こえなくなって、単発のものが時々聞こえたが、街は概して静かだった。不思議な不安感とともに彼女は目を覚まして、再び窓に駆け寄った。今やバリケードは完成し、建設者たちがその後ろで横になっていた。彼らの武器は壁に立てかけられていた。壁の上には二、三人の見張りが立って、絶えず通りを監視していた。
まもなく通りに面したドアをドン、ドンと叩く音がして、彼女の胸は恐怖に高鳴った。彼女は注意深く窓から身を乗り出した。監視隊はまだ同じ場所にいた。しかし別の人物が彼らに加わっていた。ノックに対する返答がなかったため、彼は身をかがめ、ドアの下に何かを押し込んで行ってしまった。しばらくしてから彼女は勇気を奮い起し、暗い階段を忍び歩いて、それが何なのかを確認しに行った。マッチの光で見ると、それは家と通りの番号だけを記したルシール宛のメモだった―ローラニアではアメリカの都市のようにすべての通りに番号が付けられているのである。それはサヴローラからのもので、鉛筆書きで、こういう趣旨だった:街と砦は私たちの手に渡りました、しかし日中に戦いがあるでしょう。決して家を出たり、ご自分を人目に晒したりしないで下さい。
日中に戦い!時計を見ると―五時十五分前だった。すでに空は明るくなりつつあった/その時が近づいている!恐れ、悲しみ、不安、そして並大抵ではない痛みを伴った彼女の夫に対する憤りが心の中で相争った。しかしバリケードの後ろで眠っている人々はこれらのどの感情にも悩まされていないように見えた/彼らは静かに黙って横になっている、悩みのない疲れた男たちだった。しかし彼女はそれが来ることを知っていた。それは彼らが跳び上がって目覚めるような、けたたましく恐ろしいものだった。彼女はまるで劇場で演劇を見ているように感じた。窓がボックス席のように思えた。彼女がしばらくそこから目を離していると、突然ライフル射撃の音が響いた。通りの約三百ヤード宮殿側から聞こえたことは明らかだった。そしてバチバチという発射音、軍隊ラッパ、叫び声が聞こえた。バリケードの防御者たちは跳び上がり、狂ったように焦って武器を手に取った。さらに発砲があった。しかし彼らはまだ応射しなかった、そこで彼女は思い切って、窓の外に頭を出さずに、何が彼らの邪魔をしているのかを見ようとした。彼らは皆、バリケードの上でライフルを持って大いに興奮しており、大勢が早口で短い会話をしていた。すぐに百人近くの男たちの群れが壁に駆け寄って来て、助け合いながらよじ登り始めた。彼らは味方だった/そこで彼女は気がついた。バリケードは他にもあって、窓の下のバリケードは二列目なのではないのだろうか。実際これは正しかった。一列目は既に奪われていたのである。この間ずっと宮殿方面からの発砲が続いていた。
逃げてきた人々が壁を超えるや否や、二列目の防御者たちは発砲を開始した。すぐ傍のライフルの響きは他よりとても大きく、それが放つ閃光はとても眩しかった。しかし日の光は一分ごとに強くなってきた。そしてまもなく吐き出される煙のパフが見えるようになった。反乱側は沢山の種類の銃で武装していた。古い前装式マスケット銃を持った一部の人々は、槊杖を使うために立ち上がってバリケードから降りなければならなかった/より近代的な武器で武装した人々は遮蔽物の後ろにかがみ続けて絶え間なく発砲した。
小さな人影でいっぱいの光景は天井桟敷から見る劇場の舞台のようだった。彼女はまだ怖くなかった/なんの被害もなく、誰もどこも悪いようには見えなかった。
そう思った瞬間、バリケードから地面に下ろされる人物がいることに気がついた。青ざめた顔が明るくなりかけた日光の下にはっきりと見えた。たちまち彼女はひどい吐気に襲われた/しかし魔法にかかったようにその光景から目を離せなかった。四人の男たちが負傷者の肩と足を持ち、胴を低く下げるようにして運んで行った。彼らが視界から外れると、彼女は壁を振り返った。さらに五人の男たちが負傷していた/四人が運び去られなければならなかった。もう一人は仲間の腕に寄り掛かっていた。さらに二人の人物がバリケードから引き離され、邪魔にならないよう無造作に歩道に横たえられた。彼らは誰にも気に留められることなく、ただ地下室の階段の柵の傍に寝かされていた。
そして通りの向こうの端からドラムと甲高いラッパの音が響いて来て、何度も何度も繰り返された。反乱側は狂ったように興奮して、できる限りの速さで撃ち始めた/数人が倒れた。そして銃声越しに奇妙な音が、かすれたような、ウォーという叫び声が聞こえて、たちまち近づいて来た。
バリケードの上から一人の男が飛び降り、通りを走り始めた/五、六人がすぐ後に続いた/そして三人を除く、すべての防御者が接近してくるその奇妙な叫び声から急いで逃げた。何人かはさらに数人増えていた負傷者を引きずって行こうとした/彼らは痛みに叫び声を上げ、放っておいてくれるようにと懇願した。それにもかかわらず一人の男がその足首を持って、荒れた道路の上をゴツン、ゴツンと引き摺って行くのを彼女は見た。踏みとどまった三人の男たちは胸壁の後ろから整然と発砲していた。すべて数秒おきだった/そして威嚇的な叫び声はその間中ずっと近づいて来ていた。
それから一瞬にして人の波―もみ革色で縁取られた青い軍服を着た兵士たち―がバリケードに押し寄せ、乗り越えた。一番先頭を行く将校が、ほんの少年だったが、反対側に飛び降りて叫んだ「臆病な悪魔どもを片づけるぞ―来い!」
三人の不動の男たちは寄せる波の下に沈む岩のように姿を消した。兵士の群れがバリケードを乗り越えた/彼らのグループが負傷した反乱者の周りに群がり、銃剣を下に向けて獰猛に仕事をしているのを彼女は見た。そのとき魔法が解けて、状況が動き出し、彼女は叫びながら窓からソファに駆け寄って、クッションに顔を埋めた。
今や大変な騒動になっていた。特にサヴローラの家のある通りと平行する大通りの方向からの銃声は大きく、継続的だった。騒音に兵士たちの叫び声と、軍靴の音が加わっていた。戦闘の波は次第に家を通り過ぎて市長公邸の方に進んで行った。これに気づいたとき、彼女は自分のすべての心配事を思い出した。戦いは反乱側の不利に進行していた/彼女はサヴローラのことを考えた。そして祈った―不注意な耳に入らないことを願って、自分の懇願を宇宙に送り、身悶えるように祈った。名前は言わなかった/しかし、彼女が夫である大統領よりも愛する反逆者の勝利を祈ったことを、全知の神々は冷笑しながら言い当てたことだろう。
まもなく市長公邸の方向からものすごい物音がした。「カノン砲」と彼女は思ったが、窓の外を見る勇気はなかった/恐ろしい光景が好奇心そのものを蝕んでいたのだった。しかし銃声が近くに、再び戻って来るのが聞こえた/そしてそのことに、彼女は不思議な喜びを感じた/あらん限りの恐怖の真っ只中で、戦争における成功の喜びのようなものを感じたのである。人々の奔流が家を通り過ぎて行く音がした/窓の下で銃声がした/そして通りに面したドアがドン、ドンと大きな音で叩かれて、打ち壊された。家に侵入された!彼女は部屋のドアに駆け寄って鍵をかけた。階下で数発の銃声が聞こえて、木が割れる音がした。退却する軍隊の銃声は家を通り過ぎて、徐々に宮殿の方へと漂って行った/しかし彼女はそれに注意を払っていなかった/他の音、近づいてくる足音に立ちすくんでいたのである。誰かが階段を上って来ていた。彼女は息を止めた。未知の人物は取っ手を回し、ドアがロックされていることを知るとそれを荒々しく蹴った。ルシールは叫んだ。
蹴るのが止まった。そして彼女は見知らぬ人物が上げる恐ろしいうめき声を聞いた。「どうか情けをかけて下さい。中に入れて下さい!怪我をしていて、武器も持っていないのです。」彼は哀れに泣き始めた。
ルシールは耳を傾けた。たった一人きりのようだし、怪我をしているなら彼女を傷つけることもないだろう。外でまたうめき声が聞こえた。同情心が起こった/彼女はドアのロックを解除し、それを注意深く開けた。
一人の男が素早く部屋に入ってきた/ミゲルだった。「閣下失礼いたします」と彼は落ち着き払って、この落ち着きこそが彼のけちな魂をいつも強くしていたのだが、もの柔らかに言った/「隠れる場所が要るのです。」
「怪我はどうしたのです?」彼女は言った。
「ruse-de-guerre(*ルーズ・デ・ゲー、戦争の策略)です。中に入れていただきたかったのです。隠れる場所はありますか?すぐに追手が来るかもしれません。」
「そこから屋根の上か、天文台に行けます」彼女はもう一枚のドアを指差して言った。
「彼らには言わないで下さい。」
