サヴローラ

 

 

SAVROLA
A TALE OF THE REVOLUTION IN LAURANIA

BY
WINSTON SPENCER CHURCHILL

 

 

サヴローラ
ローラニアの革命の物語

ウィンストン・スペンサー・チャーチル著

 

 

 

 

訳者より:これはW・チャーチルが23歳の時に書いた小説です。
なお著作権はチャーチルの死後50年を経た2015年に切れています。
原文:http://www.gutenberg.org/files/50906/50906-h/50906-h.htm



 

 

この本を
著者がともに幸せな4年の月日を過ごした
女王陛下の軽騎兵隊の将校の皆さんに捧げます

 

 

前書き

私はこの物語を1897年に書き、すでにマクミラン誌に連載しました。最初の評判が悪くなかったためそれを本として出版することにしました。そして今、一般の皆さんのご評価、あるいは寛容を賜るために恐れながらここにそれを提出いたします。

ウィンストン・S・チャーチル

 

 

内容
I.政治的重要イベント
II.国家元首
III.大衆の側の男
IV.代表団
V.密談
VI.憲法に基づいて
VII.ナショナル・ボール
VIII.「星明かりの中」
IX.提督
X.魔術師の杖
XI.夜更けに
XII.戦争評議会
XIII.エグゼクティブの行動
XIV.陸軍の忠誠心
XV.サプライズ
XVI.反乱の進展
XVII.宮殿の防衛
XVIII.窓から
XIX.教育的経験
XX.争いの終わり
XXI.艦隊の帰還
XXII.人生の報酬

 

 

 

第I章
政治的重要イベント

激しい雨が降っていたが、雲の切れ間から太陽がすでに輝いていて、ローラニアの街の通り、家々、庭に急速に形を変える影を投げかけていた;すべてが日光の下で濡れ輝いていた。ホコリは静まり;空気は涼しく;木々の緑は心地よかった。それは夏の暑さの後の最初の雨であり、ローラニアの首都を芸術家、傷病者、そして遊蕩者の故郷にしてきたその楽しい秋の気候の始まりを告げるものであった。

にわか雨は激しかったにもかかわらず、国会議事堂前の大きな広場に集まった群衆を追い散らすことはできなかった。それは歓迎されこそすれ、彼らの不安と怒りの表情を変えることはなかった;びしょ濡れになっても興奮が冷めることはなかった。明らかに重大な出来事が起こっていた。人々の代表がそこで会合を持つことを常としていた、古の芸術を愛する人々がそのファサードに戦勝記念碑や彫像を飾った、渋さと重厚さを纏った立派な建物から人々は払いのけられなかった。共和国親衛隊の槍騎兵隊が大階段の下に整列していた、そしてエントランスの前に空けられた広いスペースは相当な人数の歩兵隊に守られていた。兵士たちの後ろは人々で溢れ返っていた。彼らは広場とそこに通じる街路に群がっていた;彼らは共和国の審美眼と自尊心がその古代の英雄の記億のために建立した数多くの記念碑によじ登り、それを完全に覆って人間の塚のようにしてしまっていた;その場所を見下ろす家やオフィスの窓、多くの屋根は観衆で込み合っていたため、木に登っている人たちまでいた。大群衆が興奮に揺れており、スコールが嵐の海で荒れ狂うように激しい情熱がわき立っていた。あちこちで仲間に担がれた男が声の届く限りの人々に向かって熱弁をふるっており、そして自分の気持ちを言い表してくれる言葉を探していたのにそれを聞いたことがなかった何千もの人々が歓声や叫び声を上げていた。

ローラニアの歴史にとって大きな日だった。内戦から五年間、人々は独裁政権の侮辱に耐えてきた。政府が強力であるという事実、そして過去の無秩序の記憶がより冷静な市民の心には強力に作用していた。しかし不平のつぶやきは最初からあった。長い闘いはアントニオ・モララ大統領の勝利に終わったが、敗れた側にはまだ武器を持っている人々が大勢いた。怪我や没収に苦しむ人々がいて;投獄を経験した人々がいて;妥協なき戦いの遂行を要求して息を引き取った友人や身内をもつ大勢の人々がいたのである。和解できない敵を抱えたままの政府が船出をし、その支配は過酷で抑圧的なものであった。市民が大変強い愛着を持っており、非常に誇りに思っていた古来の憲法(*constitution、政体、国体)は覆された。大統領は扇動の蔓延を主張し、何世紀ものあいだ人々の自由の最も確実な砦と見なされていたその議場に人々の代表を送らせることを拒否していた。こうして日ごとに、そして年ごとに不満がつのっていった;最初は打ち負かされた側の少数の生き残りだけで構成されていた国民党は国内で最も数の多い強力な党へと膨れ上がった;そしてついに彼らはリーダーを見つけた。運動が四方八方へと広がった。首都の数多い不穏な住民はずっと運動の高まりに傾倒していた。デモに続くデモがあり:暴動に暴動が引き続き:軍隊でさえ動揺の兆候を見せるようになった。とうとう大統領は譲歩することを決意した。9月1日に選挙の令状が発行される、国民には希望や意見を表明する機会が与えられるべきである、という発表があった。

この誓約はより平和的な市民を満足させた。過激派は少数派であることに気づいてその論調を変えた。政府はこの好機を利用してより暴力的なリーダーの何人かを逮捕した。かつて戦い、反乱に参加するために亡命先から戻ってきた他の人々は国境の向こうへ命からがら逃げた。厳密な武器の捜索によって重要な捕獲物が得られた。欧州諸国は関心と不安の目でその政治的変化の兆候を見、政府の主張が優位であると確信していた。しかしその間、人々は黙って約束の履行を期待しながら待っていた。

とうとうその日が来た。投票を記録する七万人の男性選挙人を招集するため、公吏が必要な準備をした。大統領は慣習に従い、必要とされる忠実な市民への招集状に直接署名するのである。選挙の令状は都市と地方のさまざまな選挙区に転送される。そして古来の法律によって選挙権を与えられた人々が評決を下すのである。激しい憎しみを抱いたポピュリストが独裁者と呼んだ彼の行動について。

群衆が待っていたのはこの瞬間であった。ときどき歓声が上がったが、大部分は黙って待っていた。大統領が上院に向かう途中で通過したときでさえ、彼らはヤジることを控えた;その目には彼は事実上退位しており、そのことがすべての人々の態度を変えさせていたのであった。古来の習慣、長年愛されてきた権利が回復され、再び民主的な政治がローラニアで勝利を収めようとしているのである。

突然、人々が見つめる階段の一番上に若い男が現れた。その服装は乱れ、顔は興奮で真っ赤であった。市民評議会の一員、モレだった。すぐにそうと知って大衆は大歓声を上げた。彼を見られなかった多くの人々は広場に反響した国民の満足の叫び声を聞いた。彼は熱烈にジェスチャーをした、もし話したとしても騒ぎのせいで言葉は聞きとれなかったであろう。別の男、守衛が彼の後から急いで出てきて肩に手を置き、真剣に話しているように見えたかと思うと、彼をエントランスの影に引き戻した。群衆はまだ歓声を上げていた。

ドアから出てきた三番目の人物は市庁のローブを着た老人であった。迎えの馬車までの階段を彼は歩いた、というより弱々しくよろめき下った。再び歓声が上がった。「ゴドイ!ゴドイ!ブラボー、ゴドイ!民衆の闘士!フレー、フレー!」

それは市長で、改革派で最も有力で最も評判の良いメンバーの一人であった。彼は馬車に乗り込み、兵士に守られた広場を通り抜け、群衆の中へ行った。群衆はまだ歓声を上げていたが敬意を表して道を譲った。

馬車のドアは開いていて、老人が痛々しいほど動揺していることは明らかであった。その顔は青白く、口は悲しみと怒りの表情ですぼめられ、抑えられた感情でその全身が震えていた。群衆は拍手で彼を迎えたが、たちまち気づいてその変化した外見と痛ましい面貌に打たれた。彼らは馬車の周りに群がって叫んだ「どうしたのです?大丈夫ですか?教えて下さい、ゴドイ、教えて下さい!」しかし彼はそれを受け付けなかった。そして動揺に震えながら御者に早く行くようにと命じた。人々は重大な決意をして、ゆっくりと、むっつりと、考え込みながら道を譲った。厄介な、予期せぬ、歓迎されない何事かが起こった;それが何なのか、知ることを彼らは熱望していた。

そして根も葉もないうわさが飛び交い始めた。大統領は令状に署名することを拒否した;彼は自殺した;軍隊は発砲するよう命じられた;結局のところ、選挙は行われないだろう;サヴローラは逮捕された―つまり上院で捕まったとある者は言い、殺された、と他の者が付け加えた。群衆の喧騒は怒りの高まりによる鈍い不協和音のざわめきへと変わった。

ついに答えが出た。広場を見下ろす場所に建物があり、代議院との間には狭い通りがあるだけであった。この通りは軍隊によって通行を禁じられていた。この建物のバルコニーに市民評議員の若者、モレが再び現れたのである。そして彼の出現は広大なコンコースからの興奮した不安な叫び声の嵐のきっかけとなった。彼は沈黙したまま手を挙げた、そしてしばらくして一番近くにいた人々に彼の言葉を聞こえた。「裏切りです―酷い詐欺―私たちの大切な希望は投げ捨てられたのです―すべてが無駄になったのです―だまされた!だまされた!だまされた!」彼の雄弁は途切れ途切れに興奮した群衆に届いた。そして彼は何千人もの人々が聞き、さらに何千人もの人々が繰り返した言葉を叫んだ「市民権の登録簿が削られました、選挙人の名前が半分以上消されました。To your tents(*ソロモン王の子レハベアムが民の要求を聞き入れなかったので民は失望してテントに戻った故事に因む)ああローラニアの皆さん!」

一瞬の沈黙があり、そして怒りと失望と決意の大きなすすり泣きが群衆から洩れた。

このとき四頭の馬と共和国の制服を着たその騎手に引かれ、槍騎兵隊に護衛された大統領の馬車が階段の下に進み出た。国会議事堂から注目すべき人物が現れた。彼はローラニア軍の将軍の見事な青と白の制服を着ており;その胸はメダルと勲章で輝いており;その機敏で強力な容貌を成立させていた。彼は馬車へと降りてくる前に少し立ち止まり、仲間の内務省長官セニョール・ルーヴェと平然と話をしているように見えた。あたかも群衆がシーッと不満の声を上げ、ブーイングして満足する機会を与えようとしているかのようであった。彼は急増する大集団に向かって一、二回指をさし、それからゆっくりと階段を下りた。ルーヴェは彼と一緒に行くつもりだった。しかし群衆の怒号を聞いて彼は上院で後回しにできない仕事があることを思い出したため;その先は大統領が一人で行くことになった。兵士たちが捧げ銃をした。人々から怒りの咆哮が上がった。馬を動かさずに座っていた騎馬の将校、冷酷な機械は、部下に向き直って命令を出した。歩兵の数個中隊が議場の右側の脇道から一列縦隊で行進を始め、今や群衆がいくらか侵入していた広場に整列した。

大統領は槍騎兵隊に先導された馬車に乗り込み、すぐに速歩で出発した。馬車が広場の端に達するやいなや群衆が突進してきた。護衛が立ちはだかった;「向こうへ戻れ!」と将校が叫んだが、無視された。「どけ、どかないならどかせるぞ」と不機嫌そうな声が言った。それでも群衆は一インチも動かなかった。危険が差し迫っていた。「詐欺師!裏切り者!嘘つき!暴君!」彼らが叫んだ言葉はここに記すには粗野過ぎるものであった。「おれたちの権利を返せ―泥棒!」

そして群衆の後ろの誰かがリボルバーを空中に発射した。効果は電気的であった。槍騎兵は槍の穂先を下げ、前方に飛び出した。恐怖と怒りの叫びが四方八方から起こった。民衆は騎兵隊の前を逃げた;何人かは地面に倒れ、踏みにじられて死に;何人かは馬に倒されて負傷し;数人が兵士に槍で貫かれた。それはひどい光景であった。後方の人々は石を投げ、何人かが手当り次第にピストルを発射した。大統領は動かなかった。自分が賭けていない競馬を見つめる人々のように、彼は真っすぐに立ってひるむことなく騒動を見つめていた。彼の帽子は叩き落され、石がどこに当たったかをその頬の血の滴りが示していた。しばらくの間、結末は確かではなかった。群衆は馬車を襲撃し、そして―暴徒がそれをバラバラにしてしまうかもしれない!もっとましな死に方もあったはずであるが。しかし軍隊の規律がすべての困難を克服し、大統領の態度が敵を脅かしたと見え、群衆はいまだヤジったり叫んだりしながら後ろへ下がった。

その間に国会議事堂の傍らの歩兵隊の指揮官は、大統領の馬車に向かって暴徒が殺到するのを見て危急を知った。彼は牽制することを決めた。「発砲しなければならないだろうな」と横にいた少佐に言った。

「素晴らしい」と将校は答えた;「それによって私たちがやってきた膨張弾の浸透実験を終えられることでしょう。非常に価値ある実験です。サー。」そして兵士に目を向け、いくつかの命令を出した。「非常に価値ある実験だ。」と彼は繰り返した。

「少々高くつくがな」と大佐は乾いた声で言った;「半個中隊で十分だろう、少佐よ。」

ライフルに装弾するときの遊底のガラガラという音が聞こえた。軍隊のすぐ前にいた人々は差し迫った一斉射撃から逃れるため狂ったようにもがいた。一人の男、麦わら帽子をかぶった男が頭を抱えていた。彼は前へ駆け出した。「頼む!撃たないでくれ!」叫んだ。「憐れみを!解散するから。」

一瞬の停止、鋭い命令、大爆発があり、続いて悲鳴が上がった。麦わら帽子をかぶった男は後ろに折れ曲がって地面に倒れた;他の人々も倒れこみ、いっそう不思議にねじれた姿勢で横たわっていた。兵士以外の全員が逃げた;幸いなことに街区への出口はたくさんあり、数分でほとんど誰もいなくなった。大統領の馬車は逃げる群衆の中を通り抜け、より多くの兵士に守られている宮殿の門に向かった。そしてそれを無事に通り抜けた。

今やすべてが終わった。群衆の意気はくじかれ、広々とした憲法広場はまもなくほとんど空になった。地面には四十人の遺体といくらかの使用済み薬莢が残されていた。どちらも人間の発達の歴史の中でその役割を演じ、そして生者の考慮の外へと去ったのであった。それにもかかわらず兵士たちは空のケースを拾い上げ、やがて数人の警察官がカートを持ってきて他のものを運び去った。そしてローラニアではすべてが再び静かになった。

 

 


第II章
国家元首

馬車とその護衛はとても古い門を通過し、広い中庭を通り抜けて宮殿のエントランスに停まった。大統領が降りた。彼は軍の好意と支援を維持することの重要性を十分に理解していた、そしてすぐに槍騎兵を指揮していた将校のところへ歩いて行った。「貴下の部下には負傷者がいないと信じている」と彼は言った。

「たいしたことはありません、将軍」中尉は答えた。

「貴下はすばらしい判断力と勇気をもって部隊を指揮した。それは記憶に残ることだろう。しかし勇敢な兵士たちを率いるのは本当に気持ち良いことだ;彼らが忘れられることはないだろう。おお大佐、あなたが来てくれて本当によかった。私たちがまだ国の法と秩序を守る決意を持っていることが知られるや否や、不満を持つ階級と揉めることは予想していたのだ。」言葉の後半はサイドゲートから急いで中庭に入って来た暗い青銅色の男に話しかけたものであった。ソレント大佐は、それが新来者の名前であったが、憲兵隊長だった。この重要な役職の他に、彼は共和国の戦争長官の任務を帯びていた。この組み合わせによって強力な措置を講じる必要がある場合、あるいは望ましい場合はいつでも大変な、そして便利な速度で軍隊が社会的権力を補うことができるのである。この配置はこの時代にふさわしいものであった。普段ソレントは落ち着いていて穏やかであった。彼は多くの戦闘と情け容赦のないタイプの多くの戦争を経験し、数回負傷し、勇敢で非情な男と見なされていた。しかし暴徒の集中した怒りには凄まじいものがあり、大佐の態度は彼ですらそれに完全に耐えることはできなかったという事実を示していた。

「負傷されましたか?閣下」大統領の顔を見て彼は尋ねた。

「なんでもない―石だ;しかし彼らは非常に暴力的だった。誰かが彼らを激高させたようだ;ニュースが知られる前に私は立ち去ろうと思っていた。誰が話したのかね?」

「市民評議員のモレがホテルのバルコニーから言ったのです。非常に危険な男です!自分たちは裏切られた、と言いました。」

「裏切られただと?なんと大それたことを!間違いなくそうした発言は憲法第20条に触れるだろう:不実告知またはその他の方法による国家元首たる人物に対する暴力の扇動」大統領は行政長官の支配権を強化することを目的とした公法の条項に精通していました。「ソレント、やつは逮捕だ。政府の尊厳に対する侮辱が処罰されずに許されてはならない。―いや待て、事態が落ち着いた今、寛大な態度を取ったほうがおそらく賢明だろう。差し当たり私は国家訴追を望まないことにする」と大きな声で付け加えました:「大佐よ、この若い将校は自らの義務を大きな決意を持って遂行した―最も優れた兵士である。ぜひこのことを記録に残しておくように。軍務においても軍務以外でも、昇進は年齢ではなく常にその功績によるべきである。若者よ、君の行動は忘れない。」

将来の展望と成功への高い期待を胸に描いて喜びと興奮に溢れた二十二歳の少年中尉を残し、大統領は段を上って宮殿のホールに入った。

ホールは広々としていて、よく調和がとれていた。それはローラニア共和国の最も純粋なスタイルで装飾され、その紋章がいたるところに飾られていた。柱は古代の大理石でできており、その大きさと色は往時の豊かさと壮麗さを証言していた。切り嵌め細工の舗装は心地よいパターンを示していた。壁の精巧なモザイクには国の歴史的場面が描かれていた:都市の創建;1370年の和平;大ムガールの使節の受け入れ:ブロタの勝利;憲法の厳密な法解釈に違反するよりは死を選んだ真面目な愛国者サルダーニョの死。そして後年部分の壁には国会議事堂の建物;チェロンタ岬における海軍の勝利、そして最後に1883年の内戦の終結が描かれていた。ホールの両側の深い凹部にある、ヤシやシダに囲まれたブロンズの噴水が目と耳にさわやかな涼しさを与えていた。エントランスに向かい合って広い階段があり、真っ赤なカーテンでドアが隠された大広間へと続いていた。

階段の上に一人の女性が立っていた。その手は大理石の手摺の上に置かれていた;彼女の白いドレスは後ろの明るい色のカーテンと対照をなしていた。彼女はとても美しかったが、その顔には警戒心と不安の表情があった。女性がよくするように彼女は一度に三つの質問をした。「何があったのですか、アントニオ?暴動があったのですか?なぜ発砲があったのです?」彼女は降りるのを恐れているかのように、階段の上でおどおどと立ち止まっていた。

「すべて順調です。」大統領は公式の態度で答えた。「不満分子が暴動を起こしたのです。しかしこちらの大佐があらゆる予防措置をとっていたので再び秩序が回復されたのです。最愛の人よ。」それからソレントに目を向けて続けた:「また騒動がある可能性がある。軍隊を兵舎から出してはいけない。共和国に乾杯するため彼らに特別の日給を払うとよい。警備は二倍にしなさい。今夜は通りをパトロールしたほうがよい。何かあったら私はここにいる。おやすみ、大佐。」彼は数段を上った。戦争長官は厳かにお辞儀をし、向きを変えて立ち去った。

女性が階段を降りてきて、その途中で二人は会った。彼は両手を握りしめ、愛情を込めて微笑んだ;彼女は彼の一段上に立ち、うつむいてキスをした。正式でありながら心地よい挨拶であった。

「うむ」彼は言った。「親愛なる人よ、今日のところは大丈夫でした。しかし、それがどれだけ続くかはわかりません。革命家どもは日に日に強力になっているようです。ついさっきの広場は非常に危険でした;しかし、とりあえず終わったのです。」

「不安な時間でした。」と彼女は言い、そして彼の額が傷ついていることに初めて気付いた。「怪我をされたのですね。」

「別に何でもありません。」と大統領は言った。「彼らは石を投げた;そこでこちらは弾丸を使った。良い解決法でしょう。」

「上院で何があったのです?」

「トラブルが起こることは予想していました。私はスピーチで、不安定な状況にもかかわらず私たちは古来の共和国憲法を復活させることを決定した、しかし敵対的で反抗的な登録簿は一掃しなければならない、と言ったのです。市長がそれを箱から取り出し、彼らは争って選挙区の選挙人の合計を見ようとしました。どれだけ削減されたのかを見て、彼らは非常に怒りました。ゴドイは言葉を失っていました;彼は馬鹿です。あの男は。ルーヴェは彼らにそれは初回分として受け取るべきであり、事態がより落ち着くにつれて選挙権が拡大されるだろう、と言いました。;しかし彼らは怒って喚いたのです。確かに守衛と少数の護衛がいなかったなら、まさに議会のただ中で彼らは私を襲っただろう、と信じています。モレは私に拳を振り上げた―ばかげた若い頑固者―そして暴徒に熱弁を振るうために飛び出して行ったのです。」

「そしてサヴローラは?」

「ああ、サヴローラ―彼はとても落ち着いていました。登録簿を見たとき笑って『まぁ、ほんの数ヶ月の問題でしょう。』と言ったのです;『こんなことに意味があると思っているのですか。』私は何を言っているのか理解できない、と言い返したのですが、彼が言ったことはすべて真実だったのです。」そして彼は妻の手を取り、ゆっくりと考え込みながら階段を上って行った。

しかし、国家の混乱の時に公人の休息などほとんどないものである。モララが階段の一番上に到達して応接室に入るやいなや、一人の男が反対のドアから彼に会うために近づいてきた。彼は小柄で黒ずんでおり、そしてとても醜く、年齢と屋内生活のために顔にシワが寄っていた。その青白さはどちらも自然にはありえない紫がかった黒い髪と短い口ひげといっそう対照的であった。彼は手に大きな紙の束を持ち、長く繊細な指で注意深く部門別に配列していた。それは秘書であった。

「どうしたのかね、ミゲル?」大統領は尋ねた。「何か渡すものがあるのかね?」

「はい、サー;数分で結構です。エキサイティングな一日でした;成功裏に終わったことをお喜び申し上げます。」

「わかってるよ」モララはうんざりして言いました。「何を持ってきたのかね?」

「数通の国際ディスパッチです。英国からアフリカ南部の植民地の勢力圏についての文書が送付され、外務長官が返答を起草しました。」

「ああ!この英国人ときたら―いかに貪欲で、いかに横暴なことだろう!しかし、私たちは堅固でなければならない。私は内外のすべての敵から共和国の領土を守る。軍隊を送ることはできない、しかしディスパッチを書けるのはありがたいことだ。十分強気に出たのかね?」

「閣下のご心配には及びません。私たちは我が国の権利を最も力強く擁護しました;それは大きな道徳的勝利になるでしょう。」

「それによって私たちが道徳的利益と同様、物質的利益を得られることを願っている。かの国は豊かで;支払う金を持っている;文書からそれは明らかだ。もちろん私たちは厳しく返答しなければならない。他に何かあるかね?」

「陸軍、任官、昇進に関する書類がいくらかあります、サー」とミゲルは一束の書類、親指と人差し指の間の束を触れて言いました。「判決の確認、モルゴンの予算草案の通知と意見、そして一つ二つの小さな問題。」

「うーん、長い仕事だ!よし、行ってそれを片付けよう。最愛の人、私がどれほど責め立てられているかは分かるね。今夜のディナーで会おう。閣僚は全員来ているのかね?」

「ルーヴェ以外です。アントニオ、彼は仕事に拘束されています。」

「仕事!プー!あいつは夜の街が怖いのだ。臆病者になるなんてどういうことだ!こうやってあいつは上等なディナーを逃すわけだ。じゃあ8時に、ルシール。」そして迅速かつ断固としたステップで彼はプライベート・オフィスの小さなドアを通り抜け、秘書が後に続いた。

アントニオ・モララ夫人は素晴らしい応接室にしばらくそのまま立っていた。それから彼女は窓へと歩いてバルコニーに出た。彼女の前に広がっていたのは並外れて美しい風景であった。宮殿は高台に立っており、街と港の景色を広々と眺めることができた。太陽は水平線の高さに沈んでいたが、家々の壁はまだ眩く白く目立っていた。その緑と優雅なヤシの木が目を落ち着かせ満足させてくれる、数多くの庭園と広場が、赤と青の瓦屋根を救っていた。北には上院議会と下院の大きな建築群が堂々とそびえていた。西側は船舶と防御砦を持つ港であった。停泊地には数隻の軍艦が浮かんでおり、すでに青から日没のよりゴージャスな色へと変わり始めた地中海に白い帆の小型漁船が数多く点在していた。

彼女は秋の夕方の澄んだ光の中でそこに立っていたため、神々しいほどに美しく見えた。乙女の美しさの魅力に女性の機知の魅力が加わって、彼女はその人生の時を迎えていた。その完璧な容貌はその心の鏡であり、女性の最大の魅力であるその生き生きとした豊かな表情であらゆる感情とあらゆる気分を表現していた。その長身には天性の優雅さがあり、着ていた古典的と言ってもよいドレスはその美しさを高め、その周囲と調和していた。

彼女の表情には満たされない想いが浮かんでいた。ルシールは約五年前にアントニオ・モララと結婚したのであった。彼の権力はそのとき絶頂にあり、活力にあふれていた。彼女の家族は彼の運動の最も強力な支持者に数えられており、父と弟はソラトの戦場で命を落としていた。母親は大きな不幸と悲しみに打ちひしがれ、彼らの最も強力な友人、国家を救い、今やそれを支配することになるであろう将軍の世話になることを自分の娘に勧めて世を去った。彼は最初、その仕事をとても忠実に自分に従ってくれた人々への義務感から引き受けたのであったが、その後動機は別なものへと変化した。一ヶ月も経たないうちに彼は運命の女神が引き合わせた美しい少女に恋をしたのである。彼女は彼の勇気、エネルギー、そしてその資力に憧れを抱いた;彼の職務の壮麗さはそれらの力なしではありえないものだった。彼は彼女に富と―ほとんど王位とも言える―地位を約束して求婚をした;それに加えて、彼は容姿にも恵まれていた。二人が結婚したとき彼女は二十三歳だった。何ヶ月もの間、彼女の生活は忙しいものだった。冬のシーズンはレセプション、舞踏会、そしてパーティーの絶え間ないもてなしの仕事でいっぱいだった。外国の王子たちはヨーロッパで最も美しい女性としてだけでなく、偉大な政治家としても彼女に敬意を表していた。彼女のサロンはあらゆる国の最も有名な人々で賑わっていた。政治家、兵士、詩人、科学者たちがその殿堂に詣でたのである。彼女は国家の問題にも関わっていた。もの柔らかで優雅な大使たちが微妙な暗示を投げかけ、彼女は非公式の答えを返したものであった。全権大使たちは彼女のために条約と議定書の詳細を驚くべき入念さで解説した。慈善家たちは自分たちの見解や気まぐれを主張し、促し、そして解説した。誰もが彼女と公事について話していた。彼女のメイドでさえ兄弟である郵便局員の昇進をもちかけてきた;そして女性が味わう最も美味しい飲み物である賞賛自体が無味乾燥になるまで、誰もが彼女を賞賛したのであった。

しかし最初の数年間でさえ、何か足りないものがあった。それが何であったのか、ルシールには全く見当もつかなかった。夫は愛情深く、公務から割くことのできる時間には彼女のいうことを聞いてくれていた。このごろ事態はあまり明るいものではなかった。国の動揺、民主主義の台頭する力が共和国のただでさえ重い業務に加わって、大統領の時間とエネルギーに比して完全に酷な要求となっていた。彼の顔には硬いシワ、責務と懸念のシワが刻まれ、時に彼女が驚くほど疲れた姿をしていることがあった。まるで骨を折っているにも関わらずその労力が無駄になることを予見している人物のようであった。彼が彼女に会う頻度は少なくなり、その短い間の会話にも職務や政治のことがどんどん増えていった。

首都には不穏な空気が充満していた。始まったばかりの季節の幕開けはひどいものであった。平野はすでに涼しくて緑であったが、名門諸家の多くは山の斜面にある夏の邸宅に残っていた;他の人々は市内の自宅に留まり、宮殿の最も正式な催しだけに出席していた。見通しが荒れ模様になるに従って、彼女はあまり彼を助けることができなくなったように思った。激情が掻き立てられて美しさを目に見えなくし、魅力を感じる心を鈍くしていた。彼女はまだ女王であった、しかし臣民は不機嫌で無関心であった。彼が非常に強い圧力を受けている今、彼を助けるために彼女には何ができただろう?退位の考えは、すべての女性同様、彼女にとって憎むべきものであった。輝きが消えた後も、宮廷の儀式を指揮し続けなければならないのだろうか?自分が愛着を抱いてきたものすべてを転覆するため敵が日夜活動しているというのに。

「私には何もできないの?何も?」彼女はつぶやいた。「私は自分の役目を果たしたのかしら?人生最高の時は終わってしまったの?」そしてそのとき、苛立たしい決意の熱い波が押し寄せてきた。「私はやるわ―でも何を?」

問いの答えはなかった;太陽の端が水平線の下に沈み、軍用突堤の末端の防衛砲台の目印となっているいびつな土盛りから煙のパフが噴き出した。それは夕方の大砲であった。そしてかすかに漂ってきた砲音が彼女の頭をいっぱいにしていた不愉快な考え事を断ち切った;しかし記憶は残っていた。彼女はため息をついて振り返り、再び宮殿に入った:日の光が次第に消えて夜になった。

 

 


第III章
大衆の側の男

落胆と激しい怒りが街を満たしていた。一斉射撃のニュースは速く遠くへと広がり、そして、そうした場合の常として結果は非常に誇張されていた。しかし警察の予防措置はよく考えられており、首尾よく実行されていた。大勢で集まることは許されず、通りの絶え間ないパトロールでバリケードの建設は妨げられていた。さらに共和国親衛隊は非常に恐ろしいものだったので市民は何と感じていようとも彼らは黙認し、場合によっては満足しているという態度を示すのが慎重な態度であると考えていた。

しかし大衆派のリーダーたちは違っていた。彼らはすぐに市長の公邸に集まり、激しい議論を続けていた。市長公邸のホールで緊急会議が開かれ、党派のすべての勢力がそこに代表を送っていた。市民評議員であり、出版禁止になった「トランペットコール(*集合ラッパ)」の元編集者であるモレが部屋に入ると大いに歓声が上がった。彼の演説は多くの人にアピールしており、ローラニア人は常に大胆な行動に拍手喝采する準備ができていた。その上、最近の暴動には誰もが興奮し、何かをしたいと思っていたのであった。労働派の代表は特に怒っていた。自らの不満を表現するために合法的に集まった労働者が、雇われた兵士によって撃ち殺されたのです―虐殺というのが 最もよく使われた言葉であった。復讐する必要がある;しかし、どうやって?最もワイルドな案が提示された。常に大胆な意見に賛同するモレは通りに出撃し、人々を鼓舞して武器をとらせることに賛成した;彼らは宮殿を燃やし、暴君を処刑して国の自由を回復しようというのである。実際のところその提案の採用に特別な熱意が示されていたわけではなかったが、年老いた用心深いゴドイはそれに強く反対を唱えた。彼が提唱したのは非難と弾劾の穏やかで威厳のある態度であった。それは列国にアピールし、彼らの主張の正しさを立証することになるであろう。他の人々が議論に割って入った。法廷弁護士のレノスは自ら憲法の方法と呼ぶものを提唱した。彼らは公安評議会をつくる必要がある;彼らは適切な国の官吏(もちろん司法長官を含む)を任命すべきである。そして国民の権利宣言の前文に含まれている基本原則に違反したとして大統領に退位を命じるのである。自ら発言をすることを切望していた数人のメンバーによって遮られるまで、彼は関係する法的要点について詳しい話を続けた。

いくつかの決議が可決された。大統領は市民の信頼を失ったことが承認され、大統領はすぐに辞任して法廷に服従するよう求められた。軍が共和国の害悪であることも承認された。人々に発砲した兵士を国内法において起訴することが決議され、死傷者あるいは殉教者と呼ばれた人々の身内には同情が集まった。

この無力で無益の場面は何もないところから党派を立ち上げ、次から次へと成功を収め、ついに勝利を得たかと思われるところまで彼らを導いてきた、その注目すべき人物の入場によって終わった。会衆に沈黙が降りかかった;一部は敬意を表して立ち上がった。彼は何と言うだろうか、と誰もが思った。彼は降りかかった打ちひしぐような敗北にどう耐えるのだろうか?運動に絶望するのだろうか?怒っているのか、悲しんでいるのか、それとも冷笑しているのだろうか。なにより、彼はどういう方針をとるのだろう?

彼はメンバーが集まっている長いテーブルの端まで歩いて行って、ゆっくりと座った。それからいつものように落ち着いた穏やかな顔で部屋を見回した。その混乱と優柔不断の場面で彼は堂々としていた。彼の存在そのものがその追随者に自信を与えていた。その高く広い額の中にはすべての問いに対する答えがあったのかもしれない;彼の決然とした落ち着きは運命の最大の打撃にも耐えることができそうだった。

すこし休止した後、沈黙に誘われて彼は立ち上がった。その言葉は慎重で穏健であった。登録簿が削られていることに気付いたときには失望した、と彼は言った。最終的な成功は延期された、しかし延期されただけである。自分が遅くなったのは市長公邸に来る前に少しばかり計算をしていたためである。拙速なものには違いないが自分はそれがほぼ正確であると考えている。大統領は来たる議会で過半数、圧倒的多数を獲得するであろう、それは本当である;しかし選挙人が制限されているにもかかわらず、自分たちは一定の議席を獲得することになるであろう;三百議席中約五十議席である。もっと小さな少数派がより強力な政府を倒したこともある。日々自分たちは強くなっている;日々独裁者への憎しみが増している。さらに憲法の手続き以外の選択肢がある―そしてこの言葉で会衆は歯を食いしばり、深い意味を込めてお互い見つめ合った―しかし今のところ自分たちは待たなければならない;そして自分たちは待つことができる、勝ちとるべき価値のある賞を。それは世界で最も価値ある財産―自由である。彼はより輝いた顔とより穏やかな心で席に着いた。審議が再開された。身内が虐殺されたことで貧困に陥った人々を党の一般財源から救済することが決定された;それは労働者階級における彼らの人気を高め、外国の共感を勝ち取ることになるであろう。大統領が自分たちの古来の登録簿を削除したことに対する市民の悲しみを表明し、選挙権の回復を懇願するために代表団を送らなければならない。また国民に発砲した将校の処罰を要求し、大統領に市の恐慌と憤慨を知らせるべきである。サヴローラ、ゴドイ、レノスが代表団に指名され、そして改革委員会は静かに解散した。

モレは最後まで居残ってサヴローラに近づいて来た。彼は自分が代表団のメンバーとして推薦されなかったことに驚いていた。友人があまりいない学者ぶった弁護士のレノスよりも彼は自分のリーダーをはるかによく知っていた;彼は最初から盲目的な熱意と献身でサヴローラにつき従っていた;そして今、このように無視されたことに傷ついていた。

「今日は僕らにとって悪い日だった」ためらいがちに彼は言った;そしてサヴローラが返事をしなかったので、彼は続けた「まさか彼らが騙すなどと誰が思ったことだろう?」

「今日は君にとって非常に悪い日だった」とサヴローラは思慮深く答えた。

「僕にとって?なに、どういうこと?」

「君は四十人の命に責任があるということが分からないのか?君のスピーチは役に立たなかった―あれに何か良いことがあっただろうか?彼らの血が流れたのは君のせいだ。人々もまた怯えている。多くの弊害があった;君の過ちだ。」

「僕のせいだ。僕は激怒した―彼は僕らを騙したのだ。僕には反乱しか考えられなかった。君がこのようにおとなしく座っているなんて夢にも思っていなかった。あの悪魔を今すぐ殺すべきだ―もっと悪いことが起こらないうちに。」

「見てくれ:モレ:僕も君と同じく若い;僕も同じく痛切に感じていて;僕も熱意でいっぱいなのだ。僕もまた賢く哲学的であろうとする以上にモララを憎んでいる;しかし屈服して何も得られないとき、僕は自分自身を封じ込めるのだ。今僕の言ったことをよく考えてくれ。君はそうするか、そうしないのであれば君の好きな道を行くしかない。なぜなら僕は君と相容れないからだ―政治的に―友人としては別だが。」

彼は腰を下ろして手紙を書き始めた、そして怒りと自責から来る屈辱に青ざめ、叱責の下で震えていたモレは急いで部屋を出て行った。

サヴローラは後に残った。その夜にやるべきことはたくさんあった;手紙を書いたり読んだり、民主的新聞の社説の論調を明らかにし、他にもたくさんの問題を解決しなければならなかった。大きな党の組織、そしてさらに大きな謀議は念入りで絶え間ない心配りを必要としていた。終わったのは九時過ぎだった。

「じゃ、おやすみなさい、ゴドイ;」彼は市長に言った。
「明日もまた忙しい一日になるでしょう。独裁者を恐れさせる工夫をしなければなりません。彼といつ会見できるかを知らせて下さい。」

市長公邸の入り口で彼は貸馬車を呼んだ。これは社交の季節の沈滞にも政治的な騒動にも通常の業務を妨げられることのない乗り物である。短いドライブの後、彼は小さいけれどもエレガントでなくはない家に到着した。それは街の最もファッショナブルな地区にあった。彼は財力のある人物であった。ノックすると年老いた女性が扉を開けた。彼女は彼を見て喜んだ。

「ラ」彼女は言いました。「あなたがいなくて恐かったわ、その上この銃声と騒音でしょう。でも、もう午後には肌寒いのでコートを着ていくべきでしたね。明日あなたが風邪をひくのではないかと心配です。」

「大丈夫ですよ、ベティン」彼は優しく答えました。「胸の調子はいいです、ご心配ありがとう;でもとても疲れています。部屋にスープを持ってきてくれませんか;今夜は食事はしません。」

彼女が間に合わせの最良の夕食を作るため騒がしくしている間に彼は二階に上がった。彼の住むアパートは二階にあった―寝室、浴室、そして書斎。それは小さいものだったが、趣味と贅沢が考え出し、愛着と勤勉によって維持されるすべてのものでいっぱいであった。一番いい場所を占めているのは幅広い執筆テーブルだった。それは手や頭に都合よく光が当たるように配置されていた。その中心には大きなブロンズ製のインクスタンドが置いてあり、その前に大量の簡易製造のブロッティング・ブック(*インク吸い取り紙を綴じたもの)が広がっていた。テーブルの残りの場所は書類ファイルが占めていた。十分な紙屑籠があるにもかかわらず、床には切り抜きが散らばっていた。それは公人の執筆テーブルであった。

部屋は携帯用傘つきランプの中の電灯で照らされていた。壁は棚で覆われ、読み込まれた本でいっぱいであった。この文献のパンテオン(*万神殿)にはそれらを読んでその価値を知らない限り誰も立ち入りを許されないのである。それは多彩な蔵書であった:ショーペンハウアーの哲学はカントとヘーゲルの間にあり、ヘーゲルは「サン・シモン回想録」と最新のフランスの小説を押しのけていた;「ラッセラス」と「ラキュレ」は並んでいた;おそらく「デカメロン」の豪華本はギボンの有名な歴史書の重厚な八巻を不当に延長してはいなかった;「種の起源」はブラック・レター(*12~15世紀まで使われていた書体)の聖書の横にあった;「国家(*プラトン)」は「ヴァニティフェア」と「ヨーロッパの道徳の歴史」の間で均衡を保っていた。マコーリーのエッセイは執筆テーブルの上にあって;開かれていた。そしてそれによって一人の天才がもう一人の天才に不朽の名声を与えたあの荘厳な一節に鉛筆で印がつけられていた。そして歴史は、激しく、高く、大胆な性格を戒めるために彼の多くの誤りを記しながらも、彼のそばにその骨が眠っている著名な人々の中に、より汚れなく、より輝かしい名前を残した人物はほとんどいない、と慎重に宣言することであろう。(*ウイリアム・ピットについての記事より)

半分空のタバコの箱が低い革張りのアームチェアの近くの小さなテーブルの上に立っていた。その横には重い軍用リボルバーが置かれており、その銃身の周囲からは多くのタバコの灰が取り除かれていた。部屋の隅には小さいながらも優雅なカピトリーノのヴィーナスが立っていた。その色の冷たい純潔はその姿態の魅惑を咎めていた。それは哲学者の部屋であったが、冷淡で観念的な隠者の部屋ではなかった;それはすべての地上の喜びを味わい、その本来の価値を値踏みし、楽しみ、軽蔑した人間、人間らしい人間の部屋であった。

テーブルの上には未開封の書類や電報がまだ残っていたが、サヴローラは疲れていた;それは朝まで待つことが可能、あるいはいずれにせよ待つべきであった。彼は椅子に倒れ込んだ。そう、それは長い一日であり、憂鬱な一日であった。彼は32歳の青年だったが、すでに責務と気苦労の影響を感じていた。その神経質な気質は彼が最近経験した躍動的な光景に興奮することは間違いなく、感情の抑圧は内向きの火を熱くするだけであった。それには価値があったのだろうか?闘争、苦心、絶え間なく押し寄せる事件、人生を楽にしたり、快適にしたりする多くのものの犠牲―何のために?人々のために!彼が自分自身から隠すことができなかったのは自らの奮闘の理由というよりむしろその方向であった。原動力は野心であり、彼にはそれに抗う力がなかった。彼は芸術家の喜び、美しさの探求に捧げられた人生、またはスポーツの喜び、棘すら残さない最も強烈な喜びの価値を知っていた。人々の喧噪から遠く離れ、芸術と知性が勧めるあらゆる気晴らしとともに、夢のような静かで哲学的な静けさのある美しい庭園に住むことは、より心地よいことだろうと感じていた。しかし自分がそれに耐えられないことも知っていた。「激しく、高く、大胆に」がその心の形であった。彼が生きてきた人生は彼が今まで生きることができた唯一のものであった;最後まで続けなければならない。行動の中にだけ休息があり、危険の中にだけ満足があることを知り、混乱の中にだけ自らの唯一の平和を見出すように精神が鍛えられている、そのような人々はしばしば早逝するものである。