「どうして私が?」と彼女は答えた。男は間違いなく平静だったが、彼女は彼を軽蔑した/それが自分の目的に適いさえするのなら、彼はどんなに汚い物でも食べることをよく知っていたのである。
彼は上がって行って屋上の大きな望遠鏡の下に隠れた。それまで彼女は待っていた。その日は様々な感情が続けざまにどんどん心を通り過ぎて行ったので、もうこれ以上のストレスには耐えられない、と感じた/重傷を負った後の痺れや傷の感触のような、鈍い痛みの感覚が残っていた。銃声は宮殿の方向へと後退して行った、そして今では町の中のすべてが再び比較的静かになっていた。
九時ごろ正面玄関のベルが鳴った/しかし今やドアが壊れていたので、彼女はあえて部屋を出ようとはしなかった。しばらくすると人々が階段を上ってくる音が聞こえてきた。
「ここに女性はいません/お嬢さんは一昨日の夜に伯母さんのところに帰ったのです」と声がした。それは老婦人だった/喜びに跳び上がり、狂おしい程に同性の共感を切望して、ルシールは駆け寄ってドアを開けた。そこにはベティンがいた。そして一緒にいた反乱軍の将校が手紙を手渡して言った。「President(*大統領、会長)からです、マダム。」
「President!」
「公安評議会の。」
このメモはただ政府軍が撃退されたということを彼女に伝えるだけのものだった。そして次の言葉で結ばれていた:今や結末は一つだけです。それは数時間以内に成し遂げられるでしょう。
返事をされるなら階下で待っています、と言って将校は部屋を出た。ルシールは年老いた保母をドアの中に引き入れ、彼女を抱きしめて泣いた。彼女はあの恐ろしい夜の間中どこにいたのだろうか?ベティンは地下室にいた。サヴローラは彼女のことを何よりも大切に思っていたようだった/彼は彼女にベッドをそこに降ろすように言った。そして前日の午後にはその場所にカーペットを敷き、家具を置きさえした。彼女は言われた通りそこに居た。彼女のアイドルへの完全な信頼はそのすべての恐れを払いのけた。しかし彼女は彼について「ものすごく気を揉んだ。」彼は彼女のすべてだった/他の女性は愛情を夫、子供、兄弟、姉妹に撒き散らす/しかし彼女の年老いた優しい心のすべての愛は、無力な赤ん坊だった頃から世話をしてきた男に集中していた。そして彼もそれを忘れていなかった。彼女はこう書かれた紙片を誇らしげに見せた、ご無事で。
朝の間ずっと続いていた銃声は、今や宮殿の方向から控えめに聞こえて来るだけになっていた/通りが再び静かになったのを見て、ミゲルが隠れ場所を出て、再び部屋に入って来た。「Presidentにお会いしたいのです」と彼は言った。
「夫のことですか?」ルシールは尋ねた。
「いいえ閣下、セニョール・サヴローラの方です。」ミゲルは状況に素早く適応していた。
ルシールは将校のことを思い出し/ミゲルに彼のことを話した。「彼があなたを市長公邸に連れて行ってくれるでしょう。」
秘書は喜んで/階段を駆け下りて行って、姿が見えなくなった。
実用的な精神を持つ老保母は忙しく朝食の準備をした。ルシールは物思いを紛らわせるために彼女を手伝った。そして間もなく―人間とはそういうものだが―卵とベーコンに安らぎを見つけた。監視隊が再び通りのドアに配置されていることに気がついて、彼女らは安心した。それを発見したのはベティンだった。ルシールの気分は変わっていなかった。あのような怖しい光景を目撃した通りをまた見下ろしたくはなかったのである。そして彼女は正しかった。バリケードは今や打ち捨てられていたが、その周りや上には数時間前まで人間だった二十前後の物体が横たわっていたのである。しかし十一時頃、人夫と二台の清掃カートが到着した/そしてすぐに、財産以外の何かが破壊されたことを示すのは歩道の血痕だけになった。
朝はゆっくりと不安に過ぎて行った。宮殿付近の発砲は続いていたが、遠かった。時折それは鈍い轟音に膨れ上がった。またある時には個々の銃声が素早いガラガラ音のように聞こえた。ついに二時半ごろ、それが急に止まった。ルシールは慄いた。戦いが決着したのである。どちらか一方に。彼女の心はすべての可能性に直面することを拒んだ。時に彼女は狂おしい恐怖に襲われ、年老いた保母にすがりついた。なだめることはできなかった/その他の時は家事を手伝ったり、気の毒な老人が不安を快適さで消し去ろうと用意してくれたさまざまな食事を味わったりした。
発砲の停止の後の不気味な沈黙は長くは続かなかった。最初に大きな大砲の音が聞こえたのは、ベティンがそのためにわざわざ作ったカスタード・プリンをルシールに食べさせていたときだった。遠く離れていたにもかかわらず、ものすごい爆発音が窓をガタガタと鳴らした。彼女は身震いした。これは何だろう?すべてが終わったことを期待していたのに/しかし爆発は次から次へと続いて、港からの連続砲撃の雷鳴は、ほとんど彼女らの声をかき消すまでになった。二人の女性にとって、うんざりする待ち時間だった。
第XIX章 教育的経験
ティロ中尉は無事に市長公邸に到着した。通りは興奮した人々でいっぱいだったが、彼らは平和的な市民であって、サヴローラに会うために送られたと聞くと通行を許してくれた。公邸は塑像や彫像で丹念に装飾された、壮大な白い石の建造物だった。その前面には鉄柵で囲まれた、三つの門を持つ広い中庭があった。その中には市のかつての大物たちの大理石像に囲まれた大きな噴水があって、絶えず心地よい効果を与えていた。建物全体がローラニアの首都の豊かさと壮麗さにふさわしいものだった。
銃剣を装着した反乱軍の二人の歩哨が中央の門を警戒していた。そして然るべき許可を持たない何者の立ち入りも許さなかった。伝令たちがひっきりなしに中庭を急いで横切って行った。そして騎馬の従卒たちが全速力で出入りしていた。もし門がなかったなら、広い通り抜けは大いに興奮しながらも大部分は大人しくしていた大勢の人々で埋め尽くされていたことだろう。群衆の中で根も葉もない噂が手あたり次第に広まっていた。興奮は強烈だった。遠くの発砲の音は鮮明で継続的だった。
ティロは群衆の中を難なく通り抜けた。しかし門には歩哨が立ちはだかっていることに気がついた。彼らに進入を拒まれて、彼は一瞬、自分が冒した危険が無駄になることを危惧した。しかし幸運なことに、中庭をぶらぶらしていた市の係員の一人が、彼がモララの副官であることを見覚えていた。彼は一枚の紙に自分の名前を書いて、それをサヴローラ、すなわち今彼がそう呼ばれている、公安評議会の会長に渡してくれるよう頼んだ。係員は行って、十分後に革命派の赤い襷で光り輝いている将校と一緒に戻ってきた。彼はすぐに自分についてくるように言った。
市長公邸のホールは、もし自分の命を危険に晒すことなくそれができるものならば自由のために奉仕することを熱望する、興奮したおしゃべりな愛国者たちで溢れ返っていた。彼らは皆赤い襷を掛けていた。そして伝令が頻繁に到着しては壁に貼っていく、戦場からのディスパッチについて大声で議論し合っていた。ティロとその案内人はホールを通り抜け、廊下を急いで、小さな委員会室の入り口に到着した。数人の案内係と伝令がその周りに立っていて/一人の将校が外で番をしていた。彼はドアを開けて中尉が来たことを告げた。
「どうぞ」とよく知られた声が言った。ティロは入った。腰板のついた小さな部屋だった。深く、丈高く設置された二つのガラス窓には、分厚い、色あせた赤っぽいカーテンが掛かっていた。部屋の真ん中のテーブルではサヴローラが書き物をしていた/窓辺ではゴドイとレノスが話をしていた/隅で忙しく走り書きをしている別の男に、彼はしばらく気づかなかった。偉大な民主主義者が顔を上げた。
「おはよう、ティロ」と彼は上機嫌で声をかけた。そして少年の真剣で、もどかしい表情を見て、何が起こったのかと尋ねた。大統領は宮殿を明け渡そうとしている、とティロは早口で言った。「ああ」とサヴローラは言った「モレが行っています、全権を持っています。」
「あの方は亡くなりました。」
「どうして?」沈痛な声でサヴローラは尋ねた。
「喉を撃たれたのです」中尉は簡潔に答えた。
サヴローラは真っ青になった/彼はモレを好きだった。二人は長い間友人だった。闘争のすべてに対する嫌悪感に襲われた/彼はそれを堪えた/後悔している暇はなかった。「群衆が降伏を受け入れようとしない、ということですか?」
「きっと今ごろ、兵士を皆殺しにしているでしょう。」
「モレは何時に殺されたのですか?」
「十二時十五分です。」
サヴローラは、傍らのテーブルの上の紙を取り上げた。「これは十二時半に送られて来たものです。」