彼の考え事はトレイを持った老婦人が入ってきたため中断された。疲れていても礼儀は守らなければならなかった;彼は起き上がり、服を着替えて身仕舞をするために奥の部屋に入った。戻ると食事の用意ができていた;彼が頼んだスープは家政婦の世話でより手の込んだ食事に拡充されていた。彼女は彼の給仕をし、しばらくの間質問を浴びせかけ、世話を焼くことを喜びながら彼の食欲を見ていた。彼女は彼の誕生の時から休むことのない献身と気配りで子守をしてくれていた。こうした女性の愛、それは不思議なものである。おそらくそれは世界で唯一の利害関係のない愛情である。母親は子供を愛する;それは肉体的なものである。若者は彼の恋人を愛する;それも説明できるであろう。犬は主人を愛する;養ってくれるからである。人が友人を愛する;多分確信を持てない時に味方をしてくれたのであろう。すべてには理由がある;しかし保母の世話におけるその愛は絶対的に不合理に見える。それは様々な思想が束になっても説き明かすことができない、人間の本質が単なる功利主義よりも優れており、その運命は高い、ということの数少ない証拠の一つである。

軽く質素な夕食が終わり、老婦人が皿を持って立ち去り、そして彼は再び考え事にふけった。差し迫った未来のいくつかの困難な事件、その取扱いについて彼は確信を持っていなかった。彼はそれらを心中から去らせることにした;なぜ彼は常に事実の問題で抑圧されなければならないのだろう?夜はどうなっている?彼は立ち上がって窓まで歩いて行き、カーテンを引いて外を見た。通りはとても静かだったが、遠くでパトロールの重い足音が聞こえたように思った。すべての家は暗くて陰鬱であった;頭上には星が明るく輝いていた。それを見るのに最適な夜だった。

彼は窓を閉め、ろうそくを持って部屋の片側にあるカーテン付きのドアまで歩いた;それを開けると平らな屋根に通じる狭いらせん階段があった。ローラニアの家のほとんどは低く、トタン屋根に到達したサヴローラは眠っている街を見下ろしていた。ガス灯の列が通りと広場を示し、明るい点が港の船舶の位置を示していた。しかし彼はそれらを長くは見ていなかった;今のところ人々とその責務にうんざりしていたのである。この空中のプラットフォームの一角に小さなガラスの天文台が立っていて、開口部から望遠鏡の先端が出ていた。ドアの鍵を開けて彼は中へ入った。これは誰も見たことのないその人生の一面であった。彼は発見や名声に熱心な数学者ではなかったが、その謎故に星を見ることを好んでいた。いくつかの操作によって望遠鏡はこの時北天の高いところにあった美しい惑星、木星に向けられた。レンズは強力であり、周りに衛星を従えたその巨大な惑星は壮麗に輝いていた。地球は時間とともに回転するが、時計仕掛けのギアがそれを継続的な監視下に置くことを可能にしていた。彼は長い間それを見つめ、星を注視することが好奇心旺盛で探究心のある人々に働きかける魔力にどんどん憑りつかれていった。

ようやく彼は立ち上がった、心はまだ地球から遠く離れていた。モララ、モレ、党、その日のエキサイティングなシーンはすべて霧がかかったように非現実的なものに思えた;別の世界、より美しい世界、無限の可能性の世界がその想像力を魅了していた。彼は木星の未来、冷却プロセスによってその表面に生命の存在が可能となる前に経過する途方もない時間、無情で動かすことのできない進化のゆっくりした着実な歩みについて考えた。胚の世界のまだ生まれぬ住人である彼らはどこに向かうのだろうか?あるいは生命の本質のかすかな歪みに過ぎないものへ。あるいは彼の想像も及ばないものへ。すべての問題は解決され、すべての障害は克服されて;生命は完全な発展を遂げることであろう。そして空間と時間を超えた空想はさらに遠い時代の物語に移った。冷却プロセスは続き;生命の完全な発展は死によって終わりを迎え;全太陽系、全宇宙は、いつの日か燃え尽きた花火のように冷たくなって生命は消え去るであろう。

それは悲しみをそそる結論であった。夜に見る夢が自分の考えと相反することを期待して、彼は天文台を閉め、階段を降りた。

 

 


第IV章
代表団

大統領は早起きするのが習慣であったが、その前に必ず新聞で政府の政策を扱ったり、政府の行動を批判したりするような意見を読んでいた。今朝、彼の文献は非常に豊富だった。すべての新聞は選挙権の制限とその発表後の大暴動をトップ記事にしていた。彼は最初に正統派の凡庸な報道機関であるジ・アワーを開いた。これは通常、発生したニュースからその時その時に好ましいものを斟酌して政府を慎重に支援していた。1列半の記事の中でジ・アワーは大統領が選挙権を無傷で復活させることができなかったことに穏やかに遺憾を表明した;このことは読者の大部分を満足させた。2列目ではそのような嘆かわしい結果をもたらした恥ずべき暴動に対する深刻な不承認―(無条件の非難という言葉が実際に使われた)―を表明した;前夜に到着し、ロンドンの特派員から送られて来たものとして自分たちが一字一句をそのまま威風堂々印刷した英文原稿を大統領が差しまわしてくれたことに対して、この新聞はこのように恩返しをしたのであった。

上流階級の上品な朝刊紙であるザ・コーティアー(*宮廷人)はとても不穏当にもシーズンの初めに暴動が起こってしまったことを遺憾とした、そしてそれが7日に催されるナショナル・ボールの輝きを決して損なうことがないように、という希望を表明したのであった。そしてメニューが正式に追加された大統領主催の最初の閣僚ディナーの優れた記事があった、そして内務省長官のセニョール・ルーヴェが病気でその行事に出席できないかもしれないことを懸念していた。膨大な数の発行部数を持つザ・ダイアーナル・ガッシャー(*昼間の感情家)は事実上コメントを控えたが、虐殺の優れた記事を発表し、その悲惨な詳細に多くの豊かな感情と不健全な想像力を費やしていた。

これらは事実上、政府が支援を頼りにしていた報道機関であった。大統領はいつも最初にそれらを読んでいた。彼と政府、およびそのすべての仕事に急進的、通俗的、民主的報道機関のコラムが罵詈雑言で朝の挨拶をしてくることに対する防御を固めるためであった。強い言葉を常習的に使うことが招く最悪の結果は、特別な事態が実際に発生したときにそれを目立たせる方法がないということである。ザ・フェビアン(*民主社会主義者)、ザ・サンスポット(*太陽黒点)、およびザ・ライジング・タイド(*上げ潮)は他のそれほど重要ではない事件において自らの広範な語彙のすべての形容詞をすでに使い果たしてしまっていた。市民に容赦ない一斉射撃が行われ、古来の特権が攻撃された今、彼らはその感情の唯一の噴出において比較的穏健になってしまった。彼らは国家元首をネロやイスカリオテと非常に頻繁かつ生々しく比較した。これらの名士のとても好都合なところは彼らが今彼にどう対処しようとしているかが分からない、ということであった。それでも彼らはいくつかの未使用の表現を見つけ、彼の「人類の最も共通の本能の残忍な無視」の例として閣僚ディナーを強調した。ザ・サンスポットは「大食いの汚れた乱行にふけり、血に染まった指を選りすぐりの料理に伸ばしている。その間、犠牲者の体は埋葬されておらず、復讐されていない。」と特別楽しそうに閣僚に言及していた、と読者たちは思った。

熟読を終えた大統領は、最後の新聞をベッドから押し出し、眉をひそめた。彼は批判を全く気にしていなかったが、マスコミの力を知っていて、それが世論を反映しているだけではなく影響を与えていることを知っていた。バランスが反対側に傾いていることは間違いなかった。

朝食時、彼は不機嫌に沈黙していた、そこでルシールは賢くも不自然な平凡な朝の会話で彼を苛立たせないことにした。彼はいつも九時までに仕事を始めていたが、今朝はいつもより早く始めた。モララが入ったとき、秘書はすでに自分のテーブルで忙しく書き物をしていた。彼は立ち上がってお辞儀をした。これは正式なお辞儀であり、敬意を表すというよりは平等を主張しているように見えた。大統領はうなずき、そして彼自身の注意を必要とする書状の当該部分がきちんと整理されている自分のテーブルへと向かった。彼は座って読み始めた。そして時折、同意または不承認の叫び声を発し、しばしば決定と意見を書き込むために鉛筆を使った。ミゲルは時折、彼がこのように対処した書類を集め、隣の部屋の下位の秘書の元へ運んだ。その任務は「即刻拒否」「もちろん否」「戦争省へ」「何度も答弁した」「同意しない」「昨年の報告を見よ」などのフレーズを堂々たる華麗な公式用語へと推敲することであった。

ルシールにも読み書きする手紙があった。それを終えた後、公園へドライブすることにした。過去数週間、実際夏の別荘から戻って以来、ここ数年間続けてきた習慣をやめていた;しかし前日の情勢や暴動の後、自分が持っていなかった勇気を見せることが義務だと感じたのであった。彼女の美しさは美を愛する人々が一様に敬意を表するほどのものだったので、それが夫を助けることになるかもしれなかった。それは少なくとも害にはならず、さらに彼女は宮殿とその庭園にうんざりしていたのだった。こうした意図で馬車が仕立てられ、彼女がそれに乗り込もうとしたとき、ドアのところに若い男が到着した。彼は重々しく挨拶をした。

政治を私生活に持ち込んだり、私生活を政治に持ち込んだりしないのはローラニア共和国の市民の誇りであった。彼らがそれについてどこまでを正当化していたのかは後で分かることであろう。現在の状況は間違いなくその原則を極限まで緊張させていましたが、政治的敵対者の間でも依然として礼儀は交わされていた。ルシールは内戦前に父の家を頻繁に訪れていた偉大な民主主義者を知っていて、ずっと公的な知己であったため、微笑んでお辞儀を返し、大統領に会いに来たのですか、と尋ねた。

「はい」と彼は答えた。「約束があります。」

「公的なご用事かしら?」彼女は仄かに微笑んで尋ねた。

「はい」彼はややぶっきらぼうに繰り返した。

「あなた方はみんな、どんなにやっかいなことかしら」彼女はずけずけと言った。「あなた方の公的用件とまじめくさった顔ったら。朝から晩まで私が耳にするのは国の事ばかりです。そして今一時間リラックスするために宮殿を出ようとすると、まさにそのドアで私はあなた方に出会うのです。」

サヴローラは微笑んだ。彼女の魅力に抵抗することは不可能であった。大統領との会見の準備のために精神は注意深くそして断固とした状態であったにもかかわらず、彼がいつも彼女の美しさとその機知に感じていた憧れが自己主張をした。彼は若い男であって、憧れる惑星は木星だけではなかった。(*金星=ヴィーナス)「閣下」彼は言った。「私の全ての意図に無罪宣告をしていただかなければなりません。(*決して故意にしたことではありません)」

「そうします。」彼女は笑いながら答えた。「そしてあなたをそれ以上罰しません。」

彼女は御者に合図して会釈し、馬車で走り去った。

彼は宮殿に入り、青ともみ革色の共和国の制服を纏ってまばゆく輝く従僕に控えの間へと案内された。前日に護衛を指揮していた親衛隊の若い将校である中尉が彼を出迎えた。大統領は数分で手が空くでしょう。代表団の他のメンバーはまだお着きになっていません;その間座るだろうか?中尉は怪訝そうに彼を見た、見るだけなら害はない、しかし怒らせたときの力には驚くべき逸話がある不思議な動物を見るように。彼は最も正確な連隊の理念で育てられていたのであった:人々(彼は暴徒をこう表現しました)は「豚」であった;彼らのリーダーも同じで、その前には形容詞を付けていた;民主的制度や議会などはすべて「腐敗」していた:したがって彼とサヴローラには共通の話題がほとんどなさそうに思われた。しかしその美貌とマナーに加えて、若い兵士は他の技能を持っていました;部下は彼が「申し分なく」「抜け目がない」ことを知っていた。彼は親衛隊ポロチームの槍騎兵たちから最も有望な選手と見なされていたのである。

すべてを知ることを本分としているサヴローラは、最近ローラニア騎兵隊が議論したハーリンガムでの毎年恒例の大規模トーナメントに出場するためポロチームをイギリスに派遣する、というプロジェクトについて尋ねた。ティロ中尉(それが彼の名前でした)は喜んでそのテーマに飛びついた。彼らは誰を「バック」にするべきかについて論争をした。市長とレノスが入って来るとようやく議論は中断し、中尉は大統領に代表団が待っていることを知らせるために出て行った。

「すぐに会うことにしよう。」とモララは言った。「ここに来させなさい。」

そこで代表団は階段を上って大統領の個室へ案内された。大統領は立ち上がって礼儀正しく彼らを迎え入れた。ゴドイは市民の不満を述べた。彼は過去五年間の違憲政府に対する彼らの抗議と、ともに身分制議会を召集するという大統領の約束に対する彼らの喜びを撤回した。彼は選挙権の制限に対する自分たちのひどい失望と、それが完全に回復されるべきであるという強い願望を述べた。彼は兵士が非武装の人々を撃ち殺した残酷さに憤慨し、ついに市長として大統領への忠誠心や彼の人格へ敬意を保証することはできない、と宣言した。レノスは同じ調子で話し、特に最近の大統領の行動の法的側面、後世への先例としてのその影響の重みについてくどくどと話した。

モララはかなり長い返答をした。彼は国、特に首都の混乱した状態を指摘した;彼は先の内戦の混乱とそれが大衆に与えた苦しみに言及した。国が求めていたのは強力で安定した政府であった。事態がより落ち着くにつれ、選挙権は最終的に完全に元通りになるまで拡張されるであろう。それについて、何が不満なのか?法と秩序が維持された;公共サービスは良く管理された;人々は平和と安全を享受した。それ以上に力強い外交政策は国の名声を高く保った。あなた方は実例を見るべきである。

彼は振り返り、ミゲルにアフリカ紛争に関する英国の文書への返信を読むように命じた。秘書は立ち上がって、その柔らかく満足げな声がそこに含まれる侮辱を強調するのに非常に適していることを実証しつつ、件の紙を読み上げた。

「そしてそれは、紳士諸君」読み終わったとき大統領は述べた。「世界で最も偉大な陸軍力と海軍力を持つ国のうちの一つに宛てたものなのです。」

ゴドイとレノスは黙り込んだ。その愛国心が奮い立たされていた;プライドは満足させられた;しかしサヴローラは挑発的に微笑んだ。「ディスパッチ以上のものが必要でしょう。」彼は言った。「イギリス人をアフリカの勢力圏から遠ざけておくため、あるいはローラニアの人々をあなたの支配と和解させるためには。」

「そして、より強力な手段が必要となれば」と大統領は言った。「それを取るので安心してください。」

「昨日の出来事があった後でそのような保証が欲しいとは思いません。」

大統領は嘲りを無視した。「私は英国政府を知っている」と彼は続けた;「彼らは武器に訴えることはない。」

「そして私は」サヴローラは言った。「ローラニアの人々を知っています。(*武器に訴えるかどうか)私は確信が持てません。」

長い間があった。双方の男は向かい合い、その目が合った。それは闘う二人の剣士の姿であり、二人の憎い敵同士の姿であった;彼らは距離を測り、チャンスを伺っているようであった。そして微笑みを唇に残したままサヴローラは顔を背けた;しかし彼は大統領の心中を読んで、まるで地獄を見たような気がしていた。

「それは意見の分かれるところです、サー。」とモララはついに言った。

「まもなく歴史の分かれ目になるでしょう。」

「他の話を先にするべきでした。」大統領は言って、非常に形式的に続けた。「市長殿と紳士諸君、あなた方がある階級の人々の中に存在する不穏で危険な集団について知らせてくれたことを感謝します。あなた方は暴動を防ぐためのあらゆる予防措置を頼りにして良いのです。またこれからも情報を提供してください。では良い朝を。」

とるべき唯一のコースはドアのようであった、そしてサヴローラが大統領の謁見に感謝し、市民の敵対的意見を強く訴える機会があればまたいつでも必ず来ることを確認した後、代表団は退出した。階段を降りる途中、ドライブから思いがけず早く帰ってきたルシールと出会った。彼女は彼らの表情から白熱した議論が行われたことを知った。彼女はゴドイとレノスを気に留めず通り過ぎたが、自分は政治に興味がなく、人々がどうしてそんなに興奮していたのか理解できない、とサヴローラに伝えるかのように楽し気に微笑みかけた。笑顔は彼を裏切らなかった;彼は彼女のセンスや天分をあまりにもよく知っていたが、なおいっそう彼を憧れさせたのはそのしぐさであった。

彼は家へと歩いた。会見は完全に満足のいくものではなかった。決して大統領を説得できるなどと期待していたわけではなかった;それは確かにほとんどありえないことであった;しかし彼らは国民の意見を表明したのであり、ゴドイとレノスはすでに自分たちの発言の写しを新聞に送っていたので、党派はこうした危機におけるリーダーの怠慢に不満を言うことはできなくなっていた。彼はモララを恐れさせたと思った。もし実際にそうした男を恐れさせることができるものであれば;とにかく彼を怒らせた。彼はこれに思い当たったとき、喜びを感じた。なぜ?彼はこれまでそのような非哲学的で無益な感情をできる限り抑圧してきたが、どういうわけか今日、彼は大統領に対するその嫌悪感がより暗い色合いを帯びているように感じた。そして彼の心はルシールへと戻った。彼女はなんと美しい女性だったことだろう!すべての真のウィットの源である人間の感情のその自然の知識にどれほど満ちていることか!モララはそのような妻を持つ幸運な男であった。断固としてサヴローラはモララを個人的に嫌っていた、しかしそれは、もちろん彼の違憲行為のせいである。

彼が自分の部屋に着くとモレが待っていて、大いに興奮し、明らかに怒っていた。彼は自らのリーダーに彼とその党との一切の関係を断つという不変の決意を告げる何通もの長い手紙を書いたのだったが;それらをすべて引き裂き、そして今や率直に話すことを心に決めていたのであった。

サヴローラは彼の表情を見た。「あぁ、ルイ」彼は叫んだ。「会えてうれしいよ。本当によく来てくれた。ちょうど大統領と話してきたところだ;彼は強情だよ;1インチも動かないだろう。君のアドバイスが欲しい。僕らはどうしたら良いのだろう?」

「どうだったの?」若い男は不機嫌に、しかし興味津々で尋ねた。

サヴローラは会見について生き生きと簡潔に話した。モレは注意深く耳を傾け、それでもまだ大変不機嫌に「彼が理解できる議論は物質的な力だけなのだ。蜂起するしかない。」と言った。

「おそらく君が正しいのだろう。」とサヴローラは思慮深く言った。「僕は半ば君に同意しかけている。」

モレは自分の提案を力強くかつ真剣に主張したが、そのリーダーは彼が提案した暴力的措置にそれほど同意しているようには見えなかった。半時間、彼らはその点について話し合った。サヴローラはまだ納得していないようだった;彼は時計を見た。「二時過ぎだ」彼は言った。「ここで昼食をとって問題を徹底的に話し合おう。」

そうすることになった。昼食会は素晴らしく、亭主の議論がどんどん説得力のあるものとなっていった。ついにモレはコーヒーを飲みながら、おそらく待ったほうがよいだろうということを認め、二人は心からの友情とともに別れた。

 

 


第V章
密談

「まずは」大統領は代表団が退出して扉が閉まるやいなや腹心の秘書に言った。「終わったが、これからもっとたくさんの機会があることだろう。サヴローラは間違いなく中央選挙区で選出される。そうなったら上院でやつの話を聞くことを楽しむ羽目になる。」

「何かが」とミゲルは付け加えた。「起こらない限り。」

部下についてよく知っていた大統領はその言外の意味を理解した。「いや、それは良くない;それはやってはいけない;五十年前なら良かったかもしれない。今日人々はそのようなことに我慢できない;軍隊でさえ良心の呵責を感じるだろう。やつが法を犯さない限り、憲法を守りながらどうやって彼に手を下すことができるか私にはわからない。」

「彼は大きな力であり、大きな力;時には、私が思うにローラニアで最も大きな力です。日ごとに彼は力を増しています。やがて終わりが来るでしょう。」とモララの危険の、それと同じく行動のパートナーとして秘書はゆっくりと思慮深く言った。彼にはなすべき主張があった。「終わりが来ると思います。」と彼は続けた。「おそらくすぐに―しない限り―?」一度言葉を切った。

「それはできないと言ったはずだ。いかなる出来事も私のせいにされるだろう。それはこの国における革命を意味し、すべての国外亡命の道を閉ざすだろう。」

「力、物理的な力以外にも他の方法があります。」

「どんな方法か、私には分からない、そしてやつは強い男だ。」

「サムソンもそうでしたが、それでもペリシテ人は彼を役立たずにしました。」

「女性を通じてだったな。やつは恋をしたことがないと思う。」

「今後しない理由はありません。」

「デリラがいればな」と大統領は冷淡に言いました。「やつのデリラを探してくれるのかね。」

秘書の目は何気なく部屋の中をさまよい、ルシールの写真の上で一瞬止まった。

「よくもそんなことを、サー!おまえは悪党だ!おまえには美徳のかけらもない!」

「私たちは以前からの付き合いです、将軍。」彼はこういう時にはいつも将軍と呼ぶのであった、それは彼らが戦争中に一緒に働いたときに起こった様々な小事件を大統領に思い出させた。「おそらくそのせいです。」

「お前は失礼だ。」

「私の利害も関係しているのです。私にも敵がいます。秘密警察に守られていなければ私の人生などなんの価値もないことをよくご存じでしょう。私は誰と一緒に、誰のためにああいうことをしたかを覚えているだけです。」

「たぶん私は短気なのだろう、ミゲル、しかし限度がある、たとえ―」友達と言おうとしましたが、ミゲルは共犯者、と口を挟みました。「では」モララは言いました。「何と呼んでも構わない。あなたの提案は何かね?」とモララは言いました。

「ペリシテ人は」とミゲルは答えました。「サムソンを役立たずにしましたが、デリラはまず彼の髪を切らなければなりませんでした。」

「やつに手を握ってもらうよう、彼女は懇願しなければならないということかね?」

「いいえ、それは無駄と思います。しかし彼が歩み寄った場合―」

「しかし彼女は、彼女は同意しないだろう。巻き込まれることになる。」

「必ずしも奥様がご存じである必要はありません。彼に近づく別の目的を伝えるのが良いでしょう。驚かせてはいけませんから。」

「おまえは悪党―地獄の悪党だ」と大統領は静かに言った。

ミゲルは褒め言葉をもらって微笑んだ。「この問題は」彼は言った。「深刻すぎるため通常の礼儀と名誉の規定では対応できません。特殊な症例には特殊な治療が必要です。」

「彼女は決して私を許さないだろう。」

「あなたは許す方です。あなたは寛容なのでまだ犯されていない罪を許すことができるでしょう。あなたは嫉妬深い夫を演じ、後で自分の過ちを認めるだけです。」

「そしてやつはどうなる?」

「大人気のリーダーを想像してみてください。愛国者、民主主義者、なんやかや、暴君の妻といちゃついているところを見つかった。なぜ?みだらであるというだけで多くの人が愛想をつかすでしょう。そしてさらに彼が慈悲を乞い、大統領の足元にひれ伏しているのを見る―いい眺めだ!彼は破滅するでしょう;嘲笑だけでも彼を殺すことができるでしょう。」

「そうかもしれない」とモララは言った。その光景が気に入ったのであった。

「そうしなければなりません。私の見るところそれがたった一つのチャンスであり、あなたには何の負担もありません。すべての女性は、たとえそれが彼女の夫であったとしても、彼女が愛する男性の嫉妬を秘かに喜んでいるのです。」

「どうしてそんなことを知っているのかね?」モララは仲間の醜い縮み上がった姿とテカテカの髪を見て尋ねた。

「私は知っています」ミゲルは憎むべき自尊心でニヤリとした。彼の欲望についての示唆はぞっとするようなものであった。大統領は嫌悪感を催した。「秘書ミゲル氏」彼は決然とした態度で言った。「二度とこの件について話さないよう頼む。それはあなたの上司よりもあなたの心のためにならないだろうと思う。」

「閣下の態度から、これ以上の言及が無用なことはわかります。」

「昨年の農業委員会の報告はあるかね?いいね―要約を作ってくれ;なんらかの事実が欲しい。首都を失っても国は守られるだろう;それは軍の望ましい役割を意味している。」

このようにこの問題は却下された。それぞれがお互いを理解した、しかしその背後では危険に拍車がかかっていた。

朝の仕事を終えた後、大統領は部屋を出るために立ち上がったが、その前にミゲルの方を向いて突然言った:「上院が開会してから野党がどのような方向を目指しているかが分かるなら、私たちにはとても好都合だろう。違うかね?」

「その通りです。」

「どうすればそれをサヴローラに言わせることができるだろう?買収はできない。」

「別の方法があります。」

「物理的な力を考えるべきではない。」

「別の方法があります。」

「それについては」大統領は言った。「二度と話さないよう指示したはずだ。」

「まさにその通りです。」と秘書は言って書きものを再開した。

モララが歩み入った庭園は国内で最も美しく有名なものの一つであり、そこではすべての植物が華麗な外観を獲得していた。土壌は肥沃で、太陽は熱く、雨は豊富であった。それは魅力的な無秩序を呈していた。対称的な形の同数の小さな木を数学的なデザインで正確に配置したり、または箱状生垣と狭い通路で幾何学的図形を作成したりすることに美しさを見いだすあの独特の趣味にローラニア人は憧れていなかった。彼らは頑迷な人々であり、その庭は幾何学や正確さに対する異例の軽蔑を見せていた。心地よいコントラストで配置された夥しい色は光であり、涼しい緑の木陰は彼らの田舎の風景の中の影であった。彼らのガーデニングの理想はすべての植物をできる限り自然が指図しているかのように自由に成長させ、そしてできる限り人の手で栽培されもののように高い完成度にすることであった。結果は芸術的でなくとも;少なくとも美しいものであった。

しかし大統領は花やその配置をほとんど気にしていなかった;彼は、その言によれば、色、調和、線の美しさに関わり合うには忙しすぎる男であった。バラの色彩もジャスミンの香りも彼の中に自然で無意識な初歩的身体的愉快以上のものを呼び起こすことはなかった。彼は良い花畑を持っていることを好んでいた、それを持っていることは正しいことであった、なぜなら彼はそこに人を連れて行って個人的に政治問題について話すことができたし、また午後のレセプションにも便利だったからである。しかし彼自身はそれに興味がなかった。家庭菜園の方がより魅力的であった;その実用的な魂は蘭よりも玉ねぎを喜んでいた。

彼はミゲルとの会話で頭がいっぱいになっていた、そして大きくせかせかしたストライドで噴水に通じる日陰の小道を下って行った。事態は絶望的であった。それはミゲルが言ったように時間の問題だった―しない限り―サヴローラが始末されたり信用を失ったりしない限り。彼は自分の心を捉えた考えをきちんとまとめることを差し控えた。自ら権力闘争をしていた手荒い戦争の時代に彼は多くのことをしたが、その記憶は快いものではなかった。彼は恐るべきライバルであった兄弟将校、新進の連隊の大佐のことを思い出した;決定的な瞬間に彼は支援を差し控え、自分の進路の障害を一つ敵に取り除かせたのであった。それから別のことが心に浮かんだが、それも快いものではなく、条約破り、休戦破りの話だった;合意に基づいて降伏した兵士たちを彼らが長い間保持していた砦の壁の前で撃ったのである。また捕らえたスパイから情報を得るために使った方法を苛立ちながら思い出した;成功と幸運に恵まれた五年間の忙しい生活も、男の苦悶の表情の記憶を不鮮明にすることはなかった。しかしこの新しいアイデアはすべての中で最も憎むべきものであった。彼は悪辣であったが歴史上、あるいは現代に生きる多くの人々と同様に不名誉な過去を片付けてしまいたいと思っていた。今後は、と権力を獲得したときに彼は言った、そういった手段を使わない;それはもはや必要ないだろう;しかしここでもうそれが必要になったのであった。加えてルシールはとても美しく;そのためだけに彼は苦労しながらも彼女を愛したのだった;そして彼女は彼が憧憬し、純粋に公的立場からも評価するほどに機転が利き、光り輝く配偶者であった。もし彼女が知ったなら決して彼を許さないだろう。彼女は決して知ることはないだろうが、それでも彼はそのアイデアを憎んでいた。

しかし他にどのような道が残っていただろうか?彼は前日の群衆の顔つきについて;サヴローラについて; 軍隊から彼に届いた話について;より暗く、より奇怪な類の別の話―革命と同じく殺人を示唆した奇妙な連盟と秘密結社の話について考えた。潮が満ちていた。手間取ることは危険であった。

そして、代案が浮かんだ;脱出、退位、軽蔑され、侮辱され、疑われながらの外国でのわびしい暮らし;そして聞くところによると亡命者はみなたいそう長生きだったそうである。それについて彼は考えようとしなかった;むしろ死のうとしていた;彼を宮殿から引きずり出すことができるのは死だけであり、彼は最後まで戦うであろう。彼の心は内省の出発点に戻った。ここにはチャンスがあった、可能と思われるたった一つの解決策である;それは望ましいものではなかったが、それしかなかった。彼が小道の終わりに到達し、角を曲がるとルシールが噴水のそばに座っていた。絵のように美しい姿であった。

彼女は彼の上の空の表情を見ました、そして立ち上がって彼を迎えた。「どうしたのです、アントニオ?心配そうですね。」

「事態は私たちにとって悪い方向に向かっています。私の愛する人よ。サヴローラ、代表団、新聞、そして何よりも私が受け取った、人々についての報告は不吉で憂慮すべきものです。」

「今朝ドライブしたとき、不穏さに気がつきました。危険があると思いますか?」

「はい」彼はその正確な公式の態度で「重大な危険があります。」と答えた。

「私にあなたをお助けすることができればいいのですが」と彼女は言った。「私はただの女性です。私に何ができるでしょう?」彼は答えず、彼女は続けた。「セニョール・サヴローラは親切な人です。私は戦前彼のことをよく知っていました。」

「彼は私たちを滅ぼすでしょう。」

「そんなはずはありません。」

「私たちは国を去らなければならないでしょう。もし本当に彼らがそれを許すのであれば。」

彼女は青ざめた。「でも私は人々がどのように見ているか知っています;私と同じです;彼は狂信者ではありません。」

「彼の背後と足元には彼がほとんど知らず、制御することもできない、しかし彼が呼び起こした力があるのです。」

「あなたにはどうすることもできないのですか?」

「私には彼を逮捕することができません。彼は人気がありすぎて、その上法律に違反していないのです。彼はさらに前進してくるでしょう。二週間後に選挙があります;私がとった予防措置をものともせず戻ってくるでしょう;そしてトラブルが始まるのです。」彼は言葉を切り、独り言のように続けた。「彼が何をしようとしているか分かるなら、おそらく打ち負かすことができるのだが。」

「私がお手伝いできませんか?」素早く彼女は尋ねた。「私は彼を知っています;彼は私のことを好きだと思います。他の人に言わないことを私にささやくかもしれません。」過去の数多くの勝利を思い出していた。

「私の最愛の人よ」とモララは言った。「なぜあなたは政治の暗い面に首を突っ込んで自分の人生を台無しにしようとするのですか?あなたに頼みたいとは思いません。」

「でもやりたいのです。お役に立てるのならやってみるつもりです。」

「とても役に立つでしょう。」

「わかりました、私はあなたのために探ります;二週間以内にお知らせできるでしょう。彼はナショナル・ボールに来るはずです。そこで彼に会おうと思います。」

「あなたにああいう男と話をさせるのは気が進みませんが、あなたの機知を知っています、そして必要は大きいです。しかし彼は来るでしょうか?」

「招待状と一緒にメモを送ります。」と彼女は言った。「政治を笑い飛ばし、少なくとも私生活をそれから解放するよう忠告します。彼は来ると思います。来なかったら別の方法で会います。」

モララは感心して彼女を見た。彼女が自分にとってどれほど有用であるかを知ったこのときほど彼女を愛したことはなかった。「それではあなたに任せます。失敗するのではないかと心配ですが、もしそれができれば、あなたは国を救うことになるかもしれません。もしできなかったとしても、なんの害もありません。」

「私はきっと成功します。」と彼女は自信を持って答え、立ち上がって宮殿に向かって歩き出した。夫の態度から彼が一人になりたがっていることに気づいたのである。

彼は長い間そこに座ったまま、太くて怠惰な金魚が穏やかに泳いでいる水を見つめていた。その顔はなにか嫌なものを飲み込んだ人のような表情をしていた。

 

 


第VI章
憲法に基づいて

ローラニア共和国の賢明な創設者たちは党派に関係なく、国の公人たちの間で社交の実践を維持し促進することの大切さを知っていた。そこで大統領が秋のシーズン中にいくつかの公式の催しを行うことは長い間の習慣であり、両方の側のすべての著名な人物がそれに招待され、出席することがエチケットとされていた。今年は感情が非常に高ぶっており、関係が非常に緊張していたため、サヴローラは受け入れないことを決め、すでに正式に招待を断っていた;そこで二回目のカードを受け取ったときに彼は少なからず驚いた。さらにそれに付いてきたルシールのメモを読んでなおさら驚いた。

彼は彼女がそれを承知の上ですげなく断られようとするのを見て、なぜそういうことしたのかを不思議に思った。もちろん彼女は自分の魅力を頼んでいた。不可能ではないにしても、美しい女性を冷たくあしらうのは難しいことである;彼女らは美しいままであり、叱責は跳ね返される。実際、こうした危機的な時に届いた招待状を握りつぶすことで彼は政治的資本を築くことになるかもしれない;しかし彼は彼女の好意を感じ、少なくとも彼女はそれと関係がないのだと思った。嬉しくなった。行けないのが残念だった;しかし心を決めて辞退の手紙を書くために座った。手紙の途中で手が止まった;もしかして彼女は自分の助けを必要としているのかもしれない、という考えが浮かんだ。手紙をもう一度読み返した。そしてメモから、根拠となる言葉などなかったのだが、アピールを見つけたと自惚れた。そして考えを変える理由を探し始めた:古い確立された習慣; 差し当たり自分は憲法運動だけに賛成しているということを追随者に示す必要性;計画の成功に対する自信を示す機会;実際、彼の決意に反するすべての論点が並べ立てられた、本当の一つの論点以外は。

よし、行こう;党派は反対するかもしれないが、気にしない。それは彼らには関係がない、そして彼はその不満に十分立ち向かえるほど強いのである。この考え事はモレが入ってきたために中断された。その顔は熱狂で輝いていた。

「中央選挙区委員会が満場一致で君を選挙の候補者に指名してくれたよ。独裁者の人形、トランタはヤジで参っていた。木曜の夜に君が演説するための集会を手配したよ。僕らはいま波に乗っているぞ!」

「首都!」 サヴローラは言った。「指名を期待していたんだよ;首都での僕らの力は絶大だからね。話す機会があることはうれしい;しばらく集会に出ていなかったから、今は話すことがたくさんあるのだ。君が手配してくれたのは何日だっけ?」

「木曜夜八時、市庁舎」モレは言った。彼は楽観的な人物だったがテキパキとしていないわけではなかった。

「木曜日?」

「うん、予定はないだろう。」

「うーん」サヴローラはゆっくりと話し、考えながらものを言っているようだった。「木曜はナショナル・ボールの夜だね。」

「わかってるよ。」モレは言った。「だからこそ僕はそのように手配したのさ。彼らは火山の上で踊っているように感じることだろう。宮殿からわずか1マイルのところに人々が集まって、合意して、決意するのだからね。モララは夜を思いのままに楽しむことができず;ルーヴェは行かず;ソレントは必要に応じて虐殺の手配をするだろう。祝祭は台なし;彼らは皆、壁に書かれた文字を見ることになるのさ。(*凶事の前兆:バビロン王ネブカドネザルが宴会の最中に不思議な手が壁に文字を書くのを見たことに因む)」

「木曜はだめだ、モレ。」

「だめ!どうして?」

「舞踏会に行く。」サヴローラはゆっくりと言った。

モレははっと息を飲んだ。「なに」叫んだ。「きさま!」

「絶対に行くよ。昔からの国の慣習を無視してはいけない。行くことは僕の義務だ;僕らは憲法のために戦っている、そして僕らはその理念を重んじなければならない。」

「君はモララのもてなしを受ける―奴の宮殿に入って―奴が出すものを食べるということか?」

「違う」サヴローラは言った。「僕は国から出されたものを食べるのだ。君も知っている通り、これら公共の費用は国民全体が支払うのだから。」

「君は奴と話をするのか?」

「するよ、向こうは楽しまないだろうがね。」

「じゃあ奴を侮辱するのか?」

「親愛なるモレ、なぜ君はそんなことを考えるのかな?僕はとても礼儀正しくする。それが奴を一番怖れさせることだろう;何が差し迫っているのかが分からないのだから。」

「行ってはいけない」モレは断固として言った。

「必ず行く。」

「労働組合が何と言うか考えてみてくれよ。」

「僕はすべてを考えた上で決心したのだ。」サヴローラは言った。「彼らは好きなことを言うかもしれない。しかしそれが僕はまだずっと憲法の理念を捨てるつもりがない、ということを彼らに教えることになるだろう。時にはこうした人々の熱を冷やすことが必要だ;彼らは人生を真剣に受け止めて過ぎているからね。」

「彼らは君が運動を裏切ったと非難するだろう。」

「愚かな人たちがお決まりのことを言うのは間違いない。しかし僕の友だちは誰一人それを繰り返して僕をうんざりさせることはない、と信じている。」

「ストレリッツが何と言うだろう?そんなことをした仲間と一緒にすぐにも国境を越えて来そうだけどね。彼は僕らが手ぬるいと思っていて、毎週ますます焦れているのに。」

「僕らの支援の準備ができる前に来てしまったら、軍隊は彼と烏合の衆をさっさと片付けてしまうだろう。しかし彼は僕の命令を受けているし、それに従うだろう。そう期待している。」

「君は間違ったことをしている、わかっているだろう。」モレは厳しくそして荒々しく言った;「敵にへつらうなど、情けなくて恥ずかしいことなのは言うまでもない。」

サヴローラは自分の追随者の怒りに微笑んだ。「いや」彼は言った。「僕はへつらったりはしない。どうかな、僕のそんな姿を見たことないだろう。」そして仲間の腕に手を置いた。「不思議なことに、ルイ」彼は続けた。「僕らには多くの点で違いがある、でも僕が困難と迷いの中にいるとき、真っ先に相談するのは君なんだ。僕らは些細なことで争っている。しかし、それが大きな問題だったとしたら僕は君の判断に従うはずだ、分かるだろう。」

モレは降参した。彼がそのように話したとき、彼はいつもサヴローラに屈服するのであった。「じゃあ」彼は言った。「いつがいいのかな?」

「いつでもいいよ」

「じゃあ金曜日、早ければ早いほど良い」

「よーし;手配してくれ;話すことを用意しておく。」

「行かなきゃいいのに」とモレは元の異議に戻った。「僕なら絶対行かない。」

「モレ」と見慣れない真剣さでサヴローラは言った。「もうその話は終わったでしょう;ほかにも話すことがある。心配なことがあるんだ。運動には底流がある。僕には測り知れない力が。僕は党のリーダーをしているが、僕に制御できない力の作用に気づくことがある。彼らがリーグと呼んでいる秘密結社が未知の要因になっているのだ。僕はその仲間、ドイツ人の仲間、ナンバーワンを自称しているクロイツェが嫌いだ。僕が党内で受けるすべての反対の出どころは彼であり;労働党代議員たちはすべて彼の影響下にあるようだ。確かに君や僕やゴドイ、そして古来の憲法のために戦っているすべての人が、どこへ行くとも知らず流れている社会的潮流の政治的な波であると思う瞬間がある。おそらく僕は間違っているのだろうが、僕はずっと目を開けて見続けていて、それらの証拠が僕を考えこませるのだ。未来がぞっとするようなものであるということ以外は分からない;君は僕の味方になってくれなければいけない。抑制と制御ができなくなったなら、僕はもう先頭に立つことはできない。」

「リーグは大したことないんじゃないかな」とモレは言った。「今のところ、僕らと運命を共にしている小さなアナキストグループに過ぎない。君は党のなくてはならないリーダーです:君が運動を創り出したのです。それを鼓舞したり鎮めたりできるのは君だけです。未知の力などありません;君が原動力なのです。」

サヴローラは窓へと歩いた。「街を見渡してみてくれ。」彼は言った。「大変な数の建物だ;30万人が住んでいるのだ。その大きさを考えてみよう;その中にある潜在的な可能性を考えてから、この小さな部屋を見てくれ。僕がその人たちの心をすべて変えたから、または僕が彼らの思いを最もよく言い表したから、今の僕があるのだと思うか?僕は彼らの主人または彼らの奴隷だろうか?僕を信じてくれ、僕は幻想を持たないし、君にも持って欲しくないのだ。」

彼の態度はその追随者を感動させた。彼は街を見てサヴローラの真剣な言葉を聞いたとき、多くの、かすかな、抑制された、しかし雷のように激しい、風が海に向かって吹いているときの岩がちの海岸の砕け波の咆哮を聞いたように思った。彼は返事をしなかった。その高度に鍛え上げられた興奮しやすい気質はあらゆる気分と情熱を誇張するのであった;彼はいつも“最上級”で生きていた。健全な皮肉で釣り合いをとったりはしなかった。今や彼は非常にいかめしくなり、サヴローラに良い朝を、と告げて極度に刺激された強力な想像力の振動に揺られながらゆっくりと階段を降りて行った。

サヴローラは椅子に横になった。まず笑い声を上げそうになった、しかし彼はモレを説得できたことがその愉快さの全ての理由ではないことに気づいた。彼は自分をもだまそうとしたが、互いに隠し事をするには、精妙な脳のその部分同士はあまりにも密接に関連しすぎていた。それでも彼はそれらが心変わりの本当の理由を公認することを許さなかった。そうじゃない、彼は何度も自分に言い聞かせた。そしてそれがそうであったとしても、それは重要なことではなく、何も意味しない。彼はケースからタバコを取り出して火をつけ、煙の渦巻く輪を眺めた。

彼が言ったことのどれだけをモレは実際に考えていたのだろうか?彼はモレの真剣な顔について考えた;それは彼の言葉のせいだけではなかった。若い革命家も何かに気づいていたが、その印象を言葉にすることを恐れたか、しそびれたか、控えていたのであった。今や底流があった;行く手には多くの危険があった。まあ、いいだろう、彼は気にしなかった;自分の力に自信を持っていた。困難が生じたときには立ち向かう。危険に脅かされたなら打ち勝つ。騎兵、歩兵、大砲、なんでも来い、彼は男であり、完全な存在であった。どんな環境、どんな状況でも、自らが重視するべきファクターを知っていた;ゲームが何であれ、自分の利益のためではなかったとしても、自分の楽しみのために彼はプレイすることであろう。