ティロはそれを見た。そこにはモレの署名があった。以下の内容だった:最終的な攻撃の準備をしています。すべて順調です。
「それは偽造です」中尉はシンプルに言った。「私は三十分前に出発したのです、そのときにはセニョール・モレが亡くなって十分が経っていました。誰かが指揮権を盗んだのです。」
「わかったぞ」サヴローラはテーブルから立ち上がった。「クロイツェだな!」彼は帽子と杖を手に取った。「行こう/止めなければ彼は間違いなくモララを、そしておそらく他の人たちをも殺すだろう。私が自分で行かなければならない。」
「何ですって?」レノスは言った。「最も不法なことです/あなたのいるべき場所はここです。」
「将校を送りましょう」とゴドイは提案した。
「人々に言うことを聞かせられる人物はいないでしょう。あなたがご自分で行かれるなら別ですが。」
「私が!無理です、絶対に行けません!私には考えられません」ゴドイは急いで言った。「無駄です/私には暴徒を説得することなどできません。」
「朝の間のトーンとずいぶん違いますね」サヴローラは静かに答えた「少なくとも政府軍の攻撃を撃退してからとは。」そしてティロに目を向けて言った「行こう。」
部屋を出て行こうとしたとき、中尉は隅で書き物をしていた男が自分を見ていることに気づいた。驚いたことにそれはミゲルだった。
秘書は皮肉に会釈した。「また一緒になりましたね」彼は言った/「ついて来れば良かったのに。」
「ばかにするな」ティロは心の底から軽蔑して言った。「沈む船から逃げ出すネズミめ。」
「やつらは賢い」と秘書は答えた/「そこにいても何にもならないのだからな。戦場から最初に逃げ出すのは副官である、というのはよく言われてきたことだ。」
「お前は呪われた汚らわしい犬だ」より馴染みのある初歩的な返し言葉に戻って中尉は言った。
「もう待てないよ」サヴローラがはっきりした命令口調で言った。ティロは従い、彼らは部屋を出た。
廊下を歩き、サヴローラが大きな歓声を浴びたホールを通り抜けて、彼らは馬車が待つ入り口に着いた。赤い襷を掛け、ライフルを持った十数人の騎馬の男たちが護衛として並んでいた。門の外の群衆は偉大なリーダーを見て、中の喝采を聞いて、叫び声を上げた。サヴローラは護衛の指揮官の方を向いた。「護衛は必要ありません」彼は言った/「それを必要とするのは暴君だけです。私は一人で行きます。」護衛は退いた。二人の男たちは馬車に乗り込み、強い馬たちに引かれて通りに出て行った。
「君はミゲルを嫌いですか?」しばらくしてサヴローラは尋ねた。
「やつは裏切り者です。」
「街は裏切り者だらけですよ。だって君からすれば私も裏切り者でしょう。」
「あぁ!でもあなたはいつも一貫していました」とティロはぶっきらぼう
に答えた。サヴローラは少し笑った。「つまり」と相手は続けた「あなたはいつも物事をひっくり返そうとしているのです。」
「私は自分の反逆に忠実だった、ということですね」とサヴローラは言葉を補った。
「はい、―私たちはいつもあなたと戦ってきましたが/あの毒蛇は―」
「まあ」とサヴローラは言った「見つけた人材はそのまま受け入れなければなりません/私心は誰にもあるものです。あなたが毒蛇と呼ぶ彼は哀れな生き物ですが/私の命を救ってくれました。そしてその代わりに自分の命を救ってほしいと頼んできたのです。仕方ないでしょう?その上彼は役に立ちます。財政の正確な状態を知っており、外交政策の詳細に精通しています。なぜ止まっているのですか?」
ティロは外を見た。通りはバリケードで閉鎖されて袋小路になっていた。「別の方向から行ってみて下さい」と彼は御者に言った/「すぐに行って下さい。」今や発砲の音がはっきりと聞こえるようになっていた。「今朝はもうほんの少しのところだったのに」とティロは言った。
「ええ」サヴローラは答えた/「攻撃を撃退するにはずいぶん手こずったと聞きました。」
「あなたはどこに居られたのですか?」少年は大変驚いて尋ねた。
「市長公邸で眠っていました/とても疲れていたのです。」
ティロは嫌悪感を抑えることができなかった。この偉大な人物はそんな臆病者だったのだ。政治家は自分の肌の手入れをし、自分たちの戦いに他の人々を送り出す、と常々聞いてきた。彼はどういうわけかサヴローラは違うと思っていた/彼はポロについてとてもよく知っていた/しかし、彼も他のすべての人々と同じだったのだ。
すぐに気が付くサヴローラは彼の表情を見た。そして再び乾いた笑い声を上げた。「君は私が通りにいるべきだったと思うのですね?信じて下さい。自分のいた場所で私はもっと有益なことをしていたのです。もし君も戦闘の間の市長公邸のパニックと恐怖を見ていたなら、何かをするより自信を持って眠っていた方がマシだと思ったことでしょう。その上、人の力でできることはすべて終わっていました/計算違いはしていませんでした。」
ティロは納得していなかった。サヴローラに対する彼の信用は壊れてしまった。彼はこの男の政治的な勇気について多くを聞いていた。彼の心の中では肉体は常に精神を上回っていた。サヴローラは単なる言葉の紡ぎ手であって、スピーチに関しては十分勇敢だが、苛酷な仕事をするときには慎重になるのだ、と彼はしぶしぶ納得することにした。
再び馬車が停止した。「通りはすべてバリケードで塞がれています、サー」と御者は言った。
サヴローラは窓の外を見た。「もうすぐそこだ。歩こう/憲法広場を横切ってわずか半マイルだ。」彼は飛び出した。町のこの辺りの通りと同じく、バリケードも放棄されていた。暴力的な反乱者のほとんどは宮殿を攻撃しており、平和的な市民は家の中か市長公邸の外にいたのである。
二台のワゴンの上下に敷石と土嚢を積み重ねた、凸凹の壁を彼らはよじ登った。そしてその先の道を急いだ。それは街の大きな広場に通じていた。遠い方の端には国会議事堂があり、その塔には反乱側の赤い旗が掲げられていた。エントランスの前には塹壕が掘られており、その上に数人の反乱側の兵士の姿が見えた。
彼らが広場の約四分一を横切ったとき、突然三百ヤード離れた塹壕、あるいはバリケードから煙のパフが吐き出され/さらに五、六発が間断なく続いた。サヴローラはびっくりして立ち止まってしまった。しかし中尉はすぐに理解した。「走れ!」叫んだ。「立像だ―後ろに隠れろ。」
サヴローラは出来る限りの速さで走り始めた。バリケードからの発砲は続いた。「チュー」とキスをするような音を彼は空中で二回聞いた/何かが前の歩道を打ったため破片が飛び散った。そして彼が通り過ぎた後には灰色の染みが出来て/傍らの地下室の柵は大きな音でタンタンと鳴り/道路のホコリが奇妙に吹き上がって何度も舞い上がった。走るにつれてこれらが意味することの実感が強くなった/しかし距離は短く、生きて像に到達することができた。その巨大な台座の後ろには二人分の十分な避難所があった。
「撃たれたね。」
「やりやがった」ティロは答えた。「くそっ!」
「しかし、なぜ?」
「この軍服です―悪いいたずら―走っているやつ―面白いのでしょう―やつらにとっては。」
「先を行かなくては」とサヴローラは言った。
「広場を横切ることはできません。」
「では、どうしよう?」
「像を挟んで銃から身を隠し、やつらから遠ざかる方向に進むのです。一本左側の通りに出ます。」
太い通りが巨大な広場の中心を通っていて、そこから彼らが進んで行く方向と直角に走っていた。像に隠れてこれを後退して行けば、その先を平行に走っている通りにたどり着けるのだった。これによって塹壕からの銃火を回避できるか、少なくとも危険な距離を数ヤードに減らすことができる。サヴローラはティロが指さした方向を見た。「きっとこっちの方が早い」広場を横切る方向を指差して彼は言った。
「はるかに早く」中尉は答えた/「三秒ほどであの世に行けます。」
サヴローラは立ち上がった。「行こう」と彼は言った/「私はそのような考えが自分の判断に影響を与えることを許さない。兵士の命が危機に瀕している/時間がない。さらにこれは教育的経験なのだ。」
彼の頬は上気し、その目はきらめいていた/彼のすべての無鉄砲さ、すべての興奮への嗜好が血管の中を駆け巡っていた。ティロは彼を見て驚いた。彼は勇敢だったが、狂った政治家に付き従って、死に向かって突進するのは愉快なことではなかった/しかし道案内を誰にも譲るつもりはなかった。彼はもう何も言わず、助走をつけるために一旦台座の奥に引っ込んだ。そして広場に跳び出して、できる限りの速さで走った。