タバコの煙は頭の周りに渦を巻いて漂っていた。人生―いかに真実でなく、いかに不毛でありながら、いかに魅力的なものだろうか!自分を哲学者と呼ぶ愚か者たちは苦い事実を人々に切々と訴えかけようとした。その哲学はもっともらしい詐欺に向いていた―痛みの意義を重要なものとせず、喜びの意義を重要なものとすることを教え;生を喜ばしいもの、死を偶発的なものとしたのであった。ゼノは逆境に立ち向かう方法を説き、エピクロスは喜びを楽しむ方法を説いた。彼は幸運の微笑みに浴し、悲運の渋面に肩をすくめた。彼の生活、あるいはこれまでの生活は心地よいものであった。覚えているかぎりのすべては生きる価値があった。もし来世があるなら、ゲームが他の場所で始まるなら、また参加したいと思っていた。彼は不死を望んでいた、しかし静かに消え去ることをも望んでいた。一方、生きるということは興味深い問題であった。彼のスピーチ―彼は多くのことを成し遂げたが、努力なしに何も良いものを得られないことを知っていた。雄弁における即興の芸当があるなどと思っているのは聴衆の側だけであった;修辞の花は温室で育てられる植物なのである。

何か言うべきことがあっただろうか?タバコは続けざまに機械的に消費されていた。煙の中に彼は聴衆の心に深く食い入るような演説の結びを探していた;最も無学な人にも理解でき、最も単純な人にもアピールする当を得た言い回しで表現された、高い思想、見事な比喩。生活の物質的な関心から彼らの心を持ち上げて感情を呼び起こす何か。彼のアイデアは言葉の形を取り始め、自ずと群れて文章になり始めた。彼は独り言を言った;自分の言葉のリズムが彼を揺さぶった。思わず頭韻を踏んでいた。小川が素早く流れ、その水面の光が変化するようにアイデアは次々と浮かんだ。彼は一枚の紙を取って急いで鉛筆でメモを始めた。それがポイントであった;同語反復は強調効果を上げているだろうか?彼は大まかな文章を書き留め、それを削り取り、磨いてから、もう一度書いた。音は聴衆の耳を喜ばせ、感覚は彼らの知性を改善し刺激する。なんというゲームだったことであろう。彼のプレイするカードはその脳内にあり、彼がプレイする賭けは世の中にあるのである。

働いているうちに時間が過ぎて行った。昼食を持って入ったベティンは彼が静かに忙しくしていることに気づいた;彼女は以前にも彼のこうした姿を見たことがあり、邪魔をしようとはしなかった。時計の針がゆっくり回って整然と時の歩みを刻むにつれ、手をつけられていない食事がテーブルの上で冷たくなっていた。やがて彼は立ち上がって、完全に自分の考えと言葉に酔い、低い声で、そして非常に強い語調で自分自身に語りかけ、短く速いストライドで部屋を歩き始めた。突然彼は立ち止まり、その手が見慣れない激しさでテーブルに振り下ろされた。スピーチは終わった。

騒音が彼に日常生活を思い起こさせた。空腹で疲れていた、そして彼は自分の熱中ぶりを笑いながらテーブルに座り、無視されていた昼食を摂り始めた。

フレーズ、事実、数字が書き込まれた十数枚のメモ用紙が朝の仕事の結果であった。テーブルの上にピンでひとまとめに留められた;何でもない、取るに足りない紙片;しかしローラニア共和国大統領アントニオ・モララはそれを砲弾よりも恐れたことであろう。もし彼が愚か者でも臆病者でもなかったとすれば。

 

 


第VII章
ナショナル・ボール(*国の舞踏会)

ローラニアの宮殿は国の社交セレモニーに見事に相応しかった。憲法の慣習に奨励された公共の式典への贅沢な支出が、共和国のホスピタリティを最も壮大な規模で拡大することを可能にしていた。季節の最初のナショナル・ボールは多くの点でこうした催しの中で最も重要なものであった。両党派の名士たちが夏の暑さの後、秋の会合の前に初めて会うのがこの行事であり、首都の輝かしい社交界が田舎や山の別荘に出かけて留守にした後の再会だった。興趣、優雅さ、そして豪華さが万遍なく発揮されていた。最高の音楽、最高のシャンパン、最も多様でありながら厳選された人々の集まりがこの夜の魅力の一つであった。広々とした宮殿の中庭は巨大な日よけで完全に覆われていた。輝く鉄の銃剣を携えてアプローチに並んだ親衛隊の歩兵の列がその行事の壮観さと安全性を高めていた。日の差している表通りは好奇心旺盛な民衆でにぎわっていた。宮殿の大広間は常に印象的で壮大であるが、派手に着飾った来客でいっぱいになるとさらに大きな華やかさを見せた。

階段の最上部に大統領とその妻が立っていた、彼は勲章とメダルで、彼女はその比類のない美しさでまばゆく輝いていた。ゲストが登って行くと深紅色と金色を纏ったゴージャスな副官が彼らの名前と肩書を尋ね、発表するのであった。多くのさまざまな来客があった;ヨーロッパのすべての首都、世界のすべての国が代表されていた。

今夜の目を引くゲストはエチオピア王で、沢山の絹と宝石が黒いけれども快活な顔の額縁になっていた。彼は早く来た―それは賢明なことではなかった、もっと遅く来ていたなら、もっと多くの観衆がその到着を見たことであろう;しかしこれはおそらく彼の純朴な心にとって重要な問題ではなかった。

外交団が長々と続いた。次から次へと馬車がエントランスに乗りつけて洗練された辣腕の積み荷を吐き出した。彼らは金と考えられる限りの色の組み合わせを装っていた。階段の一番上に到着したロシア大使は白髪交じりだったが、婦人に慇懃であり、立ち止まって品位ある丁重さでお辞儀をし、ルシールが伸ばした手にキスをした。

「このシーンは比類のないダイヤモンドにふさわしい舞台です」と彼はつぶやいた。

「冬宮殿でも同じように明るく輝けるでしょうか?」ルシールは軽やかに尋ねた。

「確かに、ロシアの凍るような夜はその輝きを強めるでしょう。」

「他のたくさんの輝きの中に埋もれてしまうのでしょうね。」

「他に並ぶ人はなく、あなたお一人でしょう。」

「あら」と彼女は言った。「私は注目されるのが嫌いです。同じくらい孤独が嫌いです、冷ややかな孤独なんて、考えただけで震えてしまいますわ。」

彼女は笑った。外交官は彼女に賞賛の眼差しを投げかけ、すでに階段の最上部をふさいでいた群衆の中に足を踏み入れて自分の多くの友人たちのお祝いを受け、それを返した。

「トランタ夫人」と副官が告げた。

「お会いできてとてもうれしいです」とルシールは言った。「娘さんが来られなかったなんて残念です;みんながっかりしていましたよ。」

これに醜い老婦人は顔を輝かせて挨拶を返し、階段を上って行くとバルコニーの大理石の手摺へと向かった。彼女は後に到着する客たちを見てはその服装と振る舞いについて知人に勝手気ままにコメントした;またそれぞれについてちょっとした情報をつけ加えるのだが、それは嘘ではなかったにしても意地悪なものであった;彼女は友人に多くのことを話したが、自分を舞踏会に招待しないなら大統領の党を離れるとトランタに手紙を書かせて脅迫しなければならなかったこと、そしてそれでも娘の招待状を貰えなかったことについては言わなかった。家族に似ている上に顔色の悪い不幸な少女であった。

次にルーヴェが、踊り場から見つめている群衆の顔を心配そうに見て、爆弾と短剣を想像しながら一段一段と上って来た。彼はおずおずとルシールを見た。しかし彼女の笑顔に彼は勇気をもらったようだった、そして群衆に混ざり合った。

そしてその評判とは対照的に、にこやかで元気な顔に天真爛漫さが表れている英国大使のリチャード・シャルグローブ卿が挨拶にやって来た。その大らかな挨拶によってローラニアとイギリスの間の緊張した関係は消え去ったかのように見えた。ルシールは彼と会話を交わした。彼女はなにも、あるいはまったく知らない顔をしていた。「そしていつ」彼女は明るく尋ねた、「私たちは宣戦布告するのですか?」

「私が三度ワルツを踊る前でないことを願っています」と大使は言った。

「困りましたわ!ぜひご一緒に踊らせていただきたいと思っておりましたのに。」

「ではどうでしょう?」彼は大いに関心を示して尋ねた。

「ワルツのために私が二つの国に戦争をさせてもいいのでしょうか?」

「こちらから誘ったのであれば躊躇されることはないでしょう」と彼は婦人に対する慇懃さで答えた。

「敵意を持たれるような何を!私たちが何をしたというのです?どうしてそんなにも戦いたいのですか?」

「戦いの方ではなく―踊る方です」とリチャード卿は少し怯んで言った。

「実際、あなたは外交官にしては率直な方です。とてもご機嫌のようですが何があったのか教えてくださいませんか;危険があるのでしょうか?」

「危険?いえ―なんのことでしょう?」彼は決まり文句を選んだ:「伝統的に友好的な政権の間ではすべての紛争は調停で解決されます。」

「まったく」彼女は真剣にそしてまったく態度を変えて言った。「私たちはこういうところでさえ政治的立場を考えなければなりませんね?強力なディスパッチが政府の立場を良くするでしょう。」

「ずっとそうですが」大使は断固として言い張った。「危険などありませんでした。」しかしHM戦艦アグレッサー(排水量12,000トン14,000馬力、4門の11インチ砲で武装)が十八ノットでローラニア共和国のアフリカの港に向けて航行していること、あるいは彼自身が午後の間ずっと船、備品、軍事行動関連の暗号電報で忙しかったことについては言わなかった。その純粋に専門的な詳細は彼女を退屈させるだけだろうと思ったのである。

この会話の間にも人々の流れはとめどなく階段を上っていき、ホールの全周を巡っている広いバルコニーには群衆が密集していた。ガヤガヤした会話が素晴らしいバンドをほとんどかき消していた;ボール・ルームの完璧なフロアにいたのは恋に心を奪われて他のすべてに関心をなくした数組の若いカップルだけであった。期待感が会場に広がっていた;サヴローラが来るという噂がローラニア全体に広まっていたのである。

突然みんなが静まり返り、バンドの演奏超しに遠くで叫び声が聞こえた。それはどんどん大きく膨らみ、まさにその門の前へと素早く近づいて来た;そして叫び声は消え、ホール全体が沈黙する中に音楽だけが流れていた。彼はヤジられた、あるいは歓呼されたのだろうか?その音は奇妙に曖昧に聞こえた;男たちは賭けをする用意ができていた;彼の顔を見れば答えが分かることであろう。

スイングドアが開き、サヴローラが入ってきた。すべての目が彼に向けられたが、その表情からはなにも読み取ることができず、賭けの結果は分からなかった。彼が悠々と階段を上っていくあいだ、その目は混雑した歩廊とそこに並ぶ華麗な群衆をぐるりと興味深げに眺めた。彼は無地の夜会服を着ていたが、それを際立たせる綬も勲章も星もなかった。その色とりどりの、一様にゴージャスな群衆の中ではくすんで見えた;しかし、パリのアイアン・デューク(*ワーテルローの戦いに勝ったウェリントン卿)のように彼は穏やかで、自信を持って、落ち着いている、全員のリーダーのように見えた。

大統領はその著名なゲストに会うために数歩歩いた。互いにまじめな重々しさでお辞儀をした。

「来て下さったことをうれしく思います、サー」とモララは言った。「これは国の伝統にかなったことです。」

「なすべきことでもあり、したいことでもあったのです。」サヴローラは皮肉っぽい笑顔で答えた。

「外の人たちとは問題なかったのですか?」大統領は刺々しく指摘した。

「ああ、問題はありません、ただ彼らはちょっと政治を真剣に受け止めてすぎているのです;私が宮殿に来ることを許せなかったのです。」

「あなたが来られたのは正しいことです。」とモララは言った。「今、国家の問題に取り組んでいる私たちはこれがいかに価値あることなのかを知っています;世界の人々は公務に興奮することはなく、紳士は棍棒で殴り合ったりはしないのです。」

「剣がいいですね」反射的にサヴローラは言った。彼が階段の最上部に達すると、その前にはルシールが立っていた。なんと彼女は女王のように見えたことだろうか、すべての女性たちの中で飛び抜けていて、比類はなかった!彼女が着けていた素晴らしいティアラは主権を連想させ、彼は民主主義者であったため、ただそれだけのためにその頭を下げた。彼女は手を差し出し;彼は敬意と礼儀とともにその手を取った、しかしこの接触は彼をゾクゾクさせた。

大統領はローラニアの貴族の中から太ってはいるが有名な女性を選び、先頭に立ってボール・ルームへ行った。サヴローラは踊らなかった;彼の哲学はいくつかの娯楽を軽蔑していた。ルシールはロシア大使に捕まっており、彼はただ見つめているだけだった。

彼がこのように一人でいるのを見て、先週中断したポロチームの「バック」についての議論を終わらせようとティロ中尉が近づいてきた。サヴローラは彼を笑顔で迎えた;実際誰もがそうであるように、彼も若い兵士が好きだった。ティロには言い分がたくさんあった;ゲーム中に強力な重量級のプレーヤーがバックに控えていて危険を冒さないことに賛成であった。国際コンテストに出るローラニア軍チームを適切に選ぶことの重要性を言っていたサヴローラは、軽量級のプレーヤーがすぐにフォワードのところまで上がって来られて、いつでも自分でボールを奪う準備ができていることに賛成だった。活発な議論になった。

「どこでプレーされていたのですか?」彼の知識に驚いた中尉は尋ねた。

「ゲームをしたことはないのです。」とサヴローラは答えた。「しかし、それが軍の将校にとって良い訓練だとずっと思っていました。」(*チャーチル自身は騎兵隊時代ポロの名手だった)

テーマが変わった。

「教えてくれませんか。あのさまざまな勲章は一体何ですか。英国大使のリチャード卿が着けている青いものは何ですか?」と偉大な民主主義者は言った。

「あれはガーターです」と中尉は答えた。「イギリスで最も名誉ある勲章です。」

「そう、君がつけているのは何ですか?」

「私!ああ、それはアフリカのメダルです。私は86年と87年にそこにいました、お分かりでしょう。」サヴローラが予想した通り、彼は尋ねられたことをとても喜んだ。

「こんなにも若い君にとって、それは未知の経験だったことでしょう。」

「とんでもなく面白かったです。」中尉は決然と言った。「私はランギタルにいました。私の戦隊は五マイルの追撃戦をしました。槍は美しい武器です。インドのイギリス人はイノシシ追いと呼ばれるスポーツをするそうです;試したことはありませんが、私のほうがよく知っていると思います。」

「そう、またすぐにチャンスがあるかもしれません。わが国は英国政府との間の問題に直面しているようです。」

「戦争の可能性があると思いますか?」少年は意気込んで尋ねた。

「もちろん」とサヴローラは言った。「戦争は国内の運動と改革の動きから人々の注意をそらすでしょう。大統領は賢い人です。戦争があるかもしれません。私は予言したいわけではありません;しかし君はそれを望みますか?」

「確かに望んでいます;それが自分の職業です。この宮殿の愛玩犬でいることにうんざりしているのです。野営と鞍が懐かしいです。さらにイギリスなら相手に不足はありません;彼らは確かに全速力で駆けてくるでしょう 。ランギタルで私はイギリス将校と、中尉でしたが、一緒になりました、彼は冒険を求める観戦者として来ていました。」

「彼に何が起こったのです?」

「はい、ええと、私たちは敵を丘まで追いかけ、さんざんにやっつけました。私たちが疾走していたとき、彼は森に向かって大勢が逃げていくのを見て切り捨てようと思ったのです。私は時間がないと言い;彼はあると言って六:四で賭けたので私は部隊を送りました―ええと、その日は私が戦隊の指揮を執っていたのです―彼は彼らと一緒に行って十分にまっすぐ先導したのですが―退屈ですか ?」

「とんでもない、とても面白いです;それでどうしたのです?」

「彼は間違っていました。敵は先に森に着いて開けた場所にいる彼を狙い撃ったのです。彼は大腿動脈を撃ち抜かれ、仲間に連れ戻されました;そうなったらもう長くないですよね。言い残したことはたったこれだけでした:“ああ、君の勝ちだ、しかしどうやって負け分を払ったらいいのか、わからない。兄弟に言ってくれ―王立槍騎兵隊にいる。”」

「それから?」サヴローラは尋ねた。

「ええ、私は圧迫するべき動脈を見つけられませんでした、医者は全くいませんでした。そして死んだのです―勇敢な仲間が!」

中尉はためらい、その軍事的冒険について多くを話したことをむしろ恥じていた。サヴローラはあたかも新しい世界、燃えるような、無謀な、好戦的な若者の世界を覗き込んだかのように感じた。彼自身も確かな嫉妬を感じるほど若かったのである。この少年は彼が見たことのないものを見ていた;サヴローラが学んだことのない教訓を与えてくれる経験を持っていたのである。彼らの人生は異なっていた;しかし、おそらく彼はいつかこの不思議な戦争の本を開き、身の危険の鮮やかな光の下でそこに書かれた教訓を読むことであろう。

その間にもダンスは続き、夜は更けていった。エチオピア王はベールをかぶっていない女性の胸を広く露出したドレスに恐怖を感じ、不愉快な白人と一緒に食事をすることを恐れて出発した。大統領はサヴローラに近づき、妻をディナーの席にエスコートするよう頼んだ;行列ができた。彼はルシールに腕を差し出し、彼らは階段を降りた。ディナーは素晴らしいものであった:シャンパンはドライで、ウズラは太っていた。たくさんの珍しく美しい蘭がテーブルを覆っていた;サヴローラの周りは居心地がよく、彼はローラニアで最も美しい女性、彼はそれと知らなかったものの、彼を魅了しようと努力している女性、の隣に座っていた。最初、彼らは楽しく浅薄な話をしていた。洗練されたマナーを身につけている大統領は気持良い仲間であり、話し手でもあることが分かった。サヴローラ、きらめく会話を喜んだ彼は自分が遵守することを決心した純粋に公式な訪問者の本分を守るのが難しいことに気づいた。機知、ワイン、そして美しさの力が組み合わさって、彼の慎みを打ち破った;彼はそれに気づく前に、疑わしいがゆえに尋ねられ、尋ねられることによってさらにその疑わしさを増すという、ある時代の特徴である、半分皮肉で半分真面目な議論に参加していた。

ロシア大使は美を崇拝していると述べ、自分のパートナーである若いフェロル伯爵夫人に、彼女をディナーにエスコートすることを宗教的儀式と見なしている、と語った。

「それはご自分が退屈されているということではありませんか」と彼女は答えた。

「断じて違います;私の宗教では儀式は決して退屈なものではありません;これは私がこの主張をするときの主な長所の一つです。」

「他の長所などあるのでしょうか」モララは言った。「あなたはあなた自身が作り出した偶像を熱愛しているのです。あなたが美を崇拝するならば、あなたの女神は人間の気まぐれという不確かな台座の上に立っているに過ぎないのではないでしょうか。どうでしょう、プリンセス?」

大統領の右側に座っていたタレンタムの王女は、そうした土台でさえ他の多くの信念の土台よりも確かなものでしょう、と答えた。

「あなたご自身の場合、人間の気まぐれでさえ十分に不変だということですか?それでしたらよく分かります。」

「いいえ」と彼女は言った;「私が言いたいのは美への愛はすべての人間に共通しているということだけです。」

「すべての生物に」とサヴローラは訂正した。「花を生み出すのは植物の愛です。」

「うーん」大統領は言った。「しかし、美への愛が不変であったとしても、美自体は変わるかもしれません。すべてはいかに変化することでしょう;ある時代の美は次の時代の美ではありません;ヨーロッパでは恐ろしいことがアフリカでは賞賛されます。それはすべて見解、地域的見解の問題です。ムッシュ、あなたの女神はプロテウスと同じくらい多くの形をとることでしょう。」

「私は変化を好みます」大使は言った。「私は外観の多様性を女神の決定的な長所と考えています。すべてが美しい限り、どれだけ多くの形があっても構いません。」

「しかし」ルシールが口を挟んだ。「あなたは美しいものと、私たちが美しいと思うものを区別されていません。」

「区別は要らないでしょう」と大統領は言った。

「大統領夫人閣下の場合、区別は要りません」と大使は丁寧に口を挟んだ。

「美しさとは何でしょう」モララは言った。「いったい私たちは何を賞賛の対象に選ぶのでしょうか?」

「私たちが選ぶ?私たちにそんな力があるのでしょうか?」サヴローラは尋ねた。

「確かに」大統領は答えた。「そして毎年私たちは判断を変えます;毎年ファッションは変わります。女性に聞いてみてください。三十年前のファッションを考えてみてください;そのときはそれがふさわしいと思われていたのです。次々に移り変わってきたさまざまなスタイルの絵画や詩、音楽をよく考えてみてください。その上、ムッシュ・ド・ストラノフの女神は彼にとって美しくとも他人にとってはそうではないかもしれません。」

「それもまた本当の長所だと思います;あなた方(*女性陣)は一瞬ごとに私をこの宗教にさらに夢中にさせて下さいます。私は売名のために自分の理想を崇拝しているわけではありません」大使は笑顔で言った。

「あなたは問題をmaterial(*物質的、肉体的)な観点から見られているように思います。」

「moral(*道徳的、精神的)というよりはmaterialですね」とフェロル夫人は言った。

「しかし私の女神崇拝においてimmorality(*不道徳)はimmaterial(*重要ではない)のです。さらにあなたが私たちの好みは常に変化していると仰るのであれば、私の宗教の本質は不変であるように思えます。」

「そのパラドックスを説明して欲しいものです。」とモララは言った。

「ええ、あなたは私が毎日変わると仰います、そして私の女神も変わります。今日私はある基準の美を、明日は別の基準の美を賞賛します、しかし明日になったら私はもはや同じ人間ではありません。私の脳の分子構造が変化し;考えが変化し;古い自分は消え去って、自らの理想を愛する;新しい自我が始まるのです、新しい人間として。それが死ぬまでずっと続くのです。」

「あなたは変化の連続を不変と仰ろうとしているのではありませんか?それなら停止の連続を動きと言うこともできるでしょう。」

「私はその時間の空想に賛成です。」

「あなたは私の意見を別の言葉で言って下さいました。美は人間の気まぐれに依存し、時代とともに変化するのです。」

「その像を見てください」とサヴローラが突然言って、部屋の真ん中にシダに囲まれて立っているダイアナの壮大な大理石の像を指した。「人がそれを美しいもの呼んでから二千年以上が経っています。今それを私たちは否定するでしょうか?」答えはなく、彼は続けた。「それは線と形の真の美しさであり、永遠のものです。あなたがたが仰っていた他のこと、ファッション、スタイル、空想はそれに辿りつくために私たちが行って失敗した試みにすぎません。それに辿りつこうとする試みを人は芸術と呼ぶのです。芸術は美の、名誉は正直の人工的な同素体です。紳士は芸術と名誉を備えているべきであり;人には美と正直だけで十分です。」

ちょっとした間があった。まぎれもなく民主主義者の口調であった;その真剣さが一同に印象を与えた。モララは気まずい様子をしていた。大使が助け船を出した。

「しかし、私は美の女神を崇拝し続けます。彼女が変わろうと変わらなかろうと」―彼は伯爵夫人を向いた;「そして帰依の証に、私はその神聖な神殿であるボール・ルームでワルツを捧げます。」

彼は椅子を後ろに押し、身をかがめて、床に落ちたパートナーの手袋を手に取った。みんなが立ち上がり、会は散開した。サヴローラはルシールと一緒にホールに戻る途中、庭に通じる開いたドアに通りかかった。たくさんの小さな灯りが花壇を照らし出し、また木々からの花綱飾りにぶら下がっていた。道には赤い布が敷かれていた。涼しいそよ風が頬を撫でた。ルシールは立ち止まった。

「素敵な夜です。」

明らかな誘いであった。結局、彼女はそのとき彼と話したかったのである。彼がここへ来たのはなんと正しいことだっただろう―憲法に基づいて。

「外に出ますか?」と彼は言った。

彼女は同意し、二人はテラスに足を踏み入れた。

 

 


第VIII章
「星明かりの下で」

とても静かな夜だった。やわらかな風は周りを取り囲んでいる細い棕櫚の葉を揺らすことすらなかった。その上の星空を棕櫚の葉の輪郭が縁どっていた。宮殿は高台にあり、庭の西側は海に向かって傾斜していた。テラスの末端には石の腰掛があった。

「ここに座りましょう」とルシールは言った。

二人は座った。遠くからワルツの夢のような音楽がまるで彼らの思惑の伴奏のように漂って来た。宮殿の窓には光が赤々と輝き、きらめき、まぶしさ、そして熱さを思わせた;庭ではすべてが静かで清涼であった。

「なぜあなたは名誉を軽く見るのですか?」中断された会話を思い出してルシールは尋ねた。

「それには真の土台がなく、超人的な制裁もないからです。その規範は時と場所によって絶えず変化しています。不当に扱ってしまった人に償いをするよりもあるときは殺す方が;肉屋に支払いをするよりもある時は賭け屋にする方が名誉であるとされています。芸術のようにそれは人間の気まぐれによって変化し、芸術のようにそれは富裕と贅沢から来るものです。」

「しかし、あなたはなぜ美と正直さの起原をより高いものと仰るのです?」

「なぜなら私が見る限り、全てのものは永遠の適合性の基準に当てはまっており、正は邪に、真実は虚偽に、美は醜に勝利しているからです。 適合性というのは大雑把な表現です!この基準で判断したとき芸術と名誉にはほとんど価値がありません。」

「しかし本当にそうなのでしょうか?」彼女は驚いて尋ねた。「きっと例外があるのでしょうね?」

「自然は決して個々について考えることはありません;種の平均的な適合性を見るだけです。死亡率の統計を考えてみてください。それがどれほど正確なことでしょう:それは人々の余命の期待値を与えます;しかし一個人については何も語りません。善人が常に悪人に勝つとは言えません;しかし進化論者は躊躇なく最も高い理想を持った国が成功することを断言するでしょう。」

「そうでなければ」ルシールは言った。「理想が低く武力が強い他の国が干渉することでしょう。」

「しかし、それも適合性の一つの形かもしれません。低い形とは思いますが、それでも物理的な力には人間の進歩の要素が含まれています。これはほんの一例です;私たちは広い視野を持たなければなりません。自然は個々の種を考えません。私たちがいま主張したいのは、道徳的適合性を備えた生命体は最終的には物理的長所をもつ生命体の上に立つであろう、ということです。道徳的な力が物理的な力の圧政から逃れ始める社会の状態を私は文明と呼ぶことにしますが、それは何度進歩のはしごを登っては引きずり下ろされてきたことでしょうか?おそらくこの世界だけで何百回も繰り返されてきたことでしょう。しかし原動力、上昇傾向は常にありました。進化論は“常に”とは言わず“究極的に”と言います。そして究極的に文明は野蛮の手の届かないところまで登ってきました。高い理想は優れた浮力によって表面に到達したのです。」

「なぜこの勝利が永続的なものだと思うのですか?他のすべてがそうであったように、それが逆転されないことがどうしてわかるのですか?」

「私たちは道徳的優位と同じだけの力を持ったからです。」

「おそらく権力の頂点にいたローマ人もそう思ったことでしょうね?」

「大いにありそうなことですが、道理はありません。結局彼らが最後に頼ることができるのは剣だけでした;そして彼らが軟弱になったとき、もはやそれを振るうことはできなくなってしまったのです。」

「では現代文明は?」

「ええ、私たちは他の武器を持っています。私たちが衰退したとき、私たちは最終的に衰退する定めなので、私たちが本来の優位性を失ったとき、そして自然の法則に従って他の種族が私たちにとって代わるために前進してきたとき、私たちはこれらの武器に頼ります。私たちのmoral(*士気、教訓、道徳)は失われますが、私たちのMaxims(*マキシム機関銃、格言)は残ります。衰退し震え慄くヨーロッパ人が科学的な機械によって襲ってくる勇敢な野蛮人を地上から一掃するのです。」

「それはmoralの優位性の勝利なのでしょうか?」

「まずはそういうことになるでしょう、文明の美徳は野蛮の美徳より高い種類のものだからです。優しさは勇気よりも優れており、慈愛は力よりも優れています。しかし究極的に支配的民族は退化し、とって代わる者がいなくなるため退化が続くでしょう。それは活力と衰退、気力と怠惰の間の昔ながらの戦いであり;常に沈黙で終わる戦いです。結局のところ人類の発達が恒常的なものであることは期待できません。(*こうしたことを繰り返しているうちに)惑星の表面が生命の生存に適さなくなるのは時間の問題です。」

「しかしあなたは適合性が究極的に勝利するはず、と仰いました。」

「相対的な不適合性を超えて、そうなります。しかし衰退はすべての勝者と敗者を巻き込みます。生命の火は消え、活力ある精神は消滅します。」

「おそらくこの世界で」

「すべての世界で。すべての宇宙は冷えつつ―死につつあります―そしてそれが冷えるにつれ、しばらくの間その球体の表面で生命の存在が可能になり、奇妙な道化を演じます。そして終わりが来ます;宇宙は死に、そして究極の無の冷たい暗闇の中に埋葬されるのです。」

「それでは私たちが努力していること全ては何の目的のためなのでしょう?」

「神はご存じでしょう」サヴローラは皮肉っぽく言った。「しかし、このドラマは見ていて面白くないものではないと想像します。」

「それでもあなたは人知を超えた土台、美しさや美徳などの永遠の理想を信じておられます。」

「相対的不適合性に対する適合性の優位は、物事の大きな法則であると私は信じています。私はあらゆる種類の適合性について言っているのです―道徳的、物理学的、数学的。」

「数学的!」

「間違いなく;言葉は正確な数学的原理に従うことによってのみ存在するのです。これは数学が発見されたものであり、発明されたものではないということの素晴らしい証拠です。(*元から存在したものであって人間が作り出したものではない)惑星は規則的な運行に際して太陽からの距離を守ります。進化論はそうした原理を守らなかったものが衝突によって破壊され、他のものと融合したことを示唆しています。それは最も普遍的な適者の生存です。」彼女は黙っていた。彼は続けた。「最初に二つの因子が存在したとしましょう。生きる意志によって動かされるものと、永遠の理想によって動かされるものです;偉大な作家と偉大な批評家です。すべての発展、生命のすべての形はこの二つの相互作用と反作用に帰せられます。生きる意志の表れが永遠の適合性の標準に近づけば近づくほど、それは成功します。」

「三番目をつけくわえてもいいですか」と彼女は言った。「理想に到達したいという願いをあらゆる形の命に植え付け;どうやって成功するかを彼らに教える偉大な存在。」

「私たちの勝利に賛成し、私たちの闘いを応援し、私たちの道を照らしてくれるそうした存在を考えるのは楽しいことですが;お話しした二つの因子の他にもう一つの因子を仮定することが科学的、論理的に即効的な効果を持つとは思いません。」と彼は答えた。

「間違いなくそのような人知を超えた理想が存在するという知識は外から与えられたに違いありません。」

「いいえ;私たちが良心と呼ぶその本能は、他のすべての知識と同じように経験から導き出されたものです。」

「どのようにです?」

「私はこのように考えています。人類がその原初の闇から現れ、半獣半人の生物が地上を闊歩していたとき、正義、正直、または美徳の考えはなく、“生きる意志”と呼ぶべき原動力しかなかったのです。人類の初期の祖先にはお互いを守るために二人や三人で行動を共にするという、ちょっとした特性があったのかもしれません。最初の同盟が結ばれ;孤立した個人が没落する一方、同盟は繁栄しました。同盟する能力は適合性の要素のようです。自然淘汰よって同盟だけが生き残りました。こうして人間は社会的な動物になりました。小さな社会は徐々により大きなものになりました。家族から部族へ、そして部族から国へと人類は進歩し、同盟をすればするほど成功することを発見しました。さて、この同盟システムは何に頼っていたのでしょうか?それは、メンバー同士の信頼、正直、正義、そしてその他の美徳の実践に頼っていたのです。こうした能力を持つ存在だけが同盟することができ、こうして比較的正直な人々だけが生き残ることができました。このプロセスは計り知れない時代の間に数限りなく繰り返されました。人類はこれまでの全ての段階を通過し、そしてそのすべての段階においてその原因の認識が強くなりました。正直さと正義は私たちの成り立ちに結びついており、私たちの性質の不可分の一部になっています。そんな厄介な性癖を抑えるのは難しいことです。」

「それではあなたは神を信じないのですか?」

「決してそんなことは言っていません」サヴローラは言った。「私は私たちの存在の問題を、理性という一つの立場から論じているに過ぎません。理性と信仰、科学と宗教は永遠に分離されるべきで、一方を認めるならば他方を否定しなければならないと多くの人は考えています。私たちがその線は平行で決して交わることがないと思っているのは、おそらく私たちがあまりにも短いスパンで見ているからではないでしょうか。私は未来の展望において、人間の憧れのすべての線が究極的に交わる消尽点(*透視図法で平行線が収束する点)がどこかにあるのではないか、という希望をいつも大切にしています。」

「そしてあなたはご自分が仰ったこのすべてのことを信じていらっしゃるということですね?」

「いいえ」彼は答えた。「詩人が何を言おうと、不信仰を信仰することはありません。存在の問題を解決する前に、そもそも私たちが存在するという事実を確かに認めなければなりません。(*造物主を信じないわけにはいかない)それは不思議な謎ではないでしょうか?」

「その答えは死んだときに分かることでしょう。」

「そう思ったなら」サヴローラは言った。「好奇心を抑えきれなくなって今夜私は自殺してしまうことでしょう。」

彼は立ち止まり、頭上にとても明るく輝く星を見上げた。彼女は彼の視線を追った。「星がお好きなのですか?」彼女は尋ねた。

「大好きです」と彼は答えた。「非常に美しいです。」

「きっとあなたの運命がそこに書かれています。」

「私はずっと呆れてきたのです。人間はどれだけ厚かましいのでしょうか。至高の存在が自分のちっぽけな未来の詳細を空に貼り出し、自分の結婚、不幸、罪を無限の空間を背景に太陽の文字で書くと考えるなんて。私たちは結局原子にすぎないのです。」

「私たちは取るに足りないもの、と思うのですか?」

「生命はとても安価なものです。自然はその価値について大げさな考えを持っていません。私は取るに足りないものであることを自覚しています。しかし私は哲学的な微生物であり、その方が楽しいのです。取るに足りないものであろうとなかろうと、私は生きることが好きですし、未来について考えるのは良いことです。」

「ああ!」ルシールは性急に言った。「どのような未来へとあなたは急いでいるのですか―革命?」

「おそらく」サヴローラは静かに答えた。

「国を内戦に突入させる覚悟があるのですか?」

「まぁ、そういう極端なことにならないように願っています。おそらく、市街戦があり、死者も出るでしょう、しかし―」

「しかし、なぜあなたは彼らをそのように駆り立てるのです?」

「私は軍の専制政治を打破することで人類への義務を果たすのです。銃剣だけが支持する政府を見たくないのです;時代錯誤です。」

「政府は公正で堅固です;法と秩序を守っています。ご自分の意見と一致しないというだけの理由でなぜ攻撃するのですか?」

「私の意見!」サヴローラは言った。「それはこの宮殿を守るライフルに装弾した兵隊のことですか、それとも一週間前に広場の人々を突き刺した槍騎兵のことですか?」

彼の声は見たこともないほど激しくなり、その態度は彼女を震え上がらせた。「私たちを破滅させるつもりなのですね」彼女は弱々しく言った。

「いいえ」彼は威信にかけて答えた。「あなた方は決して破滅することはありません。あなたの輝きと美しさは常にあなたを最も幸運な女性にし、あなたの夫を最も幸運な男性にするからです。」

彼の偉大な魂は僭越さを遥かに超越していた。彼女は彼を見上げ、素早く微笑んで性急に手を差し出した。「私たちは敵同士ですが、戦時国際法の下で戦いましょう。私たちは友達であり続けましょう。たとえ―」

「公式には敵であっても」とサヴローラは言葉を引き取り、手を握ってお辞儀をし、キスした。その後二人はとても言葉少なになり、テラス沿いを歩いて再び宮殿に入った。ゲストのほとんどはもう帰っていて、サヴローラは階段を上らず、スイングドアを通って出て行った。数組の疲れを知らない若いカップルがまだクルクル踊っているボール・ルームへとルシールは上って行った。モララと出会った。「私の愛する人」と彼は言った。「ずっとどこにいたのです?」

「庭に」と彼女は答えた。

「サヴローラと?」

「ええ。」

大統領は喜びを噛み殺して「何か言っていましたか?」と尋ねた。

「いいえ、何も」と彼女は答えてから初めて面談の目的を思い出した。「また彼に会わなくてはなりません。」

「これからも彼の政治目的を探ってくれるのですか?」心配そうにモララが尋ねた。

「また彼に会います」と彼女は答えた。

「あなたの機知を頼りにしています」と大統領は言った。「それをできる人がいるとすれば、それはあなたしかいません、私の最愛の人。」

最後のダンスが終わって最後のゲストが帰った。非常に疲れて物思いに耽ったルシールは自分の部屋に戻った。頭はサヴローラとの会話でいっぱいになり;彼の真剣さ、熱意、希望、信念、不信感までも、すべての回想が彼女の前を再び通り過ぎた。彼はなんと偉大な人物だったのだろう。人々が彼に従ったのは素晴らしいことだったのだろうか?彼女は明日彼が話すのを聞きたくなった。

メイドが彼女が服を脱ぐのを手伝いにやって来た。彼女は上の階のバルコニーから見ていて、サヴローラを見ていた。「あの方が」と興味津々で女主人に尋ねた。「すごい扇動家なのですか?」彼女の兄は明日彼の演説を聞きに行こうとしていたのだった。

「彼は明日スピーチをするのですか?」ルシールは尋ねた。

「兄がそう申しておりました」とメイドは言った;「聴衆が決してそれを忘れないよう、厳しく叱りつけるつもりだそうです。」メイドは兄の言葉に細心の注意を払っていた。二人はとても心を通わせており;実は聞こえが良いので兄と呼んでいただけだった。

ルシールはベッドの上の夕刊紙を取り上げた。一面に明日夜八時に市庁舎で大会が開催されることが書かれていた。彼女はメイドを退出させて窓の外に出た。目の前には静寂に包まれた街が広がっていた;自分と話していた男が明日、街を興奮で激しく揺さぶろうとしている。彼女は話を聞きに行くことにした;女性だってこうした会合に行くのである;彼女もしっかりベールをかぶって行けばいいのではないだろうか?とにかくそれで彼の性格について何らかを知ることができるだろうし、それによってより良く夫を助けることができる。こうした考えに非常に慰められて彼女はベッドに入った。

大統領が二階に上がるとミゲルがいた。「まだ仕事があるのかね?」彼はうんざりして尋ねた。

「いいえ」と秘書は言った。「順調そのものです。」

モララは苛立って彼を睨んだ;しかしミゲルは無表情だったので、ただ「じゃよかった。」とだけ答えて立ち去った。

 

 


第IX章
提督

サヴローラのステートボールに行くという決意に対してモレが表明した不支持は、その結果を見る限り十分妥当なものであった。党組織が実際に管理しているものを除いて、すべての新聞は彼の行動について厳しく、あるいは軽蔑的にコメントしていた。ジ・アワーは彼を迎えたときの群衆の罵声に言及し、大衆に対する彼の影響力の衰退と革命党の分裂を仄めかしていた。また読者に社会的な名声は常に扇動家の最高の野望であると注意し、大統領の招待を受け入れることでサヴローラの「卑しい個人的な目的」が明らかになった、と言い放った。他の政府機関はさらに攻撃的態度で同様の意見を表明していた。「このような扇動者たちは」とザ・コーティアーは書いた。「世界の歴史の中で常に称号や名誉を欲しており、上流や流行の人たちと交わりたいという思いには厳格で不屈な民衆の息子でさえ抵抗できないことが再び証明された」この傲慢な俗悪さは不快なものであったが民主派の雑誌に掲載されていた重大で深刻な警告や抗議ほどは危険ではなかった。このようなことが続くならば大衆党は「権力に媚びず、流行に迎合しようとしない」別のリーダーを探さなければならないだろう、とザ・ライジング・タイドは明快に述べていた。

サヴローラはこれらの批判を軽蔑しながら読んだ。彼はそれと知りながら、わざと自分をそういう批判にさらしたのであった。行くのが賢明ではなかったことは知っていた;最初から分かっていたことである;しかしどういうわけか彼は自分の過ちを後悔していなかった。結局のところ、なぜ自分の私生活をどのように律すべきかを党に指示されなければならないのだろうか?彼は自分が行きたいところに行く権利を決して放棄しないだろう。この場合、彼は自分の気持ちに従った、そして投げかけられた非難は覚悟していたものであった。庭での会話を思えば悪い取引をしたとは感じていなかった。ただしダメージは回復しなければならない。彼は再びスピーチのメモを見て、文章を磨き、ポイントを熟考し、議論をまとめ、人心の変化に対して適切と思われるいくらかの追加をした。

こうした仕事で朝が過ぎた。モレが昼食にやってきた。「だから言っただろう。」と実際に言うのは差し控えていたが、その様子から今後に対する自分の考えが揺るぎないものであると感じていることが伺えた。彼は簡単に高揚したり落ち込んだりする性格であった。今や運動がもう失敗してしまったと考え、悲観して落胆していた。残ったのは寄る辺ない希望だけであった;サヴローラが会議で後悔を表明し、自分の以前の功績を思い出すよう人々に訴えるしかないだろう。彼が提案するとリーダーはその考えを明るく笑い飛ばした。「愛するルイ」彼は言った。「僕はそのようなことはしない。自分の自主性を決して放棄しない。僕はいつでも好きな場所に行き、好きなことをする。それが嫌なら公的な仕事は他の人にしてもらえばいい。」モレは身震いした。サヴローラは続けた。「僕は実際にそう言うわけじゃない。しかし僕がモララの敵意と同様、彼らの非難をも恐れないことがその態度で分かるだろう。」

「おそらく彼らは耳を貸さないと思う;敵対行為があるだろうという報告を聞いている。」

「あぁ、僕は彼らに耳を傾けさせてみせる。最初はヤジられるかもしれないけど、大した苦もなく彼らのトーンを変えられるだろう。」

彼の自信には伝染性があった。それと素晴らしいクラレット(*ボルドーの赤ワイン)のボトルの力がモレの気力を回復させた。ナポレオン三世のようにすべてがまだ取り戻せるかもしれない、と感じたのであった。

そのころ大統領は計画の最初の結果に非常に満足していた。彼はサヴローラがボールへの招待を受け入れることでこれほど不評を買うとは予想していなかった。彼自身にとって名誉なことではなかったが予想外の利益であった。それにミゲルが言ったようにすべてが他の方向へ向かって非常にうまくいっていたのである。彼は心を固くし、良心の呵責を捨てた;厳しい、苦い必要が彼を不愉快なコースに追いやったのであったが、今や一度始めた以上は続ける決心をしたのである。その間、事態は四方八方から押し寄せていた。英国政府はアフリカ問題に関して屈しない態度を見せた。彼の乱暴なディスパッチは彼が望み、そして予想さえした通り、問題を解決しなかった;言葉を行動で補うことが必要になった。アフリカの港を無防備のままにしておいてはならず;艦隊はすぐにそこに行かなければならない。多くの不満分子を威圧している港の5隻の軍艦なしでも十分余裕がある時期ではなかった;しかし積極的な外交政策は人気を呼ぶだろう、あるいは少なくとも国内の扇動から国民の関心を遠ざけるには十分だろうと思ったのであった。彼はまた海外での失敗が国内で革命を引き起こすことを知っていた。細心の注意が必要だった。彼はイギリスの力と資源を知っていた;比べればローラニアは弱いということについて幻想を持っていなかった。そこに確かに彼らの唯一の強みがある。英国政府は非常に小さな国家との戦い(いじめ、と洗練されたヨーロッパは呼ぶ)を避けるために全力を尽くす。それはブラフのゲームだった;先へ行けば行くほど国内の状況は良くなるが、一歩行き過ぎればそれは破滅を意味する。それは繊細さを要するゲームであり、強く有能な人物のエネルギーと才能に最も重い負担をかけるものであった。

「提督がお見えになりました、閣下」とミゲルが部屋に入ると、すぐ後に続いて背の低い赤ら顔の海軍の制服姿の男が入ってきた。

「おはよう、親愛なるデ・メロ」と大統領は叫んで立ち上がり、新来者と真心を込めて握手した。「ついにあなたに船出の命令を出すことになりました。」

「ええ」デ・メロは無遠慮に言った。「扇動者が蜂起するのを待っているのにはうんざりです。」

「あなたには困難で刺激的な仕事があるのです。暗号電報の翻訳はどこにあるのかね、ミゲル?ああ、ありがとう―ここを見てください、提督。」

船乗りはその紙を読み、意味ありげに口笛を吹いた。「今回は、モララ、あなたの望み通り行かないかもしれません」とざっくばらんに言った。

「この問題をあなたに任せます;あなたはこの状況を救うことができるでしょう、これまで何度も救ってくれたのですから。」

「これはどこから来たものですか?」デ・メロは尋ねた。

「フランスの情報源から。」

「これは強力な船、アグレッサーです―最新のデザイン、最新の砲、実際、すべての近代的改良が施されています;十分以内に沈められなかった船はありません;さらにその上、数隻の砲艦があります。」

「難しい状況であることは知っています」大統領は言った。「だからあなたにそれを任せるのです!聞いてください;何があろうと私は戦いを望みません;惨事に終わるだけです;そしてここでいう惨事が何を意味するかは分かるでしょう。あなたはあらゆる点で主張し、交渉し、そして抗議しなければならず、できるだけ引き延ばさなければなりません。毎回電信で私に相談し、イギリスの提督と仲良くなろうと努めてください;それが戦いの半分です。砲撃の問題が生じたときには私たちは屈服し、再び抗議します。今夜、あなたへの指示を書面で送ります。今夜蒸気機関で出航したほうがいいです。ゲームを理解しましたか?」

「はい」とデ・メロは言いました。「私はプレイしたことがあります。」彼は握手をしてドアへと歩いた。

大統領は彼について行った。「ありうることとして」と彼は真剣に言った。「あまり遠くに行く前にここに戻ってもらうことになるかもしれません;街には多くの問題の兆候があり、結局ストレリッツは国境でまだチャンスを伺っています。命令したときには戻ってくれますか?」その口調はほとんど哀願の色を帯びていた。

「戻る?」提督は言った。「もちろん、私は戻ります―蒸気を使って全力で。先月、大砲で国会議事堂を狙う訓練をしました。いつか撃ち倒すつもりです。どうぞ、艦隊をあてにして下さい。」

「ありがたい。疑ったことなどありません。」と大統領は感情を込めて言った。そしてデ・メロと暖かい握手をし、執筆テーブルに戻った。提督は政府に完全に忠実であると感じていた。

巨大な機械の中で生活しているこうした人々は機械そのものの一部になる。デ・メロは軍艦の中で生きていて他のことは何も知らず、気にもかけていなかった。彼は最高の専門家として陸の人々と文官を見下していた。世界の海に接する部分は、さまざまなタイプの標的になりうると考えていたが;それ以外のものには全く注意を払っていなかった。自由のために闘う愛国者、敵対する外国の敵の砦、自分の故郷の町に砲弾を炸裂させることは彼にとってなんの違いもなかった。砲撃の権限が適切なルートから届く限り彼は満足であり;その後、純粋に専門的な観点から問題を検討するのであった。

大統領がオフィスの様々な仕事を終える前に、午後はかなり過ぎていた。「今夜は大きな会合があるのだったかな?」彼はミゲルに尋ねた。

「はい。市庁舎で;サヴローラが話をします」秘書は言った。

「妨害の手配はしたのかね?」

「秘密警察がちょっとしたことをすると思います。ソレント大佐が手配しました。しかし、セニョール・サヴローラの党は、彼にそれなりに不満を持っているようです。」

「ああ」モララは言った。「私はやつの力を知っている;やつは言葉で彼らの心を引き裂きくのだ。その力は恐るべきものだ;私たちはあらゆる予防策を講じなければならない。軍は武装するよう命じられていると思うが?やつは群衆をどのようにでもできるのだ―畜生!」

「大佐は今朝ここに来られました。手配している最中だと仰っていました。」

「良いことだ」と大統領は言いました。「自分の安全にも関わることだと彼は知っている。私は今夜どこで食事をするのかね?」

「セニョール・ルーヴェと内務省で、公式のディナーです。」

「なんと忌まわしい!しかし彼のところには普通のコックがいるし、今夜会う価値があるだろう。サヴローラが彼のことをばかげていると言い立てると、彼は恐れおののくのだ。臆病者は嫌いだが、彼らのおかげで世界はより楽しいものになる。」

彼は秘書におやすみを言って部屋を出た。外で彼はルシールに会った。「最愛の人」と彼は言った。「私は今夜、外で食事をします。ルーヴェとの公式ディナーです。迷惑なことですが行かねばなりません。おそらく遅くまで戻って来られないでしょう。放ったらかしにしてすみません。でもこのごろは忙しくて、ほとんど自分の魂が自分のものとも言えないくらいです。」

「気になさらないで、アントニオ」と彼女は答えた。「あなたがどんなに仕事に追われているかは知っています。英国との件はどうなったのですか?」

「まったく好ましい状況とはいえません」モララは言った。「向こうでは主戦論が力を持っており、こちらの文書への回答として船を送ってきました。最も不幸なことです。今、艦隊を送らなければなりません―このようなときに。」不機嫌そうに彼はうめいた。

「私はリチャード卿に話したのです、私たちは国内の状況を考えなければならないのです、ディスパッチは国内向けのものです、と。」とルシールは言った。

「思うに」大統領は言った。「英国政府も有権者を楽しませ続ける必要があるのでしょう。保守党内閣です;国民の心を先進的な法案からそらすために海外での活動を続けなければならないのです。なに、まだ何か、ミゲル? 」

「はい、サー。このバッグは到着したばかりですが、すぐに注意が必要ないくつかの重要ディスパッチがあります。」

大統領はミゲルにディスパッチといっしょに地獄へ行ってしまえ、とでも言いたげに一瞬見つめた。しかし彼はその気持ちを抑えた。「よし、行こう。明日の朝食で会いましょう。親愛なる人。それまでお別れです」と彼女に疲れた笑顔を向けて立ち去った。

このように偉大な男たちは自分の命を危険にさらして獲得した権力を享受し、しばしばそれを保持するために死ぬのである。

ルシールは一人残された、彼女が構ってもらったり共感してもらったりしたかったのはこれが初めてではなかった。存在全般に関する満たされない想いを自覚していた。それは人生の賞と罰が等しく陳腐で空しいものに思える瞬間であった。彼女は興奮の中に避難場所を探した。前夜に思いついた計画が心の中で実際の形をとり始めた;そう、彼女は彼の話を聞き行こうとしていたのだった。自室に戻ってベルを鳴らした。メイドはすぐに来た。「今夜の会合は何時ですか?」

「八時です、閣下」と少女は言った。

「チケットはありますか?」

「はい、兄が― 」

「では、私にそれをくれませんか;この人が話すのを聞きたいのです。彼は政府を攻撃するでしょう;大統領に報告するために私はそこにいなければなりません。」

メイドはびっくりしたようだったが、おとなしくチケットをあきらめた。彼女は6年間ルシールのメイドをしており、若く美しい女主人に献身していた。「閣下は何をお召しになりますか?」とただ一言言っただけだった。

「黒っぽくて分厚いベールがあるかしら」ルシールは言った。「このことは誰にも言ってはいけませんよ。」

「決して、閣―」

「お兄様にも。」

「決して、閣下。」

「私は頭痛で寝たことにして下さい。あなたは自分の部屋にいるのです。」

メイドは急いでドレスとボンネットを取りに行った。ルシールは自分の決意が引き起こした神経の興奮に満たされていた。それは冒険であり、それは経験になることだろう、しかしそれ以上に、彼女は彼に会いたかったのであった。群衆は―彼らのことを考えると少し怖く感じたが、女性もよくこうしたデモに参加し、そこには秩序を守るためのたくさんの警官がいることを覚えていた。彼女はメイドが持ってきた服を急いで着て、階段を下り、庭に入った。すでに夕暮れだったがルシールは苦もなく壁にある小さなプライベート・ゲートを見つけて鍵を開けた。

彼女は通りに足を踏み入れた。すべてはとても静かだった。長く二列に点ったガス灯は遠景ではほとんど一列になっていた。数人が市庁舎の方向へと急いでいた。彼女はその後をついていった。

 

 


第X章
魔術師の杖

市庁舎は巨大な集会所であり、長年にわたってローラニア人のすべての公開討論が行われてきた場所であった。その石造りのファサードは見栄えがする仰々しいものであったが、建物には大ホールといくつかの小部屋と事務所があるだけだった。ホールは七千人近くを収容することができ;漆喰の天井は鉄の大梁で支えられ、ガス灯で十分に照らされており、なにをてらうこともなくその目的を十分に果たしていた。

ルシールは入場する人の流れに巻き込まれて中へと運ばれて行った。席に座りたいと思っていたが、大勢の人が集まったため大部分の椅子はホールから片付けられており、残っていたのは立ち見の場所だけだった。彼女は自分が人間の固体の中の原子であることに気づいた。移動は困難だった。戻ることはほとんど不可能であった。

印象的な光景だった。旗が掲げられているホールに人々が溢れかえり;三方を囲む長いギャラリーには天井まで人がぎっしり詰め込まれていた。ガス灯の炎が何千もの顔に黄色い光を放っていた。聴衆のほとんどは男性だったが、女性も何人かいることに気づいてルシールは安心した。ホールの遠端にある舞台には一般的なテーブルとよくある水のグラスが見えた。舞台の前では記者たちが長い二列をなしていて、メモ用紙と鉛筆を構えていた―一種のオーケストラである。その後ろと上にも椅子の列が並んでおり、それぞれの団体のバッジと肩帯で区別された様々な政治クラブや組織の多数の代議員、役員、書記が座っていた。モレは党派の最大の力を結集し、ローラニアが見たこともないような最大のデモンストレーションを組織することに成功していた。政府に敵対するすべての政治勢力が代表者を送っていたのである。

そこは大きな会話のざわめきがあり、それを歓声と愛国歌の合唱が時折中断していた。突然、建物の塔の時計が時を告げた。同時に舞台の右側の出入り口から、サヴローラが入り、続いてゴドイ、モレ、レノス、その他の運動の著名なリーダーたちが入って来た。座って静かに彼を見ている椅子の列に沿って、彼はテーブルの右側へと進んだ。そこにあったのは不協和音の嵐だった、誰一人として同じ意見を持つ者はいないようだった。ある瞬間には全員が応援しているように聞こえ;別の瞬間にはブーイングと不満のうなり声が優勢になっていた。実際、会合はほとんど真っ二つに分かれていた。改革派の過激な部門はサヴローラの舞踏会への出席を最も重大な背信行為とみなして怒りの声を上げ;より穏健な人々は騒乱の時にすがりつくには最も安全な人物として彼に喝采を送っていた。舞台の椅子に座った代議員と常任役員は十分な説明がなされると信じられないまま、それを待つ人物のようにむっつりと沈黙していた。

ようやく叫び声は収まった。議長を務めていたゴドイは立ち上がって短いスピーチをし、サヴローラへのいかなる論争的な言及をも巧みに回避し、司会の進行だけをした。彼は良い声ではっきりと話をしたのであったが、誰も彼の話など聞きたがっていなかった。そして彼が「私たちのリーダー」であるサヴローラに出席者に挨拶するよう呼びかけると全員が安堵した。サヴローラは自分の右側の代議員の一人と何食わぬ顔で話していたが、すぐに聴衆の方に向きを変え、立ち上がった。すると同じような青いスーツを着た小さなグループのうちの一人が「裏切り者!ゴマすり!」と叫び;この叫び声に何百もの声が続き;ブーイングとうなり声が爆発し;歓声は及び腰であった。望ましい反応ではなかった。モレはまったく絶望して周りを見まわした。

暑さと圧迫感にもかかわらず、ルシールはサヴローラから目を離すことができなかった。彼が抑制された興奮で小刻みに震えているのが分かった。彼はただ単に落ち着いているだけだろうと思われていたが;群衆が彼の血をかき立て、そして彼が立ち上がったとき、もはや仮面をつけていることはできなかった。不満の噴出に直面しながら待っている間、その青白い、真剣な顔の全てのシワに刻み込まれた反発心と毅然とした姿で、彼はほとんど恐ろしく見えたと言っていいほどであった。そして彼は話し始めた、しかし、最初彼の言葉は青い服の男とその仲間のしつこい叫び声のせいで聞き取ることができなかった。五分間の激しい混乱の後、とうとう聴衆の好奇心が他のすべての感情に打ち勝ち、リーダーの言うことに耳を傾けるため、彼らは概ね静かになった。

サヴローラ再び話し始めた。彼はとても静かにゆっくりと話をしたが、その言葉はホールの一番遠くの端まで届いていた。最初彼は緊張したのだろうか、おそらくわざとであろうが、文章のあちこちで言葉を探すかのように小休止をした。彼はこの反応には驚いた、と言った。最終目的がほぼ達成された今、ローラニアの人々が考えを変えるとは思っていなかった、と言った。青い服の男が不愉快な叫び声でヤジを飛ばした。ブーイングの声も上がった;しかし今や聴衆の大多数は話を聞こうとしていたため、すぐに沈黙が戻った。サヴローラは続けた。彼は昨年の出来事を簡単に振り返った;党派を結成するための苦心;凄まじい妨害に遭遇して耐えたこと;武器を取るという脅しに成功したこと;大統領の自由な議会の約束;仕掛けられたトリック;群衆に向かって兵士が発砲したこと。その真剣で思慮に富んだ言葉に同意のざわめきが巻き起こった。これは観衆が参加するイベントであって、思い出を甦らせることが喜ばれるのであった。

それから彼は代表団について、そして大統領が市民の代表と見なすにふさわしいと考えた人々への軽蔑について話を進めた。「裏切り者!ゴマすり!」青服の男が大声で叫んだ;しかし反応はなかった。「そして」とサヴローラは言った。「さらにこの問題に注目していただきたいと思います。報道機関を窒息させ、人々を撃ち殺し、憲法を覆してもまだ飽き足りず、私たちが国の問題を議論し、公共の政策を決定する疑いの余地のない権利に従ってここに集まっているときでさえ、私たちの審議は政府に雇われた機関に中断されてしまうのです。」―彼が青服の男に目を向けると怒りのざわめきが巻き起こった―「あの口汚い叫びは自由なローラニア人である私自身だけではなく、意見を表明させるために私を招いてくれた、ここにお集まりの市民の皆さんをも侮辱しているのです。」 ここで聴衆から突然憤慨の拍手と同意の声が沸き上がった;「恥を知れ!」という声が上がり、妨害者の方向に激しい視線が向けられたが、妨害者は目立たないように群衆の中に散らばっていたのであった。「そのような戦術にもかかわらず、」サヴローラは続けた。「そして賄賂であれ弾丸であれ、雇われた刺客であれ、容赦ない傭兵であれ、すべての妨害に直面してなお、私たちが今ここで支持している偉大な運動は続いてきました。そして私たちの古来の自由を取り戻し、私たちからそれを奪った人たちが罰せられるまで、これからも続いて行くのです。」会場のあちこちから大声援が上がった。彼の声の調子は変わらず、大きくはなかったが、その言葉は不屈の決意を印象づけた。

そして聴衆を掴んだ彼は大統領とその同僚に毒舌を弄した。彼が挙げた論点はすべて歓声と笑いで迎えられた。彼はルーヴェ、その勇気、その人々に対する信用について話をした。おそらく内務省にいるのは「食いしん坊」で、ホーム・オフィス(*内務省の別の呼び方)にいるのは同国人の中で夜間に外出することを恐れる「ステイ・アット・ホーム」であると言っても間違いではないだろう、と言った。ルーヴェは確かに毒舌の良い標的だった;人々は彼を嫌っていた、その臆病さを軽蔑し、いつも嘲笑していたのであった。サヴローラは続けた。彼は言った、大統領は自分や他人にどんな犠牲を強いることになろうとも職に固執している。国内における自らの横暴な振舞いと専制政治から国民の注意を逸らすため、彼は国外の複雑な事態に国民を巻き込もうとして成功したのである。自分たちは今、紛争に巻き込まれたのである、何も得るものがなく、すべてを失うことになりかねない大国との紛争に。艦隊と軍隊が国費で派遣されることになる;彼らの所有物が危険にさらされるのである;おそらく兵士と船員の命が犠牲になることだろう。いったい何のために?アントニオ・モララが宣言したとおりに行動し、国家元首のままで死ぬために。それは悪い冗談だった。しかし彼は警告を受けるべきであった;冗談の中に多くの真実が語られていた。再び激しいざわめきが起こった。

ルシールは魔法にかかったように聞いていた。彼が大群衆の低い不満の声とシューッという声の中に出てきたとき、彼女は同情し、その命さえ危ぶんだのであったが、彼がこのような聴衆を説得するという一見不可能と思われる課題に挑戦した不思議な勇気に驚いていたのであった。彼が話を進めて力と承認を得始めたとき、彼女は喜びを感じた;すべての歓声が喜びであった。群衆がソレントの警察官たちに対して露わにした怒りに彼女は静かに加わっていた。彼は今、彼女の夫を攻撃していたのである;しかし彼女は決して反感を抱いたようには見えなかった。

彼は聴衆の熱心な同意と民意の満ち潮の中で、軽蔑の念を込めて閣僚の話題を終わりにした。今やより高度な問題を扱わなければならない、と告げた。自分たちが目指した理想について考えるよう促したのであった。彼らの気持ちをかき立てた後、徒にその怒りと熱狂を爆発させることを抑えたのである。最も不幸な人間にさえ幸せの希望をもつ権利がある、と彼が語ったとき、沈黙が支配するホールに響いていたのは誰の心にも訴えかけるその重厚で音楽的な声だけであった。彼は四分の三時間以上、社会的および財政的改革について論じた。健全な実用的常識が多くの喜ばしい実例が多くの機知に富んだアナロジー(*類推)、多くの高遠かつ明快な思想で表現されていた。

「私たちのものであり、かつて私たちの父のものであったこの美しい国、青い海と雪をかぶった山々、心地よい村と富裕な都市、銀色の小川と金色の小麦畑を見るとき、この美しい景色が軍事独裁政治の暗い影に直面しているという運命の皮肉に私は驚きます。」

混みあったホールから再び重大な決意の声が上がった。時計を見れば彼らの熱意は一時間もの間抑えられていたのであった。ずっと湯気が上がっていた。全員が心の中で自分の気持ちを解放し、一人一人の決意を表明するための何ものかを求めていた。ホール全体が一つになっていた。彼の情熱、感情、魂そのものがその言葉を聞いている七千の人々にはっきりと伝わっており;そして彼らはお互いを鼓舞し合っていたのである。

そしてついにそれが解き放たれた。彼は初めて声を上げ、鳴り響く、力強い、突き刺さるような、聴衆の心を揺さぶるようなトーンでスピーチの結論部分を開始した。その態度の変化には電気的な効果があった。短い一文が終わるたび、大歓声が沸き起こりました。聴衆の興奮は言葉で言い表せないほどのものになった。誰もが我を忘れていた。その強烈な熱狂の奔流に抵抗することなく、ルシールは一緒に流されて行った;自分の興味、目的、野心、夫、すべてを忘れていた。一文が長くなり、うねり、響き渡るようになった。ついにオサの上にペリオンを積む(*オサとペリオンはギリシャの二つの山。面倒に面倒を積み重ねること)ように積み重ねられた議論は結びに達した。すべてが不可避の結論を指し示していた。人々がその到来を見、最後の言葉が振り下ろされたとき、雷のような賛同の声が巻き起こった。

そして彼は座って水を飲み、手を頭に押し付けた。緊張は凄まじいものであった。彼は自分の感情に身悶えしていた;全身の血管が脈打ち、すべての神経が震え;彼は汗を流し、息を切らしていた。五分もの間、誰もが激しく歓呼していま;舞台の代議員たちは椅子の上に立って腕を振っていた。もし彼がそう言ったなら大群衆は通りに出て宮殿へと行進したであろう;そしてソレントがとても注意深く配置した兵士たちは彼らに生命のしがない物質性を再認識させるため、数多くの弾丸を要したことであろう。

モレとゴドイが提出した決議案は歓呼とともに可決された。サヴローラは前者に目を向けた。「ほらルイ、言った通りだろう。どうだったかな?最後の言葉を気に入ってるんだ。今までで最高のスピーチだったと思っている。」

モレは神を見るように彼を見た。「すごかった!」 彼は言った。「君はすべてを救ってくれた。」

そして今や会合は解散し始めた。サヴローラは側面のドアへと歩いて行き、小さな待合室ですべての主な支持者と友人たちの祝福を受けた。ルシールは混雑の中を急いでいた。やがて渋滞が起こった。彼女の前に立つ二人の外国人風の男が低い声で話していた。

「勇敢な言葉でしたね、カール」一人が言った。

「ああ」もう一人言った。「私たちは行動しなければならない。今のところ彼は良い道具だが;もっと鋭いものを必要とする時が来るだろう。」

「彼の力は大変なものです。」

「その通り、しかし彼は私たちの味方ではない。彼は私たちの運動に賛成ではない。財産の共有にどんな関心を払っていたかね?」

「私の方では」先の男が醜く笑って言った。「いつも妻の共有の理念の方により惹かれてきました。」

「まぁ、それも偉大な社会計画の一部ではある。」

「それを分配する時には、カール、私を大統領の妻の共同所有者にして下さい。」

彼は粗野な含み笑いをした。ルシールは身震いした。彼女の夫が話していた、偉大な民主主義者の背後と足元の勢力がここにあった。

人の流れがまた動き始めた。ルシールが乗った脇道の流れはサヴローラがホールから出て行く玄関口に向かっていた。明るいガス灯ですべてがはっきりと見えていた。ようやく彼は階段の一番上に現れ、その足元にはすでに彼の乗る馬車が停まっていた。狭い通りは群衆でいっぱいで;大変な圧力であった。

「ルイ、一緒に行こう」サヴローラはモレに言った。「僕が降りた後、そのまま馬車に乗って行くといい。」多くの非常に高度に鍛えられた精神と同じように、彼はそのような瞬間に共感と賞賛を切望しており;そしてモレがそれをたくさんくれることを知っていた。

彼の姿を見て群衆が波のように押し寄せた。ルシールは足を取られ、目の前の黒っぽい頑丈な男に押しつけられた。沸き立つ民主主義の特性の中に騎士道の婦人に対する慇懃さは存在しない。男は周りを見回すこともなく後ろを肘で突き、それが彼女の胸に当たった。痛みは強烈で;思わず彼女は悲鳴を上げた。

「紳士諸君」サヴローラが叫んだ。「女性が怪我をしたようです;声が聞こえたのです。場所を空けてください!」彼は階段を駆け下りた。群衆は道を開けた。恐怖で動けなくなったルシールを助けようと熱心でおせっかいな十数本の手が伸びてきた。彼女の正体はバレてしまうだろう;その結果は想像もつかないほど恐ろしいものだった。

「ここに入ってもらいましょう」サヴローラは言った。「モレ、手伝ってくれ」彼は半分を担ぎ、半分を彼女が小さな待合室への階段を上るのを支えた。ゴドイ、レノス、そしてスピーチについて話し合っていた半ダースの民主派のリーダーたちが物珍しそうに彼女の周りに集まってきた。彼は彼女を背もたれのある椅子に座らせた。「コップに水を入れて」素早く彼は言った。誰かがそれを彼に手渡し、彼はそれを彼女に手渡すため振り返った。しゃべることも動くこともできないルシールに逃げ道はなかった。彼が彼女に気づかないはずはなかった。嘲笑、罵倒、危険、すべてが彼女には明白だった。彼女が手で弱々しく水を断ろうとしたとき、サヴローラは厚いベールを通してじっと彼女を見つめた。突然、彼は差し出していた水をこぼし始めた。気づかれた!そのときが来た―恐ろしい暴露のときが!

「どうしたの、ミレ」彼は叫んだ。「僕の可愛い姪!どうやって夜中にこんな人の多いところに一人で来られたの?僕のスピーチを聞くため?ゴドイ、レノス、本当にうれしいことです!僕にとってどんな歓声より意味があります。姉の娘が人込みの危険を顧みず話を聞きに来てくれたのです。しかし、お母さんが」とルシールを振り向いた。「こんなことを許すはずがありません;女の子が一人で来るところではないのです。僕が連れて帰らなければいけません。怪我をしてない?言ってくれたら、席をとっておいたのに。馬車は来ている?よし、すぐに帰ろう;お母さんがとても心配しているよ。おやすみなさい、紳士諸君。おいで、かわいい娘。」彼は彼女に腕を差し出し、彼女を連れて階段を降りた。上を向いた顔がガス灯の中で青白く見える人々が、通りを埋め尽くして激しい歓声を上げていた。彼は彼女を馬車に乗せた。「行って下さい、御者さん」彼は言った。

「どこへ、サー?」御者は尋ねた。

モレが馬車にやって来ました。「御者台に乗って行くよ」と言った。「君が降りた後、客車に乗って行く。」そしてサヴローラがなにも言わないうちに御者の横の席に乗り込んだ。

「どこへ、サー?」御者は繰り返した。

「家」サヴローラはやけになって言った。

馬車は出発し、歓声を上げる群衆の間を通り抜け、街のあまり人通りの多くない場所に出て行った。

 

 


第XI章
夜更けに

ルシールは強烈な安堵感とともにブローガム(*二人乗りの客席密閉タイプの馬車)のクッションに落ち着いた。彼が彼女を救ってくれたのだった。感謝の気持ちで胸がいっぱいになり、衝動的に彼女は彼の手を取って握りしめた。二人が再び交際を始めてから手と手が触れたのは三回目だったが、そのたびに意味が違っていた。

サヴローラは微笑んだ。「あのような群衆の中に足を踏み入れることは閣下にとって軽率極まりないことでした。幸いことに私が手段を講じるのに間に合いました。人込みの中でお怪我はありませんでしたか?」

「いいえ」とルシールは言った。「男の人に肘打ちされて叫んでしまったのです。私は決して来るべきではなかったのです。」

「危険でした。」

「私がしたかったのは―」彼女は口ごもった。

「私の話を聞くこと、ですね」と付け加えて彼は文を完成させた。

「はい;あなたがご自分の力を使うのを見たかったのです。」

「あなたが私に関心を持って下さるなんてうれしいことです。」

「いえ、純粋に政治的な理由からです。」

彼女の顔にはかすかな笑みが浮かんでいた。素早く彼は彼女を見た。彼女は何が言いたかったのだろう?なぜそう言う必要があったのだろう?その時、彼女の心は別の理由をじっと見つめていた。

「退屈されませんでしたか」彼は言った。

「あんな力をもっているなんて恐るべきことです。」と彼女は本心で答えた;そして少し間をおいた。「どこに行くのですか?」

「宮殿にお送りするべきでした。」サヴローラは言った。「しかし御者台にいる私たちの純真な若い友人のせいでこの茶番をもう少し長く続けなければならないのです。彼を片付けなければなりません。今はまだ私の姪のままでいるのがいいでしょう。」

彼女は楽しそうな笑顔で彼を見上げ、そして真剣に言った:「こんなことを思つくなんてお見事でしたし、それを実行して下さったのも立派なことでした。私は決して忘れません:あなたが素晴らしい手助けをして下さったことを。」

「さあ着きましたよ」ようやくブローガムが彼の家の玄関に着いたとき、サヴローラは言った。彼は馬車のドアを開け;モレは御者台から飛び降りてベルを鳴らした。少しの間があって、年老いた家政婦がドアを開けた。サヴローラは彼女に呼びかけた。「ああ、ベティン、起きてくれてありがとう。こちらは僕の姪で、僕の話を聞きに会合に来て群衆に押されてしまったのです。今夜は一人で家に帰らせられません。寝室を用意できますか?」

「一階に予備の部屋がありますけど」と老婦人は答えた。「残念ながら使えないと思います。」

「どうして?」素早くサヴローラは尋ねた。

「大きなベッドのシーツが準備できていないし、煙突を掃除してからは火を使ってないのです。」

「あぁ、じゃあ、できるだけのことをやってください。おやすみ、モレ。家に帰ったらすぐに馬車をここに戻してしてくれないか?明日の朝の記事のことでザ・ライジング・タイドのオフィスにメモを送らなきゃいけないんだ。忘れないで―できるだけ早くして欲しい、へとへとに疲れてるんだ。」

「おやすみ」モレは言った。「君は人生最高のスピーチをしてくれました。君が先頭に立ってくれるのなら、何ものも僕らを止めることはできません。」

彼は馬車に乗り込んで立ち去った。サヴローラとルシールは階段を上って居間に行き、家政婦はシーツと枕カバーを用意するためにせわしく立ち去った。興味と好奇心を抱いてルシールは部屋を見回した。「今私は敵陣の真ん中(*heart)にいるのですね」と彼女は言った。

「あなたは生涯多くの人の心(*heart)の中にいることでしょう。あなたが女王であり続けるかどうかに関らず」とサヴローラは言った。

「あなたはまだ私たちを追い出す決意をしているのですか?」

「今夜私が言ったことを聞いたでしょう。」

「私はあなたを憎むべきなのでしょう」ルシールは言った。「しかし敵同士だとは感じていません。」

「私たちは反対陣営にいるのです。」と彼は答えた。

「私たちの間に入ってくるのは政治だけです。」

「政治と人々。」彼はありふれたフレーズを使って意味ありげにつけ加えた。

彼女はびっくりした目で彼を見た。どういう意味だろう?彼女自身が勇気を持って覗き込んだよりも深く、彼は彼女の心を読んでいたのだろうか?「そのドアはどこに通じているのです?」関係のないことを尋ねた。

「それ?屋根に―私の天文台に通じています。」

「本当に!見せて下さいませんか」大きな声が出た。「星を見られるのですか?」

「よく見ています。好きなのです;それは示唆と着想に満ちています。」

彼はドアの鍵を開け、狭く曲がりくねった階段を上ってプラットフォームに向かった。いつものように心地よいローラニアの夜だった。ルシールは手摺まで歩いて行って見渡した;下には町のすべての灯りが、上には星が瞬いていた。

突然、はるか遠くの港で幅の広い白い光線が放たれた;軍艦のサーチライトだった。しばらくの間それは軍の突堤の上を通って、水路の入り口の砲台の上に停まった。艦隊は港を出て、困難な航路を注意深く進もうとしていたのであった。

サヴローラは提督の出発が近づいていることを知り、その意味をたちまち理解した。「これは」彼は言った。「事態を早めることになるかもしれない。」

「船がいなくなったら、もう立ち上がることを恐れないというのですか?」

「恐れません;しかしふさわしい時を待った方が良いです。」

「そして、その時は?」

「おそらく差し迫っています。あなたには首都を離れていただきたいのです。数日後には女性の居る場所はなくなります。あなたのご主人はそれをご存じです;なぜ彼はあなたを地方に送り出さなかったのですか?」

「なぜなら」彼女は答えた。「私たちはこの反乱を鎮圧し、それを引き起こした人々を罰するからです」

「幻想を抱いてはいけません」サヴローラは言った。「私の計算は間違っていません。軍隊は信頼できません;艦隊は行ってしまいました;人々は決意を固めています。あなたがここにいることは安全ではありません。」

「追い出されるつもりはありません」彼女は憤然と答えた。「私は決して逃げたりしません。夫と一緒に死にます。」

「いえ、私たちが考えているのはずっとありきたりのことです」彼は言った。「私たちは大統領にとても気前良く年金を支払います、そして彼は美しい妻を連れてどこか陽気で平和な都市へ引退し、そこで他人の自由を奪うことなく人生を楽しむことができるのです。」

「ご自分は何でもできると思っているのですか?」彼女は叫んだ。「あなたの力は大衆を蜂起させることができます;しかし引き止めることはできるのですか?」そしてその夜群衆の中で聞いた言葉を言った。「あなたは強大な力を弄んでいるのではありませんか?」

「はい、その通りです」彼は言った。「だからこそ、事態がどちらかに落ち着くまでの数日間、地方に行くようお願いするのです。私かあなたのご主人のどちらかが倒れるかもしれません。もちろん私たちが勝った場合、私は彼を助けるつもりです;しかし、あなたが仰ったように制御できないかもしれない別の力があります;そして彼が優位に立ったなら―」

「ええ?」

「私は射殺されるでしょう。」

「恐ろしいことを!」彼女は言った。「なぜそれでも続けるのです?」

「ええ、掛け金が上がってきた今このとき、私にもゲームの面白さが分かりかけてきたからです。それに死はそれほど恐ろしいものではありません。」

「これからそうなるかもしれません。」

「そうは思いません。人生は、続けるためには、幸福のバランスが取れていなければなりません。私が確信していること;未来について言えるであろうことはただこれだけです―『あるなら、それに越したことはない。』」

「ご自分の世界についての知識を他のすべてのものに当てはめるのですね。」

「いけないことでしょうか?」 彼は言った。「なぜ同じ法則が宇宙全体で、そして可能であればそれを超えて有効であってはいけないのでしょう?他の太陽(*恒星)が私たちの太陽と同じ元素を含んでいることは光のスペクトルから分かっています。」

「あなたは星を信じているのですね。」彼女は疑わしそうに言った。「そして、あなたは認めないでしょうけれど、星がすべてを教えてくれると思っているのです。」

「星が私たちに興味を持っていると思ったことはありません;しかし、もし持っていたなら不思議な話をしてくれるかもしれません。たとえば私たちの心を読むことができるとしたら?」

彼女がちらっと眼を上げると彼と目が合った。お互いをじっと見つめた。彼女ははっと息を飲んだ;星が何を知っていようとも、彼らはお互いの秘密を読み合っていたのだった。

誰かが階段を駆け上がる音がした。家政婦だった。

「馬車が戻って来たようです」サヴローラは静かな声で言った。「宮殿に戻れます。」

老婦人が登りに息を切らしながら屋根に足を踏み入れた。「シーツの準備ができました。」その声ははしゃいでいた。「火は赤々と燃えています。お嬢様にはスープの用意ができています、もし召し上がるなら冷めないうちにいらっしゃって下さい。」

割り込んできたのがとても平和なことだったのでルシールとサヴローラは笑った。気まずい瞬間からの幸せな脱出だった。「あなたはいつもどうにかして、ベティン」彼は言った。「みんなを快適にしようとしてくれますね;でも寝室は要らなくなってしまいました。僕の姪は母親が彼女がいないことで不安にならないかと心配しているのです、馬車が戻ってきたらすぐに彼女を送り返すことにします。」

かわいそうな老人はひどくがっかりしたようだった。暖かいシーツ、心地よい暖炉、温かいスープは、彼女が他人のために用意するのが大好きだった快適さであり、いわば代理人によってそれを楽しんでいたのであった。彼女は背を向けて狭い階段を悲しげに降り、そして彼らは再び後に残された。

そこで二人は座って話をしたが、それまでとは違って、自分たちの心が通い合っていることが良く分かるようになっていた、その間、月は空高く昇り、そよ風が足下の庭のヤシの木の葉をかき混ぜていた。二人はあまり先のことを考えることもなく、戻ってくる御者の遅れを責めることもなかった。

とうとう石畳の通りの車輪の音が夜の静けさと二人の会話を破った。

「それでは」サヴローラは気負いもなく言った。ルシールは立ち上がり、手摺から見下ろした。馬車がほとんど全速力で近づいていた。それはドアの前で急に止まり、男が急いで飛び出した。ドアベルが大きな音で鳴った。

サヴローラは彼女の両手を取った。「お別れしなければなりません」彼は言った;「またいつか会えますか―ルシール?」

彼女は答えず、月明かりはその顔に浮かんだ表情を明らかにしなかった。サヴローラが先に階段を下りた。居間に入ると男が反対のドアを慌ただしく開け、サヴローラを見て素早く足を止め、帽子を取って敬意を表した。モレの使用人だった。

サヴローラは大変な冷静さで自分の背後のドアを閉め、ルシールを階段の暗闇の中に残した。彼女は驚いて待っていた;薄いドアだった「私の主人が、サー」客の声は言った。「全速力でこれを持って行って、あなたの手に直接渡すように、と申しました。」その後、紙を裂く音、小休止、感嘆が続き、サヴローラは落ち着いた、制御された激しい感情を隠せない落ち着いた声で答えた「どうもありがとう;僕はここで待っていると言って下さい。馬車に乗って行かないで;歩いて帰って下さい―ちょっと待って、僕が外まで送ります。」

彼女はもう一方のドアが開き、彼らの足音が階段を降りて行くのを聞いた;そして彼女は取っ手を回して部屋に入った。何かが起こった、何か突然の、予期しない、重大なことが。彼の声―不思議なことに彼女はそれをよく分かるようになり始めたていたのである!―がそう告げていた。封筒が床に落ちていた。テーブル―つまりタバコの箱とリボルバーが並んでいるテーブル―の上には手紙があり、まるで必死で秘密を守ろうとするかのように半ば巻き上がっていた。

微妙で、多様で、複雑なのが人間の行動の源泉である。彼女は紙の方から自分に触れてきたように感じた;それが彼の利害に関係していることは分かっていた。二人の利益は相反していた;それでも彼女が野生の好奇心に駆り立てられたのは彼のためなのか彼女自身のためなのか分からなかった。手紙の折り目を伸ばした。それは手短で急いで書かれたものだったが要を得ていた:受け取ったばかりの暗号電文によれば、ストレリッツが今朝2000人の兵士と国境を越え、トゥルガとロレンツォ経由でこちらへ行軍中、とのこと。時が来ました。ゴドイとレノスにも伝えました、すぐに連れて行きます。どこまでも君と一緒のモレより。

ルシールは血が心臓に流れるのを感じた;もう小銃射撃の音を想像していた。その時が来たというのは本当だった。運命的な手紙に魂を奪われて;彼女はそれから目を離すことができなかった。突然ドアが開いてサヴローラが入ってきた。物音、動揺、そして何よりも発覚した、という意識が彼女から低い、短い、びくっとした悲鳴を絞り出した。彼はすぐに状況を把握して「青ひげ(*フランスの民話:夫の留守中に妻は入ってはいけない部屋に入って見てはいけないものを見てしまう)」と皮肉っぽく言った。

「反逆罪」猛烈な怒りの中に逃げ込んで彼女は反論した。「そう、あなたたちは夜中に蜂起して私たちを殺そうというのね―共謀者!」

サヴローラは物柔らかに微笑んだ;その落ち着きはまたしても完璧だった。「伝令は歩いて帰らせました、馬車をお使いになれます。ずいぶん長くお話しました;もう三時です;閣下はこれ以上宮殿へのお帰りを遅らせるべきではありません。それは最も軽率なことです;それに、ご存知のとおり来客を待っているのです。」

その落ち着きは彼女を激怒させた。「はい」と返答した。「大統領はあなたにその―警察を送ります。」

「彼はまだ侵入のことを知らないでしょう。」

「私が話します。」と彼女は答えた。

サヴローラはそっと笑って「おやおや」と言った。「それはフェアではないでしょう。」

「すべてはフェアです、愛と戦争においては。」

「ではこれは―」

「両方」と彼女は言って、そして泣き崩れた。

そして二人は階段を下りた。サヴローラは彼女が馬車に乗るのを手伝った。「おやすみなさい」と彼は言ったが、もう朝だった「そしてさようなら。」

しかしルシールは何を言い、何を考え、何をなすべきかが分からず、慰めようもないほどに泣きじゃくっていた。そして馬車は走り去った。サヴローラはドアを閉めて自分の部屋に戻った。自分の秘密が危険にさらされているとは全く思っていなかった。

 

 


第XII章
戦争評議会

サヴローラがほとんどタバコを吸う暇もなく革命派のリーダーたちが到着し始めた。モレが最初だった;彼は乱暴にベルを鳴らし、返事があるまで玄関先を踏み鳴らし、階段を3段ずつ二階へと駆け上がり、興奮に震えながら部屋に勢いよく飛び込んできた。「ああ」彼は叫んだ。「時が来た―言葉ではなく、今や行動の時だ。僕らは正当な理由で剣を抜く。僕は鞘を投げ捨てる;幸運は僕らの味方だ。」