どうすれば横切ることができるのか、彼には分からなかった。一発の弾丸が帽子のてっぺんを切り、もう一発がズボンを引き裂いた。彼は多くの兵士の戦死を見ていた。そして舗道の粉砕に自分を打ち倒す恐るべき一撃を予感した。顔を隠すかのように、彼は本能的に左腕を上げた。ついに彼は安全な場所に到着した。息が切れて、信じられないような気持だった。そして振り返った。サヴローラは真っすぐに立ったまま着実に歩いて、半分のところまで来ていた。三十ヤード離れたところで彼は立ち止まり、フェルト帽を取って、遠くのバリケードに向かってそれを挑戦的に振った。ティロは彼が腕を揚げて歩き出すのを見た、そして帽子は地面に落ちた。彼はそれを拾い上げなかった、そしてすぐにそばに来た。その顔は蒼白で、歯は食いしばられていて、すべての筋肉が硬直していた。「教えて下さい」と彼は言った「君たちにとってあれは激しい銃火ですか?」
「あなたは狂っている」と中尉は答えた。
「どうして?」
「あなたの命を投げ捨てること、やつらを挑発するために立ち止まることに何の意味があるのですか?」
「ああ」と彼は大いに興奮して答えた「私は運命に出会って帽子を振ったのだ。あの卑劣で無責任な獣に振ったんじゃない。宮殿に行こう/もう手遅れかもしれないが。」
彼らは人気のない通りを急いで通り抜けた、今や群衆の叫び声と声援に混じって、どんどん大きくなる小銃射撃の音が聞こえた。彼らは現場に近づいてグループになった人々の間を通り過ぎた。彼らのほとんどは平和的な市民であって、心配そうに騒動の方向を見ていた。兵士の軍服姿が目を引いたため、何人かが獰猛な視線を向けた/しかし、多くは帽子を取ってサヴローラに挨拶をした。それぞれに蒼白な怪我人を載せた担架の長い列が通り過ぎて、戦場からゆっくりと離れて行った。人混みが濃くなって、至る所に武器が見られるようになった。まだ軍服を着ている反乱側の兵士、仕事着の労働者、民兵の服を着た他の兵士、そして反乱の赤い襷を掛けたすべての人々が通りを埋め尽くしていた。しかしサヴローラの名前は本人が通る前に広まった。そして群衆は歓声とともに左右に分かれ、通り道を開けた。
突然前方の発砲が止まった。しばしの沈黙があり、続いて不揃いなバチバチという一斉射撃が起こった。そして多くの喉から低いどよめきが上がった。
「終わっちまった」中尉は言った。
「早く!」サヴローラは叫んだ。
第XX章 争いの終わり
ティロ中尉が電信線を伝って脱出した約十五分後、宮殿への攻撃は活発に再開された。さらに反政府側は新しいリーダーを見つけたようだった。戦術にかなりの連携が見られるようになったのである。すべての方面で発砲が増加した。そして攻撃側は援護射撃の下に数本の通りから同時に流れ出し、大通りを突進して、総攻撃を加えてきた。守備側は着実にそして効果的に発砲したが、前進してくる多勢を止めるには弾丸が足りなかった。大勢が倒れたが、それ以外は勢いよく押し進んだ。そして中庭の壁の下に隠れ場所を見つけた。防御側はこの屋外の防御線を保持できなくなったことに気づいて建物本体に戻り、エントランスの大きな柱で身を守った。そしてしばらくの間、壁の上に頭を出したり身体を晒したりしたすべての人々を正確に撃ち、敵の銃火を食い止めた。しかし、次第に反乱側がその大人数によって銃撃戦の支配権を獲得するようになった。そして今度は防御側が撃つために身体を晒すのが危険なことに気づく番になった。
攻撃側の銃火はどんどん激しくなり、防御側のそれは衰えていった。攻撃者は今や外壁全体を占領し、ついに政府側の生き残りの銃火をも完全に沈黙させてしまった。覗いている頭からは二十丁のライフルが発射されていた/しかし、彼らはこの意を決した兵士たちに注意深く敬意を払いながも、チャンスを逃さなかった。彼らは援護射撃と中庭の壁に守られて、門の破壊に使った野戦砲を運び込んだ。そして百ヤードの距離から宮殿を砲撃した。破裂弾が石造部を突き破った。そして大ホールで破裂した。次の弾は建物をほぼ完全に通り抜けた。そして反対側の朝食ルームで爆発した。カーテン、じゅうたん、椅子に火が付いて勢いよく燃え始めた/宮殿の防衛が終わりに近づいていることは明らかだった。
戦争のすべての出来事を純粋に専門的な見地から見るよう長い間自分を鍛えていて、自分が最も好む作戦は敗北した軍隊の後衛を務めることであると自慢していたソレントは、もう何もできることはない、と感じた。彼は大統領に近づいた。
モララは苦い絶望の表情を浮かべて大ホールに立っていた。彼は五年間そこに住んで、統治していたのである。床のモザイクは破裂弾の鉄の破片に剝ぎ取られ、傷ついていた/塗装された屋根の大きな破片が床に落ちていた/深紅のカーテンは燻っていた/割れた窓ガラスが床に飛び散っていた。そして宮殿の反対側から重い煙の雲が巻き上がっていた。大統領の姿と表情は破滅と破壊の光景によく調和していた。
ソレントはとても仰々しく敬礼した。彼は軍法以外に信じるべきものを持っていなかった。そしてそれをしっかりと握りしめていた。「サー」と彼は正式に始めた「反乱側が近距離で大砲を使用しているため、私には今やこの場所を守ることができなくなったことをお知らせする義務があります。突撃して大砲を奪う必要があります、そして中庭から敵を追い出すのです。」
大統領には彼が言わんとすることが分かった/出撃して戦いの中で死ぬべきである。その瞬間の苦しみは強烈なものだった/果たされない復讐の棘が実際の死の恐怖をさらに増強した/彼は大きな声で呻いた。
突然、群衆から大きな叫び声が上がった。彼らは火事の煙を見た。そして終局が近づいていることを知ったのである。「モララ、モララ、出てこい!独裁者」と彼らは叫んだ「出てこないと焼け死ぬぞ!」
人間は死ななければならないことを確信したとき、往々にして、立派に振舞い、尊厳とともに人生の舞台を去りたい、という願いが他のすべての感情に打ち勝つことがある。モララは思い出した、何と言っても自分は人々の間で誉れ高く生きてきたのである。彼はほとんど王だった。世界中のすべての目はこれから演じられようとしている場面に向けられるだろう/遠い国が知り/遠い未来が振り返ることだろう。死ぬのであれば、勇敢に死ぬことには価値があった。
彼は最後の防御者たちを周りに呼び寄せた。残っていたのはたった三十人だった。そのうちの数人は負傷していた。「紳士諸君」と彼は言った。「諸君は最後まで忠実だった/私は諸君にこれ以上の犠牲を求めようとは思わない。私が死ねばあの野獣どもは満足することだろう。私は諸君の忠誠に感謝する。そして諸君の降伏を許可する。」
「断じて!」ソレントは言った。
「これは軍令です、サー」と大統領は答えてドアに向かって歩いた。彼は粉々になった木造部を通り抜けて広い階段の上に出た。中庭は群衆で溢れ返っていた。モララは前に進んで途中まで降りた/そして立ち止まった。「来たぞ」と彼は言った。群衆は見つめた。しばらくの間、明るい日差しの中で、彼はそこに立っていた。ローラニアの星と外国の多くの勲章と綬にきらめく彼の紺色の軍服のコートは開いていて、その下に白いシャツが見えていた。彼は無帽で背筋を伸ばして真っすぐに立っていた。しばらくの間、沈黙があった。
そして中庭のすべての場所から、それを見下ろす壁から、そして向かい合った家の窓からさえも、不揃いな一斉射撃が起こった。大統領の頭はぐいと前に持ち上がり、脚は下方から撃たれた。そして足が利かなくなって彼は地面に倒れた。その身体は二、三段転がって、微かに痙攣しながら横たわった。黒づくめの、群衆に影響力を持っていたと思しき男が前に出て来た。そして一発の弾が発射された。
同時にサヴローラとティロは壊れた門を通って中庭に入った/暴徒たちはすぐに道を開けたが、疾しさゆえにむっつりと沈黙していた。
「私から離れないように」とサヴローラは中尉に言った。彼はまだ反乱側の兵士たちに侵入されていなかった階段に向かってまっすぐに歩いた。柱の間の将校たちは発砲の停止とともに姿を現し始めた/誰かがハンカチを振った。
「紳士諸君」サヴローラは大声で叫んだ。「私はあなた方に降伏を呼びかけます。あなた方の命は救われます。」
ソレントが前に進み出た。「大統領閣下の命令により、私は宮殿とそれを防御していた政府軍を降伏させます。彼らの命が救われるという約束のもとに、私はそれをするのです。」
「了解しました」とサヴローラは言った。「大統領はどこですか?」ソレントは階段の反対側を指さした。サヴローラは振り向いてその場所に歩いて行った。
かつてローラニア共和国大統領だったアントニオ・モララは、彼の宮殿のエントランスの階段の一番下の三段に、頭を下にして横たわっていた/数ヤード離れたところに、かつて彼に支配されていた人々が輪になって立っていた。黒いスーツを着た男がリボルバーに再び弾を込めていた/秘密結社のナンバーワン、カール・クロイツェだった。大統領は体のいくつもの銃創から大量に出血していたが、とどめの一撃(*coup de grace)が頭に加えられたことは明らかだった。頭蓋骨の後頭部と耳の後ろの左側頭部が吹き飛ばされていた。そしておそらく至近距離の爆発の力で顔のすべての骨が割れてしまって、皮膚が丸ごと残っていたため、それはスポンジバッグの中の割れた陶器のように見えた。
サヴローラは愕然とした。彼は群衆を見た。そして彼らはその視線に尻込みした。彼らは徐々にすり足で後ろに下がり、偉大な民主主義者と差し向かいになった陰気な装いの男だけが残された。密集した男たちは深く静まり返った。「この殺人を犯したのは誰ですか?」彼は秘密結社の長に視線を向けながら低いかすれ声で尋ねた。
「これは殺人ではありません」男は頑なに答えた「処刑なのです。」
「何の権限で?」
「Society(*社会、結社)の名の下に。」
サヴローラは敵の死体を見たとき恐怖に襲われた。しかし同時にその心は凄まじい歓喜に震えた/今や障害が取り除かれたのである。彼はその感情を抑えるのに苦労した。そしてその苦闘が怒りを生んだ。クロイツェの言葉は彼を激怒させた。狂わんばかりの苛立ちが全身を揺さぶった。間違いなくこのすべてのことは彼の名声を傷つけるのである/ヨーロッパは何と思い、世界は何と言うだろうか?自責、恥、無念、そして彼が押し潰そうとした邪悪な喜びがすべてない混ぜになって、衝動的で抑えられない情熱になった。「卑劣な人間のくず!」彼は叫んで段を降り、杖をしならせて相手の顔を打った。
突然の激痛の衝撃に、男は彼の喉に跳びかかってきた。しかしティロ中尉は既に剣を抜いていた/強い腕と心からの善意で彼はそれを下に一閃し、彼を地面に転がした。
ばねが解き放たれた。民衆の怒りが噴出した。大きな叫び声が上がった。革命派の間でサヴローラの評判は大変高かったため、この人々にとっては他の、より下位のリーダーたちの方がより身近だったのである。カール・クロイツェは人々の味方だった。彼の社会主義的著作は広く読まれていた/彼は秘密結社の長として自分を支援する一定の確かな勢力を持っていた。そして宮殿攻撃の後半を指揮していたのである。今や彼が目の前で、憎らしい将校の一人に殺されたのである。群衆は獰猛な怒りの叫び声を上げて前方に押し寄せて来た。
サヴローラは階段を後ろに跳び上がった。「市民の皆さん、聞いて下さい!」彼は叫んだ。「皆さんは勝利を勝ち取ったのです/それを汚さないで下さい。皆さんの勇気と愛国心は勝利しました/皆さんが戦ったのは私たちの古来の憲法のためであることを忘れないで下さい。」その声は叫び声と嘲笑に遮られた。
「私が何をしたのかって?」彼はその声に応えた。「ここにいる皆さんと同じです。私も大義のために命を危険に晒したのです。この中に怪我をしている人はいますか?出てきて下さい、私たちは仲間です。」そして初めて誇らしげなジェスチャーで彼は左腕を持ち上げた。ティロは彼が憲法広場で敢えてガントレットを走った(*昔の軍隊の刑罰。過ちを犯した者に二列に並んだ人々の間を走らせ、棒などで叩いた。転じて試練を受けること。)理由に気がついた。彼のコートの袖は裂けて血が浸み込んでいた/シャツのリネンは深紅に染まっていた/指は硬直していて全体が血まみれだった。
凄まじい感動が沸き起こった。常に劇的なものに強く動かされる暴徒たちは、危険を共にする負傷者に対してすべての男たちが抱く共感に揺り動かされた。激変が起こった。歓声が上がった。最初はかすかだった。しかしそれはどんどん大きくなって行った/中庭の外の人々は理由も知らないまま、それに呼応した。サヴローラは続けた。
「専制政治から解放された私たちの国は、フェアな、汚れのない状態で船出しなければなりません。国民から与えられたものではない不当な権力を行使する人物は、大統領だろうと市民だろうと罰を受けます。軍の将校たちは共和国の裁判官の前に出て、自分の行動の責任を取らなければなりません。自由な裁判はすべてのローラニア人の権利です。同志の皆さん、多くのことが成し遂げられましたが、私たちの仕事はまだ終わっていません。私たちは自由を高く掲げました/それを守らなければなりません。この将校たちは刑務所に入ります/皆さんには別の仕事があります。艦隊が戻ってきています/まだライフルを片付けてはいけません。この先を最後まで見通すことができる人がいるでしょうか―最後まで?」
血まみれの包帯を頭に巻いた男が前に歩み出た。「私たちは仲間だ」と彼は叫んだ/「握手しよう。」
サヴローラは固い握手をした/彼は反乱軍の下級将校の一人で、数ヶ月前からサヴローラと少し顔見知りだった、単純で正直な男だった。「あなたに大切な仕事を任せます。この将校たちと兵士たちを国の刑務所に護送して下さい/私は馬に乗った伝令を使って全ての指示を送ります。護衛を探せますか?」志願者には事欠かなかった。「では刑務所へ。そして共和国の信用は彼らの安全にかかっていることを忘れないで下さい。前へ、紳士諸君」と彼は付け加えて、宮殿の防御者の生き残りたちに目を向けた。「私の名誉にかけて、あなた方の命は守ります。」
「陰謀家の名誉」とソレントは冷笑した。
「何とでも、サー、しかし従って下さい。」
ティロだけをサヴローラの元に残して一団は立ち去り、それを取り囲んで多くの群衆がついて行った。彼らがそうしているとき、鈍い重い砲声が海の方向から聞こえてきた/それは次から次へと矢継ぎ早に続いた。ついに艦隊が戻って来た。
第XXI章 艦隊の帰還
デ・メロ提督は約束は守ってきたし、適切なルートからの命令には従ってきた。彼が共和国のエージェントを乗せた通報艦に出会ったとき、サイード港まであと100マイルもなかった。彼はすぐに進路を変え、蒸気を使って、つい最近立ち去ったばかりの街に戻って行った。艦隊は遅くて時代遅れながらも手ごわい機械である二隻の戦艦と、二隻の巡洋艦、一隻の砲艦で編成されていた。折悪しく旗艦フォーチュナの蒸気管が破裂して数時間の遅延が発生した。そのため、岬を回って右舷船首に港とローラニアの街がくっきりと白く浮かび上がるのを見たのは、翌日の午後二時のことだった。将校たちは自分たちの故郷であり、その栄光を自らの誇りとしている首都を不安気な目でじっと見つめた/また、その恐れは根拠のないものではなかった。通りや庭園から半ダースの大火災の煙が上がっていた/外国船はほとんどが蒸気を使い、港から出て停泊地で待機していた/突堤の先端の砦には見なれない赤い旗が上がっていた。
提督は半速度の信号を出し、注意深く水路の入り口に向かった。水路はそこを通過する船が必ず砲台の重砲の十字砲火に晒されるよう工夫されていた。実際の通路の幅は約一マイルだったが、航行可能な水路自体は危険なほど狭く、極度に困難なものだった。その隅々まで知っているデ・メロがフォーチュナに座乗して先頭に立ち/二隻の巡洋艦、ソラトとペトラークが続き/その次が砲艦リエンツィで、もう一隻の戦艦ソルダーニョが後ろに控えていた。戦闘のために信号旗は畳まれ/太鼓の音で兵士たちは部署に分かれ/将校たちは持ち場についた。そして艦隊は好都合な潮に助けられ、蒸気を使ってゆっくりと港口に向かって行った。
反乱側の砲手たちが形式にとらわれて時間を無駄にすることはなかった。フォーチュナが弾道の中に入って来ると、二つの巨大な煙が砲眼から吹き出し/海側の砲台の九インチ砲が発射された。二発の破裂弾が空高く飛んだ。そして速度を七ノットに上げ、僚船を従えて進路上にいた戦艦のマストの横をうなりをあげて通り過ぎた。砦の大砲はそれぞれ向きを変えて発射された。しかし狙いが悪く、発射体は水上で景気よく跳飛(*斜めに跳ね返ること)して大きな水煙を噴き上げた、そして先頭の船が港口に到着するまで命中弾はなかった。
高性能爆薬で発射された重い破裂弾がフォーチュナの砲塔に命中した。そして六十人近くの兵士を殺傷するとともに、四門中二門の大砲を砲架から降ろしてしまった。これが巨大な機械を奮起させた/前部の砲塔が回って、素早く砦を指向し、その巨大な一対の大砲を向けた。それらはほぼ同時に発砲された。船全体が凄まじい反動によろめいた。二発の破裂弾は砦に衝突し、その衝撃で爆発し、石積みを粉々に砕き、土盛りを空中に吹き飛ばした/しかし被害はわずかだった。安全な防弾設備の中の反乱側の砲手にとって危険なのは砲眼から入ってくる砲弾だけだった/とはいえ、そうした大砲をバーベット砲架から(*胸壁の後ろから)発射するなら、それが見えるのは発射の瞬間だけある。