「よーし」サヴローラは言った。「ウイスキーとソーダ水を飲もう―そこのサイドボードにある。剣を抜くには良い飲み物だ―実に最高だよ。」

モレは少し照れて向きを変え、テーブルに向かって歩いてソーダ水の瓶を開けた。ウイスキーを注ぐとき、グラスと瓶がチャリンと音を立てたことで彼の動揺が露呈した。サヴローラはそっと笑った。素早く振り返った衝動的な彼の追随者は、新たな感情の噴出で動揺を隠そうとした。「ずっと言ってただろう。」彼はグラスを高く掲げて言った。「唯一の解決策は力だって。それがやって来たんだ、予想通りだ。僕はそれを飲む―戦争、内戦、戦い、殺人、そして突然の死―こういう手段で自由を取り戻すのさ!」

「このタバコにはすばらしい鎮静効果がある。アヘンは入っていない―ソフトで新鮮なエジプト製だ。毎週カイロから取り寄せているのだ。三年前にそこで会った小柄な老人が作っている―アブドラ・ラチュアンという人だ。」

彼は箱を差し出した。モレは一本取って;それに火をつける仕事が彼を落ち着かせ;彼は座って猛烈に吸い始めた。サヴローラは夢のように落ち着いたまま彼を見て、その周りに浮かぶ煙の輪をよく見ていた。やがて彼は話した。「それで君は戦争があって人々が殺されることをうれしく思うのかね?」

「この専制政治が終わることを嬉しく思うね。」

「僕らはこの世界で僕らが持っているすべての喜びとすべての勝利を賭けなければならないことを忘れないでくれ」

「僕はチャンスを逃すつもりはない。」

「僕は信じる、確信を持って言うことができれば嬉しいのだが、僕は祈る、君に多くのことが降りかからないように。しかしそれでも僕らが賭け金を払わなければならないことは事実であり、そして人生のすべての良いことのために人は前払いするのだ。そこには確かな財務の法則がある。」

「どういう意味?」 モレは尋ねた。

「君は一体出世したいのか?他の人が遊んでいる間、働かなければならない。君は勇敢だという評判が欲しいのか?では自分の命を危険にさらさなければならない。君は精神的または肉体的に強くありたいのか?では誘惑に抵抗しなければならない。これはすべて前払いなのだ;そして未来の財務なのだ。事態の反対側を考えてみよう;悪いことが後で払い戻される。」

「いつもじゃない。」

「いや、いつもだ、土曜の夜に放蕩すれば日曜の朝頭痛がするのと同じように、若い時に怠けていれば年を取ってから貧しくなるのと同じように、食いしん坊の食欲が見苦しい太鼓腹を作るのと同じように。」

「では、君は僕がこの興奮と熱意に対して支払いをしなければならないと言うのか?僕がこれまで何も支払っていないと思っているのか?」

「君は危険を冒さなければならないだろう、それは支払っている。運命はしばしば二倍を払い戻すか、全く払い戻しをしない。しかし人はこうした危険に軽率に乗り出すべきではない。紳士は常に清算の日を考えるものだ。」

モレは黙りました。勇敢で衝動的な人物だったが、会話が彼を冷静にした。彼の勇気はストイックなものではなかった;とてつもないショックをしっかりと見つめるよう自分自身を鍛えていなかった。彼はこの世の戦いと希望について、絶壁の端に輝く花や草に駆り立てられ、それを見つめる人のような考えしか持っていなかったのである。

ゴドイとレノスが同時に到着するまで二人はしばらく黙っていた。

四人の人物はそれぞれ、その性質に応じて、自分たちにとって非常に意味のあるニュースを受け取っていた。サヴローラは自らの哲学の鎧を身に着けて遠い距離から世界を見つめていた。モレは興奮に身悶えしていた。他の二人は危険が近くにあり、接近していることに対して落ち着いても意気が上がってもいなかったが、彼らが動乱のときの人物ではないことが見てとれた。

サヴローラは彼らに親しく挨拶し、全員が座った。レノスは押しつぶされていた。行動の重いハンマーが落ちてきて、彼が常に信頼してきた判例と専門用語のデリケートな構造体をペチャンコにしてしまったのであった。危機が到来した今、法律、彼の大盾と円盾は、まず最初に捨てられた。「なぜ彼はこんなことをしたのですか?」彼は尋ねた。「どういう権限があって彼は来たのですか?彼は私たち全員を巻き込んだのです。私たちに何ができるでしょうか?」

ゴドイもショックを受けて怯えていた。彼は危険を恐れ、危険に縮み上がりながら、それでも危険があると知っている進路に慎重に乗り出す人々のうちの一人であった。彼は長い間反乱を予見していたが、それを続けていた。それは今、彼の上にあり、彼を身震いさせていたが;それでもどうにか威厳を保とうとしていた。

「どうすべきだろうか、サヴローラ?」彼は本能的により大きな魂とより強い心を振り向いて尋ねた。

「ええ」とリーダーは言った。「彼らは私が命令するまで来るべきではありませんでした;レノスが言った通り、私たちの計画がいくつかの点で不完全であるにもかかわらず、彼らは私たちを巻き込んだのです。ストレリッツは私の言うことをひどく無視しています;彼とは後で話をつけます。差し当たり、非難の応酬は無益です;私たちは状況に対処しなければなりません。朝には大統領が侵攻を知ることになるでしょう;ここにいる部隊の一部は戦場にいる政府軍に加勢するよう命じられるでしょう。多分親衛隊も派遣されるでしょう。他の者は行軍を拒否すると思いますが;彼らは完全に大統領の側についています。そうであれば我々は攻撃しなければなりません。すでに手配したように。モレ、君は民衆に武装を呼びかけるのです。宣言書を印刷し、ライフルを配備し、革命を宣言しなければならなりません。代議員全員に知らせなければならなりません。兵士たちが友好的であればすべてうまくいきますが;そうでなければ、君たちは戦わなければなりません―私は強い抵抗があると思いません―宮殿を襲撃し、モララを捕虜にするのです。」

「そうこなくっちゃ」とモレは言った。

「その間」とサヴローラは続けた。「私たちは市長公邸で臨時政府を宣言します。それから私は君に命令を送ります;君は私に報告を送らなければなりません。これはすべて明後日に起こることです。」

ゴドイはぶるぶる震えたが、同意した。「はい」と彼は言った。「それが唯一のコースでしょう、逃亡と破滅以外の。」

「結構です;では詳細に入ります。まずは宣言です。今夜私がそれを書きます。モレ、君はそれを印刷するのです;明朝六時に君に渡します。それから人々を集めて武装させるために僕らが考えた手筈を準備してください;僕が君に書面で命令するまで彼らに行動させるのは待ってください。レノス、あなたは臨時政府のメンバーに会わなければなりません。公安評議会の設置のビラを印刷してください、そして明日夜にそれを回覧する準備をしてください;しかし、もう一度私が言うまでは待っていてください。多くは軍隊の態度にかかっています;しかしすべては本当によく準備できています。私たちは結果を恐れる必要はないと思います。」

陰謀の複雑な詳細を、陰謀というのはそういうものであるが、反乱のリーダーはよく知っていた。数ヶ月の間、彼らは自分たちが嫌悪する政府を終わらせることのできる唯一の手段は武力であると見ていた。サヴローラはあらゆる予防策を講じることなく、そのような企てに専念する人物ではなかった。手抜かりはなかった。あとは革命のマシンを発動するだけだった。策謀は精巧なものでその規模が大きかったにもかかわらず、大統領と警察は確かなことを何も知らなかった。彼らは蜂起が差し迫っていることを恐れていた;数ヶ月前から危険に気づいていた。しかし、どこで政治的動揺が終わり、公然たる扇動が始まったかを知ることは不可能であった。高い社会的地位とほとんどヨーロッパ中の主要リーダーの世評が彼らを特定の証拠なしに逮捕することをとても難しくしていた。大統領は行政の側から何らかの力を行使することによってそれに拍車をかけない限り人々は立ち上がらないと信じており、彼らを刺激することを恐れていた。そうでなければ既に国立刑務所の独房はサヴローラ、モレ、その他の人々でいっぱいだったことであろう;実際、彼らの命は救われたのだから、もっと感謝してよかったはずである。

しかしサヴローラは自分の立場を理解し、完璧なタクトと技量で自分のゲームをプレイしていた。彼の政治的扇動で行なわれた大規模なパレードは大統領がその下の計画的暴力の策謀を見抜くことを妨げていた。ついに準備は完了に近づいていた。あとは日にちだけの問題だった;ストレリッツの衝動的な行動が情勢を促進した。大きな花火の一角に尚早に火がついてしまった;効果が損なわれないよう、残りにも点火する必要があった。

彼は間違いがないことを確認するため、一時間近く計画の詳細の点検を続けた。ついにすべてが終わり、初期の公安評議会のメンバーは出て行った。サヴローラは年老いた保母を起こしたくなかったので彼らを自分で送って行った。かわいそうに、どうして彼女が野心的な男たちの闘争に振り回されなければならないのだろうか?

モレは熱意に満ちて立ち去り;他の二人は陰鬱で上の空であった。彼らの偉大なリーダーはドアを閉め、その夜もう一度自分の部屋への階段を上った。

部屋に入ると、朝の最初の光が窓のカーテンの分け目から入ってきた。灰色の光の中に半分空のグラスと満タンの灰皿のある部屋は、もはや若くはない女性のように見え、けばけばしい色どりの無情な夜明けと前夜の虚飾が彼を驚かせた。寝るには遅すぎまた;それでも彼は疲れていて、眠気を感じなくなったときに人が感じるあの乾いた疲労を感じていた。彼は苛立ちと憂鬱の感覚に襲われていた。人生が物足りなく感じられた;何かが欠けていた。野心、義務、興奮、名声を差し引いたとき、後には純粋な空虚が残っていた。すべては何のためなのだろうか?彼は静かな通りについて考えた;あと数時間で銃声がそこにこだますることだろう。哀れな怪我人が血を流して家に運び込まれ、怯えた女性が恐怖に駆られて容赦なくそのドアを閉めるだろう。他の人々は確かな現実の地上から不確かな未知の抽象へ、人間の理解の外へとはじき飛ばされ、敷石の上でぐったりと恨みがましく横たわるであろう。そして何のために?彼はその問いの答えを見つけることができなかった。彼自身の行動に対する弁明は、自然が人類の存在のためにしなければならないはるかに大きな弁明の中に溶け込んでいた。そう、彼は殺されるかもしれない;そしてそれに思い至ったとき、その突然の変化に対する不思議な好奇心と、その恐らく偉大なる黙示が目の前に現れた。内省は人間の野心の浅薄さに対する彼の不満を和らげた。生命の音色がずれているとき、人は死の音叉でそれを修正しなければならない。そのはっきりした脅威の音色が聞こえたとき、人間の心の中で生命への愛が最も明敏になるのである。

現実の難しい問題はすべての人物をそうした気分と内省から地上へと呼び戻す。彼は自分が書かなければならない宣言文を思い出し、立ち上がって生者の仕事のおびただしい詳細へと突入し、こうして人生の不毛さを忘れた。そして彼は座って書き、その間に夜明けの淡いきらめきは日の出の透き通った光へ、そして日中の暖かい色合いへと輝きを増して行った。

 

 


第XIII章
エグゼクティブの行動

大統領官邸のプライベートな朝食ルームは小さいながらも天井の高い部屋であった。壁にはタペストリーが掛けられていた;ドアの上には古代武器と歴史が複雑なパターンの図案で描かれていた。大きなフランス窓が壁に深く設置され、重い深紅のカーテンが朝の明るい光を和らげていた。宮殿の他の部分と同様、それは公式の側面を帯びていた。窓は石造りのテラスに面していて、そこを通り抜ける人々は宮殿の重々しい壮麗さが庭の美しい混乱に変わることに安堵を覚えたものだった。そこでは木々の広がりと細い棕櫚の葉の間に港のきらめく水が目に入るのである。

2人掛けのテーブルは適度に小さく、よく整えられていた。ローラニア共和国は長い間、最高行政官に気前よく給料を支払うことを信条としており、それによって大統領は優雅で贅沢なスタイルで生活し、良質の銀器、切り花、優れたコックの魅力を楽しむことができるのであった。しかし先述したばかりの出来事の翌朝の食事でモララが妻に会ったとき、その眉は曇っていた。

「悪い知らせ―またうんざりするような知らせです」と彼は言って、座ってテーブルに一握りの書類を置き、使用人に部屋を出るように合図した。

ルシールは強い安堵感を味わった。結局自分の秘密を彼に話す必要はないのだろう。「始まった(*startした)のですか?」軽率にも彼女は尋ねた。

「はい、昨夜ですが;彼を止めることは可能です。」

「それは良かったです!」

モララは驚いて彼女を見た。

「どういう意味ですか?提督と艦隊が私の命令を実行できなくなったことがなぜうれしいのです?」

「艦隊!」

「いやはや!どういう意味だと思ったのですか?」彼は急き込んで尋ねた。

逃げ道が思い浮かんだ。彼女は彼の質問を無視した。「艦隊が行ってしまわないのはうれしいことです。それが必要だと思います。だって今は都市が非常に不安定ですから。」

「ああ」と大統領はまもなく言った―疑われている、と彼女は思った。自分の退却を援護するために彼女は質問した。「なぜ彼らは止められたのです?」

モララは紙束の中から報道頼信紙を引き出した。

「サイード港、9月9日午前6時」と彼は読み上げた;「英国の石炭蒸気船モード、1,400トンは今朝運河に座礁し、その結果交通が遮断された。水路をクリアにするためあらゆる努力が払われている。事故は昨夜通過したHBMSアグレッサーの極端な喫水によって引き起こされた水路の沈泥が原因と考えられている。」そして付け加えた:「これがやつらのやり方だ、英国の豚の。」

「わざとやったことなのでしょうか?」

「もちろん。」

「しかし、艦隊はまだそこにいません。」

「明日の夜にはいるでしょう。」

「しかし、なぜ彼らは今運河をブロックする必要があるのです―なぜ待ってはいけないのでしょう?」

「特有のcoups de théâtre(*劇的な変化)への嫌悪感のためだと私は思います。フランス人なら私たちが運河の入り口に着くまで待ってから、私たちの目の前できちんとドアを閉めていたことでしょう。しかし英国外交は見た目の効果を目指していません;さらに、この方がより自然に見えます。」

「なんていまいましい!」

「そして聞いてください」大統領は鋭い苛立ちに身を委ね、紙束から別の紙を引っ掴んで読み始めた。「大使より」彼は言った;「女王陛下の政府は紅海の南にあるさまざまな英国の石炭基地を指揮する将校に、ローラニア艦隊にあらゆる支援を提供し、地元の市場価格で石炭を供給するように指示いたしました。」

「侮辱ですわ」と彼女は言った。

「ネズミで遊ぶ猫です」彼は苦々しく答えた。

「どうするおつもりですか?」

「どうする?不機嫌になって、抗議しますが―諦めるしかありません。他に何ができるでしょう?彼らの船はその場にあり;私たちの船は遮断されているのです。」

会話は途切れた。モララは紙束を読み、朝食を続けた。ルシールの決意が戻ってきた。彼女は彼に言う;しかし条件がある。どんな犠牲を払ってもサヴローラは守られなければならない。「アントニオ」彼女はびくびくしながら言った。

ひどく機嫌が悪かった大統領はしばらく読み続けた後、急に見上げた。「はい?」

「あなたに言わなければならないことがあります。」

「はい、なんでしょう?」

「大きな危険が私たちを脅かしています。」

「知っています」彼はぶっきら棒に言った。

「サヴローラ―――」彼女はあやふやで決心がつかず口ごもった。

「彼がなにか?」モララは突然興味を持って言った。

「もし彼が陰謀や革命の計画で有罪になったとしたら、あなたはどうなさいますか?」

「私は世界中で一番喜んで彼を撃つでしょう。」

「なんてこと、裁判なしで?」

「とんでもない、戒厳令下の裁判があって彼は出廷を求められます。彼がどうしたのです?」

悪しき瞬間だった。彼女は別の逃げ道を探し回った。

「彼は―彼は昨夜スピーチをしました」と彼女は言った。

「しましたね」大統領はいら立ちながら答えた。

「ええと、それは非常に扇動的だったに違いないと思います、通りで一晩中群衆の歓声が聞こえていましたから。」

モララは深い嫌悪感とともに彼女を見た。「私の愛する人、あなたは今朝どうかしていますよ」と彼は言って紙束に戻った。

その後の長い沈黙はミゲルが開封された電報を持って急いで入ってきたことによって破られた。彼はまっすぐ大統領のところへ歩いて行き、無言でそれを手渡した;しかしルシールには彼が焦燥、興奮、あるいは恐怖に震えていることが分かった。

モララは折りたたまれた紙を悠然と開き、テーブルの上で折り目を伸ばし、そして読むなり椅子から飛び上がった。「なんてことだ!これはいつ来たのかね?」

「たった今です。」

「艦隊」と彼は叫んだ。「艦隊、ミゲル―、一瞬も遅れてはならない!提督を呼び戻せ!彼らをすぐに帰って来させなければならない。私が自分で電報を書く」彼はくしゃくしゃにしたメッセージを手に部屋から飛び出し、ミゲルがすぐ後に続いた。ドアには使用人が控えていた。「ソレント大佐に使いを出せ―すぐにここに来るようにと。行け!早く!走れ!」男が厳かな遅さで出発したとき、彼は叫んだ。

ルシールは彼らが廊下を慌ただしく行って遠くのドアを閉めるのを聞いた;そして、すべてが再び静かになった。その電報に何が書かれていたのかを彼女は知っていた。突然の悲劇が彼ら全員を襲い;その悲劇のクライマックスはほぼ間違いなく彼女を襲うはずであった;しかし彼女は自分が夫に話すつもりだったことを嬉しく思い―そして結局話さなかったことをさらに嬉しく思った。皮肉屋はサヴローラのその秘密の安全に対する自信には十分な根拠があったことに気づいたことであろう。

彼女は居間に戻った。近い将来の不確かさに恐れを感じていた。反乱が成功した場合、彼女と夫が生き残るためには逃亡しなければならないだろう;それが封じられた場合、結果はより恐ろしいものであった。一つのことがはっきりしていた;大統領はすぐに彼女を首都から安全な場所へと送るであろう。どこへ?これらすべての疑念と相反する感情の中で優位だったのは一つの願望であった―サヴローラに再び会って、彼に別れを告げ、彼女は彼を裏切らなかった、と言うこと。それは不可能であった。数多くの不安に苛まれ、恐れていた展開を待ちながら、彼女は目的もなく部屋をあちこちと歩き回った。

その間に大統領と秘書はプライベート・オフィスに到着していた。ミゲルはドアを閉めた。双方がお互いを見た。

「ついに来た」モララは息を切らして言った。

「不幸なことに」秘書は答えた。

「勝つぞ、ミゲル。私の星への信頼、私の運―私はこれを見届ける。彼らを粉砕するのだ;しかしやるべきことが沢山ある。今この電報をサイド港(*スエズ運河の北端)の我々のエージェントに打たねばならない;暗号で送る、回線をクリア(*電信のオペレーターへの指示);高速の通報艦を一隻チャーターして8日の深夜にサイド港へ向かったメロ提督に直接会うべし。停止。急いでここで戻ってくるよう私の名前で命令せよ。費用を惜しむな。では打ってくれ。運が良ければ船は明日の夜ここに戻ってくるだろう。」

ミゲルは腰を下ろしてメッセージを暗号化し始めた。大統領は興奮して部屋を歩き回った。そして彼はベルを鳴らし;使用人が入って来た。

「ソレント大佐はもう来たのかね?」

「まだです、閣下。」

「使いを出して彼にすぐに来るように言うのだ。」

「もう出しました、閣下。」

「もう一度出せ。」

その男は立ち去った。

モララはもう一度ベルを鳴らした。ドアに使用人が現れた。

「馬に乗った伝令はいるかね?」

「はい、閣下。」

「終わったかね、ミゲル?」

「このとおり」と秘書は立ち上がって驚いている従者にメッセージを渡した。「急いで。」

「行け」と大統領は平手でテーブルを叩いて叫び、男は部屋から退散した。疾走する馬の音がモララの焦りを幾分和らげた。

「やつは昨夜九時に国境を越えた、ミゲル;夜明けにはトゥルガに着いたはずだ。そこには小さな駐屯地があるが、前進を遅らせるには十分だ。なぜニュースがないのだろうか?この電報はパリから来たものだ、外務長官から。私たちは聞いていなければならなかったはずだ―誰が駐屯地を指揮していたのかね?」

「存じません、閣下。大佐がすぐにここへ来るでしょう;しかし音信不通は危険の兆候です。」

大統領は歯を食いしばった。「軍隊は信頼できない。彼らは皆不満を持っている。ひどいゲームだ;しかし私は勝つ、私は勝ってみせる!」彼は自分自身に対して確信というよりも活力を込めて何度かその文言を繰り返した、あたかも自分の心を強化しようとしているかのようであった。

ドアが開いた。「ソレント大佐がお着きです。」案内係が告げた。

「見て下さい、親父さん」モララは親しげに語りかけた―部下よりも友人が欲しいと感じていたのである―「ストレリッツが侵入してきたのです。やつは昨夜二千人と数丁のマキシム機関銃とともに国境を越え、トゥルガとロレンツォを行軍してここへ来ようとしているのです。トゥルガの司令官が何も言ってこないのですが;誰ですか?」

ソレントは珍しいタイプではなく、独自には責任を取りたがらない軍人の一人であった。戦場と政府において彼は長年大統領に仕えてきた。ニュースが届いたときに一人だったとしたら、彼は雷に撃たれたようになったことであろう;今は軍人の正確さを守って従うべきリーダーがいた。驚いた様子をみせることもなく、少し考えてから彼は返答した「デ・ロック少佐です。四個中隊を率いています―良い将校です。信頼されて結構です、サー。」

「しかし軍隊は?」

「それはまったく別の問題です。私が何度かお知らせしたように、サー、軍全体が混乱しています。信頼できるのは親衛隊、そしてもちろん将校だけです。」

「まあ、見てみよう」大統領は力強く言った。「ミゲル、地図を取ってくれ。この国のことはご存じですね、ソレント。トゥルガとロレンツォの間のブラック・ゴルジュを守らなければなりません。ここです。」彼は秘書が広げた地図を指さした。「ここでやつらを止めるか、何としても時間を稼がねばなりません、艦隊が戻ってくるまで。ロレンツォの戦力は?」

「一個大隊と機関銃二丁です」戦争長官は答えた。

大統領は部屋の中をぐるぐると歩き回った。すぐに決断することには慣れていた。「一個旅団なら間違いないだろう」と彼は言った。そして反対側を向いた。「親衛隊の二個大隊を直ちに汽車でロレンツォに行かせるように。」ソレントは手帳を取り出して書き始めた。「二個野戦砲兵隊」と大統領は言った「どの二隊が良いでしょう、大佐?」

「第一と第二がいいでしょう」とソレントは答えた。

「そして親衛隊の槍騎兵隊。」

「すべて?」

「はい、すべてです、伝令部隊を除いて。」

「ではあなたには信頼できる一個大隊しか残りません。」

「わかっています。」と大統領は言った。「大胆なコースですが、唯一のコースです。では市内の連隊はどうですか?一番まずいのはどれでしょうか?」

「第三、第五、第十一が最も不安です。」

「よろしい;彼らを去らせよう。今日彼らをロレンツォへと行軍させ、支援旅団として街から十マイル離れたところに留まらせるのです。さて、誰に指揮させましょうか?」

「ロロが年長です、サー」

「愚か者、化石、そして時代遅れだ」大統領は叫んだ。

「愚かですが着実です」ソレントは言った。「彼は輝かしいことを何もしようとしない、という計算ができます。彼は言われたことをするだけで、それ以上は何もしません。」

モララはこの途方もない軍事的美徳を再考した。「よろしい;彼に支援旅団を与えましょう;彼らが戦うことはないでしょう。しかし他の仕事においては;また違います。ブリエンツには戦ってもらわなければならないでしょう。」

「ドロガンではいけないのでしょうか?」戦争長官は提案した。

「彼の妻に我慢がならないのだ」と大統領は言った。

「彼は優れた音楽家です、サー」とミゲルが口を挟んだ。

「ギター―とてもメロディアス。」彼は惚れ惚れと首を振った。

「それにすばらしい料理人を持っています」ソレントは付け加えた。

「いいえ」モララは言った。「これは生死のかかった問題です。私やあなた方の偏見に溺れてはいけません;彼は良い人物ではありません。」

「良いスタッフが彼をきちんと動かしてくれるでしょう、サー。彼はとても穏やかでよく言うことを聞きます。そして私の親友です;多くの人がおいしいディナー―」

「いえ、大佐、それは良くありません;私にはできません。私の評判、人生のチャンス、実際には人生そのものが危険にさらされているとき、私や他の誰かがそういった理由で重要な命令を出すことができるでしょうか。もし資格において互角であったなら、私はあなたの願いを聞き入れたことでしょう;ブリエンツはより良い人物であり、それを与えられるべきです。さらに」とつけ加えた「彼の妻は不愉快ではない。」ソレントはひどくがっかりしたように見えたが、もう何も言わなかった。「では、すべて決まりました。詳細はすべてあなたに任せます。スタッフ、その他すべてをあなたが任命してよいことにします;しかし軍隊は正午までに出発しなければなりません。私が駅で彼らに話をします。」

戦争長官は大統領が与えた下位の任命権に慰められ、そしてお辞儀をして退出した。

モララは秘書を怪訝そうに見ました。「何か他にやるべきことがあるだろうか?市内の革命家は誰も動いていないようだが、どうだろう?」

「何の兆候も見せていません、サー。彼らに罪を負わせられるようなものは何もありません。」

「これが彼らを驚かせた可能性がある;彼らの計画は準備ができていない。最初の表立った暴力または扇動行為で私は彼らを逮捕する。しかし私は自分の満足のためではなく、国のために証拠を掴まなければなければならない。」

「これは決定的な瞬間です」秘書は言った。「扇動のリーダーたちの信用を失墜させることができれば、彼らがばかげているか、言行不一致に見えるようにできれば、それは世論に大きな影響を与えるでしょう。」

「私は思っていた」モララは言った。「我々は彼らの計画について知りたいと思うようになるかもしれないと。」

「夫人閣下がセニョール・サヴローラにこれについての情報を求めることに同意された、と仰ったことがありましたね?」

「私は彼らの間のいかなる親密さをも嫌悪する;それは危険かもしれない。」

「それは彼にとって最も危険なものになるかもしれません。」

「どのように?」

「私がすでに申し上げたようにです、将軍。」

「あなたに提案することを禁じたあの方法のことを言っているのかね、サー?」

「もちろん。」

「そしてこれがその瞬間なのか?」

「今しかありません。」

沈黙があり、その後彼らは朝の仕事を再開した。一時間半の間、二人とも忙しく働いた。それからモララは言った。「やっぱりそれはやりたくない;汚い仕事だ。」

「必要なことは必要なのです」秘書は説教口調で言った。大統領が返事をしようとしたとき事務官が解読された電報を持って部屋に入って来た。ミゲルはそれを受け取って、読み、それを上司に渡して悲し気に言った:「おそらくこれで決心されることでしょう。」

大統領はメッセージを読み、そして読むにつれて表情は硬くそして残酷になった。それはトゥルガの警察物資配給所からのもので、簡潔でありながら恐るべきものだった;兵士たちは最初に将校を撃ってから侵略者に寝返ったのであった。

「よくわかった。」ついにモララは言った。「重要な任務のため、あなたに今夜私に同行することを命じる。副官も連れて行く。」

「はい」秘書は言った。「目撃者が必要です。」

「私は武装していく。」

「それは望ましいことですが、ただ脅すだけ、ただ脅すだけです」と秘書は真剣に言った。「彼に暴力を使うのは得策ではありません;人々はたちまち蜂起するでしょう。」

「分かっているとも」大統領は素っ気なく答えた、そしてそれから彼は野蛮な激しさで付け加えた:「しかしそれを使うことに困難はないだろう」。

「何もありません」とミゲルは言って書き物を続けた。

モララは立ち上がってルシールを探しに行った。抵抗感と嫌悪感をぐっとこらえた。今や決心がついた;それは権力闘争において彼を優位に導くかもしれない、さらに、それには復讐の要素があった。彼は誇り高きサヴローラがひれ伏して足元で慈悲を請うのを見たいと思っていた。自分に言い聞かせた、単なる政治家たちはすべて肉体的な臆病者だった;死の恐怖がライバルを無力にするだろう。

夫が入ってきたときルシールはまだ自分の居間にいた。彼女は心配そうな顔つきで彼に会った。「何があったのです、アントニオ?」

「大勢の革命家が侵入してきたのです、最愛の人。トゥルガの守備隊は敵に寝返って自分たちの将校を殺しました。いよいよ終わりが見えてきました。」

「ひどい」と彼女は言った。

「ルシール」と彼はいつにない優しさで言った。「チャンスが一つ残っています。この街の扇動のリーダーたちが何をしようとしているのかを知ることができれば、サヴローラに手の内を晒させることができれば、私たちは今の地位を守り、敵に打ち勝てるかもしれません。できますか―これをする気がありますか?」

ルシールの心は跳ね上がった。彼が言った通り、それはチャンスだった。彼女は陰謀を打ち負かし、そして同時にサヴローラのために条件を設け;まだローラニアを支配することができるかもしない、そして彼女はこの考えを押し殺していたのだったが、自分が愛する人を救うことになるかもしれない。彼女のとるべき道は明らかであった。情報を手に入れ、サヴローラの命と自由と引き換えに夫に売ること。「やってみます」彼女は言った。

「あなたが私を見捨てることはないと信じていました、最愛の人」モララは言った。「しかし時間がありません;今夜彼の部屋に行って彼に会って下さい。彼は必ずあなたに言うでしょう。あなたには男たちを支配する力があります、きっと成功します。」

ルシールは思案した。彼女は自分の心に「私は国を救い、夫に仕えなければなりません;」と言った。すると彼女の心は答えた「あなたは再び彼に会うでしょう。」そして声に出して言った。「今夜行きます。」

「私の愛する人、私はいつもあなたを信頼していました」と大統領は言った。「あなたの献身を決して忘れません。」

そして彼は急いで立ち去り、後悔と―恥ずかしさに身悶えをした。確かに彼は勝つために屈辱を忍ぼうとしていたのであった(*stooped to conquer)。

 

 


第XIV章
軍の忠誠心

ローラニア共和国の軍事力はその領土を侵略から保護し、その領土内の法と秩序を維持するという義務に見合ったものであった、しかし古の賢者たちはそれを外国征服の遠大な計画や、近隣の公国に対する積極的な干渉を奨励しない範囲に制限していた。常備軍は騎兵四個連隊、歩兵二十個大隊、および八個野戦砲兵隊で構成されていた。これらに加えて槍騎兵連隊とベテラン歩兵の強力な三個大隊で構成された共和国親衛隊があり、その規律で国の権威を、その壮麗さで国の威厳を支えていた。

富、人口、不穏さにおいて地方の町の総計を超える偉大な首都には守備隊として親衛隊と全軍の半分が配備されていた。残りの軍隊は小さな田舎の駐屯地と辺境に散らばっていた。

兵士の好意をつなぎとめようとした大統領のすべての苦労は無駄だったことが明らかになった。革命運動は軍の兵士の中で急速に拡大し、彼らは今では完全に心変わりしていた、そして将校たちは自らの命令は彼らが同意する範囲でしか実行されない、と感じていた。親衛隊では違っていた。すべて、あるいはほとんどが前回の内戦で自らの役割を担い、大統領を将軍として勝利に向かって突き進んだのであった。彼らは前司令官を称え、信頼し、代わりに彼から尊敬され、信頼されていた;確かに彼が彼らに示した好意はその他を疎外することになった原因の一つだったのかもしれない。

窮地に追い込まれたモララは侵略者に対してこの親衛隊の大部分を送ろうとしていたのであった。都市全体が蜂起した場合、信頼できる唯一の軍隊が自分の元にいない危険性はよく分かっていた;しかし前進してくる敵軍は万難を排して止めなければならず、その仕事が可能で、する意思があるのは親衛隊だけだった。自分を忌み嫌う大衆の中で、自分が非常に厳しく支配していた都市で彼はほとんど一人になり、防御者は反抗的な兵士たちだけとなる。それは望ましい見通しではなかったが、それでも成功の可能性はあった。たとえハッタリであったとしても、それは動揺する者を決心させ敵に嫌気を起こさせるための自信を示すことになるであろう;そしてそれは最も差し迫った緊急事態への対処であり、結局のところエグゼクティブの第一の義務であった。自分が派遣した軍隊が国境を越えてきたガラクタを全滅まではさせないにしても、追い散らす力を持っていることを彼は疑わなかった。この行動によって少なくともその危険は取り除かれる。二日間で艦隊は戻って来る、そしてその砲火の下で彼の政府はまだ継続し、恐れられ、そして尊敬されるであろう。その間の期間が危機、彼が部分的にその人格の力によって、そして部分的に恐るべきライバルを嘲笑と軽蔑の的へと突き落とすことによって無事に乗り切ることを期待している危機であった。

彼は陸軍の将軍として正装するために十一時にプライベート・オフィスを離れた。自分も軍人であって、多くの戦争を経験した人物であることをパレードで軍隊に思い出させるためだった。

ドアのところにティロ中尉がいた。とても動揺していた。「サー」と彼は言った。「戦隊とともに前線に行くことをお許しいただけますか?私がここですることは何もないと思います。」

「それどころか」と大統領は答えた。「ここでは君にかなり沢山のことをしてもらうことになる。君には居てもらわなければならない。」

ティロは青ざめた。「お願いします、サー、行かせてください」彼は真剣に言った。

「駄目だ―ここに居てもらうことにする。」

「でも、サー―」

「ああ、わかっている」とモララは苛立って言った;「君は撃たれに行きたいのだろう。ここに居なさい、君がこれまで聞いたよりもたくさんの弾丸の音が聞けることを保証する。」彼は背を向けたが、若い将校の顔に浮かんだ苦い失望の表情が彼を立ち止まらせた。「それに加えて」と彼は偉大な人物が皆身につけている魅力的な態度で付け加えた。「私は困難で極度に危険な任務のために君を必要としている。君は特別に選ばれたのだ。」

中尉はもう何も言わなかったが、半分しか慰められなかった。彼は緑豊かな土地、きらめく槍、ライフルの発射音、そして戦争のすべての面白さと喜びについて考えて悲しくなった。彼はすべてを逃してしまうだろう;友人はそこにいるだろうが、自分は彼らと危険を共にしないのである。彼らは数日後にその冒険について話すだろうが、自分はその議論に加わることができない。彼は宮殿を飾るためだけの副官、「飼いならされた猫」として笑われることさえあった。そして嘆き悲しんでいると、遠くのトランペットの音が彼の心を鞭で打つように刺した。それは“ブーツと鞍”―親衛隊の槍騎兵隊の出動だった。大統領は盛装を急ぎ、ティロは馬を用意するため階段を降りた。

モララはすぐに準備を整え、宮殿の階段で副官と合流した。小さな護衛隊に付き添われて彼らは鉄道駅へと騎行した、途中で横柄に見つめる不機嫌そうな、憎しみと怒りで地面に唾を吐きさえした市民グループの間を通り抜けて。

砲兵隊はすでに派遣されていたが、大統領が到着した時点で残りの部隊はまだ列車に乗っておらず、ターミナル前の広場に彼ら(騎兵の一団、クオーター・コラム(*間隔を詰めるフォーメーション)で並んだ歩兵隊)が整列していた。部隊を指揮するブリエンツ大佐が騎馬で先頭に立っていた。彼は前へと進んで敬礼をした;楽隊は共和国賛歌の演奏を始め、歩兵隊はガシャガシャという音の揃った捧げ銃をした。大統領はこれらの挨拶に折り目正しく感謝し;そしてライフルが肩にかけられ、彼は騎馬で横列の方へと向かった。

「貴下は素晴らしい力を持っています、ブリエンツ大佐」と彼は大佐に話しかけたが、軍隊に聞こえるほど大きな声で話したのであった。「貴下の手腕と彼らの勇気に共和国はその安全を委ねます、確信を持ってそれを委ねるのです。」それから彼は軍隊に向き直った。「兵士諸君、この中には私が諸君の国と諸君の名誉のための偉大な奮闘を諸君に求めた日を覚えている人たちもいるでしょう;私の訴えに応えてくれた諸君の勝利はソラトの名を歴史に刻みました。それ以来、我々は諸君の銃剣が戴く月桂冠によって保護され、平和と安全の中に憩ってきました。今や年が経つにつれ、この戦利品が挑戦を受けています、諸君がいつも散々追い散らしてきた下層階級に挑戦されているのです。古い月桂冠を脱いでください、親衛隊の兵士諸君、そして剣を抜いて新しいそれを勝ち取って下さい。もう一度、素晴らしいことをして下さい、そしてこの横列を見るとき私は諸君がそれをやり遂げてくれることを疑いません。お別れです、我が心は諸君と一緒に行きます;私が諸君のリーダーだったらよかった!」

彼は軍隊の上げる大きな歓声の中でブリエンツと上級将校と握手を交わし、その中には横列を飛び出して彼の周りに押し寄せた者もいれば、好戦的熱狂にヘルメットを銃剣で突き上げた者もいた。しかし叫び声が止まるとそれまで騒音に埋もれていた、見守る群衆の長く耳障りな嘲りのうなり声が聞こえた―悪しき世評であった!