それでも巨大な船は文字通りあらゆる方向に炎を噴き始めた。その多数の速射砲は砲眼を探し、小さな破裂弾を贅沢な速度でばら撒いた。(*近距離では大砲より速射砲が有用)そのうちのいくつかに穴が空いて、反乱側は兵士を失い始めた。船が前進するにつれて十字砲火はさらに激しくなった。そして互いが猛烈な応戦を続けた。連続砲撃は途方もないものになった。重砲の大きな爆発音は速射砲の絶え間ないガラガラ音にかき消されてしまった/港の水にはいたるところに大きな泡の噴出口が、澄んだ空気中には爆発した破裂弾の白い煙のパフが見られた。フォーチュナの主砲は完全に沈黙していた。二発目の破裂弾が命中して恐るべき大虐殺を引き起こした。そして生き残った水兵たちはその場から船の装甲板で守られている場所に逃げてしまった/また将校たちはぞっとするようなその修羅場に彼らを戻らせることはできなかった、破壊された鉄の塊の間に、押しつぶされた仲間の肉片が転がっていたのである。船の側面全体が傷つき、裂けていた。甲板の排水口から大量の水が逆流して、ポンプの能力不足を示していた。フォーチュナの煙突は甲板とほぼ同じ高さまで撃ち落とされてしまっていた。そして船尾を漂う黒煙が船尾回転砲塔とその大砲から砲手を追い出してしまっていた。破壊され、装備を失い、死者と瀕死の兵士でいっぱいだったが、艦の核心部はまだ無傷だった。そして艦橋の艦長は舵輪に反応があることを感じ、自分の幸運を喜んでそのまま航路を進んだ。
巡洋艦ペトラークは破裂弾のために蒸気操舵装置が曲がって動作しなくなった。そして砂州に座礁し、手の施しようがなくなった。砦は砲火を倍増させ、艦をバラバラに叩き壊し始めた。艦は白い旗を掲げて発砲を止めた/しかしこのことは無視された。そして他の艦船が救助のために浅瀬に行く危険を冒さなかったため、艦は大破し、三時に巨大な音を立てて爆発した。
最も被害が少なかったソルダーニョは、非常に重装甲だったため、砲艦(*リエンツィ)をどうにか保護することができた。全員が死亡したペトラルカの乗組員以外に二百二十名の死傷者が出たが、四十分の戦闘の後、全艦隊が砲台を通過した。反乱軍の損失は約七十名であり、砦への被害はわずかだった。しかし今度は水兵たちが攻勢に出る番だった。ローラニアの街は彼らの掌中にあった。
提督は自分の船を岸から五百ヤードのところに停泊させた。彼は停戦の旗を掲げ、すべての艦船がガントレットを走って大破したため交渉を希望する、という信号を税関に送り、将校の派遣を要請した。
約一時間の遅延の後、桟橋から艦載用ボートが出てきてフォーチュナに横づけした。共和党民兵の軍服を着た、腰に赤い襷を巻いた二人の反乱側将校が乗船してきた。デ・メロは極度の礼儀正しさで、ボロボロの後甲板で彼らを出迎えた。荒っぽい船乗りでありながら、彼は多くの国の男達と関わり合ってきた。そして危険が迫ることや、力を意識することが彼の態度を常に向上させていた。「教えて下さい」と彼は言った。「なぜ、私たちは自分の生まれ故郷でこのような歓迎を受けているのですか?」
二人の将校のうち年長の方が、砦は発砲を受けるまで発砲しなかった、と返答した。提督はその点について争わなかった。しかし、市内で何が起こったのかを尋ねた。革命と大統領の死を聞いて、彼は深く動揺した。ソレントと同じく、彼は長年モララを知っていた、正直で率直な人物だった。将校たちは続けた。臨時政府は彼とその艦隊の降伏を受け入れ、彼と将校たちを名誉ある条件で捕虜と認定する用意がある。彼はサヴローラが署名した公安委員会の許可証を取り出した。
デ・メロは幾分軽蔑して、冗談ではない、と言った。
将校は、ボロボロになった艦隊は再び砲台のガントレットを走ることができず、兵糧責めに会うだろうと指摘した。
これに対してデ・メロは、港の先端の砦も同じ状態にある、自分の大砲に軍用突堤と岬からの両方のアプローチを見渡されているからである、と答えた。彼はまた艦上には六週間分の糧食があり、弾薬も十分にあると考えている、と付け加えた。
彼の強みは否定されなかった。「間違いなく、サー」と将校は答えた「あなたのお力は臨時政府と、自由と正義にとって大きな助けになるでしょう。」
「今や」提督は冷淡に答えた「正義が私の助けを必要としているように見える。」(*反乱側が裁判も開かずにモララを殺したのは不正義である)
それに対して将校たちは、自分たちは自由な議会のために戦ったのであって、自らの道を歩むしかない、という以上のことは言えなかった。
提督は返事をする前に一、二周歩き回った。「私の条件はこうだ」彼はついに言った。「陰謀のリーダーは―この男、サヴローラは―すぐに降伏し、殺人と反乱の罪で裁判を受けなければならない。これが行われるまで、私は交渉に応じない。これが明日の朝六時までに行われないならば、私は町を砲撃し、この条件が遵守されるまでそれを続ける。」
二人の将校はそれを蛮行であると抗議し、彼はその破裂弾の責任を問われるだろうと仄めかした。提督はこの問題について議論することや、他の条件を検討することを断っだ。彼を動かすことはできなかった。将校たちは艦載ボートで岸に戻った。午後四時だった。
この最後通牒が市長公邸の公安委員会に報告されると、たちまち周章狼狽とでもいうべきことが起こった。勝者であることが明らかになった途端、反乱側に加わった豊かな市民たちにとって、砲撃は意に染まないものだった。また他人にダイナマイトを使うことには賛成しても、自分が高性能爆薬と直接の近づきになることを喜ばない社会主義者にとっても不快なものだった。
将校たちは彼らの会見と提督の要求について話をした。
「そして私たちが従うことを拒否した場合は?」サヴローラは尋ねた。
「その場合、彼は明朝六時に砲門を開くでしょう。」
「うーん、紳士諸君、私たちは歯をくいしばって耐えなければなりません。彼らがあえてすべての弾薬を撃ち果たすことはないでしょう、そして私たちの決意が固いことを知ればたちまち屈服するでしょう。女性と子供は地下室にいれば安全です。そして砦の大砲を何門か運んで、港に向けられるかもしれません。」熱狂はなかった。「高くつくブラフのゲームになることでしょう」と彼は付け加えた。
「もっと安くつく方法があります」と社会主義者の代表がテーブルの端から意味ありげに言った。
「どのような提案ですか?」サヴローラは彼を凝視して尋ねた/男はクロイツェの近しい盟友だった。
「反乱のリーダーが社会のためにご自身を犠牲にされるなら、もっと安くつくでしょう。」
「それがあなたのご意見ですか/それについて委員会の意向を聞くことにしたいと思います。」多くの出席者から「だめ!だめ!」「恥を知れ!」という叫び声が上がった。何人かは黙っていた/しかし過半数がサヴローラを支持していることは明らかだった。「よろしい」と彼は冷ややかに言った/「公安委員会は名誉あるメンバーの提案を採用しません。提案は却下されます」―ここで彼は男を睨みつけてたじろがせた―「文明的習慣を持っている人々の間ではよくあることです。」
別の男が長いテーブルの端から立ち上がった。「あのねえ」と彼は乱暴に言った/「やつらが俺たちの街を好きにできるって言うんなら、俺たちには人質がいるだろ。今朝俺たちと戦った洒落ものが三十人もいる/提督に言ってやれ、やつが一発撃つごとに一人ずつ殺すってな。」
同意のざわめきがあった。多くの人々が提案を気に入ったようだった。彼らはそれが実行に移されることは決してないと思ったし、誰もが破裂弾を阻止したかったのである。サヴローラの計画は賢明だったが、痛みを伴うものだった。新しい提案が人気を得たことは明らかだった。
「それは問題外です」とサヴローラは言った。
「なぜです?」いくつかの声が尋ねた。
「なぜなら、サー、この将校たちは条件に基づいて降伏したからです、なぜなら共和国は無実の人々を殺してはならないからです。」
「採決しましょう」と男は言った。
「私は採決に異議を申し立てます。これは論争したり、意見を述べたりするべき問題ではありません/善悪の問題です。」
「それでも私は採決に賛成です。」
「私も」「私も」「私もだ」多くの声が叫んだ。
採決することになった。レノスは法に基づいてサヴローラを支持した/将校たちは未決囚である、と彼は言った。ゴドイは棄権した。二十一対十七で賛成が多数になった。
挙手の数に歓声が上がった。サヴローラは肩をすくめた。「こんなことはあってはなりません。私たちは突然野蛮人になるのですか?」
「別の方法があります」とクロイツェの友人は言った。
「サー、この新しい計画が実行されるくらいなら私は喜んで別の方法を受け入れます。しかし」と低い威嚇的な口調で言った。「まずはお互いの意見を言うことになるでしょう、そして私はそのとき皆さんの前で、皆さんと私の本当の敵を明らかにします。」
男は明らかな脅しに答えなかった/他のすべての人々と同様に、彼は暴徒に対するサヴローラの力とその強い支配的な性格に少なからざる畏敬の念を抱いていた。委員会は問題に決定を下しました、と言うゴドイの言葉が沈黙を破った。そこで都市が砲撃された場合には捕虜を射殺することを通告する文書が起草され、提督に送られた。さらに議論した後、委員会は解散した。
メンバーが話をしながらゆっくりと離れていくのを、サヴローラは後に残って見ていた。そして立ち上がって自分がオフィスとして使っている小さな部屋に入った。彼は意気消沈していた。少しばかりだが怪我もしていた/しかしもっと悪いことに、活動中の敵対勢力に気がついたのである/彼は党派に対する支配力を失っていた。彼の存在が不可欠だったのは勝敗が決まるまでのことだった/今や彼らは自力でやって行こうとしていた。彼はその日に経験したことすべてについて考えた/夜の恐ろしい光景、戦闘中の興奮と不安、広場での奇妙な体験、そして最後に、この重大な問題。しかし、彼の心は決まっていた。彼はデ・メロを十分知っていたので返事は見当がついていた。「彼らは兵士です」と彼は言うだろう/「彼らは必要なときには命を捧げなければなりません。捕虜は自分のために友軍が妥協させられることを容認するべきではありません。彼らは降伏するべきではなかったのです。」砲撃が始まったら恐怖が残酷さに変わること、群衆がリーダーたちの脅迫を実行することが彼には想像できた。何があろうとも、このまま続けてはならなかった。
彼はベルを鳴らし、係員に「秘書にここに来て貰って下さい」と言った。彼は行って、しばらくしてからミゲルと一緒に戻って来た。「どんな職員が刑務所を担当しているのですか?」
「当局者は変わっていないと思います/彼らは革命に参加していません。」
「そうですか、捕虜を送るよう、所長宛てに命令書を書いて下さい。今日の午後に捕らえた将校たちを馬車で密かに駅に送るのです。今夜十時には彼らがそこにいなければなりません。」
「彼らを逃がすのですか?」ミゲルは目を見開いて尋ねた。
「安全な場所に送るのです」サヴローラは曖昧に答えた。
ミゲルはそれ以上のコメントをすることなく、命令書を書き始めた。サヴローラはテーブルから電話をとって駅を呼び出した。「交通局長と話をさせて下さい。局長ですか?―公安評議会の執行委員会の委員長です―聞こえますか?特別列車を用意して下さい―三十人分の宿泊施設―十時出発の予定です。回線をクリアして国境へ―そう―国境に繋げて。」
書き物をしていたミゲルは素早く見上げたが、何も言わなかった。彼は大統領が破滅し、その主張が敗北したのを見て、彼を見捨てたのである。しかしサヴローラに対して本物の憎しみを抱いたのだった。その頭にある考えが浮んだ。
第XXII章 人生の報酬
たくさんのことが起こったが、サヴローラが家を出て市長公邸へと急いでから少しの時間しか経っていなかった。何ヶ月もの間静かに、そして秘密裏に進行していた深く、複雑な陰謀は世界が注視する舞台で爆発し、各国に衝撃を与えた。ローラニアに五年間存在していた政府を数時間のうちに倒した、突然の恐るべき動乱にヨーロッパ中が驚いた。九月九日を通して猛威を振るった戦闘の中で千四百人以上が死傷した。財産の被害は甚大だった。上院は炎上していた/宮殿は破壊されていた/この両者と多くの店や民家は群衆と暴徒に略奪されていた。市内の数カ所でまだ火が燻っていた/多くの家は空っぽで女性が泣いていた。通りでは救護馬車と市のカートが死体を集めていた。国の年代記の中の重要な一日になった。
そして小銃射撃の音を聞きながら、怖ろしい時間をルシールはずっと待ち続けていた。その音は時に遠くで断続的に、時に近くで持続的に聞こえた。まるで激怒した巨人がぶつぶつとつぶやいたり、大声で罵ったりする声のようだった。連続砲撃の凄まじい喧騒にそれがかき消されるまで、悲しみと不安の中で彼女は耳を傾けていた。老いた保母の平凡な物質的な慰め―スープ、カスタードなど―の間に時折、彼女は祈っていた。四時に宮殿での悲劇を知らせるサヴローラからのメッセージを受け取るまで、彼女はあえて自分の訴えに名前を入れていなかった/しかしその後、彼女は慈悲深い神に愛する男の命を救うことを懇願するようになった。彼女はモララを悼んでいなかった:彼の死は恐ろしく残酷なものだったが、彼女は喪失感を感じることができなかった/しかし自分のせいで彼が殺されたのだ、という考えがその心を恐るべき罪悪感で満たしていた。もしそうなのだったら、と彼女は自分自身に言った。一つの壁がなくなって、もう一つの壁が立ちはだかっただけではないのだろうか。しかし心理学者は彼女のサヴローラへの愛の前に立ちはだかるのは物理的な力と死だけである、という皮肉な真実を断言したことだろう。何より彼女は世界で一人ぼっちになってしまいたくないがために彼の帰還を祈っていたのだから。
今では彼女に残されているのはその愛だけのように思われた。しかし、それによって人生は、壮麗さ、権力、賞賛に包まれた宮殿での寒々とした日々よりも、よりリアルに力強く色づいていた。彼女は自分に欠けていたものを見つけたのだった。そして彼もそうだった。彼女と一緒にいると、まるで昇る日の光がクリスタル・プリズムに当たって虹を放ったか、雪の山頂をバラ色、オレンジ、スミレ色に染めたようだった。激しい愛の輝きのために、サヴローラには揺るぎない野心の青白い炎が見えなくなっていた。人の魂はこの世のるつぼの中で多くの精錬剤にかけられる。彼は気分や思考の変化に敏感だった/もはや運命に帽子を振ることはないだろう/今やその勇気に慎重さを加えていた。宮殿の階段に横たわった、その見るも恐ろしい亡骸を見た瞬間から、彼は自分の人生に作用する別の力を感じていた。異なる関心、異なる希望、異なる願望がその心に入って来た。別の理想と新しい幸福の基準を彼は探していた。
とても消耗して、とても疲れて、彼は自分の部屋へと向かった。過去二十四時間の緊張は甚大なものだった。そして将来に対する不安は痛切なものだった。評議会の決定を覆し、囚人を国外に逃がしたことは、彼がその結果のすべてを見通せないものの一つだった。彼はそれが唯一のコースであることを信じていた/そしてその結果について、自分自身にどう関係するかはあまり気にかけていなかった。彼はモレのことを考えた―一日で世界を正そうとしていた、勇敢で衝動的な、今は亡きモレ。そのような友人の喪失は、個人的にも政治的にも、彼にとって深刻なものだった。必要なときに彼が頼ることができる、たった一人の私心のない人物を死が奪い去ったのである。疲労感、闘争への嫌悪感、平和への欲求がその魂を満たしていた。彼がそのために長く骨折って働いてきた目標はほぼ達成された。そしてそれは価値のないもののように思われた、比べるなら価値のないものに、つまり、ルシールと比べるならば。
革命家として彼は長い間、ローラニアから逃げなければならない場合に備えて、外国で十分な収入を確保できるように自分の財産を整理していた/そしてその闘争と大虐殺の現場を去って、自分を愛してくれる美しい女性と一緒に暮らしたい、という強い願いがその心を支配していた。しかし彼の第一の義務は自分が転覆した政府に代わる政府を樹立することだった。しかしひねくれた代議員たち、卑屈で迎合的な猟官者の群れ、弱く、疑り深く、臆病な同僚たちについて考えたとき、そのために努力しようという気にはなれなかった/ほんの数時間の間に、この断固とした野心的な人物に巨大な変化が起こっていたのである。
彼が入ってくるとルシールは立ち上がって出迎えた。確かに運命が二人を結びつけたのだった、彼女には人生に他の希望がなく、助けを求められる人物もいなかったのだから。しかし彼女は彼を見て恐怖した。
その素早い知性は彼女の疑いを言い当てた。「私は彼を助けようとしたのです」と彼は言った/「しかし間に合いませんでした、近道をしようとして怪我までしたのですが。」
彼女はその包帯を巻かれた腕を見た。そして愛を込めて彼を見つめた。「私のこと、大嫌いですか?」と彼女は尋ねた。