一方町の反対側では予備旅団の動員に際して、親衛隊の忠誠心と規律と、通常連隊の離反との間の極端な対照が明らかになっていた。

不気味な沈黙が兵舎全体を支配していた。兵士たちは不機嫌にそしてむっつりと歩き回り;行軍が差し迫っているのに装備を詰め込もうともしていなかった。閲兵場や、宿舎の周りの列柱の下をグループでうろついている者たちもいた;他の者は自分の簡易ベッドにふくれっ面で座っていた。いつも守ってきた規律を破るのは難しいことであるが、ここにそれを破ると決心した人々がいたのであった。

閲兵の時間を不安な宙ぶらりんの状態で待っていた将校たちがこうした兆候に気づかないはずがなかった。

「彼らを刺激しないように」とソレントは大佐たちに言った。「とても穏やかに扱うように;」そして大佐たちは自らの命に懸けて部下たちは忠実である、とそれぞれ返答した。しかしいずれかの大隊に命令の効果を試してみることが賢明であると考えられ、そして最初に第十一連隊に出動命令が出された。

軍隊ラッパが小気味よく元気に吹き鳴らされ、将校たちは剣を吊り下げて手袋をはめ、それぞれの中隊へと急いだ。兵士たちは招集に従うだろうか?一触即発であった。彼らは案じながら待っていた。それから兵士たちが二人三人と足を引き摺りながら出てきて横列をつくり始めた。ついに数個中隊が完成した、言うなれば十分に完成した、つまり多くの欠席者がいたのである。将校たちは自らの部隊を検査した。嘆かわしい閲兵であった;身に着ける装備品は汚れていて、制服は無造作に着られており、兵士たちの全体的な外観は非常にだらしないものだった。しかしこれらのことについて何の注意も与えられることはなく、下士官たちは横列沿いに歩いて大勢の部下の兵士たちに友好的なからかい口調で何事かを言った。しかし彼らを迎えたのは近寄りがたい沈黙、規律や敬意によるものではない沈黙だった。今やラッパが鳴らされ、各中隊は全体の閲兵場に移動し、すぐに大隊の全てが兵舎広場の真ん中に整列した。

大佐は馬上にあって申し分なく盛装しており、副官が付き添っていた。彼は目の前の横列全体を穏やかに見渡した、そしてその態度にはその心を満たし、その神経を捉えている恐るべき懸念を窺わせるものは何もなかった。副官は短縮駆歩で縦列沿いに報告を集めた。「全員おります、サー」と中隊長たちは言ったが、何人かの声は震えていた。そして副官は大佐の元に戻り、自分の位置についた。大佐は自分の連隊を、連隊は大佐を見た。

「大隊―気をつけ!」彼は叫んだ、そして兵士たちはガチャガチャ、カチッという音とともに跳ね上がった。「隊形、四」

命令の言葉は大声ではっきりと聞こえた。一ダース程の兵士が本能的に―少し動いて―仲間を見て、再び仲間の元に戻った。残りは一インチも動かなかった。長く恐ろしい沈黙が続いた。大佐の顔は灰色に変わった。

「兵士諸君」と彼は言った。「私は諸君に命令した;連隊の誇りを忘れるな。隊形、四。」今回は一人の兵士も動かなかった。「ではそのまま」彼は必死に叫んだが、それは無用の命令であった。「クオーター・コラムで前進。速足!」

大隊は動かなかった。

「ルコント大佐」と大佐は言った。「君の中隊の腹心の部下は誰かね?」

「バルフ軍曹です、サー」と将校は答えた。

「バルフ軍曹、前進を命じる。速―足!」

軍曹は興奮に震えた;しかし彼は自らの意思を貫いた。

大佐はポーチを開けて慎重にリボルバーを取り出した。そしてよく掃除されているかどうかを見るかのように注意深くそれを見た。そして撃鉄を上げ、反逆者の傍へと騎行した。十ヤードの距離で彼は立ち止まって狙いを定めた。「速―足!」低い威嚇的な声で言った。

クライマックスが到来したことは明らかだったが、この瞬間、兵舎の門のアーチに隠れていたソレントが事態を見て広場に馬を乗り入れ、速歩で兵士たちの元へ向かって来た。大佐はピストルを下ろした。

「おはようございます」と戦争長官は言った。

将校は武器を戻して敬礼した。

「連隊はもう帰営の準備ができていますか?」そして返事を聞く前に;「とてもスマートなパレードですが、今日の行軍は必要がなくなりました。大統領は出発する前に兵士たちが良い夜を過ごすことを、そして」と声を張り上げた。 「彼らが共和国に祝杯を挙げ、敵に混乱をもたらすことを願っています。大佐、彼らを解散させて構いません。」

「解散」と大佐は言った。正しい手続きをとって解散する危険さえも冒そうとしなかった。

隊列は解散した。整列は崩れ、兵士たちは兵舎へと流れて行った。将校たちだけが残った。

「撃つべきでした、サー、あの瞬間に」と大佐は言った。

「なりません」とソレントは言った「一人の兵士を撃つのは;彼らを激怒させるだけです。明日の朝ここに機関銃を二丁持って来ます、そしてそのとき何が起こるかを見ましょう。」

突発した無秩序な歓声の嵐に遮られて、彼は不意に向きを変えた。兵士たちはほとんど兵舎に着いていた;一人の兵士が他の兵士に肩車されており、その周りで連隊の仲間がヘルメットを振ったり、ライフルを振り回したり、激しく歓声を上げたりしていた。

「あれが軍曹です」と大佐は言った。

「わかっています」とソレントは苦々しく答えた。「人気のある男なのでしょう。あなたの隊にはああいう下士官がたくさんいるのですか?」大佐は返事をしなかった。「紳士諸君」戦争長官は広場をぶらぶらしていた将校たちに言った。「諸君は自分の宿舎に帰った方が良い。ここでは諸君はかなり魅力的な標的であり、諸君の連隊は特に腕の良い射撃連隊です。そうでしょう、大佐?」

嘲りに彼は向きを変え、騎馬のまま去った、怒りと不安に胸が痛んでいた、一方第十一歩兵連隊の将校たちは恥を隠し、危険を避けるため自らの宿舎へと撤退した。

 

 


第XV章
サプライズ

サヴローラにとっては忙しくてエキサイティングな一日だった。彼は自分の追随者に会い、命令を出し、衝動的な者を抑え、弱者を刺激し、臆病者を励ました。兵士の行動についてのメッセージと報告が一日中彼に届いていた。親衛隊の出発と支援旅団の行軍拒否は等しく喜ばしい出来事であった。彼がもはやそれを政府機関に秘密にしておける可能性を疑うほど、今や陰謀は非常に多くの人々に知らされていた。あらゆることを検討した上で、時が来たと感じていた。彼が考え出した入念な計画はすべて実行に移された。緊張は大変なものだったが、やがてすべての準備が整い、革命党派の全戦力が最後の闘いに集中された。ゴドイ、レノス、そして他の人々は市長公邸に集められた、そこで夜明けに臨時政府を宣言するのである。人々に武装を呼びかける実務を割り当てられていたモレは自分の家で配下の人々に指示を出し、宣言の掲示の準備をした。すべての準備が整った;全員に頼りにされ、大きな陰謀をその脳で発想し、心で鼓舞してきたリーダーは椅子に横になった。彼は自分の計画を見直し、不備を探し、気を引き締めるために、少しの休息と静かな内省を必要とし、望んでいた。

火格子の中に小さな明るい火が燃え、周りには燃えた紙の灰があった。彼は一時間も炎に紙をくべていたのだった。彼の人生の一つの時期は終わった;別の時期もあるかもしれないが、まずはこの時期を終えることが望ましかったのである。今や死んだか、疎遠になってしまった友人からの手紙、; 彼の若い野心を刺激した祝福や賞賛の手紙。輝かしい人々からの手紙と美しい女性たちからの何通かの手紙―すべては同じ運命を辿った。なぜこうした記録が保存されて思いやりのない後世の好奇の目に晒されなければならないのだろう?もし彼が死んだなら、世界は喜んで彼を忘れ去ることだろう;もし彼が生きていたなら、その人生は今後歴史家の管轄に置かれることであろう。一切合切の焼却から保護された一枚のメモが傍らのテーブルの上に置かれていた。それはルシールがステートボールへの招待状に添付したものであり、今まで彼が彼女から受け取った唯一のものだった。

彼が指の上でそれをバランスさせたとき、彼の想いは人生の忙しい困難な現実からその優しい魂と愛らしい顔へと漂った。そのエピソードも終わりを告げた。彼らの間には障壁が立ちはだかっていた。反乱の結果がどうであれ、彼は彼女を失ったのである。しない限り―ただしその恐るべき「しない限り」は、彼の心を思わず不潔なものに触れてしまった人の手のように跳び退かせる大変恐ろしい邪悪な示唆を孕んでいた。それは罪、人間社会に対する罪、生命現象そのものに対する罪であり、その汚名は死んでも雪がれず、人類絶滅の日まで許されないものであった。それでも彼はモララを激しく憎んだ;そしてもはやその理由を自分自身に隠そうとはしなかった。そしてその理由を想い出して彼の心はより柔らかな気分に戻った。彼は再び彼女に会うことがあるのだろうか?彼女の名前の響きでさえ彼を喜ばせるのだった。「ルシール」と彼は悲しげにささやいた。

素早い足音が外で聞こえ;ドアが開くと目の前に彼女が立っていた。彼は驚いて声も上げずに跳び上がった。

ルシールはとてもきまり悪そうに見えた。彼女の使命はデリケートなものだった。確かに彼女は自分の心に気づいていなかったか、気づきたくなかったのであった。それは夫のため、と彼女は自分自身に言い聞かせた;しかし彼女の言葉は矛盾していた。「私はあなたの秘密をばらさなかったことを言いに来たのです。」

「分かっています―私は全然心配していませんでした」とサヴローラは答えた。

「どうして分かったのです?」

「まだ私は逮捕されていません。」

「ええ、でも彼は疑っています。」

「何をです?」

「あなたが共和国に対して陰謀を企てていること。」

「ああ!」 サヴローラは大いに安心して言った。「証拠を掴んでいないでしょう。」

「明日には掴むかもしれません。」

「明日では手遅れです。」

「手遅れ?」

「はい」サヴローラは言った。「ゲームは今夜始まります。」彼は時計を取り出した;あと十五分で十一時だった。

「十二時に警報ベルが聞こえることでしょう。座って話しましょう。」

ルシールは機械的に座りました。

「あなたは私を愛しています」と彼は平静な声で彼女を虚心に見つめ、まるで二人の間にあるのが単なる心理的な問題に過ぎないかのように言った。「そして私はあなたを愛しています。」答えはなかった; 彼は続けた。「しかし、私たちは別れなければなりません。この世界では私たちは隔てられており、壁を取り除く方法もわかりません。私は生涯あなたのことを想うでしょう;他の女性はその空白を埋めることができません。私はまだ野心を持っています:私はずっとそれを持っていました;しかし私が知らず、またはそれを知ることが苦悩と絶望でしかないもの、それが愛です。私はそれを遠ざけます、そしてこの後私の愛情はこの焦げた紙のように命のないものなるでしょう。そしてあなたは―忘れてくれますか?あと数時間で私は殺されるかもしれません;もしそうなっても、決して悼まないで下さい。私が何者であったかは覚えていて下さって構いません。私が世界をより幸せに、もっと楽しく、より快適にするかもしれない何かをしたのなら、その行動を思い出して下さい。もし私が私たちの存在の浮き沈みを越えて、私たちの生をより明るくし、死をより悲しいものでなくするような思想を私が話したなら、『彼はこれを言った、彼はそれをした』と言って下さい。人を忘れてください;その仕事を、できれば思い出してください。宇宙のパズルの中のどこかであなたの魂にぴったりと合う一つの魂を知っていたことも思い出して;そして忘れて下さい。宗教に救いを求めて下さい;忘れる心構えをして下さい;生きて、過去は捨ててください。できますか?」

「できません!」彼女はいきり立って答えた。「わたしはあなたを絶対に忘れません!」

「私たちは哀れな哲学者に過ぎません」と彼は言った。「痛みと愛は私たちとそのすべての理論をばかにするのです。私たちは自分自身を征服したり、私たちの境遇を超えたりすることはできないのです。」

「やってみませんか?」彼女はささやいて、野生の目で彼を見た。

彼は見て慄いた。そして込み上げる衝動に「ああああ、愛してるんだ!」と叫んだ。そして彼女が心を決めるどころか何を思う間もなく二人はキスしていた。

ドアの取っ手が素早く回った。二人は飛び退いた。ドアが開いて、そして大統領が現れた。彼は私服姿で右手を背後に隠していた。続いて暗い廊下からミゲルが現れた。

しばしの沈黙があった。そしてモララが猛烈な怒声を上げた;「そうか、サー、お前もこのように私を攻撃するのだな―この臆病者、ならず者!」彼は手を上げ、握ったリボルバーを真っすぐ敵に向けた。

ルシールは世界が崩壊したように感じ、ソファにもたれかかって恐怖に愕然としていた。サヴローラは立ち上がって大統領と向き合った。そして彼女は彼がどんなに勇敢な男であるかを知った、彼は意識的に彼女と武器との間に立ったのだった。「ピストルを下ろして下さい」彼はしっかりとした声で言った;「それからご説明しましょう。」

「ああ下ろそう。」とモララは言った。「お前を殺してからな。」

サヴローラは二人の間の距離を目測した。銃弾の中に飛び込めるだろうか?再び彼は自分のリボルバーが置いてあるテーブルを見た。彼は彼女の盾になっていた、動かないことに決めた。

「ひざまずいて憐れみを請え、このクズ野郎、さもないと顔を吹き飛ばすぞ!」

「私はいつも死を軽んじようとしてきたし、いつもあなたを軽んじ遂せてきました。どちらにも頭を下げたりはしません。」

「さあ、どうだろう」モララは歯ぎしりをしながら言った。「五つ数えるぞ―、一!」

時が止まったようだった。サヴローラは輝く鋼のリングで囲まれた黒い点であるピストルの銃身を見た。視界の残りの部分はすべて空白になった。

「二!」大統領は数えた。

そのように彼は死ぬ―その黒い点がぱっと燃え上がったときにこの地球を閃き去るのである。彼は顔全体を吹き飛ばされることを予期し―そしてその先に見えるのは―消滅―暗い暗い夜だけだった。

「三!」

銃身のライフリング(*内側のらせん状の溝)が見えた;ランド(*溝が彫られていない部分)がかすかに見えた。それは素晴らしい発明であった―弾丸が移動するとき回転するのである。それが恐るべきエネルギーで自分の脳をかき回すことを彼は想像した。彼は突進の前に考えようと、自分の哲学や信念にすがろうとした;しかし彼の身体的感覚はあまりにも激していた。血が血管の中で沸き立って、指の先までズキズキした;手のひらを熱く感じた。

「四!」

ルシールが跳ね起き、大統領の前に身体を投げ出した「待って、待って下さい!」叫んだ。「どうかお慈悲を!」

モララは彼女の表情を見て、その目に恐怖以上のものを読みとった。そして彼はついに理解して;まるで真っ赤な鉄をつかんだかのように跳び上がった。「なんてことだ!本当だった!」彼は喘いだ。「この売女!」彼女を押しのけ、その口元を左手の背で殴って叫んだ。彼女は縮み上がって部屋の遠い隅に引き下った。彼は今やすべてを知ったのだった。自分が仕掛けた爆弾に爆破されて(*Hoist with his own petard)彼はすべてを失ったのである。激しい怒りが彼を捉え、喉がざらついて痛くなるほどの震えが来た。彼女は彼を見捨てていた;権力はその手から滑り落ちつつあった;彼のライバル、彼の敵、彼が魂を尽くして憎んだ男は至る所で勝利を収めていた。彼は餌につられて罠に入り込んだのであった;しかし逃げるべきではなかった。思慮分別と人生への愛には限界があった。彼の計画、彼の希望、復讐する群衆の咆哮、すべてがその心から消えた。死が彼らの間の長い恨みを洗い流すのである、すべてを解決する死は―今や直ぐそこにあった。しかし彼は軍人であって人生の細部においてこれまで実用的な男であった。彼はピストルを下げ、ゆっくりと撃鉄を起こした。動作は一つの方がより確実である(*射撃するためには引き金を引きながら撃鉄を起こし、その後再び引き金を引く必要がある);そして良く狙いを定めようとした。

彼がその動作をする瞬間、サヴローラは頭を低くして前に飛び出した。

大統領は発砲した。

しかしミゲルの素早い知性は変化した状況を理解しており、それが生む帰結を知っていた。彼はそのカードが致命的に重大であることを知っており、暴徒を忘れていなかった。彼はピストルを撥ね上げた、そこで弾丸はほんの少しだけ上に逸れた。

煙と閃光の中でサヴローラは敵に組み付き、地面に倒した。モララは転んで脳震盪を起こし、リボルバーを取り落とした。サヴローラはそれを掴んでもぎ取り、倒れた相手から遠くへ跳ね飛ばした。ひとたび彼は立ち上がって見つめた、飢えた殺害の欲望が心に湧き上がり、人差し指(*trigger-finger)がむずむずした。そして非常にゆっくりと大統領が立ち上がった。転倒で朦朧となり;彼は本棚にもたれかかって呻いた。

下の表玄関を叩く音がした。モララはまだ部屋の隅にうずくまっていたルシールの方を向き、彼女を罵り始めた。虚飾と洗練を透かして、その性格の中の品のない醜い部分がさまざまな性交渉や数多くの情事と二重写しになって現れた。その言葉は聞くに堪えず、記憶する価値もないものであった;しかしそれにカチンときた彼女は反抗的態度で答えた:「私がここに来ることをあなたは知っていました;私に来るように言ったのはあなたです!罠を仕掛けたのはあなたです;あなたの責任です!」モララは汚い罵倒で答えた。「私は無実です」と彼女は叫んだ;「私は彼を愛していますが、私は無実です!なぜ私にここに来るように言ったのですか?」

サヴローラはぼんやりと理解し始めた。「私にはわからない。」彼は言った。「あなたがどんな悪事を企てたのかわからない。私はあまりにあなたを理解していないので命を奪うことはできない;しかし出て行って、すぐに出て行ってくれ;あなたの汚さには耐えられない。出て行け!」

大統領は今や落ち着きを取り戻していた。「お前を自分で撃つべきだった。」と彼は言った。「しかし小隊―五人の兵士と伍長にそれをやらせることにする。」

「いずれにせよ殺人は報復を受けるだろう。」

「どうして私を止めたのだ、ミゲル?」

「彼が言う通り、閣下」秘書は答えた。「それは戦術を誤ることになったでしょう。」

大統領は正気になり、公式の態度、話し方のスタイル、男らしい落ち着きを取り戻した。彼はドアに向かって歩く途中、虚勢を張ってブランデーを一杯飲むためサイドボードに立ち寄った。「没収」彼はそれを光に掲げて言った「政府命令。」そして飲み干した。「明日はお前が撃たれるのを見よう」と彼は付け加えた、その人物がピストルを持っていることには無頓着であった。

「私は市長公邸にいる」サヴローラは言った;「勇気があるなら、来て連行すればいい」

「暴動!」 大統領は言った。「プー!踏みつぶしてやる、お前もだ、日が沈む前に。」

「多分違った結末になるだろう。」

「どちらか一方だ」と大統領は言った。「お前は私の名誉を奪った。お前は私の権力を奪おうと企んでいる。この世界には我々がともに生きていく余地はない。お前は恋人を地獄に連れて行くことになるだろう。」

階段に慌ただしい足音がした;ドアを開けたのはティロ中尉だったが、部屋の中の人々に驚いて突然立ち止まった。「銃声がしました」と彼は言った。

「ああ」大統領は答えた;「事故はあったが、幸いにも実害はなかった。宮殿まで一緒に帰ってくれるかな?ミゲル、来い!」

「早くされたほうがいいです、サー」中尉は言った。「今夜は変な連中が大勢いて、通りの端にバリケードをつくっています。」

「本当か?」 大統領は言った。「今こそ彼らを止めるための対策の時だ。おやすみ、サー」と彼はサヴローラを向いて付け加えた。「明日会おう、そしてけりを付ける。」

しかしリボルバーを手にしたサヴローラは彼をじっと見ているだけで、沈黙したまま彼を行かせた、しばらくの間その沈黙を妨げるものはルシールのすすり泣きだけだった。ついに引き上げて行く足音が消え、通りに面するドアが閉まったとき彼女は言った「ここには居られません。」

「宮殿に戻ることはできません。」

「では、どうすればいいのでしょう?」

サヴローラは思案した。「とりあえずここに居るのがいいでしょう。家は自由に使っていただいて構いません、あなたお一人になるでしょう。私はすぐに市長公邸に行かなければなりません;すでに私は遅れているのです―もう十二時近いです―その瞬間が近づいています。加えて、モララは警官を派遣するでしょう、そして私には避けられない果たすべき義務があります。今夜は通りが危険すぎます。私は多分朝には戻ります。」

悲劇は二人を呆然とさせていた。痛烈な自責の念がサヴローラの心を満たしていた。彼女の人生は台無しになってしまった―彼が原因だったのだろうか?彼は自分がどこまで有罪なのかあるいは無罪なのかが分からなかった;しかし誰に責任があったとしても、そのすべての悲しみに変わりはない。「さようなら」と彼は立ち上がった。「私は心を置いて行きます、しかし行かなければなりません。多くのものが私に係っているのです―友人の命、国の自由。」

そして彼は世界中の人々が見ている前で素晴らしいゲームをプレイするため、男性の人生に対する関心の大部分を占めている野心のための闘いへと出発した;そして惨めで今や一人ぼっちの女性になってしまった彼女は待つことしかできなかった。

そしてそのとき突然、速く性急な鐘が街中に鳴り始めた。遠く離れたラッパの響きと鈍い砲声、つまり警砲の轟きがあった。騒ぎは大きくなった;通りの末端で「集合」を叩くドラムのロールが聞こえた;混乱した叫び声と怒鳴り声が多くの場所から上がった。ついに1つの音が聞こえて全ての疑問に終止符が打たれた―タップ、 タップ、タップ、たくさんの木箱をパタンパタンと静かに閉めるような―遠くの小銃の音。

革命が始まった。

 

 


第XVI章
革命の進展

その間、大統領と二人の追随者たちは街を通り抜ける道を辿っていた。通りには多くの人々が動き回っており、あちこちに暗い人影が集まっていた。巨大な事件が差し迫っているという印象が高まっていた;まさにその空気は熱気を帯び、ささやき声に満ちていた。サヴローラの家の外にバリケードが建てられていたことでモララは蜂起が差し迫っていることを確信した;宮殿から半マイルのところで他の人々が道を遮っていた。通りを横切る位置に三台のカートが停め置かれ、五十人ほどの男たちが障害物を強化するために静かに働いていた;ある者たちは平らな敷石を引っぱり上げ;他の者たちは隣接する家から土をいっぱいに入れたマットレスと箱を運んでいた。しかし彼らは大統領一行にほとんど注意を払わなかった。大統領は襟を立て、フェルトの帽子を顔にしっかりと押し付けてバリケードをよじ登った―自分が見ているものの重大さに頭をいっぱいにしながら;彼らは確かに略服を着た中尉にいくらかの関心を示したが、その前進を止めようとしなかった。この男たちは合図を待っていたのであった。

この間ずっと、モララは一言もしゃべらなかった。危険が迫る中、彼はそれに対処するために頭脳を明晰にしようとし、落ち着きを取り戻すために多大な努力を払っていた;しかしその意志の力の全てを以てしてもサヴローラに対する憎しみはその心を満たし、他のすべてのものを追い出してしまっていた。彼が宮殿に着くとともに都市全体で反乱が起こった。悪いニュースを持った伝令が次から次へと飛び込んで来た。数個の連隊は人々に発砲することを拒否し;他の連隊は彼らと友情を交わしており;バリケードが至る所で伸長し;宮殿へのアプローチは四方八方で閉鎖されていた。革命派のリーダーたちは市長公邸に集まっていた。通りには臨時政府の宣言が貼り出されていた。町のさまざまな場所から将校が急いで宮殿に急行したが;その一部は負傷し、多くは動揺していた。その中にソレントがいて、ある無傷の砲兵隊が反乱軍に砲を差し出したという恐ろしいニュースを伝えた。三時半までに電報と伝令からの報告によって、ほとんど実際の戦闘がないまま都市の大部分が革命家たちの手に渡ったことが明らかになった。

大統領は冷静さをもってすべてに耐え、その厳しく断固たる性格の全ての強さを示した。実際、彼には恐るべき刺激物があった。バリケードとその後ろに居並ぶ反乱者たちの向こうには市長公邸がありサヴローラがいたのである。敵の顔と姿は目の前にあった;他のすべてはほとんど重要ではないように思われた。今や彼は目がくらむような緊急事態の中で、その怒りの出口、その悲痛の逆刺激物を見つけたのである;反乱を鎮圧すること、しかし何より彼の念願はサヴローラを殺すことであった。

「日の出を待つことにしよう」と彼は言った。

「そしてそのとき、サー?」戦争長官は尋ねた。

「そのとき市長公邸へと前進し、この騒動のリーダーを逮捕する。」

夜の残りを費やして夜明けに動くための部隊が組織された。数百人の忠実な兵士(前の戦争でモララに従った人々)、疑う余地のない忠誠心を持った常備軍の七十人の将校、そして武装警察の分遣隊を伴った親衛隊の居残りの大隊だけが利用可能であった。この千四百人にも満たない献身的な兵士の一団は宮殿の門の前の広場に集まって日の出を待つ間アプローチを守っていた。

攻撃はなかった。「都市を確保する」というのがサヴローラの命令であり、反乱者たちは四方八方に規則正しく築いたバリケードで忙しく働いていた。さまざまな重要性を持ったメッセージが大統領に届き続けた。ルーヴェは急ぎの文書で反乱への恐怖を表明し、宮殿で大統領に合流できないことをどれほど遺憾に思っているかを述べた。彼の言によると、急いで街を出なければならなかった;親戚が病気で危険な状態だった。自分は革命家たちが鎮圧されることを確信しているので;モララにも神を信じることを勧める。

大統領は自室でこれを読んで乾いた激しい笑い声を上げた。危機においては役に立たない臆病者であることをずっと知っていたため、彼はルーヴェの勇気には全く信頼を置いていなかった。恨みはしなかった;彼には彼なりの良い点があり、そして内務省の役人としては賞賛に値した。しかし戦争は彼の領分ではなかった。

彼はその手紙をミゲルに渡した。秘書はそれを読んで思案した。彼も兵士ではなかった。ゲームが終わったことは明らかであり、彼が心中で呟いた通り単なる感傷のために自分の人生を捨てる必要はなかった。彼はその夜のドラマで自分が演じた役割について考えた。それは確かに彼に何らかの請求権を与え;少なくとも両賭けが可能になるであろう。彼は新しい紙を取って書き始めた。モララは部屋を歩き回っていた。「何を書いているのかね?」と 彼は尋ねた。

「港の砦の司令官への命令書です」とミゲルは即座に答えた「彼に状況を知らせ、あらゆる危険に対して持ち場を守るようあなたの名前で彼に命令します。」

「それは不要だ」とモララは言った。「彼の部下が裏切り者であっても、そうでなかったとしても。」

「私は彼に命じます。」素早くミゲルは言った。「もし彼が部下を信頼できるなら、夜明けに宮殿に向かって示威行進をすること。それは牽制になるでしょう。」

「よくわかった」とモララはうんざりして言った。「しかしそれが彼に届くかは疑わしい、そして砦を十分守備した上で他に割ける人数などほとんどない。」

一人の伝令が電報を持って入ってきた。官庁の事務官、体制支持者、名もなき、名誉ある人物が並外れた幸運と勇気を持ってバリケードの列を通り抜け、それを自分で持ってきたのであった。大統領が封筒を開いている間にミゲルは立ち上がって部屋を出た。外の明るく照らされた通路には怯えてはいたが無能ではない使用人がいた。彼はその男に素早くそして低い声で話した;市長公邸、十二ポンド、いかなる犠牲を払ってでも、というのがその指示の主要点であった。そして彼は再びオフィスに入った。

「これを見ろ」モララは言った「まだ終わっていない。」電報はロレンツォ近郊のブリエンツからのものであった:回線をクリア。ストレリッツと二千人規模の反逆者たちが今日の午後ブラック・ゴルジュへ前進してきました。私は彼らに大きな損失を与えて撃退しました。ストレリッツは捕虜にしました。敗残兵を追撃中です。トゥルガで指示を待っています。「これをすぐに公開しなければならない」と彼は言った。「千部を印刷して、それを支持者の間で、そして可能な限り市内で回覧させるのだ。」

宮殿広場に集まっていた軍隊は勝利の知らせに歓声を上げ、彼らは朝を待ち焦がれた。やがて日の光が空に広がり始め、他の光、遠くの大火の輝きは薄れた。大統領、続いてソレント、数人の高官、そして副官ティロが階段を下り、中庭を横断して、宮殿の大きな門を通り抜け、彼の最後の予備兵力が集合している広場に入った。彼は左右を歩き回ってこれらの忠実な味方や支持者と握手をした。今や大胆な手が闇に紛れて壁の上に置いた反乱側の宣言が彼の目に留まった。彼は歩み寄ってランタンの灯りでそれを読んだ。紛れもなくサヴローラの文体であった。人々に武器を取るよう訴える短い明快な文章が集合ラッパのように鳴り響いていた。プラカードの中には劇場の広告で公演の時間を知らせるために使われるような小さな赤い紙片が後から貼られていた。それは電報の複写と称するもので、内容はこうだった:今朝ブラック・ゴルジュを突破。独裁者の軍隊は完全に撤退。ロレンツォを進軍中。ストレリッツ。

モララは怒りに震えた。サヴローラは細部を疎かにせず、わずかなチャンスをも逃すことはなかった。「悪名高い嘘つき!」と大統領はコメントした;しかし彼は自分が粉砕しようとした人物の力に気づき、一瞬絶望が心臓へと込み上げ、血管を冷たくしたように感じた。その感覚を振り払うためには多大な努力を要した。

将校たちはすでに計画の詳細を知っており、大胆さがその主な長所であった。反政府勢力は計画の立ち上げに成功し;政府はクーデターで応じるのである。いずれにせよ一撃は反乱の中心を狙ったものであり、それが核心を突いた場合、結果は決定的なものとなるであろう。「紳士諸君、反乱のタコは」と大統領は革命宣言を指して周囲の人々に言った。「長い腕を持っている。従って頭を切り落とさなければならない。」そして誰もが冒険は決死のものであると感じていたが、彼らは勇敢な兵士であって覚悟を決めていた。

宮殿から市長公邸までの大通りは広くて曲がりくねっており、約一マイル半の距離があった;部隊は三つに分かれてこの通りと両側の狭い通りを静かに前進した。大統領は中央の縦隊と一緒に徒歩で前進した。脅かされていた左翼の指揮はソレントが執った。ゆっくりと、そしてお互いのコミュニケーションを維持するため頻繁に停止しながら軍隊は静かな通りを前進した。人っ子一人いなかった;家々のすべての鎧戸は閉じられ、すべてのドアはしっかり施錠されていた。そして東の空は徐々に明るくなったが、街はいまだ闇に沈んでいた。前進した縦列は通りを押し進み、木から木へと走っては、毎回慎重に一旦停止して暗闇の中をのぞき込んだ。彼らが曲がり角を曲がったとき、突然前方で射撃音が鳴り響いた。「前進!」大統領が叫んだ。突撃のラッパが鳴り響き、太鼓が打ち鳴らされた。薄明かりの中、二百ヤード先にバリケードの輪郭が見えた。車道を横切る暗い障害物であった。兵士たちは叫んで走り出した。バリケードの守備側は驚いて効果の薄い銃撃を行い、攻撃が本格的であることを知って戦力に不安を感じ、時間があるうちに退却した。バリケードは一瞬にして捕獲され、襲撃者たちは成功に酔いしれながら前進を続けた。バリケードの向こうは左右の十字路になっていた。いたるところから発砲が始まり、ライフル銃の大きな音が家々の壁からこだました。側面の縦隊は敵のバリケードで厳しく阻止されていた。しかし中央の陣地が捕獲されたため二つの陣地は回り込まれることになり、守備側は孤立させられることを恐れて無秩序に逃げ出した。

もう日中になっていたが、街中の光景は奇妙なものであった。散兵たちが木々の間を突進し、小さな青白い煙のパフが景色全体に斑点をつけていた。退却した反乱側は負傷者を地面に残し、残酷にも兵士たちはそれを銃剣で突き刺した。家の窓から―そして街灯柱、郵便ポスト、負傷した人物、転倒した辻馬車など、ありとあらゆる遮蔽物から銃弾が発射された。ライフルの銃火は徹底的で、通りはあまりにむき出しだった。遮蔽物を手に入れ、その後ろに隠れることを望んで兵士たちは両側の家に押し入り、椅子、テーブル、そして寝具の山を引きずり出した;そしてこれらは弾丸からの保護にはならなかったが、兵士たちは元よりは背後がむき出しでなくなったと感じた。

この間ずっと、絶え間なく損失を被りながらも軍隊は着実に前進していた;しかし次第に反乱側の銃火は激烈になって来た。より多くの人々が続々と現場へ急行してきたため;側面への圧力が厳しくなった;周りを包み込んでいる敵が脇道から押し込んできたので、それに耐えるため、大統領が自由に使えるわずかな戦力はさらに弱くなった。やがて反乱側は退却を止めた;彼らは砲にたどり着いたのであった、そのうちの四門は大通りに一列に並べられていた。

市長公邸は今やわずか四分の一マイルの距離にあり、モララは兵士たちに最高の奮闘を呼びかけた。銃剣で砲を奪取するという大胆な試みは三十人の死傷者を出して失敗し、政府軍は大通りと直角の脇道に避難した。これに今度は敵が縦射を加えて縦隊を一掃し、退却路を遮り始めた。

今や広い半円の全方向からの発砲があった。即席の砲兵をその場所から追い出すことを意図して、軍隊は通りの両側の家に押し入り、屋根の上から敵を撃ち始めた。しかし反乱側は同じ戦術を繰り返して応戦し、その試みは煙突と天窓の間での必死でありながら無意味な戦いへと萎んでしまった。

大統領は男らしく身体をさらしていた。部隊の中をあちこちと動き回り、彼は模範となって追随者を活気づけていた。ティロは彼の近くにいた、そして彼は十分戦争を知っていて、もし自分たちが阻止されたならもうほとんどチャンスがないことを理解していた。一瞬一瞬が貴重であった;いつしか時間が過ぎ去っていて、小さな部隊はすでにほぼ完全に取り囲まれていた。ライフルを使って家のドアを破壊するのを手伝っていたとき、驚いたことに、彼はミゲルに会った。秘書は武装していた。彼はこれまで注意深く後方に留まり、通りの木々の後ろに隠れることで空中の危険(*銃弾)を避けていた。しかし今や彼は大胆にも戸口に進み、それを打ち壊すのを手伝い始めた。それが終わるや否や「今日はみんなが兵士だ!」と叫びながら急いで階段を駆け上がった。何人かの歩兵が一階の窓から発砲するため彼に続いたが、ティロは大統領から離れることができなかった;しかし彼はミゲルの勇敢さに驚き、喜んだ。

間もなく試みが失敗したことが誰の目にも明らかになった。敵の数が多すぎた。宮殿に戻る道を切り開く命令が出たとき、部隊の三分の一は死傷していた。勝ち誇った敵はあらゆる方向から激しく押し寄せて来た。退却した縦隊から切り離された兵士たちの孤立したパーティーは家の中と屋根の上で必死に身を守った。最終的に彼らはほぼ全員殺された、全員が激昂していて、慈悲を求めるのは時間の無駄だった。他の兵士たちは家に火を放ち、煙に紛れて逃げようとしたが;成功した者はほとんどいなかった。またその他の兵士たち、そしてその中にはミゲルもいたのであるが、人々の気性が人間らしさを取り戻し、降伏が未知の言葉でなくなるまでクローゼットや地下室に隠れていた。親衛隊大隊の五つの中隊からなる右の縦隊は完全に囲まれ、反乱側の将軍が彼らの命を救うと約束したため降伏した。約束は守られ、革命側の上級将校たちはその追随者の怒りを抑えるために多大な努力をしていたようだった。

政府軍の本体は一個縦隊に集結して、あらゆる段階で兵士を失いながら宮殿に向かって奮闘した。損失を被りながらも、彼らは食い止めるには危険な人々であった。その退却線を妨害した反乱側の一パーティーは猛烈な突撃で一掃され、改めていくらかの攻撃が仕掛けられた;しかし、ライフルの銃火は情け容赦なく、絶え間がなく、最終的に撤退は潰走となった。血なまぐさい追撃が続き、捕獲や死を免れて大統領とソレントとともに宮殿にたどり着いた兵士はたったの八十人であった。大きな門は閉ざされ、貧弱な守備隊は最後まで身を守る準備をした。

 

 


第XVII章
宮殿の防衛

「今日の戦いは」ティロ中尉は門の中に入ると砲兵隊の大尉に言った「これまでで最高だったな。」

「ひどいことになるとは思っていた」と相手は答えた;「そしてやつらが砲を持ってきたとき、それが確かになった。」

「砲のせいじゃない」大砲の価値を過大評価しない槍騎兵中尉は言った;「騎兵隊がいればよかったのだ。」

「もっと多くの兵士がいればよかった」と砲手は答えた、もう異なる武器の相対的な価値についての議論を望んでいなかった。「後衛の戦闘は苦しかった。」

「ずっとたくさんの戦闘があったよ、後衛の最後の少しばかりのやつよりも」ティロは言った。「負傷者はズタズタにされたのかな?」

「全員やられたと考えざるを得ない;やつらは最後オオカミのようだった。」

「これからどうなるんだろう?」

「やつらはここに来て俺たちを殺すつもりだろう。」

「なんとかしよう」ティロは言った。その快活な勇気は長い試練に耐えることができた。「もうすぐ艦隊が戻ってくる;それまでこの場所を守ろう。」

確かに宮殿は防衛に不向きではなかった。それはしっかりと石で造られていた。窓は地面からある程度の距離にあり、低いものはしっかりと閉じられていた、ただし庭側は違っていて、テラスと階段から背の高いフランス窓に接近することができた。しかし、そのむき出しで狭いアプローチは数丁の優れたライフルで遮断できることが明らかだった。確かにまるで今や到来したこの機会のことを考えて建築家が宮殿を装った要塞を建設したかのようであった。街区に面した側が最も良い攻撃目標になると思われた:ただし衛兵室のある二つの小さな塔が大きな門を守っており、中庭の壁は高くて厚かった。しかし敵はこの前線においてその人数を最大限に活用することが可能と考えられたため、小さな守備隊の大部分がそこに集められた。

反乱陣営は賢明かつ慎重に率いられていた。彼らはすぐに宮殿への攻撃を押し進めなかった;獲物を確信しているため待つ余裕があったのである。その間、生き残った政府支持者たちは自らの最後の足場を安全にしようと努力していた。守備隊があまり露出せずに発砲できるよう、中庭に敷かれていた荒削りの石畳が梃で外され、これを用いて窓が銃眼に改造された。門は閉じられて閂がかけられ、角材で突っ支い棒をする準備がなされた。弾薬が配られた。各区域の防衛の義務と責任がさまざまな将校に割り当てられた。はっきりした決着をつけなければならない争いに参加したことを防御者たちは自覚した。

しかしモララの心境は変化していた。夜の激怒は冷やされて朝の激しく野蛮な勇気へと変わった。彼は市長公邸を占領するための必死の企てを主導し、その後の戦いの混乱の中で自由に、そして無謀なまでに自分の身体をさらした;しかし傷を負うことなく宮殿に帰り着き、サヴローラを殺す最後のチャンスを逃したことに気づいた今、死が非常に厭わしくなったのであった。彼が十分に持っていて;彼を支えていたすべての興奮が消え去っていた。その心は逃げ道を探したが無駄だった。その瞬間の責め苦は激烈だった。数時間後に助けが来るかもしれず:艦隊はきっと来るが;手遅れになるだろう。巨大な砲は彼の死に復讐するかもしれないが;その命を救うことはできないだろう。苛立ちの感覚が彼を震わせ、そしてその背後で迫りくる闇の実感が高まっていた。恐怖がその心に触れ始め;神経が揺らいだ;彼には他の人々より恐れるべきものがたくさんあった。大衆の憎しみは彼に集中していた;結局のところ、彼らが望んでいたのは彼の血であった―ほかの誰のものよりも。それは恐るべき区別であった。深く意気消沈して彼は自室に引きこもり、防衛には参加しなかった。

十一時ごろ敵の狙撃手が宮殿の正面を囲んでいる家々に侵入し始めた。まもなく上の階の窓から発砲があり;他がそれに続き、すぐに途切れることのない連続射撃が始まった。防御側は壁に隠れて注意深く応射した。ティロ中尉と戦時中のモララの同志である親衛隊の軍曹が大門の左側の衛兵室の窓を守っていた。二人とも良い射手であった。中尉はポケットを弾薬筒で満たし;軍曹は自分のそれを窓敷居の上に小ぎれいに五列に並べた。彼らの位置は街区から門に至る通りを撃つのに打ってつけだった。衛兵室の外ではまだ十数人の将校と兵士がエントランスをより安全にする仕事に従事していた。彼らは地面と二番目の横木の間の巨大な厚板をくさびで留めようとしていた;こうしておけば反逆者たちが門に突入しようとしたときに抵抗する強度は十分であろう。

周囲の家々からの銃火は危険というよりは苛立たしいものだったが、即席の銃眼の石に数発の弾丸が当たった。防衛側は弾薬を使い切ったり、無駄に自分の身体を晒したりしないように気をつけて注意深くゆっくりと発砲していた。突然、約三百ヤード離れたところから大勢の男たちが門に至る通りに向かって、何かをどんどん前へ押したり引いたりし始めた。

「気をつけろ」とティロは作業班に叫んだ。「やつらは砲を持ってきている;」そして狙いを定めて近づいてくる敵に発砲した。軍曹と宮殿側の他のすべての防御者も驚くべき活力で発砲した。前進してくる群れは速度を緩めた。その中に倒れる者が出始めた。前の数人が手を振り上げ、他の人々に運び去られた。攻撃は縮小した。そして駆け戻ってきたのはニ、三人だけだった。その時、残りはすべて尻尾を巻いて脇道の遮蔽へと慌てて駆け込み、砲(捕獲された十二ポンド砲のうちの一門)は車道の真ん中に置き去りにされ、その周りには十余りの形の崩れた黒い物体が横たわっていた。

守備側は歓声を上げ、それに応えて周囲の家々からの射撃音が増大した。

約十五分が経過した、そしてそのとき反乱側は脇道からメインの接近路に流れ出し、小麦粉の袋を積んだ四台のカートを押し始めた。防御側は再び速やかに発砲した。弾丸は袋を打ち、奇妙なクリーミーな白い雲を上げた;しかしこの可動性のカバーに守られた攻撃側は着実に前進を続けた。彼らは砲にたどり着き、カートの後ろから袋を押し出して空にし始め、完全な胸壁ができるとその後ろに跪いた。数人が発砲し始め;他の数人は現在守備側の目標が向けられている砲を発射することにその努力を費やした。二人の犠牲者を出したが彼らはそれを装填し、門に向けることに成功した。三人目の犠牲者は前進してフリクション・プライマー(*これに取りつけた引き綱を引くことによって摩擦で砲の火薬に火がつく)を取りつけた人物で、これによって砲撃が行われたのであった。

ティロはしっかりと狙いを定めて撃ち、そして遠くの人影が崩れ落ちた。

「お見事」と軍曹は感心して言った、そして決死の勇気を持って砲を発射しようと前進してきた別の標的を撃つために前方に身を乗り出した。彼は正確性を上げることを意図して標的を狙ったまま長く停止し;小銃規則に従って、息を止めて引き金を徐々に引き始めた。突然、鈍い衝撃音と粉砕音が相半ばするとても奇妙な音がした。ティロはすばやく左に跳び退き、辛うじて血やその他の肉片の飛散を避けた。銃眼を覗き込んだ軍曹が砲弾の出迎えを受けて殺されたのであった。遠くの人物は砲身を据え、引き綱を掴んで、砲撃のために後方に離れて立った。

「門から離れろ」ティロは作業班に叫んだ;「援護できない!」彼はライフルを上げ、機を見て発砲した。同時に砲から大きな煙の雲が噴出し、別の雲が宮殿の門にわき上がった。木造部は粉々に砕けて破裂弾の破片とともに飛び続け、遮蔽物へと慌てて逃げる作業員に追い付いて死傷させた。

周囲の家や通りの全ての方向から長く大きな歓声が上がり、隠れて待っていて砲の爆発音を聞いた何千もの人々がそれに加わった。最初反乱側の発砲が増加したが、すぐにラッパが辛抱強く鳴り始め、約二十分後に小銃射撃は完全に止まった。そしてバリケードの上から白い旗を持った人物が他に二人を従えて前に出てきた。宮殿側はハンカチを振って休戦に同意した。代表団は粉砕された門までまっすぐに歩き、リーダーは門を通り抜けて中庭に入った。守備側の多くは彼を見て、どんな条件が出されるかを聞くため持ち場を後にした。来たのはモレだった。

「あなた方全員に降伏を呼びかけます」と彼は言った。「フェアに裁かれるまで、あなた方の命は守られます。」

「私に言って下さい、サー」ソレントは前に出て言った。「ここの指揮を執っているのは私です。」

「共和国の名の下にあなた方全員に降伏を呼びかけます」とモレは大声で繰り返した。

「兵士に話しかけることを禁じる」とソレントは言った。「もう一度話しかけたなら、その旗はあなたを守らないだろう。」

モレは彼の方を向いた。「抵抗は無駄です」彼は言った。「どうしてこれ以上命を失おうとするのですか?降伏すればあなた方の命は守られるのです。」

ソレントは思案した。おそらく反乱側は艦隊が近づいていることを知っているのだろう、そうでなければ彼らが和平を申し出たりはしないはずだ、と彼は思った。時間を稼ぐ必要があった。「条件を検討するのに二時間かかるだろう」と彼は言った。

「駄目です」モレは断固として答えた。「すぐに降伏しなければなりません、今ここで。」

「我々はそのようなことはしない」と戦争長官は答えた。「宮殿は防御可能である。艦隊と勝利した野戦軍が戻るまで、我々は宮殿を守る。」

「すべての条件を拒否するのですか?」

「我々はあなたが申し出たすべての条件を拒否する。」

「兵士の皆さん」とモレは再び兵士に向かって言った。「皆さんが命を捨てることがないよう心からお願いします。私はフェアな条件を出します;拒絶しないでください。」

「若造」ソレントは怒りを募らせながら言った「私はすでに長々と理由を言ってお前と話をつけた。お前は民間人であって戦争の習慣を知らない。私には警告する義務がある、お前がまだ政府軍の忠誠心をたぶらかそうとするなら撃つ。」彼はリボルバーを抜いた。

モレは注意を払うべきであった;しかし彼は元々、機転が利かず、勇敢で、衝動的な人物だったので気にしなかった。その温かい心はさらに失われようとしている人命を惜しみなく救いたいと思っていた。加えて、ソレントが冷酷に彼を撃つとは信じられなかった;それは無情すぎるであろう。「皆さん全員に生きて欲しいのです」と彼は叫んだ;「死を選ばないでください。」

ソレントはピストルを挙げて撃った。モレは地面に倒れ、その血が白い旗の上にちょろちょろと流れ始めた。しばらくの間、彼は身をよじって震え、そして静かに横たわった。脅しが実行されるのを見るとは思っていなかった傍観者たちから戦慄のざわめきが上がった。しかしこの戦争長官のような人物の慈悲を当てにするのは良くない;彼らはその人生を慣例や規則で生きすぎているのである。

門の外にいた二人の人物は銃声を聞いて、覗き込み、見て、そして素早く仲間の元に戻った、一方守備側は今やすべての希望を捨てなければならないと感じて、ゆっくりとむっつりと彼らの持ち場に戻った。停戦の噂によって彼の想像の中で生存への、そしておそらく復讐の新たな見通しが開けたため、大統領は部屋から出て来た。彼は階段を下りて中庭に入ったとき、その至近距離での銃撃に驚いた。条件の持参人の状態を見たとき、彼はよろめいた。「なんてことだ!」ソレントに言った「なんてことをしてくれたんだ?」

「私は反逆者を撃ったのです、サー」彼の心は不安でいっぱいだったが、しらを切ろうとした。「軍の反乱と脱走を扇動したからです、その旗がもはや彼を保護しないという正当な警告をしてからのことです 。」

モララは頭から足まで震えた;最後の退路が断たれたと感じた。「あなたは私たち全員に死刑を宣告した」と彼は言った。そして身体をかがめて、死んだ男のコートから突き出していた紙を手に取った。中には次のように書かれていた: 私はあなたに共和国の元大統領であるアントニオ・モララと大統領官邸を守っている将校、兵士、そして支持者の降伏を受け入れることを許可します。彼らの命は救われ、政府の決定が出るまで保護されなければなりません。公安評議会代表―サヴローラ。そしてソレントは彼を―群衆の怒りから彼らを救うことができた唯一の男を殺してしまったのであった。モララは心が病んで話すことができずに顔を背け;それと同時に街区の家々からの発砲が猛烈な勢いで再開された。今や包囲者たちは彼らの使者に何が起こったかを知ったのだった。

そしてその間ずっと、モレは中庭にとても静かに横たわっていた。そのすべての野心、その熱意、その希望は完全に停止してしまい;世界の出来事におけるその役割は終了し;彼は過去の海に沈んで、ほとんど泡すらも残さなかった。ローラニア政府に対する陰謀のすべての策略においてサヴローラの存在が彼を矮小化させていた。それでも彼は愛情と頭脳と度胸の人物であり、もっと多くのことを成し遂げていたかも知れず;そして彼には彼が踏んだ土を愛し、彼を世界で最もすばらしい男だと思っている母親と2人の妹がいたのであった。

ソレントは長い間自分の所業を見ながら立ちつくし、その行いに対する鬱憤が高まっていた。彼の気難しく強固な性質は本物の自責の念を受け入れなかったが、彼は長年モララを知っており、彼の悲嘆を見てショックを受け、自分が原因であることに思い悩んだ。彼は大統領が降伏を望んでいることに気づいていなかった;気づいていたなら、と自問自答した、自分はもっと寛大だったことだろう。損害を回復する可能な方法はないだろうか?モレに降伏を受け入れることを許可した人物は大衆に力を持っている;彼は市長公邸にいるはずだ―使者を送らねばならない―しかしどうやって?

ティロ中尉はコートを手に近づいて来た。上司の残忍さにうんざりして、言葉にしなくともはっきりと自分の気持ちを表そうと決めたのだった。彼は遺体の上に身をかがめ、手足を揃えた;そして白い表情を失った顔にコートをかけ、立ち上がって不躾な態度で大佐に言った。:「彼らは数時間以内にあなたをこのようにしようとするでしょう、サー」。

ソレントは彼を見て刺々しく笑った。「プー!私が何を気にするのかね?私と同じくらい多くの戦いを経験していたなら、君もこんなに多感ではなかっただろう。」

「私がこれ以上を経験することはないでしょう、あなたが私たちの降伏を受け入れることができる唯一の人物を殺したのですから。」

「もう一人いる。」と戦争長官は言った。「サヴローラだ。生きたいのなら、行って、彼にそのhounds(*猟犬、熱中する人)を止めさせなさい。」

ソレントは苦々しく話した、しかしその言葉は中尉の心を動かした。サヴローラ―彼は彼を知っていて、彼が好きで、自分たちには共通点があると感じていた。彼が迎え入れられたなら、そのような人物に会えるのである。しかし宮殿を離れることは不可能と思われた。反乱側の攻撃は正面玄関方面だけに向けられていたが、全周に渡って厳重な包囲と弾の雨が維持されていた。包囲側の前線を道路から通過することは問題外だった。ティロは残りの選択肢について考えた;トンネルはなく;気球は一つもありませんでした。絶望的な問題に頭を振り、彼は澄んだ空気をじっと見つめて思った。「鳥でもなければ無理だ。」

宮殿は上院と主要な官公庁に電話で接続されていて、偶然にも大都市の東端からその屋根まで電線の本線が横切っていた。ティロが見上げると、頭上に細い線が見えた;二十本くらいありそうだった。戦争長官は彼の視線を追った。「電線を伝って行けないかね?」彼は真剣に尋ねた。

「やってみます」中尉はそのアイデアに興奮して答えた。

ソレントは握手をしようとしたが、少年は後ろに下がって敬礼し、背を向けた。彼は宮殿に入り、平らな屋根に通じる階段を上った。その試みは大胆で危険なものであった。反乱側が空中の彼を見てしまったらどうなるのだろうか?彼はしばしばカラス、空を背景にした木の枝の間の黒い点、豆ライフルで撃ったものだった。その考えは不思議に不愉快に思えた;しかし、命の危険を冒して銃眼を覗いている人々は狙いを定めるのに余念がなく、目をぼんやり漂わせることは滅多にない、と思い直して自分を慰めた。彼は屋根に足を踏み入れ、電信柱へと歩いた。その強度には疑いの余地はなかった;とはいえ彼は立ち止まってしまった、勝ち目を薄く、死を近く恐ろしく感じたのだった。彼の信仰は多くの兵士の信仰と同様、ほとんど役に立たなかった;それはほとんど暗唱されることはなく、ほとんど理解されることはなく、決して掘り下げられることのない単なる決まり文句の寄せ集めであり、もし自分の義務を紳士のごとく果たすならばうまくいくであろう、という楽観的ではありながら拠り所のない信念だった。彼には哲学がなかった;ただ自分が持っているすべてのものが危険に晒されていると感じていただけで、それが何のためなのか分からなかった。その動機との間にはまだ埋められない隙間があったが彼はそれができるだろうと考え、そしてまっしぐらに突き進むことにした。自分に言い聞かせた。「あの豚どもをへこませてやるんだ」そしてこの思いに奮い立って彼は恐怖を振り払った。

彼はポールを一番下のワイヤーまでよじ登った;そして身体を高く引き上げて絶縁体に足を乗せた。ワイヤーは二本ずつ組になってポールの両側に走っていた。彼は一番下の二本の上に立ち、一番上の二本を腋にはさみ、手を下に伸ばしてそれぞれの手でもう一本ずつを掴んだ。そしてぎこちなくあちこちを動かしながら出発した。径間は約七十ヤードであった。欄干を過ぎるとき彼は下の通りを見下ろした―はるか下に見えた。家々や宮殿の窓からの撃ち合いが絶えることはなかった。六十フィート下には死んだ男が横たわり、輝く太陽をまぶしがることもなくワイヤーの下から見上げていた。彼は銃火をくぐったことがあったが、これは新奇な体験だった。径間の真ん中に近づくとワイヤーが揺れ始め、しっかりと握らなければならなくなった。傾斜は始め彼に有利だったが、中央を通過した後は登りになって不利になった;しばしば足が後ろに滑って、ワイヤーが腋の下に食い込み始めた。

距離の三分の二まで安全に渡ったところで、左足の下のワイヤーがパチンとちぎれ、向こう側の家の壁を鞭打つように落ちた。体重が肩にかかった;痛みは鋭く;彼は身をよじり―滑り―でたらめに握りしめ、途方もない努力をして体勢を立て直した。

下階の窓の男がその後ろに隠れて発砲していたマットレスを引っ込め、頭と肩を突き出した。ティロは見下ろし、そして彼らの目が合った。男は狂ったように興奮して叫び、至近距離から中尉にライフルを発射した。銃声の轟きのせいで弾丸がどれだけ近くを通過したかは分からず;しかし彼は被弾しなかったと感じ、電線を渡るための奮闘を続けた。

終点に着いた;すでに行くも戻るも等しく致命的だった。「やり抜いて見せるぞ」彼は自分に言ってワイヤーから家の屋根に飛び降りた。トタン屋根のドアは開いていた。屋根裏の階段を駆け下り、彼は踊り場に現れて手すりの上から覗き込んだ;誰もいなかった。敵はどこにいるのだろうと思いながら狭い階段を彼は慎重に降りた。やがて三階の通りに面した部屋に行き当たった。壁に隠れて部屋の中を覗き込んだ。部屋の中は半ば暗くなっていた。窓は箱、旅行鞄、マットレス、そして土を詰め込んだ枕カバーで塞がれており;割れたガラスが壁からの漆喰の欠片と混ざり合って床に散らばっていた。狭い隙間や銃眼から差し込む光で彼は奇妙な光景を見た。部屋には四人の男たちがいて;一人は仰向けになっており、その他は彼の上にかがみこんでいた。ライフルは壁に立てかけられていた。彼らの目は、ますます広がる血溜まりの中で床に横たわって、ごぼごぼとむせながら、そして明らかに話をしようとして途方もない努力をしている仲間だけに向けられていた。

中尉はもう十分に見た。通りに面した部屋の奥側にはカーテンのかかった出入り口があって、彼はその後ろに滑り込んだ。何も見えなくなったが、ひたすら耳を傾けた。

「かわいそうに」という声がした。「本当にひでえことになっちまった。」

「どうしてこんなことになっちまったんだ?」 別の声が尋ねた。

「ああ、やつは撃つために窓から身を乗り出して―弾丸が当たって―肺を突き抜けて、たぶん―空を向いて撃って、叫んだんだ。」そしてより低く、それでも聞きとることができる口調でつけ加えた。「やられた!ってな」

負傷した男は異常な音を立て始めた。

「逝く前にやつはかみさんに何か言い残したいんじゃねえか」と職人のような言葉を遣う革命家の一人が言った。「なんだい、相棒?」

「鉛筆と紙を渡してやれ;やつはもう喋れねえ。」

ティロは身も凍る思いがした、リボルバーにそっと手を伸ばした。

一分近くの間、何も聞こえず;それから叫び声が上がった。

「神にかけてやつをとっ捕まえてやる!」と職人は言った。そして彼ら三人全員がカーテンのついたドアの前をバタバタと通り過ぎ、上階へと走った。一人の男が真ん前で立ち止まった;彼はライフルを装填していて;弾薬筒が動かなくなり;それを地面に叩きつけ;成功したことは明らかであった、中尉は遊底のクリック音を聞いたのである。そして素早い足音が仲間に続いて屋根に向かった。

彼は隠れ場所から現れ、低い姿勢でこっそりと歩いた。しかし開いた部屋を通り過ぎるとき、覗き込まずにはいられなかった。負傷した男はたちまち彼を見つけた。そして床から半分立ち上がって、叫ぼうとして、恐るべき奮闘をしたが;はっきりした声は出なかった。ティロは偶然自分のかけがえのない敵となったこの見知らぬ人物を一寸見て、そして人の心に潜んでいる流血と危険が目覚めさせたその残酷な悪魔に唆され、彼の手に乱暴にキスをした、痛烈な嘲笑であった。痛みと怒りの激発で相手は後ろに倒れ込み、喘ぎながら床に横たわった。中尉は急いで立ち去った。最下階に達すると台所に向かった、そこの窓は地面からわずか六フィートしかなかった。彼は窓敷居に飛び乗り、裏庭に飛び降りた、そしてそのとき突然激しいパニックに襲われて全速力で走り始めた―来た道を戻れる望みはない、という恐怖であった。

 

 


第XVIII章
窓から

ローラニアの首都で立て続けに起こった巨大な出来事は男たちの心を目下の緊急事態でいっぱいにしていたが、女たちはそうではなかった。通りには躍動的な光景、血気、そして興奮があった。戦争の危険、そして接近した混戦には多くの献身的なそして残虐な行為の機会があった。勇敢な男はその勇気を示し;残酷な男はその野蛮さに耽り;すべての中間のタイプはその瞬間の務めに高揚し、不本意な恐怖の時間はほとんどなかった。家の中ではそれは違っていた。

ルシールは最初の銃声にびくっとした。聞こえる音は多くはなく、遠くの混乱した発砲音と時折の不調和な衝突音が聞こえるだけだった;しかし彼女はこれらすべての意味を知って身震いした。物音からして下の通りには人でいっぱいのようだった。彼女は立ち上がって窓際に行き、見下ろした。薄暗く青白いガス灯の光の下、男たちがバリケードで忙しく働いていた、それはドアの約二十ヤード宮殿側で道路を遮断していた。彼女は不思議な興味を抱いてせわしく働いている人々を見た。それで気を紛らわせることができるだろう、もし何も見るものがなかったら恐ろしいサスペンスに発狂してしまうだろう、と彼女は思った。どんな細部も彼女の気を逸らすことはなかった。

彼らはなんと一生懸命働いたことであろう!バールとつるはしを持った男たちが敷石をこじ剥がし;他の者たちは重さによろめきつつそれを運び;他の者たちは再びそれを積み上げて道路を遮断する強い壁をつくった。二、三人の少年たちが誰にも負けないくらいくらい一生懸命働いていた。小さい子が持っていた石を足の上に落とし、たちまち座り込んでおいおい泣き出した。仲間がやって来て、蹴飛ばして奮起を促したが余計泣いただけだった。やがて水のカートが到着し、喉が渇いた建設者たちは三、四人と連れ立って飲みに行き、二つの錫のマグカップと一つのガリポット(*陶器の小壺)で水を掬った。

周りの家の人々はドアを開けさせられ、そして反乱者たちはバリケードに置くため、あらゆる種類のものをぞんざいに引きずり出した。ある一団は彼らが価値ある貴重品と見なしている何本かの樽を発見した。彼らは樽の片側を叩き壊し、それに舗装を剥がして剥き出しにした歩道の土をシャベルで一杯一杯と満たし始めた。それは長い仕事だったが、ついに彼らは成し遂げ、樽を壁の上に持ち上げようとしたが;重すぎたため地面にドシンと落下して、すべてバラバラになってしまった。これに彼らは激怒し、赤い襷を掛けた将校が現れて黙らせるまでプリプリと口論していた。彼らはもう樽に土を入れようとはしなかったが、再び家に入ると快適なソファを運び出し、むっつりと座ってパイプに火をつけた。しかし 彼らは一人また一人と仕事に戻り、不機嫌の発作から少しずつ抜け出し、品位を気にかけるようになった。そしてこの間ずっとバリケードは着実に成長していた。

ルシールはなぜ誰もサヴローラの家に入って来なかったのかを疑問に思った。やがて彼女はその理由に気がついた;玄関先にライフルを持った四人編成の監視隊がいたのである。かの網羅的な知性は何事も忘れてはいなかった。そして時間が経った。時折その思考は自分の人生を襲った悲劇へと立ち戻り、彼女は絶望してソファに沈み込んだ。一度、彼女はまったくの倦怠感から一時間のうたた寝をした。遠くの銃声は聞こえなくなり、単発のものが時々聞こえたが、街は概して静かになった。不思議な不安感で目を覚まして彼女は再び窓に駆け寄った。今やバリケードは完成し、建設者たちがその後ろで横になっていた。彼らの武器は壁に立てかけられており、壁の上には二、三人の見張りが立ってずっと通りを監視していた。

まもなく通りのドアをドンドンと叩く音がして、恐怖に彼女の心臓は高鳴った。彼女は注意深く窓から身を乗り出した。監視隊はまだ同じ場所にいた、しかし別の人物が彼らに加わっていた。ノックに対する返答がなかったため、彼は身をかがめ、ドアの下に何かを押し込んで行ってしまった。しばらくしてから彼女は勇気を奮い起し、暗い階段を忍び歩いてこれが何なのかを確認しに行くことにした。彼女はマッチの光でそれが家と通りの番号だけを記したルシール宛のメモであることを知った―ローラニアではアメリカの都市のようにすべての通りに番号が付けられているのである。それはサヴローラからのもので、鉛筆書きで、こういう趣旨であった: 街と砦は私たちの手に渡りました、しかし日中に戦いがあるでしょう。決して家を出たり、ご自分を人目に晒したりしないでください。

日中に戦い!時計を見ると―五時十五分前だった、すでに空は明るくなりつつあった;その時が近づいている!彼女の夫に対する恐れ、悲しみ、不安、そして少なからざる痛みを伴う憤りが心中で争った。しかしバリケードの後ろで眠っている人々はこれらのどの感情にも悩まされていないようであった;彼らは静かに黙って横になっている、悩みのない疲れた男たちだった。しかし彼女はそれが来ることを知っていた。それは彼らが飛び上がって目覚めるような、けたたましくしく恐ろしいものであった。彼女はまるで劇場で演劇を見ているように感じ、窓がボックス席のように思えた。彼女がしばらくそこから目を離していると、突然ライフル射撃の音が響いた、明らかに通りの約三百ヤード宮殿側からだった。そしてパチパチという発射音、軍隊ラッパ、そして叫び声があった。バリケードの防御者たちは大慌てで跳び上がって武器を手にした。さらに発砲があったが、それでも彼らは応射しなかった、そこで彼女は窓の外に頭を出すことなく、思い切って何が彼らの邪魔をしているのかを見ることにした。彼らは皆、バリケードの上でライフルを持って大いに興奮しており、多くの人々が早口に短い会話を交わしていた。すぐに百人近くの男たちの群れが壁に駆け寄り、互いに助け合いながらよじ登り始めた。そのとき彼らは戦友だった;彼女は思い当たった、他にもバリケードがあって窓の下のバリケードは二列目なのではないか。これは実際その通りで、一列目は既に奪われていたのであった。この間ずっと宮殿の方向からの発砲が続いていた。

逃げてきた人々が壁を超えるや否や二列目の防御者が発砲を開始した。すぐそばではライフルの音はとても大きく、放たれる閃光は眩しかった。しかし日の光は一分ごとに強くなってきて、そしてまもなく吐き出される煙のパフが彼女に見えるようになった。反乱側はたくさんの種類の銃で武装していた。古い前装式マスケット銃を持った一部の人は槊杖を使うため立ち上がってバリケードから降りなければならなかった;より近代的な武器で武装した人々は遮蔽物の後ろにしゃがみ続けて絶え間なく発砲した。

遠近感のない人影でいっぱいの光景は大向こうから見た劇場の舞台を思わせた。彼女はまだ怖くなかった;なんの被害もなく、誰もどこも悪いようには見えなかった。

そう思ったか思わないうちに彼女はバリケードから地面に下ろされる人物がいることに気づいた。明るくなりかけた日光の下で青ざめた顔がはっきりと見てとれ、たちまち彼女はひどい吐気に襲われた;しかし魔法にかかったようにその光景から目を離すことができなかった。四人の男たちが負傷者の肩と足を持って運んでおり、胴は低く下がっていた。彼らが視界から外れたとき、彼女は壁を振り返った。さらに五人の男たちが負傷していた;四人は運ばれなければならず、もう一人は仲間の腕に寄りかかっていた。さらに二人の人物がバリケードから引き離され、邪魔にならないよう歩道に無造作に横たえられた。彼らは誰にも注意を払われることなく、地下室の階段の柵近くに寝かされていた。

そして通りの向こうの端からドラムと甲高いラッパの音が響いて来て、何度も何度も繰り返された。反乱側は狂ったように興奮してできうる限りの速さで撃ち始めた。数人が倒れた、そして銃声に重なって奇妙な音、かすれたような、ウォーという叫び声が上がって、たちまち近づいて来た。

バリケードの上から一人の男が飛び降りて通りを走り始めました;すぐに五、六人が続きました;そして三人を除いたすべての防御者が接近してくるその奇妙な叫び声から急いで逃げた。何人かはさらに数人増えていた負傷者を引きずって行こうとしたが;彼らは痛みに叫び声を上げ、放っておいてくれるよう懇願した。その懇願にもかかわらず一人の男が他の男の足首を持って荒れた道路の上をゴツンゴツンと引き摺って行くのを彼女は見た。踏みとどまった三人の男たちは胸壁の後ろから整然と発砲していた。すべて数秒おきだった;そして威嚇的な叫び声はその間中ずっと近づいて来ていた。

それから一瞬にして人の波―もみ革色の顔に青い制服を着た兵士たち―がバリケードへと押し寄せ、乗り越えた。彼ら全員の前にいる将校が、ほんの少年だったが、反対側に飛び降り、「臆病な悪魔どもをきれいに掃除するぞ―来い!」と叫んだ。

三人の不動の男たちは寄せる波の下に沈む岩のように姿を消した。大勢の兵士がバリケードを乗り越えた;彼らのグループが負傷した反乱者の周りに群がって銃剣を下に向け、獰猛にその仕事をしているのが彼女に見えた。そのとき魔法が解けて状況が動き出し、彼女は叫びながら窓からソファに駆け寄ってクッションの中に顔を突っ込んだ。

今や騒ぎは物凄いことになっていた。特にサヴローラの家のある通りと平行に走っている大通りの方向からの銃声は大きく継続的であり、騒音に兵士たちの叫び声とドン、ドンという足音が加わっていた。戦闘の波は次第に家を通り過ぎて市長公邸の方へと進んで行った。これに気づいたとき、彼女は自分のすべての心配事を思い出した。戦いは反乱側に対して起こされているのであった;彼女はサヴローラのことを考えた。そして彼女は祈った―不注意な耳に入らないことを念じつつ、自分の懇願を宇宙に送り、身悶えるように祈った。名前は言わなかった;しかし全知である神々は彼女が夫である大統領よりも愛する反逆者の勝利を祈ったと、冷笑しながら言い当てたかもしれない。

まもなく市長公邸の方向からものすごい物音がした。「カノン砲」と彼女は思ったが、窓の外を見る勇気はなかった;恐ろしい光景が好奇心そのものを蝕んでいたのであった。しかし銃火が近づき、再び戻ってくるのが聞こえた。そしてその時、彼女は不思議な喜びを感じた;すべての恐怖のただ中に幾何かの戦争の成功の喜びを。人々の奔流が家を通り過ぎて行く音がした;窓の下で銃声がした;それから通りのドアがドンドンと叩かれ、打ち壊された。家に侵入された!彼女は部屋のドアに駆け寄って鍵をかけた。階下で数発の銃声があり、木が裂ける音がした。退却する軍隊の発砲は家を通り過ぎて徐々に宮殿へと向かって行った;しかし彼女がそれに耳を傾けることはなかった;他の音、近づいてくる足音に注意を集中していたのであった。誰かが階段を上って来ていた。彼女は息を止めた。取っ手を回し、ドアがロックされていることを知ると未知の人物はそれを荒々しく蹴った。ルシールは叫んだ。

蹴るのが止まり、見知らぬ人物が恐ろしいうめき声をあげるのが聞こえた。「どうか情けをかけてください、中に入れてください!怪我をしていて武器を持っていないのです。」彼は哀れに泣き始めた。

ルシールは耳を傾けた。たった一人きりのようで、負傷しているのであれば彼女を傷つけることはないだろう。外でまたうめき声が聞こえた。人間らしい同情心がその心に起こり;彼女はドアのロックを解除し、注意深く開けた。

一人の男が素早く部屋に入ってきた;ミゲルだった。「閣下にお許しを願います」と彼は落ち着いて、この落ち着きこそが彼のけちな魂をいつも強くしていたのであるが、もの柔らかに言った;「隠れる場所が要るのです。」

「怪我はどうしたのです?」彼女は言った。

「ruse-de-guerre(*ルーズ・デ・ゲー、戦争の策略)です。中に入れていただきたかったのです。隠れる場所はありますか?追手がすぐに来るかもしれません。」

「そこから屋根の上か天文台に行けます。」彼女はもう一方のドアを指差して言った。

「彼らには言わないでください。」

「どうして私が?」と彼女は答えた。男は間違いなく平静だったが、彼女は彼を軽蔑した;よく知っていたのである、それが自分の目的に適いさえするなら彼はどんな汚い物でも食べるという事を。

彼は上って屋上の大きな望遠鏡の下に隠れた。その間彼女は待っていた。その日はその心を様々な感情がどんどん続けざまに通り過ぎて行ったので、もうこれ以上のストレスには耐えられない、と彼女は感じた;鈍い痛みの感覚が残っていた、重傷を負ったあとに似たしびれや傷の感触だった。銃声は宮殿の方向へと後退して行った、今では町の中のすべてが再び比較的静かになっていた。

九時ごろ正面玄関のベルが鳴った;しかしドアが壊れていたので彼女はあえて部屋を出ようとはしなかった。しばらくすると人々が階段を上ってくる音が聞こえてきた。

「ここに女性はいません;お嬢さんは昨夜伯母さんのところに帰ったのです」と声がした。それは老婦人だった;喜びに跳び上がり、狂おしい程に同性の共感を熱望して、ルシールは駆け寄ってドアを開けた。そこにはベティンがいた、そして一緒にいた反乱軍の将校が手紙を手渡して言った。「President(*大統領、会長)からです、マダム。」

「President!」

「公安評議会の。」

このメモはただ政府軍が撃退されたということを彼女に伝えるだけのものであり、次の言葉で結ばれていた:今や結末は一つだけです、それは数時間以内に成し遂げられるでしょう。

返事をされるなら階下で待っています、と言って将校は部屋を出た。ルシールは年老いた保母をドアの中に引き込み、彼女を抱きしめて泣いた。彼女はあの恐ろしい夜の間中どこにいたのだろうか?ベティンは地下室にいた。サヴローラは彼女のことを何よりも大切に思っていたようだった;彼はベッドをそこに降ろすように言い、そして前日の午後にその場所にカーペットを敷いて家具まで置いていた。彼女は言われた通りにそこに居た。彼女のアイドルへの完全な信頼がそのすべての恐れを追い払った、しかし彼女は彼について「ものすごく気を揉んだ」。彼は彼女が世界中で持っていたもののすべてであった;他の女性は愛情を夫、子供、兄弟、姉妹へと撒き散らす;しかし彼女の優しい年老いた心のすべての愛は無力な赤ん坊だった頃から育ててきた男に集中していた。そして彼はそれを忘れていなかった。彼女は誇らしげにこう書かれた紙片を見せた、ご無事で。

朝の間中続いていた銃声は、今や宮殿の方向から控えめに聞こえて来るだけだった;しかし通りが再び静かになったのを見たミゲルは隠れ場所から出て、再び部屋入って来た。「Presidentにお会いしたいのです」と彼は言った。

「夫ですか?」 ルシールは尋ねた。

「いいえ閣下、セニョール・サヴローラです。」ミゲルは素早く状況に適応したのであった。

ルシールは将校のことを思い出し;ミゲルに彼のことを話した。「彼があなたを市長公邸に連れて行ってくれるでしょう。」

秘書は喜んで;階段を駆け下りて行って姿が見えなくなった。

実用的な精神を持つ老保母は忙しく朝食の準備をした。ルシールは自分の物思いを紛らわせるため彼女を手伝った、そして間もなく―それが私たちの性質であるが―卵とベーコンに安らぎを見つけた。彼女らは監視隊が再び通りのドアに配置されているのに気づいて安心した。それを発見したのはベティンだった、ルシールの気分は変わっておらず、あのような怖しい光景を見た通りを見たくなかったのであった。そして彼女は正しかった、なぜならバリケードは今や打ち捨てられていたが、その周りやその上には数時間前に人間だった二十前後の物体が横たわっていたのである。しかし十一人ばかりの労働者が二台の清掃人のカートとともに到着し;そしてすぐに財産以外の何物かの破壊があったことを示すのは歩道の血痕だけになった。

朝はゆっくりと不安に過ぎて行った。宮殿近くの発砲は継続的だったが、遠方だった。時折それは鈍い轟音へと膨れ上がり、またある時には個々の銃声が一種の素早いガラガラ音に聞こえた。ついに二時半ごろ、それが急に止まった。ルシールは慄いた。戦いが決着したのである、どちらか一方に。彼女の心はすべての可能性に直面することを拒否した。時折彼女は狂おしい恐怖に襲われて年老いた保母にすがりついた、なだめようとしても無駄だった;他の時には彼女は家事を手伝ったり、気の毒な老人が快適さでその不安を消し去ろうと用意してくれたさまざまな食事を味わったりした。

発砲の停止の後の不気味な沈黙は長くは続かなかった。最初の大砲の音が聞こえたのはベティンがそのためにわざわざ作ったカスタード・プディングをルシールに食べさせていたときだった。遠く離れていたにもかかわらず、ものすごい爆発音が窓をガタガタと鳴らした。彼女はぞっとした。これは何だろう?全てか終わったことを期待していたのに;しかし爆発は次から次へと続き、港からの連続砲撃の雷鳴はほとんど彼女らの声をかき消すまでになった。二人の女性にとってうんざりする待ち時間だった。

 

 


第XIX章
教育的経験

ティロ中尉は無事に市長公邸に到着した。通りは興奮した人々でいっぱいだったが彼らは平和的な市民であり、サヴローラに会うために送られたと聞くと通行を許してくれた。市の建物は壮大な白い石の建造物で塑像や彫像で精巧に装飾されていた。その前には鉄の柵で囲まれた、三つの出入り口がある広い中庭があり、その中には市の過去の有力者たちの大理石像に囲まれた大きな噴水があって、絶えず水が噴き出し、心地よい効果を与えていた。建物全体がローラニアの首都の豊かさと壮麗さにふさわしいものであった。

銃剣を装着した反乱軍の二人の歩哨が中央の出入り口を警戒しており、正当な許可なしには誰も立ち入ることを許さなかった。伝令がひっきりなしに中庭を急いで横切って行き、騎馬の従卒が全速力で出入りしていた。もし門がなかったなら、広い通り抜けは大いに興奮していながらも大部分は静かにしていた大勢の人々に埋め尽くされていたことだろう。根も葉もない噂が大衆の間に出鱈目に広まっており、興奮は強烈だった。遠くの発砲の音は明瞭で継続的であった。

ティロは群衆の中を難なく通り抜けたが、歩哨が出入り口に立ちはだかっていることに気づいた。彼らは彼の進入を許可することを拒み、一瞬彼は自分が冒した危険が無駄になるのではないかと懸念した。しかし幸いなことに中庭をぶらぶらしていた市の係員の一人が彼をモララの副官と見知っていた。彼は一枚の紙に自分の名前を書き、それをサヴローラ、あるいは彼が今そう呼ばれている公安評議会の会長の元に持って行くよう頼んだ。係員は行って、十分後に革命派の赤い襷で輝いている将校と一緒に戻ってきた。彼はすぐに自分についてくるように言った。

市長公邸のホールは自分の命を危険にさらすことなしにそれができるものであれば自由のために奉仕することを熱望する、興奮したおしゃべりな愛国者たちで溢れ返っていた。彼らは皆赤い襷を身に着け、伝令が頻繁に到着しては壁に貼っていく戦場からのディスパッチについて大声で議論し合っていた。ティロとその案内人はホールを通り抜け、通路に沿って急いで小さな委員会の部屋の入り口に到着した。数人の案内人と伝令がその周りに立っていて;一人の将校が外で番をしていた。彼はドアを開けて中尉が来たことを告げた。

「どうぞ」とよく知られた声がして、ティロは入った。腰板のついた小さな部屋で、赤っぽい色合いの重く色あせたカーテンで覆われた、高く深く設置された二枚のガラス窓があった。部屋の真ん中のテーブルではサヴローラが書き物をしていて;窓辺ではゴドイとレノスが話をしていて;隅で別の男が忙しく走り書きをしていることに彼はしばらく気づかなかった。偉大な民主主義者が顔を上げた。

「おはよう、ティロ」と彼は上機嫌で声をかけたが、少年の深刻でもどかしい表情に気づいて何が起こったのかと尋ねた。ティロは早口で大統領が宮殿を明け渡したがっている、と言った。「ああ」とサヴローラは言った。「モレが行っています、全権を持っているのです。」

「あの方は亡くなりました。」

「どのように?」沈痛な声でサヴローラは尋ねた。

「喉を撃たれたのです」中尉は簡潔に答えた。

サヴローラは真っ青になった;彼はモレを好きで、二人は長い間友達だった。闘争全体に対する嫌悪感に襲われたが;抑えた;後悔している時間はなかった。「人々が降伏を受け入れないだろうということですか?」

「おそらく今ごろ全ての兵士を大虐殺しているのではないかと思います。」

「モレは何時に殺されたのです?」

「十二時十五分です。」

サヴローラは、テーブルの上で彼の横にある紙を取り上げた。「これは十二時半に送られて来たものです。」

ティロはそれを見た。そこにはモレの署名があって、以下の内容であった:最終的な攻撃の準備をしています。すべて順調です。

「それは偽造です」中尉は簡単に言った。「私は三十分前に出発したのです、そのときにはセニョール・モレが死んで十分が経っていました。誰かが指揮権を盗んだのです。」

「わかったぞ」サヴローラはテーブルから立ち上がった。「クロイツェだな!」彼は帽子と杖を取った。「行こう;止めなければ彼は間違いなくモララを、そしておそらく他の人たちをも殺すだろう。私が自分で行かなければならない。」

「何ですって?」レノスは言った。「最も不法なことです;あなたのいるべき場所はここです。」

「将校を送ってください」とゴドイは提案した。

「あなたがご自分で行かれないのでしたら、私は人々に十分な力を及ぼすことができないでしょう。」

「私が!無理です、決して行けません!私には考えられません」ゴドイはすぐさま言った。「無駄です;私が暴徒に言うことを聞かせることなどできません。」

「朝中のトーンとはずいぶん違いますね」サヴローラは静かに答えた、「少なくとも政府軍の攻撃を撃退してからとは。」そしてティロに目を向けて言った。「行こう。」

部屋を出て行くとき、中尉は隅で書き物をしていた男が自分を見ていることに気づいた。驚いたことにそれはミゲルだった。

秘書は皮肉に会釈した。「また一緒になりましたね」彼は言った;「ついて来たら良かったのに。」

「ばかにするな」ティロは心の底から軽蔑して言った。「沈む船から逃げ出すネズミめ。」

「やつらは賢い」と秘書は答えた;「そこにいても何もならないのだからな。私はよく聞いたものだ、戦場から最初に逃げるのは副官である、と。」

「お前は呪われた汚らわしい犬だ」より馴染んでいる初歩的な返し言葉に立ち戻って中尉は言った。

「もう待てないよ」サヴローラが明白な命令の口調で言った。ティロは従い、彼らは部屋を出た。

通路を歩いて、ホールを通り抜ける時にサヴローラは大きな歓声を浴び、彼らは馬車が待っている入り口に着いた。赤い襷をかけてライフルを持った十数人の騎馬の男たちが護衛としてその周りに並んでいた。門の外の群衆は偉大なリーダーを見、中の喝采を聞いて、叫び声を上げた。サヴローラは護衛の指揮官の方を向いた。「護衛は必要ありません」彼は言った;「それを必要とするのは暴君だけです。私は一人で行きます。」護衛は退きた。二人の男たちは馬車に乗り込み、強い馬たちに引かれて通りに出て行った。

「君はミゲルを嫌いですか?」しばらくしてサヴローラは尋ねた。

「やつは裏切り者です。」

「街には大勢いますよ。だって君からすれば私も裏切り者でしょう。」

「あぁ!でもあなたはいつも一途でした」とティロはぶっきら棒に答えた。サヴローラは少し笑った。「つまり」と相手は続けた。「あなたはいつも物事をひっくり返そうとしているのです。」

「私は自分の反逆に一途だったということですね」サヴローラは言葉を補った。

「はい、―私たちはいつもあなたと戦ってきましたが;この毒蛇は―」

「まあ」とサヴローラは言った。「見つけた人材はそのまま受け入れなければなりません;私心は誰にでもあるものです。あなたが毒蛇と呼ぶ彼は哀れな人間ですが;私の命を救ってくれました、そしてその代わりに自分の命を救ってほしいと頼んできたのです。しょうがないでしょう?その上彼は役に立ちます。財政の正確な状態を知っており、外交政策の詳細に精通しています。なぜ止まっているのですか?」

ティロは外を見た。通りはバリケードで閉鎖されて袋小路になっていた。「次の曲がり角を入ってみてください」と彼は御者に言った。「すぐに行って下さい。」今や発砲の音がはっきりと聞こえるようになった。「今朝はもうほんの少しのところだったのに」とティロは言った。

「ええ」サヴローラは答えた。「攻撃を撃退するのには手こずったと聞きました。」

「あなたはどこに居られたのですか?」 少年は驚いて尋ねた。

「市長公邸で眠っていました;とても疲れていたのです。」

ティロはたまらない嫌悪感を抱いた。この偉大な人物はそういう臆病者だったのだ。政治家は自分の肌の手入れをし、自分たちの戦いに他の人たちを行かせる、といつも聞いていた。彼はどういうわけかサヴローラは違うと思っていた;彼はポロについてとてもよく知っていた;しかし他のすべての人たちと同じだったのだ。

サヴローラはすぐに気づいて、彼の表情を見て再び乾いた笑い声を上げた。「君は私が通りにいるべきだったと思うのですね?信じてください、自分のいた場所で私はもっと有益なことをしていたのです。戦闘中の市長公邸のパニックと恐怖を見ていたなら、自信を持って眠っていた方がまだマシだったと君も認めることでしょう。その上、人の力でできることはすべて終わっており、計算違いはしていませんでした。」

ティロは納得していなかった。サヴローラに対する彼の信用は壊れてしまった。彼はこの男の政治的勇気について多くを聞いていた。彼の心の中では物質は常に精神を上回っていた。サヴローラは単なる言葉の紡ぎ手であってスピーチに関しては十分勇敢だが、より苛烈な仕事をするときには慎重になるのだ、と彼はしぶしぶ納得することにした。

再び馬車が停止した。「通りはすべてバリケードで塞がれています、サー」と御者は言った。

サヴローラは窓の外を見た。「もうすぐそこだ。歩こう;憲法広場を横切ってわずか半マイルだ。」彼は飛び出した。町のこの辺りの通りと同様、バリケードも放棄されていた。暴力的な反乱者のほとんどは宮殿を攻撃しており、平和的な市民は家の中か市長公邸の外にいたのである。

彼らは二台のワゴンの上下に敷石と土嚢を積み重ねたでこぼこの壁をよじ登り、その先の道を急いだ。それは街の大きな広場に通じていた。遠い方の端には国会議事堂があり、その塔には反乱側の赤い旗が掲げられていた。エントランスの前には塹壕が掘られており、その上に数人の反乱軍の兵士の姿が見えた。

彼らが広場の約四分一を横切ったとき、突然三百ヤード離れた塹壕、あるいはバリケードから煙のパフが吐き出され;さらに五、六発が間断なく続いた。サヴローラはびっくりして立ち止まってしまったが、中尉はすぐに理解した。「走れ!」叫んだ。「立像だ―後ろに隠れろ。」

サヴローラはあらん限りの速さで走り始めた。バリケードからの発砲は続いた。「チュー」とキスをするような音を彼は空中で二回聞き;何かが彼の前の舗装を打ったため破片が飛び散って、そして通り過ぎた後には灰色の染みが出来ていて;彼の傍らの地下室の柵は大きな音でタンタンと鳴り、道路のホコリが奇妙に吹き上がって何度も舞い上がった。走るにつれてこれらが意味することの実感は強くなったが;距離は短く、生きて像に到達することができた。その巨大な台座の後ろには二人分の十分な避難場所があった。

「撃たれたね。」

「やりやがった」ティロは答えた。「くそっ!」

「しかし、なぜ?」

「この制服です―悪いいたずら―走っているやつ―面白いのでしょう―やつらにとっては。」

「先を行かなくては」とサヴローラは言った。

「広場を横切ることはできません。」

「では、どうしよう?」

「やつらから遠ざかる方向に通りを行くのです、私たちと銃の間に像がある状態をキープしたまま、一本左側の通りに出るのです。」

大通りは巨大な広場の中心を通り、そこから彼らが進んで行く方向と直角に走っていた。像に隠れてこれを後退して行けば、その先の平行に走っている通りにたどり着けるのだった。これによって塹壕からの銃火を回避できるか、少なくとも危険な空間を数ヤードに減らすことができる。サヴローラはティロが示した方向を見た。「こちらはきっともっと短い」彼は広場を横切る方向を指差して言った。

「はるかに短い」中尉は答えた。「三秒もあればあの世へ行けることでしょう。」

サヴローラは立ち上がった。「行こう」と彼は言った。;「私はそのような考えが自分の判断に影響を与えることを許さない。兵士の命が危機に瀕している。時間は短い。さらにこれは教育的経験なのだ。」

彼の頬は上気し、その目はきらめいていた;彼のすべての無鉄砲さ、すべての興奮への嗜好が血管の中をかき回していた。ティロは彼を見て驚いた。彼は勇敢だったが、狂った政治家のすぐ後に続いて死へと突進するのは愉快ではなかった;しかし道案内を誰にも譲る気はなかった。彼はもう何も言わず、助走をつけるために一旦台座の奥に引っ込み、そして広場に跳び出してできる限り速く走った。

どのようにして横切ったのか、彼には分からなかった。ある弾丸は帽子のてっぺんを切り、他の弾丸はズボンを引き裂いた。彼は多くの兵士の戦死を見ていた、そして舗道の粉砕音に自分を打ち倒す恐るべき一撃を予期した。本能的に顔を隠すように左腕を上げた。とうとう彼は安全な場所に到達した、息が切れ、信じられない思いだった。そして振り返った。サヴローラは真っすぐに立ったまま着実に歩いて、半分のところまで来ていた。三十ヤード離れたところで彼は立ち止まり、フェルト帽を取って、遠くのバリケードに向かってそれを挑戦的に振った。ティロは彼が腕を揚げて歩き出すのを見た、そして帽子は地面に落ちた。彼はそれを拾い上げなかった、そしてすぐにそばに来た、その顔は蒼白で、歯は食いしばられており、すべての筋肉が硬直していた。「教えて下さい」と彼は言った。「君たちはあれを激しい銃火と呼びますか?」