「いいえ」と彼は答えた/「私は女神と結婚するつもりはありません。」
「私もしません」と彼女は言った「哲学者さんとは。」
そして二人は互いにキスをした。そしてそのときから二人の関係は気取らないものになった。
しかしその日一日の労苦にもかかわらず、サヴローラに休む時間はなかった。やるべきことがたくさんあった。そしてひどいプレッシャーの中で短い時間働かなければならないすべての人々と同様に、彼は薬の力に頼った。部屋の隅にある小さなキャビネットに行って、眠気を払い、新鮮なエネルギーと持久力を与えてくれる薬を呷った。そして彼は座って命令書と指示書を書き始め、市長公邸から持ってきた書類の山に署名し始めた。ルシールは彼が忙しくしているのを見て、自分の部屋に行った。
ベルが鳴ったのは午前1時ごろだった。老保母を気にかけていたサヴローラは駆け下りた。そして自分でドアを開けた。ティロが私服で入って来た。「あなたに警告するために来たのです。」と彼は言った。
「どういうことです?」
「誰かがあなたが捕虜を逃がしたことを評議会に知らせたのです。緊急会議が招集されました。大丈夫ですか?」
「なんてことだ!」サヴローラは沈痛な声で言った。そして少し間をおいてから付け加えた「行って会議に参加します。」
「国境までの道に配備されている駅馬車があります」と中尉は言った「大統領が夫人閣下を逃がす場合に備えて私に手配させられたのです。ゲームをあきらめる決断をされるのなら、これを使って逃げることができます/私の令状があれば用意できます。」
「いいえ」とサヴローラは言った。「その気持ちはありがたいです/しかし、私は人々を専制政治から救いました。そして今彼らを彼ら自身から救わなければならないのです。」
「あなたは私の兄弟将校の命を救って下さいました」と少年は言った/「私を頼って下さっていいのです。」
サヴローラは彼を見た、そしてある考えが閃めいた。「その替え馬は大統領夫人閣下を中立の土地に移すために整備されたのだから、そのように使ったほうがよいでしょう。彼女を連れて行ってくれますか?」
「この家にいらっしゃるのですか?」中尉は尋ねた。
「うん」とサヴローラはぶっきらぼうに言った。
ティロは笑った/不快感は全くなかった。「私は毎日どんどん政治を学び始めていますね」と彼は言った。
「誤解だよ」とサヴローラは言った/「頼んだ通りにしてくれますか?」
「もちろんです、いつ出発しましょう?」
「いつ出発できるのですか?」
「半時間後に旅行用の大型馬車を回せます。」
「頼みます」とサヴローラは言った。「君には感謝しています。君とは一緒に色々な経験をしましたね。」
彼らは心からの握手をし、中尉は馬車を用意するために立ち去った。
サヴローラは階段を上って行き、ルシールのドアをノックして、彼女に計画を知らせた。彼女は彼に一緒に来るよう懇願した。
「本当にできることならそうしたいのです」と彼は言った/「こんなことにはもううんざりしているのです/でも最後まで見届ける義務があるのです。私はもう権力に魅力を感じていません。事態が落ち着いたらすぐに戻って来ます、そして結婚して幸せに暮らせるのです。」
しかし皮肉なひやかしも議論も彼女を説得できなかった。彼女は両腕で彼の首にしがみつき、自分を捨てないで欲しいと懇願した。それは辛い試練だった。心を痛めながらも、ついに彼はそれを振りほどいて帽子とコートを身に着けた。そして市長公邸に向かった。
距離は約四分の三マイルだった。半分ほど来た時、将校に指揮された反乱軍のパトロール隊に出会った。彼らは彼に停止を呼びかけた。彼は帽子を目深にかぶった、さしあたり気づかれたくなかった。将校が前に出てきた。それは宮殿が降伏した後、サヴローラが捕虜の護送を任せた負傷した将校だった。
「サンマルコ広場まであとどれくらいですか?」彼は大きな声で尋ねた。
「そこですよ」とサヴローラは指差した。「二十三番街です。」
反乱将校はすぐ彼に気がついた。「前進」と部下に言った。そしてパトロール隊は去った。「サー」と彼は決意した男の低く速い声でサヴローラにつけ加えた「私は評議会が出したあなたの逮捕状を持っています。彼らはあなたを提督の元に送ろうとしています。時間があるうちに逃げて下さい。私は部下に回り道をさせます。それであなたには二十分の時間ができます。逃げて下さい/それは私にとっても高くつくことになるかもしれません。しかし私たちは仲間です/あなたはそう仰いましたよね。」彼はサヴローラの負傷した腕に触れた。そしてパトロール隊に向かって大声で言った:「その通りを右に曲がれ/目抜き通りからは離れた方がいい。やつはどこかの路地をこそこそ逃げてるんだろう。」そして再びサヴローラに言った:「他の隊も来ますので、逃げ遅れないで下さい/」そう言うと彼は急いで部下の後を追いかけた。サヴローラは一瞬立ち止まった。行くことは投獄され、おそらく死ぬことを/戻ることは安全とルシールを意味していた。一日前だったら彼は事態を最後まで見届けていただろう/しかし彼の神経は何時間も酷使されていた―そして二人の間を邪魔するものは何もなかった。彼は振り向いた。そして急いで家に戻った。
ドアの前に旅行用の大型馬車が着いていた。泣きながらそれに乗り込むルシールを中尉が手伝っていた。サヴローラは彼に声をかけた。「行くことにした」と彼は言った。
「首都!」ティロは答えた。「あの豚どもはお互いの喉を噛み合っていればいいのです/そのうち正気に戻るでしょう。」
彼らは出発した。そして街の後ろの丘の、長い坂を苦労しながら上っている間に夜が明けた。
「あなたを告発したのはミゲルです」と中尉は言った/「市長公邸で聞きました。やつは害になるって私は言いましたよね。いつかやつを裁いて仕返しをしなければなりません。」
「私はああいう人間に無用な復讐をしない」とサヴローラは答えた/「勝手に破滅するのだから。」
息を切らした馬たちを風に当てるため、馬車は丘の頂上で停まった。サヴローラはドアを開けて外に出た。四マイル向こうに、そして今やはるか下の方に、彼が立ち去った都市があった。数カ所の大火災から太い煙の柱が立ち昇って漂い、夜明けの風のない澄んだ空に巨大な黒い雲をかけていた。白い家々の長い列の下には上院の廃墟、庭園、そして港の水域が見えた。艦隊は港に停泊していた。その大砲は町に向けられていた。恐ろしい光景だった/この峠に至るまでのかつての美しい都市は変わってしまっていた。
遠くの装甲艦から白い煙のパフが噴き出し、しばらくして重砲の鈍い轟きが聞こえた。サヴローラは時計を取り出した/六時だった。提督は時間を厳守して約束を守ったのだった。夜中に多くの砲を陸側に移動していた砦が艦隊の砲火に応戦を始め、全面的な砲撃戦になった。新しく燃えた家から煙がゆっくりと立ち昇って、破裂弾の黄色い閃光を白く反射する、黒く垂れこめた雲に合流した。
「これが」長く凝視した後サヴローラは言った。「私の人生をかけた仕事なのか。」
優しい手が彼の腕に触れた。振り向くと、ルシールが隣に立っていた。彼はその美しい姿を見た。そして結局のところ、自分は無駄に生きてはいなかった、と感じたのだった。
ローラニア共和国の年代記をさらに読み進める人々は騒ぎ収まった後、人々が自分たちのために自由を勝ち取り、その勝利の時に自分たちが捨て去ってしまった輝かしい亡命者に再び心を向けたことを読むだろう。そして人々の気まぐれを嘲笑しつつ、サヴローラが美しい配偶者とともに自ら愛してやまなかったその古い街に戻ったことを読むだろう。ティロ中尉が戦場での勇気ゆえに、世界中で敬意を払われている青銅製の小さなローラニアン・クロスを受けたことを/槍騎兵隊のポロ・チームを望み通りイングランドに導き、オープン・カップの決勝戦で大富豪連合軍を破ったことを/栄誉と成功に包まれながら共和国に忠実に奉仕し、ついには軍の司令官に上り詰めたことを読むだろう。確かに老保母についてはこれ以上を読むことはないだろう。歴史はそうしたことを取り扱わないのである。しかしゴドイとレノスの二人がその天分にふさわしい公職に就いたこと、そしてその卑劣で憎むべき性格の代償として幸運を享受し続けたミゲルをサヴローラが恨んでいなかったことに気づくだろう。
しかし大学の設置や鉄道、運河の開通以外に列挙すべき大事件がほとんどないため、年代記の編纂者はギボンのあの壮麗な一文を思い出すことだろう、すなわち、歴史とは「人類の犯罪、愚行、不幸の記録に過ぎない」/そして数多くのトラブルの後、ローラニア共和国に平和と繁栄が戻ってきたことを喜ぶだろう。
完
2021.4.21