「あなたは狂っている」と中尉は答えた。

「なぜです?聞いていいですか」

「あなたの命を投げ捨てる、やつらを挑発するために立ち止まることにどんな意味があるのです?」

「ああ」と彼は大いに興奮して答えた。「私は運命に出会って帽子を振ったのです。あの卑劣で無責任な獣にではありません。宮殿に行こう;おそらくもう手遅れだろうが。」

彼らは人気のない通りを急いで通り抜けた、小銃射撃の音はますます大きくなり、群衆の叫び声と声援と混ざり合っていた。彼らは現場に近づき、大部分が平和的な市民であり、心配そうに騒動の方を向いている人々のグループの間を通り過ぎた。制服が異彩を放っている兵士に何人かが鋭い視線を投げかけたが;多くは帽子を取ってサヴローラに挨拶をした。それぞれに蒼白な傷ついた人物を載せた担架の長い列が通り過ぎ、戦場からゆっくりと離れて行った。人混みは濃くなり、武器が至る所に見られるようになった。まだ制服を着ている反乱側の兵士、仕事着の労働者、民兵の服を着た他の兵士、そして全員が反乱の赤い襷を掛けている人々が通りを埋め尽くしていた。しかしサヴローラの名前は本人が通る前にが広まって、群衆は歓声とともに左右に分かれ、通り道を開けた。

突然前方の発砲が止まり、しばしの沈黙があって、続いて不揃いのバチバチという一斉射撃が起こり、そして多くの喉から低いどよめきが上がった。

「終わっちまった」中尉は言った。

「早く!」 サヴローラは叫んだ。

 

 


第XX章
争いの終わり

ティロ中尉が電信線を伝って脱出した約十五分後、宮殿への攻撃は活発に再開された。さらに反政府側は新しいリーダーを見つけたと見え、戦術にかなりの連携が見られるようになった。すべての方面で発砲が増加した。そして敵は援護射撃の下に数本の通りから同時に流れ出し、大通りを突進して、全体的な攻撃を加えてきた。守備側は着実にそして効果的に発砲したが、前進してくる多勢を止めるのに十分な弾丸がなかった。多くの人々が倒れたが、それ以外は勢いよく押し進んだ、そして中庭の壁の下に隠れる場所を見つけた。防御側はこの屋外の防御線を保持できなくなったことに気づいて建物本体に戻り、エントランスの大きな柱の間に隠れた。そしてしばらくの間、壁の上に頭を出したり露出したりしたすべての人々を正確に撃ち、敵の銃火を抑えた。しかしその大人数によって反乱側は次第に銃撃戦の支配権を獲得するようになり、そして今度は防御側が撃つために自分の身体を晒すのは危険であることに気づく番になった。

攻撃側の銃火はどんどん激しくなり、防御側のそれは衰えていった。攻撃者は今や外壁全体を占領し、ついに政府側の生き残った味方の銃火も完全に沈黙させた。頭を出しているすべての兵士から二十丁のライフルが発射されていた;しかしこの意を決した兵士たちに慎重に敬意を払いつつも、彼らはチャンスを逃さなかった。彼らは援護射撃と中庭の壁に守られて門を破壊するために使った野戦砲を運び込み、100ヤードの距離から宮殿を砲撃した。破裂弾が石造建築を突き破り;大広間で破裂した。次の弾は建物をほぼ完全に通り抜け;反対側の朝食ルームで爆発した。カーテン、じゅうたん、椅子に火が付いて勢いよく燃え始め;宮殿の防衛が終わりに近づいていることは明らかだった。

ソレントは純粋に専門的な見地から戦争のすべての出来事を見るよう長い間自らを鍛えており、自分が最も好む作戦は敗北した軍隊から後衛を組織することであると自慢していたが、これ以上何もできることはないと感じた。彼は大統領に近づいた。

モララは苦い絶望の表情を浮かべ、五年の間そこに住んで統治していた大広間に立っていた。床のモザイクは破裂弾の鉄の破片によって剝ぎ取られ、傷つけられていて;塗装された屋根の大きな破片が床に落ちていて;深紅のカーテンは燻っていて;割れた窓のガラスが床に飛び散って;宮殿の反対側からは煙の重い雲が巻き上がっていた。大統領の姿と表情は破滅と破壊の光景によく調和していた。

ソレントは多分に仰々しく敬礼した。彼は軍法以外に信じるべきものを持っておらず、それをしっかりと握りしめていた。「サー」と彼は正式に始めた。「反乱側が近距離で砲を使用しているため、私には今やこの場所を守ることができなくなったことをお知らせする義務があります。突撃して砲を奪う必要があります、そして中庭から敵を追い出すのです。」

大統領には彼が言わんとすることが分かった;出撃して戦いの中で死ぬべきである。その瞬間の苦悩は強烈であった;果たされない復讐の棘が死の恐怖を実際よりも大きなものとしていた;彼は大きな声で呻いた。

突然、群衆から大きな叫び声が上がった。彼らは火事の煙で終局が近づいていることを知ったのだった。「モララ、モララ、出てこい!独裁者」と彼らは叫んだ。「出てこないと焼け死ぬぞ!」

人は死ななければならないと確信したとき、往々にして、立派に振舞い、尊厳を持って人生の舞台を去りたいという願いが他のすべての感情に打ち勝つことがある。モララは思い出した、何と言っても自分は人々の間で誉れ高く生きてきたのである。彼はほとんど王であった。世界中のすべての目はこれから演じられようとしている場面に向けられるであろう;遠い国が知り;遠い未来が振り返ることであろう。死ぬのであれば、勇敢に死ぬことには価値があった。

彼は周りにいた最後の防御者たちを呼んだ。残ったのは三十人ばかりで、そのうちの数人は負傷していた。「紳士諸君」と彼は言った。「諸君は最後まで忠実だった;私は諸君にこれ以上の犠牲を求めようとは思わない。私が死ねばあの野獣どもは満足することだろう。私は諸君の忠誠に感謝する、そして諸君の降伏を許可する。」

「断じて!」ソレントは言った。

「軍令です、サー」と大統領は答えてドアに向かって歩いた。彼は粉々になった木製品を通り抜けて広い階段の上に出た。中庭は群衆で溢れ返っていた。モララは前進して途中まで降り;そして立ち止まった。「来たぞ。」と彼は言った。群衆は見つめていた。しばらくの間、彼は明るい日差しの中でそこに立っていた。ローラニアの星と外国の多くの勲章と綬にきらめく彼の紺色の制服のコートは開いていて、その下に白いシャツが見えていた。彼は無帽で背筋を伸ばして真っすぐに立っていた。しばらくの間、沈黙があった。

そして中庭のすべての場所から、それを見下ろす壁から、そして向かい合った家の窓からさえ、不揃いな一斉射撃が起こった。大統領の頭はぐいと前方に引かれ、下方から脚が撃たれた、そして足がもつれて彼は地面に倒れた。体は二、三段を転がり、微かに痙攣した。黒づくめの、群衆に力を及ぼしていたと思しき男が前に出て来た。そして一発の弾が発射された。

同時にサヴローラとティロは壊れた門を通って中庭に入った;暴徒たちはすぐに道を開けたが、疾しさからむっつりと沈黙していた。

「私から離れてはいけない」とサヴローラは中尉に言った。彼はまだ反乱側の兵士たちが侵入していなかった階段に向かってまっすぐに歩いた。柱の間の将校たちは発砲の停止とともに姿を現し始め;誰かがハンカチを振った。

「紳士諸君」サヴローラは大声で叫んだ。「私はあなた方に降伏を呼びかけます。あなた方の命は救われます。」

ソレントが前に進み出た。「大統領閣下の命令により、私は宮殿とそれを防御していた政府軍を降伏させます。彼らの命が救われるという約束のもとに私はそれをします。」

「間違いなく」とサヴローラは言いました。「大統領はどこですか?」ソレントは階段の反対側を指さした。サヴローラは振り向いてその場所へと歩いて行った。

かつてローラニア共和国大統領であったアントニオ・モララは彼の宮殿のエントランスの階段の一番下の三段に頭を下にして横たわっていた;数ヤード離れてかつて彼に支配されていた人々が輪になっていた。黒いスーツを着た男がリボルバーに再び弾を込めていた;秘密結社のナンバーワン、カール・クロイツェだった。大統領は体のいくつもの銃創から大量に出血していたが、とどめの一撃(*coup de grace)が頭に加えられたものだったことは明らかだった。頭蓋骨の後部と左側が耳の後ろから吹き飛ばされ、おそらく近距離における爆発の力で顔のすべての骨が割れてしまい、皮膚が丸ごと残っていたので、それはスポンジバッグの中の壊れた陶器のように見えたのである。

サヴローラは愕然とした。彼は群衆を見、群衆はその目から尻込みした。徐々に彼らはすり足で後ろへ下がり、偉大な民主主義者と向かい合った陰気な装いの男だけが残された。密集した男たちは深く静まり返った。「この殺人を犯したのは誰ですか?」彼は秘密結社の長に視線を向けながら低い声で尋ねた。

「これは殺人ではありません」男は頑なに答えた。「処刑です。」

「何の権限で?」

「Society(*社会、結社)の名の下に。」

サヴローラは敵の死体を見たとき恐怖に襲われた、しかし同時にその心は凄まじい喜びに震えた;今や障害が取り除かれたのである。彼はその感情を抑えるのに苦労し、その苦闘が怒りを生んだ。クロイツェの言葉は彼を激怒させた。狂おしいばかりの苛立ちが全身を揺さぶった。間違いなくこれはすべて彼の名前に降りかかってくるのである;ヨーロッパはどう思い、世界は何と言うだろう?自責、恥、無念、そして彼が押し潰そうとした邪悪な喜びがすべてない混ぜになって衝動的で抑制できない情熱になった。「卑劣な人間のくず!」彼は叫んで段を降り、杖をしならせて相手の顔を打った。

突然の強烈な痛みの反動で男は彼の喉に飛びかかってきた。しかしティロ中尉は既に剣を抜いていて/強い腕と心からの善意でそれを下へと一閃し、彼を地面に転がした。

ばねが解き放たれた、そして大衆の怒りが噴出した。大きな叫び声が上がった。革命論者の間でのサヴローラの評判は大変高かったので、この人々はさらに下位の他のリーダーたちの方をより親しく見知っていたのである。カール・クロイツェは人々の味方だった。彼の社会主義的著作は広く読まれており;彼は秘密結社の長として自身を支援する一定の確かな影響力を持っており、宮殿への攻撃の後半を指揮していたのであった。彼が憎らしい将校の一人に今、目の前で殺されたのである。群衆は獰猛な怒りに叫びを上げながら前に押し寄せて来た。

サヴローラは階段を後ろに跳び上がった。「市民の皆さん、聞いて下さい!」彼は叫んだ。「皆さんは勝利を勝ち取ったのです;それを汚さないでください。皆さんの勇気と愛国心は勝利しました;皆さんが戦ったのは私たちの古来の憲法のためであることを忘れないでください。」その声は叫び声と嘲笑に遮られた。

「私が何をしたのかって?」彼はその声に応えた。「ここにいる皆さんと同じです。私も大義のために命を危険にさらしたのです。ここには怪我をしている人がいますか?出てきて下さい、私たちは仲間です。」そして初めて誇らしげなジェスチャーで彼は左腕を持ち上げた。ティロは彼が憲法広場で敢えてガントレットを走った(*昔の軍隊の刑罰で過失を犯した者に二列に並んだ人々の間を走らせて棒などで叩いた、転じて試練を受けること)理由に気がついた。彼のコートの袖は引き裂かれて血が染み込んでおり;シャツのリネンは深紅に染まり;指は硬直していて全体が血まみれだった。

生み出された印象は凄まじいものであった。暴徒たちはいつも劇的なものに特別強く動かされるものであるが、同じ危険にさらされている負傷者に対してすべての男たちが感じる、その共感に揺り動かされた。激変が起こった。歓声が上がり、最初はかすかでしたが、次第に大きくなっていった;中庭の外の人々は理由も知らないままにそれに呼応した。サヴローラは続けた。

「専制政治から解放された私たちの国は、フェアな汚れなき状態で船出しなければなりません。国民から与えられたものではない不当な権力を行使する者は大統領であろうと市民であろうと罰せられます。この軍の将校たちは共和国の裁判官の前に出てきて自らの行動の責任を取らねばなりません。自由な裁判はすべてのローラニア人の権利です。同志の皆さん、多くのことが成し遂げられましたが、私たちの仕事はまだ終わっていません。私たちは自由を高く掲げました;それを守らなければなりません。この将校たちは刑務所に入れます;皆さんには別の仕事があります。艦隊が戻ってきています;まだライフルを片付けてはいけません。この先を見通せる人などいるでしょうか―最後まで?」

血まみれの包帯を頭に巻いた男が前に歩み出た。「私たちは仲間だ」と彼は叫んだ;「握手しよう。」

サヴローラは固い握手をした;彼は反乱軍の下級将校の一人であり、数ヶ月間サヴローラと少し見知っていた単純で正直な男だった。「あなたに大切な仕事を任せます。この将校たちと兵士たちを国の刑務所に連れて行って下さい;私は馬に乗った伝令を使って全ての指示を送ります。護衛を探せますか?」志願者には事欠かなかった。「では刑務所へ、そして共和国の信用は彼らの安全にかかっていることを忘れないでください。前へ、紳士諸君」と彼は付け加え、生き残った宮殿の防衛者たちに目を向けた。「私の名誉にかけて、あなた方の命は安全です。」

「陰謀家の名誉」とソレントは冷笑した。

「お好きなように、サー、しかし従ってください。」

ティロだけをサヴローラの元に残して集団は立ち去り、それを取り囲んで多くの群衆がついて行った。彼らがそうしているうちに、鈍い重い砲声が海の方向から聞こえて;次から次へと矢継ぎ早に続いた。ついに艦隊が戻って来た。

 

 


第XXI章
艦隊の帰還

デ・メロ提督は約束は守ってきたし、適切なルートからの命令には従ってきた。共和国のエージェントが乗った通報艦と出会ったとき、彼はサイド港の100マイル以内に到達していた。彼はすぐに進路を変え、つい最近立ち去ったばかりの街へと蒸気を使って戻って行った。艦隊は遅くて時代遅れではあっても手ごわい機会である二隻の戦艦、二隻の巡洋艦、一隻の砲艦で構成されていた。折悪しく旗艦フォーチュナの蒸気管が破裂して数時間の遅延が発生したため、岬を回って右舷船首に港とローラニアの街がくっきり白く浮かび上がるのが見えたのは二日目の午後二時だった。将校たちは自分たちの故郷であり、その栄光を自らの誇りとしている首都を不安気な目でじっと見つめた;また、その恐れは根拠のないものではなかった。通りや庭の中から半ダースの大火災の煙が上がっており;外国船は港から出て停泊地に待機しており、大部分が蒸気を使っていた;突堤の先端にある砦には見なれない赤い旗が上がっていた。

提督は半速度の合図をして、慎重に水路の入り口へと進んだ。それは通過する船が砲台の重砲の十字砲火にさらされなければならないように工夫されていた。実際の通路の幅は約一マイルだったが、航行可能な水路自体は危険なほど狭く、極度に困難なものであった。その隅々までを知っているデ・メロがフォーチュナに座乗して先頭に立ち;二隻の巡洋艦、ソラトとペトラークが続き;その次が砲艦リエンツィで、もう一隻の戦艦ソルダーニョは後ろに控えていた。戦闘のために信号旗は畳まれ;太鼓が鳴らされて兵士たちは部署に分かれ;将校たちは持ち場につき、艦隊は好都合な潮に助けられ、蒸気を使ってゆっくりと港口へと向かって行った。

反乱側の砲手たちは形式にこだわって時間を浪費したりはしなかった。フォーチュナが弾道に入って来ると二つの大きな煙の膨らみが砲眼から吹き出し;海側の砲台の九インチ砲が発射された。二発の破裂弾が空高く飛び、速度を七ノットに上げ、僚船を従えて進路上にいた戦艦のマストの横をうなりをあげて通り過ぎた。発射に際して砦の各砲が威力を発揮したのであったが、狙いが悪く発射体は水の上へと景気よく撥ね飛び、大きな水煙を噴き上げた、そして先頭の船が港口に到着するまで命中することはなかった。

高性能爆薬で発射された重い破裂弾がフォーチュナの左舷の砲台に突っ込み、六十人近くの兵士を殺傷するとともに四門の砲のうち二門を砲架から降ろしてしまった。これは巨大な機械を奮起させ;前部の砲塔が回って、砦へと方向を変え、その大きな一対の大砲を作動させた。その発射はほぼ同時であり、船全体が凄まじい反動によろめいた。両方の破裂弾は砦に衝突し、衝撃で爆発し、石積みを木っ端みじんに砕き、土盛りを空中に吹き飛ばした;しかし被害はわずかだった。安全な防弾設備の中の反乱側の砲手にとって危険なのは砲眼から入ってくる砲弾だけであった;一方、そうした砲をバーベット砲架から(*胸壁越しに)発射するならそれが見えるのは発射の瞬間だけある。

それにもかかわらず巨大な船は文字通りあらゆる方向に炎を噴き始め、その多数の速射砲は砲眼を探し、小さな破裂弾を惜しみない速度でばら撒いた。そのうちののいくつかに穴があき、反乱側は兵士を失い始めた。船が前進するにつれて十字砲火はさらに激しくなり、引き続き互いに猛烈に応戦した。連続砲撃は途方もないものになり、重砲の大きな爆発音は速射砲の絶え間ないタタタタという音にかき消されてしまった;港の水にはいたるところに大きな泡の噴出口が、澄んだ空気中には爆発した破裂弾の白い煙のパフが見られた。フォーチュナの主砲は完全に沈黙していた。二発目の破裂弾が爆発して恐ろしい大虐殺を引き起こし、生き残った水兵たちはその場から船の装甲のある部分に逃げてしまい;また将校たちはぞっとするようなその修羅場に彼らを戻らせることはできなかった、無茶苦茶になった鉄の大きな塊の間に押しつぶされた仲間の肉片が転がっていたのである。船の側面は切れ目が入り、至る所が裂けていた、そして甲板の排水穴から大量の水が逆流していることからポンプの能力不足は明らかだった。フォーチュナの煙突は甲板とほぼ同じ高さまで撃ち落とされてしまっており、船尾から漂う黒煙が船尾回転砲塔と後部砲から砲手を追い出してしまった。破壊され、装備を失い、死者と瀕死の兵士が群れをなしていたが、その中枢部はまだ無傷であった、そして司令塔の艦長は舵輪に反応があることを感じ、自分の幸運を喜んでそのまま航路を進んだ。

巡洋艦ペトラークは破裂弾のために蒸気操舵装置が曲がって動かなくなり、砂州に座礁して手の施しようがなくなった。砦は砲火を倍増させ、艦をバラバラに撃ち壊し始めた。艦は白い旗を掲げて発砲を止めた;しかしこれについて何の注意も払われることはなく、他の船が浅瀬に行く危険を冒してまで救助しようとしなかったため、艦は難破し、三時に巨大な爆発音とともに破裂した。

最も被害が少なかったソルダーニョは、非常に重装甲であったため、砲艦(*リエンツィ)をどうにか保護することができた。全員が死亡したペトラルカの乗組員以外に二百二十名の死傷者が出たが、四十分間の戦闘の後、全艦隊が砲台を通過した。反乱軍の損失は約七十名であり、砦への被害はわずかであった。しかし今度は水兵たちが攻勢に出る番だった。ローラニアの街は彼らの掌中にあった。

提督は自分の船を岸から五百ヤードのところに停泊させた。彼は停戦の旗を掲げ、ガントレットを走っている間にすべての船舶が大破したため交渉を希望する、という信号を税関に送り、将校の派遣を要請した。

約一時間の遅延の後、桟橋から艦載用ボートが出てきてフォーチュナに横づけした。共和党民兵の制服を着た、腰に赤い襷を巻いた二人の反乱側の将校が乗船してきた。デ・メロは極度の礼儀正しさで、ボロボロの後甲板で彼らを出迎えた。荒っぽい船乗りでありながら、彼は多くの土地の男達と交わってきた、そして危険の接近や力の意識によって彼のマナーは常に向上していた。「教えてください」と彼は言った。「何故、私たちは自分の生まれた街でこのような歓迎を受けているのですか?」

二人の将校のうち年長の方が、砦は発砲を受けるまで発砲しなかった、と返答した。提督はその点については議論しなかったが、市内で何が起こったのかを尋ねた。革命と大統領の死を聞いて、彼は深く心を揺り動かされた。ソレントと同じく、彼は長年モララを知っていた、正直で率直な人物であった。将校たちは臨時政府が彼とその艦隊の降伏を受け入れ、彼とその将校たちを名誉ある条件で捕虜と認定すると続けた。彼はサヴローラが署名した公安委員会の許可証を取り出した。

デ・メロは幾分軽蔑して彼に真剣になるよう要求した。

将校はボロボロの状態の艦隊は再び砲台のガントレットを走ることができず、兵糧攻めに会うことだろうと指摘した。

これに対してデ・メロは、港の先端の砦も同様の状態にある、自分の砲に軍用突堤からと岬からの両方のアプローチを見渡されているからである、と答えた。彼はまた船上には六週間分の糧食があり、弾薬も十分にあると考えていると付け加えた。

彼の強みは否定されなかった。「間違いなく、サー」と将校は言った。「あなたは臨時政府と自由と正義のために大きな貢献をすることができるでしょう。」

「今や」提督は冷淡に答えた「正義が私の助けを必要としているように見える。」(*反乱側が裁判もせずにモララを殺したのは不正義である)

それに対して将校たちは自分たちは自由な議会のために戦ったのであって、自らの道を歩もうとしただけである、という以上のことを言えなかった。

提督は返事をする前に一、二周歩き回った。「私の条件はこうだ」彼はついに言った。「陰謀のリーダーである―この男、サヴローラは―すぐに降伏し、殺人と反乱の罪で裁判を受けなければならない。これが行われるまでは私は交渉に応じない。これが明日の朝六時までに行われない限り私は町を砲撃し、この条件が遵守されるまでそれを続ける。」

二人の将校はそれが残酷で野蛮な行為であると抗議し、彼はその破裂弾の責任を取らされることになるであろうと仄めかした。提督はこの問題について話し合うことや他の条件を検討することを拒否した。彼を動かすことは不可能だったので、将校たちは艦載ボートで岸に戻った。四時だった。

この最後通牒が市長公邸の公安委員会に報告されるとたちまち、驚愕とでもいうべきことが起こった。勝者側であることが明らかになったとたん反乱派に加わった豊かな市民たちにとって、砲撃は意に染まないものであった。また他人にダイナマイトを使うことには賛成しても自分が高性能爆薬と直接の近づきになることを喜ばない社会主義者にとっても不快なものだった。

将校たちは彼らの会見と提督の要求について話をした。

「そして私たちが従うことを拒否した場合は?」サヴローラは尋ねた。

「その場合、彼は明日朝六時に砲火を開くでしょう。」

「うーん、紳士諸君、私たちは歯をくいしばって耐えなければならないでしょう。彼らはあえてすべての弾薬を撃ち果たすことはないでしょう、そして私たちの決意が固いことを知るやいなや屈服することでしょう。女性と子供は地下室にいれば安全でしょう、そして砦の砲の何門かを港に向けることができるかもしれません。」熱狂はなかった。「高くつくブラフのゲームになることでしょう」彼は付け加えた。

「もっと安くつく方法があります」と社会主義者の代表がテーブルの端から意味ありげに言った。

「どのような提案ですか?」サヴローラは彼を凝視して尋ねた;男はクロイツェの親しい盟友であった。

「反乱のリーダーが社会のためにご自身を犠牲にされるなら、もっと安くつくでしょう。」

「それがあなたのご意見ですか;それについて委員会の意向を聞くことにしたいと思います。」多くの出席者が「だめ!だめ!」「恥を知れ!」という叫び声を上げた。何人かは黙っていた;しかし過半数がサヴローラを支持していることは明らかだった。「よろしい」と彼は冷ややかに言った;「公安委員会は名誉あるメンバーの提案を採用しませんでした。彼は却下されます、」―ここで彼は男を睨みつけてたじろがせた―「文明的習慣を持つ人々の間ではよくあることです。」

別の男が長いテーブルの端から立ち上がった。「あのねえ」と彼は乱暴に言った;「俺たちの街がやつらのやりたい放題なんだったら、俺たちには人質がいるだろ。今朝俺たちと戦った洒落ものが三十人いるんだ。提督に言ってやれ、やつが一発撃つたびに一人づつ殺すってな。」

同意のつぶやきがあった。多くの人が提案を承認した。それが実行に移されることはないと思われ、誰もが破裂弾を阻止したかったのである。サヴローラの計画は賢明だったが、痛みを伴うものであった。新しい提案が人気なことは明らかだった。

「それは問題外です」とサヴローラは言った。

「なぜです?」いくつかの声が尋ねた。

「なぜなら、サー、この将校たちは条件に基づいて降伏したからです、なぜなら共和国は無実の人々を殺してはならないからです。」

「採決しましょう」と男は言った。

「私は採決に異議を申し立てます。これは論争したり意見を述べたりする問題ではありません;善悪の問題です。」

「それでも私は採決に賛成です。」

「私も」「私も」「私もだ」多くの声が叫んだ。

採決することになった。レノスは法に基づいてサヴローラを支持した;将校たちは未決である、と彼は言った。ゴドイは棄権した。二十一対十七で賛成が多数となった。

挙手の数は歓声とともに受け入れられた。サヴローラは肩をすくめた。「こんなことは続けられません。私たちは突然野蛮人になるのですか?」

「別の方法があります」とクロイツェの友人は言った。

「サー、この新しい計画が実行されるくらいなら私は喜んで別の方法を受け入れます。しかし」と低い威嚇的な口調で言った。「まずはお互いの意見を言うことになるでしょう、そして私はそのとき皆さんと私の本当の敵を名指しすることになります。」

男は明らかな脅しに答えなかった;他のすべての人々と同じく、彼は暴徒に対するサヴローラの力とその強い支配的な性格に相当の畏敬の念を抱いていた。委員会は問題に決定を下しました、と言うゴドイの言葉が沈黙を破った。そこで都市が砲撃された場合には捕虜を射殺することを告げる文書が起草され、提督に送られた。さらなる議論の後、委員会は解散した。

サヴローラは後に残ってメンバーが話をしながらゆっくりと離れていくのを見ていた。そして彼は立ち上がって自分のオフィスとして使っていた小さな部屋に入った。彼は意気消沈していた。少しばかりだが怪我もしていた;しかしそれより悪いことに職務上の敵対勢力が存在し;自分が党派に対する支配力を失っていることに彼は気づいたのだった。彼の存在が不可欠だったのは勝敗が決まるまでのことで;今や彼らは自力でやって行こうとしていた。彼はその日に経験したことすべてについて考えた;夜の恐ろしい光景、戦闘中の興奮と不安、広場での奇妙な体験、そして最後に、この重大な問題。しかし、彼の心は決まっていた。彼はデ・メロを十分知っていたので返事は見当がついていた。「彼らは兵士です」と彼は言うだろう。「彼らは必要とあらば命を捧げなければなりません。捕虜は自分のために友軍が妥協させられることを許すべきではありません。彼らは降伏するべきではなかったのです。」砲撃が始まったなら恐怖は残忍へと転じ、群衆がリーダーたちの脅迫を実行することが想像された。何があろうともこれを続けることは許されなかった。

彼はベルを鳴らして案内係に「秘書にここに来るように言って下さい」と言った。彼は行って、しばらくしてからミゲルと一緒に戻って来た。「どの将校が刑務所を担当しているのですか?」

「当局者は変わっていないと思います;彼らは革命に参加していません。」

「そうですか、捕虜を送るように所長に命令を書いてください。今日の午後に捕らえた将校たちを馬車で密かに駅に送るのです。彼らは今夜十時にそこにいなければなりません。」

「彼らを逃がすのですか?」ミゲルは目を見開いて尋ねた。

「安全な場所に送るのです」サヴローラは曖昧に答えた。

ミゲルはそれ以上のコメントをすることなく命令を書き始めた。サヴローラはテーブルから電話をとって駅を呼び出した。「交通局長に来て私に話すよう言ってください。局長ですか?―公安評議会の執行委員会の委員長です―聞こえますか?特別列車を用意して下さい―三十人分の宿泊施設―十時出発の予定です。回線をクリアして国境へ―そう―国境に繋げて。」

書き物をしていたミゲルは素早く見上げたが、何も言わなかった。彼は大統領が破滅し、その主張が敗北したのを見て彼を見捨てたのだが、サヴローラに対しては本物の憎しみを抱いたのだった。その頭にある考えが浮んだ。

 

 


第XXII章
人生の報酬

たくさんのことが起こったが、サヴローラが家を出て市長公邸へと急いでから少しの時間しか経っていなかった。何ヶ月もの間静かに、そして秘密裏に進行していた奥行きのある、複雑な陰謀は世界の舞台で爆発し、国々に衝撃を与えた。ローラニアに五年間存在していた政府を数時間のうちに倒した、突然の恐るべき動乱にヨーロッパ中が驚いた。九月九日を通して猛威を振るった戦闘において千四百人以上が死亡した。財産への被害は甚大だった。上院は炎上しており;宮殿は破壊されていて;両方とも多くの店や民家とともに暴徒と反乱兵による略奪を受けていた。市内の数カ所でまだ火が燻っていた;多くの家は空っぽで女性が泣いていた。通りでは救護馬車と市のカートが死体を集めていた。国の歴史上の重大な一日になった。

そしてルシールは怖しい時間を小銃射撃の音を聞きながらずっと待っていた。その音は時には遠方で断続的に、時には近方で持続的に聞こえ、不機嫌にぶつぶつ言ったり、大声で罵ったりしている激怒した巨人の声のようだった。連続砲撃の凄まじい喧騒でそれが消えるまで、悲しみとどっちつかずの不安の中で彼女は耳を傾けていた。時折、老保母の平凡な物質的な慰め―スープ、カスタードなど―の間に、彼女は祈っていた。宮殿での悲劇を知らせるサヴローラからのメッセージを受け取る四時まで、彼女はあえて自分の訴えに名前を入れていなかった;しかしその後、彼女は慈悲深い神に愛する人の命を救うことを懇願した。彼女はモララを悼んでおらず:彼の死は恐ろしく残酷なものであったが、彼女は喪失感を感じることができなかった;しかし彼が自分のせいで殺されたという考えはその心をとてつもない罪悪感で満たしていた。もしそうであれば、と彼女は自分自身に言った。一つの壁がなくなって別の壁が立ちはだかっただけではないだろうか。しかし彼女のサヴローラへの愛情の前に立ちはだかるのは物理的な力と死だけである、と心理学者は皮肉な真実を断言したことだろう、何よりも彼女は世界で一人ぼっちになってしまいたくないがために彼の帰還を祈っていたのだから。

今では彼女に残されたのはその愛だけのように思われたが、それによって人生は壮麗さ、権力、そして賞賛に包まれた宮殿における寒々とした日々よりも、より現実的に強く色づいていた。彼女は自分に欠けていたものを見つけたのであり、彼もそうだった。彼女と一緒にいるとまるで朝の光がクリスタルプリズムに当たって虹を放ったか、雪の山頂をバラ色、オレンジ、スミレ色に染めたようだった。サヴローラに関して言えば激しい愛の輝きのせいで揺るぎない野心の青白い炎が見えなくなっていた。人の魂はこの世のるつぼの中で多くの精錬剤にかけられる。彼は気分や思考の変化に敏感だった;もはや運命に帽子を振ることはないだろう;今や勇気に慎重さを加えていた。宮殿の階段に横たわった、その目も当てられない亡骸を見た瞬間から、彼は自らの人生に作用する別の力を感じていた。異なる興味、異なる希望、異なる願望がその心に入って来た。別の理想と新しい幸福の基準を彼は探していた。

とても消耗して、とても疲れて彼は自分の部屋へと向かった。過去二十四時間の緊張は甚大なもので、将来に対する不安は痛切なものだった。評議会の決定を覆し、囚人を国外に逃がすという措置をとったことがどのような結果を生むか、すべてを見通すことはできなかった。それは、彼が信じるところの、唯一のコースだった;そしてその結果が自分自身にどう関係するかについて、あまり気にしていなかった。彼はモレのことを考えた―、一日で世界を正そうとしていた勇敢で衝動的な今は亡きモレ。そのような友人の喪失は個人的にも政治的にも彼にとって深刻なものだった。彼が必要な時に頼ることができるたった一人の私心のない人物を死が奪い去ったのであった。疲労感、闘争への嫌悪感、平和への欲求がその魂に満ち溢れた。彼が長くそのために骨折って働いた目標はほぼ達成されたが、価値のないものに見えた、比べるなら価値のないものに、つまり、ルシールと比べるならば。

長い間、彼は革命家としてローラニアから逃げなければならない場合に備えて外国で十分な収入を確保できるよう、自分の財産を手配していた;そしてその争いと大虐殺の現場を去って自分を愛してくれる美しい女性と一緒に暮らしたい、という強い願いがその心を支配していた。しかし彼の第一の義務は自分が転覆した国に政府を樹立することだった。しかしひねくれた代議員たち、卑屈で迎合的な猟官者の群れ、弱く、疑り深く、臆病な同僚について考えたとき、そのために努力しようという気にはなれなかった;ほんの数時間の内にこの断固とした野心的な人物に起こった変化は非常に大きなものだった。

彼が入ってくるとルシールは立ち上がって出迎えた。確かに運命が二人を結びつけたのであった、彼女には人生に他の希望がなく、助けを求められる人もいなかったのだから。しかし彼女は彼を見て恐怖した。

その素早い知性は彼女の疑いを言い当てた。「私は彼を助けようとしたのです」と彼は言った。「しかし間に合いませんでした、近道をしようとして怪我までしたのですが。」

彼女はその包帯を巻かれた腕を見て、愛を込めて彼を見つめた。「私のこと、大嫌いですか?」と彼女は尋ねた。

「いいえ」と彼は答えた。「私は女神と結婚しません。」

「私もしません」と彼女は言った。「哲学者さんとは。」

そして二人は互いにキスをした、そしてそのときから二人の関係は気取らないものになった。

しかしその日一日の労苦にもかかわらず、サヴローラに休む時間はなかった。やるべきことがたくさんあり、ひどいプレッシャーの中で短い時間働かなければならないすべての人々と同様に、彼は薬の力に頼った。部屋の隅にある小さなキャビネットに行って、睡眠をなしで済ませることができ、新鮮なエネルギーと持久力を与える効能のある薬を呷った。そして彼は座って命令と指示を書き始め、市長公邸から持ってきた書類の山に署名し始めた。ルシールは彼がこのように忙しくしているのを見て、自分の部屋に行った。

ベルが鳴ったのは午前1時ごろだった。老保母を気にかけていたサヴローラは駆け下り、自分でドアを開けた。ティロが私服で入って来た。「あなたに警告するために来たのです。」と彼は言った。

「どういうことです?」

「誰かがあなたが捕虜を逃がしたことを評議会に知らせたのです。緊急会議が召喚されました。大丈夫ですか?」

「なんてことだ」 サヴローラは沈痛な声で言った。そして少し間をおいてから付け加えた「行って会議に参加します。」

「国境までの道に整備されている駅馬車があります」と中尉は言った。「大統領が夫人閣下を逃がそうとする場合に備えて私に手配させられたのです。ゲームをあきらめるのであれば、これを使って逃げることができます;私の令状があれば用意できます。」

「いいえ」とサヴローラは言った。「その気持ちはありがたいです;しかし、私は人々を専制政治から救いました、そして今彼らを彼ら自身から救わなければならないのです。」

「あなたは私の兄弟将校の命を救って下さいました」と少年は言った。「私を頼りにして下さっていいのです。」

サヴローラは彼を見た、そしてある考えが閃めいた。「その替え馬たちは大統領夫人閣下を中立の土地へと運ぶことを命じられたのだから、そのように使ったほうがよいでしょう。彼女を連れて行ってくれますか?」

「この家に居られるのですか?」中尉は尋ねた。

「うん」とサヴローラはぶっきら棒に言った。

ティロは笑った;少なくともスキャンダルとは思っていなかった。「私は毎日どんどん政治を学び始めていますね」と彼は言った。

「誤解だよ」とサヴローラは言った;「何はともあれ、頼んだようにしてくれますか?」

「もちろんです、いつ出発しましょうか?」

「いつ出発できるのです?」

「半時間後に旅行用大型馬車を回せます。」

「頼みます」とサヴローラは言った。「君には感謝しています。君とは一緒に色々な経験をしましたね。」

彼らは心からの握手をし、中尉は馬車を用意するために立ち去った。

サヴローラは階段を上って行き、ルシールのドアをノックして、彼女に計画を知らせた。彼女は彼に一緒に来るよう懇願した。

「本当にできることならそうしたいのです」と彼は言った。「こんなことにはもううんざりしているのです;でも最後まで見届ける義務があるのです。私はもう権力に魅力を感じていません。事態が落ち着いたらすぐに戻って来ます、そうすれば結婚して幸せに暮らせるのです。」

しかし皮肉なひやかしも議論も彼女を説得することはできなかった。彼女はその両腕で彼の首にしがみつき、自分を捨てないで欲しいと懇願した。それは辛い試練だった。彼は心を痛めながらもやっとのことでそれを振りほどき、帽子とコートを身に着けて市長公邸に向かった。

距離は約四分の三マイルだった。半分ほど来た時、将校の指揮する反乱軍のパトロールに出会った。彼らは彼に停止を呼びかけた。彼は帽子を目深にかぶった、さしあたり気づかれることを望まなかったのである。将校が前に出てきた。それは宮殿が降伏した後、サヴローラが捕虜の護送を任せた負傷した将校だった

「サンマルコ広場まであとどれくらいですか?」彼は大きな声で尋ねた。

「そこですよ」とサヴローラは指差した。「二十三番街です。」

反乱将校はすぐ彼に気づいた。「前進」と部下に言った。そしてパトロール隊は去った。「サー」と彼は決意した男の低く速い声でサヴローラにつけ加えた、「私は評議会が出したあなたの逮捕令状を持っています。彼らはあなたを提督の元に送ろうとしています。時間があるうちに逃げて下さい。私は部下に回り道をさせます。それであなたには二十分の時間ができます。逃げてください;それは私にとっても高くつくかもしれません、親愛なる方、しかし私たちは仲間です;あなたはそう仰いましたね。」彼はサヴローラの負傷した腕に触れた。そしてパトロールに向かって大声で言った。「その通りを右に曲がれ;目抜き通りからは外れた方がいい。やつはどこかの路地をこそこそと逃げているんだろう。」そして再びサヴローラに:「他の隊も来ますので、逃げ遅れないで下さい;」そう言って彼は急いで部下の後を追いかけた。サヴローラはしばし立ち止まった。行くことは投獄され、おそらく死ぬことであり;戻ることは安全とルシールを意味するのである。一日前だったら彼は問題を最後まで見届けたことであろう;しかし彼の神経は何時間も張りつめられており―邪魔するものは何もなかった。彼は振り向いて、急いで家に戻った。

ドアの前に旅行用大型馬車が着いていた。ルシールが泣きながらその中に乗り込むのを中尉が手伝っていた。サヴローラは彼に声をかけた。「私も行くことにした」と彼は言った。

「首都!」ティロは答えました。「あの豚どもはお互いの喉に食らいついていればいいのです;そのうち正気に戻るでしょう。」

そして彼らは出発した、そして彼らが街の後ろの丘の長い登り坂に骨を折っているうちに夜が明けた。

「あなたを告発したのはミゲルです」と中尉は言った;「市長公邸で聞きました。やつはあなたの害になるって私は言っていましたよね。いつかやつを裁いて仕返しをしなければなりません。」

「私は決してああいう人間に無駄な復讐をしない」とサヴローラは答えた。「天罰が下るのだから。」

息を切らした馬たちを風に当てるため、馬車は丘の頂上で停まった。サヴローラはドアを開けて外へ出た。四マイル向こうに、そして今やはるか下の方に、彼が立ち去った都市があった。数カ所の大火災から太い煙の柱が立ち昇って漂い、夜明けの風のない澄んだ空気の中に巨大な黒い雲をかけていた。白い家の長い列の下には上院の廃墟、庭園、そして港の水域が見えた。艦隊は港に停泊しており、砲は町に向けられていた。その光景は怖しいものだった;この峠に至るまでのかつての美しい街は変わってしまっていた。

遠くの装甲艦から白い煙のパフが噴き出し、しばらくすると重砲の鈍い轟きが聞こえた。サヴローラは時計を取り出した;六時だった。提督は細心の注意を払い、時間を厳守して約束を守ったのであった。夜中にその多くの砲を内陸に移動していた砦は艦隊の砲火に応戦を始め、全体的な砲撃戦になった。新しく燃えた家から煙がゆっくりと立ち昇って、破裂弾の黄色い閃光を白く反射する、黒く垂れこめた雲に合流した。

「これが」長く凝視した後サヴローラは言った。「私の人生をかけた仕事なのか。」

優しい手が彼の腕に触れた。振り向くと、ルシールが隣に立っていた。彼はその美しい姿を見た、そして結局のところ自分は無駄に生きてはいなかった、と感じたのであった。

 

ローラニア共和国の年代記をさらに読み進める人々は、騒動が収まった後、いかにして人々が自分たちのために自由を勝ち取り、その勝利の時に自分たちが捨て去ってしまった輝かしい亡命者に再び心を向けたかを読むことだろう。彼らは人々の気まぐれさを嘲笑しつつ、サヴローラがその美しい配偶者とともに自ら愛してやまなかったその古来の街に戻ったことを読むだろう。いかにしてティロ中尉が戦場におけるその勇気のために世界中で敬意を払われている小さな青銅製のローラニアン・クロスを授けられたかを;いかにして彼が槍騎兵隊のポロ・チームを望み通りイングランドに導き、オープン・カップの決勝戦で大富豪連合軍を破ったかを;いかにして彼が栄誉と成功とともに共和国に忠実に仕え、ついには軍の司令官に上り詰めたかについてについて読むだろう。老保母については確かにこれ以上を読むことはないだろう、そうしたことを歴史は取り扱わないのである。しかしゴドイとレノスの二人がその天分にふさわしい公職に就いたこと、そしてその卑劣で憎むべき性格の代償として幸運を享受し続けたミゲルにサヴローラが悪意を抱いていなかったことに気がつくかもしれない。

しかし大学の設置や鉄道、運河の開通以外に列挙すべき大事件がほとんどないため、年代記の編者はギボンのあの壮麗な一文を思い出すことであろう、すなわち歴史とは「人類の犯罪、愚行、不幸の記録に過ぎない」; そして数多くのトラブルの後、ローラニア共和国に平和と繁栄が戻ってきたことを喜ぶだろう。

 

 


キーワード:サヴォローラ、サヴォロラ、サヴロラ、サボローラ、サボロラ、サブロラ、サブローラ

 

 

2021.4.12